中原中也/秋の詩名作コレクション25/脱毛の秋 Etudes
脱毛の秋 Etudes
1
それは冷たい。石のようだ
過去を抱いている。
力も入れないで
むっちり緊(しま)っている。
捨てたんだ、多分は意志を。
享受してるんだ、夜(よる)の空気を。
流れ流れていてそれでも
ただ崩れないというだけなんだ。
脆(もろ)いんだ、密度は大であるのに。
やがて黎明(あけぼの)が来る時、
それらはもはやないだろう……
それよ、人の命の聴く歌だ。
――意志とはもはや私には、
あまりに通俗な声と聞こえる。
2
それから、私には疑問が遺(のこ)った。
それは、蒼白いものだった。
風も吹いていたかも知れない。
老女の髪毛が顫(ふる)えていたかも知れない。
コークスをだって、強(あなが)ち莫迦(ばか)には出来ないと思った。
3
所詮(しょせん)、イデエとは未決定的存在であるのか。
而(しか)して未決定的存在とは、多分は
嘗(かつ)て暖かだった自明事自体ではないのか。
僕はもう冷たいので、それを運用することを知らない。
僕は一つの藍玉(あいだま)を、時には速く時には遅くと
溶かしているばかりである。
4
僕は僕の無色の時間の中に投入される諸現象を、
まずまあ面白がる。
無色の時間を彩るためには、
すべての事物が一様の値いを持っていた。
まず、褐色の老書記の元気のほか、
僕を嫌がらすものとてはなかった。
Ⅴ
瀝青(チャン)色の空があった。
一と手切(ちぎ)りの煙があった。
電車の音はドレスデン製の磁器を想わせた。
私は歩いていた、私の膝は櫟材(くぬぎざい)だった。
風はショウインドーに漣(さざなみ)をたてた。
私は常習の眩暈(めまい)をした。
それは枇杷(びわ)の葉の毒に似ていた。
私は手を展(ひろ)げて、二三滴雨滴(あまつぶ)を受けた。
Ⅵ
風は遠くの街上にあった。
女等はみな、白馬になるとみえた。
ポストは夕陽に悪寒(おかん)していた。
僕は褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)を一つ欲した。
直線と曲線の両観念は、はじめ混り合わさりそうであったが、
まもなく両方消えていった。
僕は一切の観念を嫌憎する。
凡(あら)ゆる文献は、僕にまで関係がなかった。
7
それにしてもと、また惟(おも)いもする
こんなことでいいのだろうか、こんなことでいいのだろうか?……
然(しか)し僕には、思考のすべはなかった
風と波とに送られて
ペンキの剥(は)げたこのボート
愉快に愉快に漕げや舟
僕は僕自身の表現をだって信じはしない。
8
とある六月の夕(ゆうべ)、
石橋の上で岩に漂う夕陽を眺め、
橋の袂(たもと)の薬屋の壁に、
松井須磨子のビラが翻(ひるがえ)るのをみた。
――思えば、彼女はよく肥っていた
綿のようだった
多分今頃冥土(めいど)では、
石版刷屋の女房になっている。――さよなら。
9
私は親も兄弟もしらないといった
ナポレオンの気持がよく分る
ナポレオンは泣いたのだ
泣いても泣いても泣ききれなかったから
なんでもいい泣かないことにしたんだろう
人の世の喜びを離れ、
縁台の上に筵(むしろ)を敷いて、
夕顔の花に目をくれないことと、
反射運動の断続のほか、
私に自由は見出だされなかった。
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
« 中原中也/秋の詩名作コレクション24/死別の翌日 | トップページ | 中原中也/秋の詩名作コレクション26/幻 想 »
「063中原中也の秋の詩/名作コレクション」カテゴリの記事
- 中原中也/秋の詩名作コレクション58/道化の臨終(Etude Dadaistique)(2019.11.16)
- 中原中也/秋の詩名作コレクション57/秋を呼ぶ雨(2019.11.13)
- 中原中也/秋の詩名作コレクション56/暗い天候(二・三)(2019.11.12)
- 中原中也/秋の詩名作コレクション55/米 子(2019.11.11)
- 中原中也/秋の詩名作コレクション54/一つのメルヘン(2019.11.10)
« 中原中也/秋の詩名作コレクション24/死別の翌日 | トップページ | 中原中也/秋の詩名作コレクション26/幻 想 »
コメント