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2020年1月

2020年1月31日 (金)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション29/想像力の悲歌

想像力の悲歌

 

恋を知らない

街上(がいじょう)の

笑い者なる爺(じい)やんは

赤ちゃけた

麦藁帽(むぎわらぼう)をアミダにかぶり

ハッハッハッ

「夢魔(むま)」てえことがあるものか

 

その日蝶々の落ちるのを

夕の風がみていました

 

思いのほかでありました

恋だけは――恋だけは

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年1月30日 (木)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション28/或る夜の幻想(1・3)

或る夜の幻想(1・3)

 

1 彼女の部屋

 

彼女には

美しい洋服箪笥(ようふくだんす)があった

その箪笥は

かわたれどきの色をしていた

 

彼女には

書物や

其(そ)の他(ほか)色々のものもあった

が、どれもその箪笥(たんす)に比べては美しくもなかったので

彼女の部屋には箪笥だけがあった

 

   それで洋服箪笥の中は

   本でいっぱいだった

 

3 彼 女

 

野原の一隅(ひとすみ)には杉林があった。

なかの一本がわけても聳(そび)えていた。

 

或(あ)る日彼女はそれにのぼった。

下りて来るのは大変なことだった。

 

それでも彼女は、媚態(びたい)を棄てなかった。

一つ一つの挙動(きょどう)は、まことみごとなうねりであった。

 

   夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、

   背中にあった。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年1月29日 (水)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション27/北沢風景

北沢風景

 

 夕べが来ると僕は、台所の入口の敷居(しきい)の上で、使い残りのキャベツを軽く、鉋丁(ほうちょう)の腹で叩いてみたりするのだった。
 台所の入口からは、北東の空が見られた。まだ昼の明りを残した空は、此処(ここ)台所から四五丁の彼方(かなた)に、すすきの叢(むら)があることも小川のあることも思い出させはせぬのであった。
 ――甞(かつ)て思索(しさく)したということ、甞て人前で元気であったということ、そして今も希望はあり、そして今は台所の入口から空を見ているだけだということ、車を挽(ひ)いて百姓(ひゃくしょう)はさもジックリと通るのだし、――着物を着換えて市内へ向けて、出掛けることは臆怯(おっくう)であるし、近くのカフェーには汚れた卓布(たくふ)と、飾鏡(かざりかがみ)とボロ蓄音器、要するに腎臓(じんぞう)疲弊(ひへい)に資(し)する所のものがあるのであるし、感性過剰の斯(かく)の如(ごと)き夕べには、これから落付いて、研鑽(けんさん)にいそしむことも難いのであるし、隣家の若い妻君は、甘ッたれ声を出すのであるし、……
 僕は出掛けた。僕は酒場にいた。僕はしたたかに酒をあおった。翌日は、おかげで空が真空だった。真空の空に鳥が飛んだ。
 扨(さて)、悔恨(かいこん)とや……十一月の午後三時、空に揚(あが)った凧(たこ)ではないか? 扨、昨日の夕べとや、鴫(しぎ)が鳴いてたということではないか?

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 


2020年1月28日 (火)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション26/幻 想

幻 想
 草には風が吹いていた。
 出来たてのその郊外の駅の前には、地均機械(ローラー・エンジン)が放り出されてあった。そのそばにはアブラハム・リンカン氏が一人立っていて、手帳を出して何か書き付けている。
(夕陽に背を向けて野の道を散歩することは淋しいことだ。)
「リンカンさん」、私は彼に話しかけに近づいた。
「リンカンさん」
「なんですか」
 私は彼のチョッキやチョッキの釦(ボタン)や胸のあたりを見た。
「リンカンさん」
「なんですか」
 やがてリンカン氏は、私が“ひとなつっこさ”のほか、何にも持合(もちあ)わぬのであることをみてとった。
 リンカン氏は駅から一寸(ちょっと)行った処の、畑の中の一瓢亭(いちひょうてい)に私を伴(ともな)った。
 我々はそこでビールを飲んだ。
 夜が来ると窓から一つの星がみえた。
 女給(じょきゅう)が去り、コックが寝、さて此(こ)の家には私達二人だけが残されたようであった。
 すっかり夜が更けると、大地は、此の瓢亭(ひょうてい)が載っかっている地所(じしょ)だけを残して、すっかり陥没(かんぼつ)してしまっていた。
 帰る術(すべ)もないので私達二人は、今夜一夜(ひとよ)を此処(ここ)に過ごそうということになった。
 私は心配であった。
 しかしリンカン氏は、私の顔を見て微笑(ほほえ)んでいた、「大丈夫(ダイジョブ)ですよ」
 毛布も何もないので、私は先刻(せんこく)から消えていたストーブを焚付(たきつ)けておいてから寝ようと思ったのだが、十能(じゅうのう)も火箸(ひばし)もあるのに焚付がない。万事(ばんじ)諦(あきら)めて私とリンカン氏とは、卓子(テーブル)を中に向き合って、頬肘(ほうひじ)をついたままで眠ろうとしていた。電燈(でんとう)は全く明るく、残されたビール瓶の上に光っていた。
 目が覚めたのは八時であった。空は晴れ、大地はすっかり旧に復し、野はレモンの色に明(あか)っていた。
 コックは、バケツを提(さ)げたまま裏口に立って誰かと何か話していた。女給は我々から三米(メートル)ばかりの所に、片足浮かして我々を見守っていた。
「リンカンさん」
「なんですか」
「エヤアメールが揚(あが)っています」
「ほんとに」

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。原文「ひとなつっこさ」の傍点は“ ”で示しました。)

2020年1月27日 (月)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション25/郵便局

郵便局

 私は今日郵便局のような、ガランとした所で遊んで来たい。それは今日のお午(ひる)からが小春日和(こはるびより)で、私が今欲しているものといったらみたところ冷たそうな、板の厚い卓子(テーブル)と、シガーだけであるから。おおそれから、最も単純なことを、毎日繰返している局員の横顔!――それをしばらくみていたら、きっと私だって「何かお手伝いがあれば」と、一寸(ちょっと)口からシガーを外して云(い)ってみる位な気軽な気持になるだろう。局員がクスリと笑いながら、でも忙しそうに、言葉をかけた私の方を見向きもしないで事務を取りつづけていたら、そしたら私は安心して自分の椅子に返って来て、向(むこ)うの壁の高い所にある、ストーブの煙突孔(えんとつこう)でも眺めながら、椅子の背にどっかと背中を押し付けて、二服(ふたふく)ほどは特別ゆっくり吹かせばよいのである。

 すっかり好(い)い気持になってる中に、日暮(ひぐれ)は近づくだろうし、ポケットのシガーも尽きよう。局員等(ら)の、機械的な表情も段々に薄らぐだろう。彼等(かれら)の頭の中に各々(めいめい)の家の夕飯仕度(ゆうはんじたく)の有様(ありさま)が、知らず知らずに湧(わ)き出すであろうから。

 さあ彼等の他方見(よそみ)が始まる。そこで私は帰らざなるまい。

 帰ってから今日の日の疲れを、ジックリと覚えなければならない私は、わが部屋とわが机に対し、わが部屋わが机特有の厭悪(えんお)をも覚えねばなるまい……。ああ、何か好い方法はないか?――そうだ、手をお医者さんの手のようにまで、浅い白い洗面器で洗い、それからカフスを取換えること!

 それから、暖簾(のれん)に夕風のあたるところを胸に浮(うか)べながら、食堂に行くとするであろう……

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年1月26日 (日)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション24/倦 怠

倦 怠

 

へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ、

まだ、それでも希望があるというのか?

(洗いざらした石の上(へ)に、

今日も日が照る、午後の日射しよ!)

 

市民館の狭い空地(あきち)で、

子供は遊ぶ、フットボールよ。

子供のジャケツはひどく安物、

それに夕陽はあたるのだ。

 

へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ、

まだ、それでも希望があるというのか?

(オヤ、お隣りでは、ソプラノの稽古(けいこ)、

たまらなく、可笑(おか)しくなるがいいものか?)

 

オルガンよ! 混凝土(コンクリート)の上なる砂粒(さりゅう)よ!

放課後の小学校よ! 下駄箱よ!

おお君等(きみら)聖なるものの上に、

――僕は夕陽を拝みましたよ!

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)


2020年1月25日 (土)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション23/落 日

落 日

 

この街(まち)は、見知らぬ街ぞ、

この郷(くに)は、見知らぬ郷ぞ

 

落日は、目に沁(し)み人はきょうもまた

褐(かち)のかいなをふりまわし、ふりまわし、

はたらきて、いるよなアー。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年1月24日 (金)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション22/冬の長門峡

冬の長門峡

 

長門峡(ちょうもんきょう)に、水は流れてありにけり。

寒い寒い日なりき。

 

われは料亭にありぬ。

酒酌(く)みてありぬ。

 

われのほか別に、

客とてもなかりけり。

 

水は、恰(あたか)も魂あるものの如(ごと)く、

流れ流れてありにけり。

 

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、

欄干(らんかん)にこぼれたり。

 

ああ! ――そのような時もありき、

寒い寒い 日なりき。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)


2020年1月23日 (木)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション21/或る男の肖像

或る男の肖像

 

   1

 

洋行(ようこう)帰(がえ)りのその洒落者(しゃれもの)は、

齢をとっても髪に緑の油をつけてた。

 

夜毎(よごと)喫茶店にあらわれて、

其処(そこ)の主人と話している様はあわれげであった。

 

死んだと聞いてはいっそうあわれであった。

 

   2

      ――幻滅は鋼(はがね)のいろ。

 

髪毛の艶(つや)と、ランプの金との夕まぐれ

庭に向って、開け放たれた戸口から、

彼は戸外(そと)に出て行った。

 

剃(そ)りたての、頚条(うなじ)も手頸(てくび)も

どこもかしこもそわそわと、

寒かった。

 

開け放たれた戸口から

悔恨(かいこん)は、風と一緒に容赦(ようしゃ)なく

吹込(ふきこ)んでいた。

 

読書も、しんみりした恋も、

あたたかいお茶も黄昏の空とともに

風とともにもう其処にはなかった。

 

   3

 

彼女は

壁の中へ這入(はい)ってしまった。

それで彼は独り、

部屋で卓子(テーブル)を拭(ふ)いていた。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年1月22日 (水)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション20/村の時計

村の時計

 

村の大きな時計は、

ひねもす動いていた

 

その字板(じいた)のペンキは

もう艶(つや)が消えていた

 

近寄ってみると、

小さなひびが沢山にあるのだった

 

それで夕陽が当ってさえが、

おとなしい色をしていた

 

時を打つ前には、

ぜいぜいと鳴った

 

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか

僕にも誰にも分らなかった

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年1月21日 (火)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション19/言葉なき歌

言葉なき歌

 

あれはとおいい処(ところ)にあるのだけれど

おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない

此処は空気もかすかで蒼(あお)く

葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡(あわ)い

 

決して急いではならない

此処で十分待っていなければならない

処女(むすめ)の眼(め)のように遥(はる)かを見遣(みや)ってはならない

たしかに此処で待っていればよい

 

それにしてもあれはとおいい彼方(かなた)で夕陽にけぶっていた

号笛(フィトル)の音(ね)のように太くて繊弱(せんじゃく)だった

けれどもその方へ駆け出してはならない

たしかに此処で待っていなければならない

 

そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し

たしかにあすこまでゆけるに違いない

しかしあれは煙突の煙のように

とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年1月20日 (月)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション18/蜻蛉に寄す

蜻蛉に寄す

 

あんまり晴れてる 秋の空

赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでいる

淡(あわ)い夕陽を 浴びながら

僕は野原に 立っている

 

遠くに工場の 煙突(えんとつ)が

夕陽にかすんで みえている

大きな溜息(ためいき) 一つついて

僕は蹲(しゃが)んで 石を拾う

 

その石くれの 冷たさが

漸(ようや)く手中(しゅちゅう)で ぬくもると

僕は放(ほか)して 今度は草を

夕陽を浴びてる 草を抜く

 

抜かれた草は 土の上で

ほのかほのかに 萎(な)えてゆく

遠くに工場の 煙突は 

夕陽に霞(かす)んで みえている

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)


中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション18/蜻蛉に寄す

蜻蛉に寄す

 

あんまり晴れてる 秋の空

赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでいる

淡(あわ)い夕陽を 浴びながら

僕は野原に 立っている

 

遠くに工場の 煙突(えんとつ)が

夕陽にかすんで みえている

大きな溜息(ためいき) 一つついて

僕は蹲(しゃが)んで 石を拾う

 

その石くれの 冷たさが

漸(ようや)く手中(しゅちゅう)で ぬくもると

僕は放(ほか)して 今度は草を

夕陽を浴びてる 草を抜く

 

抜かれた草は 土の上で

ほのかほのかに 萎(な)えてゆく

遠くに工場の 煙突は 

夕陽に霞(かす)んで みえている

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)


2020年1月19日 (日)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション17/独身者

独身者

 

石鹸箱(せっけんばこ)には秋風が吹き

郊外と、市街を限る路(みち)の上には

大原女(おはらめ)が一人歩いていた

 

――彼は独身者(どくしんもの)であった

彼は極度の近眼であった

彼はよそゆきを普段に着ていた

判屋奉公(はんやぼうこう)したこともあった

 

今しも彼が湯屋(ゆや)から出て来る

薄日(うすび)の射してる午後の三時

石鹸箱には風が吹き

郊外と、市街を限る路の上には

大原女が一人歩いていた

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。原文「よそゆき」の傍点は で示しました。)

2020年1月18日 (土)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション16/雪の賦

雪の賦

 

雪が降るとこのわたくしには、人生が、

かなしくもうつくしいものに――

憂愁(ゆうしゅう)にみちたものに、思えるのであった。

 

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、

大高源吾(おおたかげんご)の頃にも降った……

 

幾多(あまた)々々の孤児の手は、

そのためにかじかんで、

都会の夕べはそのために十分悲しくあったのだ。

 

ロシアの田舎の別荘の、

矢来(やらい)の彼方(かなた)に見る雪は、

うんざりする程永遠で、

 

雪の降る日は高貴の夫人も、

ちっとは愚痴(ぐち)でもあろうと思われ……

 

雪が降るとこのわたくしには、人生が

かなしくもうつくしいものに――

憂愁にみちたものに、思えるのであった。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション16/雪の賦

雪の賦

 

雪が降るとこのわたくしには、人生が、

かなしくもうつくしいものに――

憂愁(ゆうしゅう)にみちたものに、思えるのであった。

 

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、

大高源吾(おおたかげんご)の頃にも降った……

 

幾多(あまた)々々の孤児の手は、

そのためにかじかんで、

都会の夕べはそのために十分悲しくあったのだ。

 

ロシアの田舎の別荘の、

矢来(やらい)の彼方(かなた)に見る雪は、

うんざりする程永遠で、

 

雪の降る日は高貴の夫人も、

ちっとは愚痴(ぐち)でもあろうと思われ……

 

雪が降るとこのわたくしには、人生が

かなしくもうつくしいものに――

憂愁にみちたものに、思えるのであった。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年1月17日 (金)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション15/残 暑

残 暑

 

畳の上に、寝ころぼう、

蝿はブンブン 唸(うな)ってる

畳ももはや 黄色くなったと

今朝がた 誰かが云っていたっけ

 

それやこれやと とりとめもなく

僕の頭に 記憶は浮かび

浮かぶがままに 浮かべているうち

いつしか 僕は眠っていたのだ

 

覚めたのは 夕方ちかく

まだ“かなかな″は 啼いてたけれど

樹々の梢は 陽を受けてたけど、

僕は庭木に 打水やった

 

  打水が、樹々の下枝の葉の尖(さき)に

  光っているのをいつまでも、僕は見ていた

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。原文「かなかな」の傍点は で示しました。)

2020年1月16日 (木)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション14/思い出

思い出

 

お天気の日の、海の沖は

なんと、あんなに綺麗なんだ!

お天気の日の、海の沖は

まるで、金や、銀ではないか

 

金や銀の沖の波に、

ひかれひかれて、岬の端に

やって来たれど金や銀は

なおもとおのき、沖で光った。

 

岬の端には煉瓦工場が、

工場の庭には煉瓦干されて、

煉瓦干されて赫々(あかあか)していた

しかも工場は、音とてなかった

 

煉瓦工場に、腰をば据えて、

私は暫(しばら)く煙草を吹かした。

煙草吹かしてぼんやりしてると、

沖の方では波が鳴ってた。

 

沖の方では波が鳴ろうと、

私はかまわずぼんやりしていた。

ぼんやりしてると頭も胸も

ポカポカポカポカ暖かだった

 

ポカポカポカポカ暖かだったよ

岬の工場は春の陽をうけ、

煉瓦工場は音とてもなく

裏の木立で鳥が啼いてた

 

鳥が啼いても煉瓦工場は、

ビクともしないでジッとしていた

鳥が啼いても煉瓦工場の、

窓の硝子は陽をうけていた

 

窓の硝子は陽をうけてても

ちっとも暖かそうではなかった

春のはじめのお天気の日の

岬の端の煉瓦工場よ!

 

*        *

    *        *

 

煉瓦工場は、その後廃(すた)れて、

煉瓦工場は、死んでしまった

煉瓦工場の、窓も硝子も、

今は毀(こわ)れていようというもの

 

煉瓦工場は、廃れて枯れて、

木立の前に、今もぼんやり

木立に鳥は、今も啼くけど

煉瓦工場は、朽ちてゆくだけ

 

沖の波は、今も鳴るけど

庭の土には、陽が照るけれど

煉瓦工場に、人夫は来ない

煉瓦工場に、僕も行かない

 

嘗(かつ)て煙を、吐いてた煙突も、

今はぶきみに、ただ立っている

雨の降る日は、殊にもぶきみ

晴れた日だとて、相当ぶきみ

 

相当ぶきみな、煙突でさえ

今じゃどうさえ、手出しも出来ず

この尨大(ぼうだい)な、古強者(ふるつわもの)が

時々恨む、その眼は怖い

 

その眼怖くて、今日も僕は

浜へ出て来て、石に腰掛け

ぼんやり俯(うつむ)き、案じていれば

僕の胸さえ、波を打つのだ

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

 

2020年1月15日 (水)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション13/頑是ない歌

頑是ない歌

 

思えば遠く来たもんだ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた

汽笛(きてき)の湯気(ゆげ)は今いずこ

 

雲の間に月はいて

それな汽笛を耳にすると

竦然(しょうぜん)として身をすくめ

月はその時(とき)空にいた

 

それから何年経ったことか

汽笛の湯気を茫然(ぼうぜん)と

眼で追いかなしくなっていた

あの頃の俺はいまいずこ

 

今では女房(にょうぼう)子供持ち

思えば遠く来たもんだ

此(こ)の先まだまだ何時(いつ)までか

生きてゆくのであろうけど

 

生きてゆくのであろうけど

遠く経(へ)て来た日や夜(よる)の

あんまりこんなにこいしゅては

なんだか自信が持てないよ

 

さりとて生きてゆく限り

結局我(が)ン張(ば)る僕の性質(さが)

と思えばなんだか我(われ)ながら

いたわしいよなものですよ

 

考えてみればそれはまあ

結局我ン張るのだとして

昔恋しい時もあり そして

どうにかやってはゆくのでしょう

 

考えてみれば簡単だ

畢竟意志(ひっきょういし)の問題だ

なんとかやるより仕方もない

やりさえすればよいのだと

 

思うけれどもそれもそれ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた

汽笛の湯気は今いずこ

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年1月13日 (月)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション12/含 羞(はじらい)

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

“あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。※原文の「あすとらかん」の傍点は” “で示しました。)

 

2020年1月12日 (日)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション11/いのちの声

いのちの声

   もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。

   ――ソロモン

 

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。

あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。

僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。

僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(せきばく)だ。

 

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。

僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。

恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。

そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

 

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。

それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。

しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。

それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

 

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、

それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?

すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!

それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

 

   Ⅱ

 

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!

手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、

説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる

それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

 

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、

勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、

それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み

誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

 

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、

かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、

めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、

不公平なものであるよといわねばならぬ

 

だが、それが此(こ)の世というものなんで、

其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、

それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、

然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

 

   Ⅲ

 

されば要は、熱情の問題である。

汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば

怒れよ!

 

さあれ、怒ることこそ

汝(な)が最後なる目標の前にであれ、

この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

 

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、

その社会的効果は存続し、

汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

 

   Ⅳ

 

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

2020年1月11日 (土)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション10/時こそ今は……

時こそ今は……
  時こそ今は花は香炉に打薫じ
         ボードレール

時こそ今は花は香炉(こうろ)に打薫(うちくん)じ、
そこはかとないけはいです。
しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。

いかに泰子(やすこ)、いまこそは
しずかに一緒に、おりましょう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情(なさ)け、みちてます。

いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青の
空もしずかに流るころ。

いかに泰子、いまこそは
おまえの髪毛なよぶころ
花は香炉に打薫じ、

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)





 

2020年1月10日 (金)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション9/生い立ちの歌

生い立ちの歌

 

   Ⅰ

 

    幼 年 時

 

私の上に降る雪は

真綿(まわた)のようでありました

 

    少 年 時

 

私の上に降る雪は

霙(みぞれ)のようでありました

 

    十七〜十九

 

私の上に降る雪は

霰(あられ)のように散りました

 

    二十〜二十二

 

私の上に降る雪は

雹(ひょう)であるかと思われた

 

    二十三

 

私の上に降る雪は

ひどい吹雪(ふぶき)とみえました

 

    二十四

 

私の上に降る雪は

いとしめやかになりました……

 

   Ⅱ

 

私の上に降る雪は

花びらのように降ってきます

薪(たきぎ)の燃える音もして

凍(こお)るみ空の黝(くろ)む頃

 

私の上に降る雪は

いとなよびかになつかしく

手を差伸(さしの)べて降りました

 

私の上に降る雪は

熱い額(ひたい)に落ちもくる

涙のようでありました

 

私の上に降る雪に

いとねんごろに感謝して、神様に

長生(ながいき)したいと祈りました

 

私の上に降る雪は

いと貞潔(ていけつ)でありました

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

 

 

 

 

2020年1月 9日 (木)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション8/秋

 

   1

 

昨日まで燃えていた野が

今日茫然として、曇った空の下につづく。

一雨毎(ひとあめごと)に秋になるのだ、と人は云(い)う

秋蝉(あきぜみ)は、もはやかしこに鳴いている、

草の中の、ひともとの木の中に。

 

僕は煙草(たばこ)を喫(す)う。その煙が

澱(よど)んだ空気の中をくねりながら昇る。

地平線はみつめようにもみつめられない

陽炎(かげろう)の亡霊達が起(た)ったり坐(すわ)ったりしているので、

――僕は蹲(しゃが)んでしまう。

 

鈍い金色を滞びて、空は曇っている、――相変らずだ、――

とても高いので、僕は俯(うつむ)いてしまう。

僕は倦怠(けんたい)を観念して生きているのだよ、

煙草の味が三通(みとお)りくらいにする。

死ももう、とおくはないのかもしれない……

 

   2

 

『それではさよならといって、

みょうに真鍮(しんちゅう)の光沢かなんぞのような笑(えみ)を湛(たた)えて彼奴(あいつ)は、

あのドアの所を立ち去ったのだったあね。

あの笑いがどうも、生きてる者のようじゃあなかったあね。

 

彼奴(あいつ)の目は、沼の水が澄(す)んだ時かなんかのような色をしてたあね。

話してる時、ほかのことを考えているようだったあね。

短く切って、物を云うくせがあったあね。

つまらない事を、細かく覚えていたりしたあね。』

 

『ええそうよ。――死ぬってことが分っていたのだわ?

星をみてると、星が僕になるんだなんて笑ってたわよ、たった先達(せんだって)よ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

たった先達よ、自分の下駄(げた)を、これあどうしても僕のじゃないっていうのよ。』

 

   3

 

草がちっともゆれなかったのよ、

その上を蝶々(ちょうちょう)がとんでいたのよ。

浴衣(ゆかた)を着て、あの人縁側に立ってそれを見てるのよ。

あたしこっちからあの人の様子 見てたわよ。

あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。

お豆腐屋の笛が方々(ほうぼう)で聞えていたわ、

あの電信柱が、夕空にクッキリしてて、

――僕、ってあの人あたしの方を振向(ふりむ)くのよ、

昨日三十貫(かん)くらいある石をコジ起しちゃった、ってのよ。

――まあどうして、どこで?ってあたし訊いたのよ。

するとね、あの人あたしの目をジッとみるのよ、

怒ってるようなのよ、まあ……あたし怖かったわ。

 

死ぬまえってへんなものねえ……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

2020年1月 8日 (水)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション7/わが喫煙

わが喫煙

 

おまえのその、白い二本の脛(すね)が、

  夕暮(ゆうぐれ)、港の町の寒い夕暮、

にょきにょきと、ペエヴの上を歩むのだ。

  店々に灯(ひ)がついて、灯がついて、

私がそれをみながら歩いていると、

  おまえが声をかけるのだ、

どっかにはいって憩(やす)みましょうよと。                               

 

そこで私は、橋や荷足を見残しながら、

  レストオランに這入(はい)るのだ――

わんわんいう喧騒(どよもし)、むっとするスチーム、

  さても此処(ここ)は別世界。

そこで私は、時宜(じぎ)にも合わないおまえの陽気な顔を眺め、

  かなしく煙草(たばこ)を吹かすのだ、

一服(いっぷく)、一服、吹かすのだ……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

2020年1月 7日 (火)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション6/盲目の秋

盲目の秋
 
   Ⅰ
風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。
その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。
風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思って
  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……
私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。
それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、
厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……
      ああ、胸に残る……
風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。
   Ⅱ
これがどうなろうと、あれがどうなろうと、
そんなことはどうでもいいのだ。
これがどういうことであろうと、それがどういうことであろうと、
そんなことはなおさらどうだっていいのだ。
人には自恃(じじ)があればよい!
その余(あまり)はすべてなるままだ……
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行(おこな)いを罪としない。
平気で、陽気で、藁束(わらたば)のようにしんみりと、
朝霧を煮釜に塡(つ)めて、跳起(とびお)きられればよい!
   Ⅲ
私の聖母(サンタ・マリヤ)!
  とにかく私は血を吐いた! ……
おまえが情けをうけてくれないので、
  とにかく私はまいってしまった……
それというのも私が素直(すなお)でなかったからでもあるが、
  それというのも私に意気地(いくじ)がなかったからでもあるが、
私がおまえを愛することがごく自然だったので、
  おまえもわたしを愛していたのだが……
おお! 私の聖母(サンタ・マリヤ)!
  いまさらどうしようもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――
ごく自然に、だが自然に愛せるということは、
  そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、そう誰にでも許されてはいないのだ。
   Ⅳ
せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでしょうか。
  その時は白粧(おしろい)をつけていてはいや、
  その時は白粧をつけていてはいや。
ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に副射(ふくしゃ)していて下さい。
  何にも考えてくれてはいや、
  たとえ私のために考えてくれるのでもいや。
ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいていて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、
いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、
それで私を殺してしまってもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)を昇りゆく。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション5/春の思い出

春の思い出

 

摘み溜(た)めしれんげの華(はな)を

  夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば

立迷う春の暮靄(ぼあい)の

  土の上(へ)に叩きつけ

 

いまひとたびは未練で眺め

  さりげなく手を拍(たた)きつつ

路の上(へ)を走りてくれば

  (暮れのこる空よ!)

 

わが家(や)へと入りてみれば

  なごやかにうちまじりつつ

秋の日の夕陽の丘か炊煙(すいえん)か

  われを暈(くる)めかすもののあり

 

  古き代(よ)の富みし館(やかた)の

    カドリール ゆらゆるスカーツ

    カドリール ゆらゆるスカーツ

  何時(いつ)の日か絶(た)えんとはする カドリール!

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

 

 

 

 

2020年1月 6日 (月)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション4/夕 照

夕 照

 

丘々は、胸に手を当て

退(しりぞ)けり。

落陽(らくよう)は、慈愛(じあい)の色の

金のいろ。

 

原に草、

鄙唄(ひなうた)うたい

山に樹々(きぎ)、

老いてつましき心ばせ。

 

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ

少児(しょうに)に踏まれし

貝の肉。

 

かかるおりしも剛直(ごうちょく)の、

さあれゆかしきあきらめよ

腕拱(く)みながら歩み去る。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

 

 

2020年1月 5日 (日)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション3/凄じき黄昏

凄じき黄昏

捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

2020年1月 4日 (土)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション2/黄 昏

黄 昏

 

渋った仄暗(ほのぐら)い池の面(おもて)で、

寄り合った蓮(はす)の葉が揺れる。

蓮の葉は、図太いので

こそこそとしか音をたてない。

 

音をたてると私の心が揺れる、

目が薄明るい地平線を逐(お)う……

黒々と山がのぞきかかるばっかりだ

――失われたものはかえって来ない。

 

なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない

草の根の匂いが静かに鼻にくる、

畑の土が石といっしょに私を見ている。

 

――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!

じいっと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立って、

なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

 

 

2020年1月 3日 (金)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション1/春の日の夕暮

春の日の夕暮 

 

トタンがセンベイ食べて

春の日の夕暮は穏かです

アンダースローされた灰が蒼ざめて

春の日の夕暮は静かです

 

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい

馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい

ただただ月の光のヌメランとするままに

従順なのは 春の日の夕暮か

 

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く

荷馬車の車輪 油を失い

私が歴史的現在に物を云(い)えば

嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

 

瓦が一枚 はぐれました

これから春の日の夕暮は

無言(むごん)ながら 前進します

自(みずか)らの 静脈管の中へです

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

 

 

 

2020年1月 2日 (木)

中原中也・朝の詩の名作30/春と恋人

春と恋人

 

美しい扉の親しさに

私が室(へや)で遊んでいる時、

私にかまわず実ってた

新しい桃があったのだ……

 

街の中から見える丘、

丘に建ってたオベリスク、

春には私に桂水くれた

丘に建ってたオベリスク……

蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商(あきな)う路次の

びしょ濡れの土が歌っている時、

かの女は何処(どこ)かで笑っていたのだ

 

港の春の朝の空で

私がかの女の肩を揺ったら、

真鍮(しんちゅう)の、盥(たらい)のようであったのだ……

 

以来私は木綿の夜曲?

はでな処(とこ)には行きたかない……

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

 

 

 

2020年1月 1日 (水)

中原中也・朝の詩の名作29/春の消息

春の消息

生きているのは喜びなのか
生きているのは悲みなのか
どうやら僕には分らなんだが
僕は街なぞ歩いていました

店舗(てんぽ)々々に朝陽はあたって
淡い可愛いい物々の蔭影(かげ)
僕はそれでも元気はなかった
どうやら 足引摺(ひきず)って歩いていました

    生きているのは喜びなのか
    生きているのは悲みなのか

こんな思いが浮かぶというのも
ただただ衰弱(よわっ)ているせいだろか?
それとももともとこれしきなのが
人生というものなのだろうか?

尤(もっと)も分ったところでどうさえ
それがどうにもなるものでもない
こんな気持になったらなったで
自然にしているよりほかもない

そうと思えば涙がこぼれる
なんだか知らねえ涙がこぼれる
  悪く思って下さいますな
  僕はこんなに怠け者

                             (一九三五・四・二四)

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

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