中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション8/秋
秋
1
昨日まで燃えていた野が
今日茫然として、曇った空の下につづく。
一雨毎(ひとあめごと)に秋になるのだ、と人は云(い)う
秋蝉(あきぜみ)は、もはやかしこに鳴いている、
草の中の、ひともとの木の中に。
僕は煙草(たばこ)を喫(す)う。その煙が
澱(よど)んだ空気の中をくねりながら昇る。
地平線はみつめようにもみつめられない
陽炎(かげろう)の亡霊達が起(た)ったり坐(すわ)ったりしているので、
――僕は蹲(しゃが)んでしまう。
鈍い金色を滞びて、空は曇っている、――相変らずだ、――
とても高いので、僕は俯(うつむ)いてしまう。
僕は倦怠(けんたい)を観念して生きているのだよ、
煙草の味が三通(みとお)りくらいにする。
死ももう、とおくはないのかもしれない……
2
『それではさよならといって、
みょうに真鍮(しんちゅう)の光沢かなんぞのような笑(えみ)を湛(たた)えて彼奴(あいつ)は、
あのドアの所を立ち去ったのだったあね。
あの笑いがどうも、生きてる者のようじゃあなかったあね。
彼奴(あいつ)の目は、沼の水が澄(す)んだ時かなんかのような色をしてたあね。
話してる時、ほかのことを考えているようだったあね。
短く切って、物を云うくせがあったあね。
つまらない事を、細かく覚えていたりしたあね。』
『ええそうよ。――死ぬってことが分っていたのだわ?
星をみてると、星が僕になるんだなんて笑ってたわよ、たった先達(せんだって)よ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たった先達よ、自分の下駄(げた)を、これあどうしても僕のじゃないっていうのよ。』
3
草がちっともゆれなかったのよ、
その上を蝶々(ちょうちょう)がとんでいたのよ。
浴衣(ゆかた)を着て、あの人縁側に立ってそれを見てるのよ。
あたしこっちからあの人の様子 見てたわよ。
あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。
お豆腐屋の笛が方々(ほうぼう)で聞えていたわ、
あの電信柱が、夕空にクッキリしてて、
――僕、ってあの人あたしの方を振向(ふりむ)くのよ、
昨日三十貫(かん)くらいある石をコジ起しちゃった、ってのよ。
――まあどうして、どこで?ってあたし訊いたのよ。
するとね、あの人あたしの目をジッとみるのよ、
怒ってるようなのよ、まあ……あたし怖かったわ。
死ぬまえってへんなものねえ……
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)
« 中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション7/わが喫煙 | トップページ | 中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション9/生い立ちの歌 »
「068中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション」カテゴリの記事
- 中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション53/(短歌五首)(2020.02.24)
- 中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション52/夏の夜の博覧会はかなしからずや(2020.02.23)
- 中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション51/(秋が来た)(2020.02.22)
- 中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション50/初恋集 むつよ(2020.02.21)
- 中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション49/(一本の藁は畦の枯草の間に挟って)(2020.02.20)
« 中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション7/わが喫煙 | トップページ | 中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション9/生い立ちの歌 »
コメント