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2020年1月12日 (日)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション11/いのちの声

いのちの声

   もろもろの業、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。

   ――ソロモン

 

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果(あきは)てた。

あの幸福な、お調子者のジャズにもすっかり倦果てた。

僕は雨上りの曇った空の下の鉄橋のように生きている。

僕に押寄せているものは、何時(いつ)でもそれは寂漠(せきばく)だ。

 

僕はその寂漠の中にすっかり沈静(ちんせい)しているわけでもない。

僕は何かを求めている、絶えず何かを求めている。

恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れている。

そのためにははや、食慾(しょくよく)も性慾もあってなきが如(ごと)くでさえある。

 

しかし、それが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。

それが二つあるとは思えない、ただ一つであるとは思う。

しかしそれが何かは分らない、ついぞ分ったためしはない。

それに行き著(つ)く一か八(ばち)かの方途(ほうと)さえ、悉皆(すっかり)分ったためしはない。

 

時に自分を揶揄(からか)うように、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、

それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?

すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!

それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいうのであろうか?

 

   Ⅱ

 

否何(いないず)れとさえそれはいうことの出来ぬもの!

手短かに、時に説明したくなるとはいうものの、

説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我(わ)が生は生(い)くるに値(あたい)するものと信ずる

それよ現実! 汚れなき幸福! あらわるものはあらわるままによいということ!

 

人は皆、知ると知らぬに拘(かかわ)らず、そのことを希望しており、

勝敗に心覚(さと)き程(ほど)は知るによしないものであれ、

それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み

誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

 

併(しか)し幸福というものが、このように無私(むし)の境のものであり、

かの慧敏(けいびん)なる商人の、称(しょう)して阿呆(あほう)というものであろう底(てい)のものとすれば、

めしをくわねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、

不公平なものであるよといわねばならぬ

 

だが、それが此(こ)の世というものなんで、

其処(そこ)に我等(われら)は生きており、それは任意の不公平ではなく、

それに因(よっ)て我等自身も構成されたる原理であれば、

然(しか)らば、この世に極端(きょくたん)はないとて、一先(ひとま)ず休心するもよかろう。

 

   Ⅲ

 

されば要は、熱情の問題である。

汝(なんじ)、心の底より立腹(りっぷく)せば

怒れよ!

 

さあれ、怒ることこそ

汝(な)が最後なる目標の前にであれ、

この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

 

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、

その社会的効果は存続し、

汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

 

   Ⅳ

 

ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事(ばんじ)に於(おい)て文句はないのだ。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

 

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