中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション27/北沢風景
北沢風景
夕べが来ると僕は、台所の入口の敷居(しきい)の上で、使い残りのキャベツを軽く、鉋丁(ほうちょう)の腹で叩いてみたりするのだった。
台所の入口からは、北東の空が見られた。まだ昼の明りを残した空は、此処(ここ)台所から四五丁の彼方(かなた)に、すすきの叢(むら)があることも小川のあることも思い出させはせぬのであった。
――甞(かつ)て思索(しさく)したということ、甞て人前で元気であったということ、そして今も希望はあり、そして今は台所の入口から空を見ているだけだということ、車を挽(ひ)いて百姓(ひゃくしょう)はさもジックリと通るのだし、――着物を着換えて市内へ向けて、出掛けることは臆怯(おっくう)であるし、近くのカフェーには汚れた卓布(たくふ)と、飾鏡(かざりかがみ)とボロ蓄音器、要するに腎臓(じんぞう)疲弊(ひへい)に資(し)する所のものがあるのであるし、感性過剰の斯(かく)の如(ごと)き夕べには、これから落付いて、研鑽(けんさん)にいそしむことも難いのであるし、隣家の若い妻君は、甘ッたれ声を出すのであるし、……
僕は出掛けた。僕は酒場にいた。僕はしたたかに酒をあおった。翌日は、おかげで空が真空だった。真空の空に鳥が飛んだ。
扨(さて)、悔恨(かいこん)とや……十一月の午後三時、空に揚(あが)った凧(たこ)ではないか? 扨、昨日の夕べとや、鴫(しぎ)が鳴いてたということではないか?
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
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