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2020年2月

2020年2月29日 (土)

中原中也・春の詩コレクション3/悲しき朝

悲しき朝

 

河瀬(かわせ)の音が山に来る、

春の光は、石のようだ。

筧(かけい)の水は、物語る

白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。

 

雲母(うんも)の口して歌ったよ、

背ろに倒れ、歌ったよ、

心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、

巌(いわお)の上の、綱渡り。

 

知れざる炎、空にゆき!

 

響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

われかにかくに手を拍く……

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年2月28日 (金)

中原中也・春の詩コレクション2/春の夜

春の夜

 

燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに

  一枝(ひとえだ)の花、桃色の花。

 

月光うけて失神し

  庭の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。

 

ああこともなしこともなし

  樹々(きぎ)よはにかみ立ちまわれ。

 

このすずろなる物の音(ね)に

  希望はあらず、さてはまた、懺悔(ざんげ)もあらず。

 

山虔(やまつつま)しき木工(こだくみ)のみ、

  夢の裡(うち)なる隊商(たいしょう)のその足竝(あしなみ)もほのみゆれ。

 

窓の中にはさわやかの、おぼろかの

  砂の色せる絹衣(きぬごろも)。

 

かびろき胸のピアノ鳴り

  祖先はあらず、親も消(け)ぬ。

 

埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、

  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧(わ)きいずる

        春の夜や。

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年2月27日 (木)

中原中也・春の詩コレクション1/春の日の夕暮

春の日の夕暮

 

トタンがセンベイ食べて

春の日の夕暮は穏かです

アンダースローされた灰が蒼ざめて

春の日の夕暮は静かです

 

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい

馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい

ただただ月の光のヌメランとするままに

従順なのは 春の日の夕暮か

 

ポトホトと野の中に伽藍(がらん)は紅(あか)く

荷馬車の車輪 油を失い

私が歴史的現在に物を云(い)えば

嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが

 

瓦が一枚 はぐれました

これから春の日の夕暮は

無言(むごん)ながら 前進します

自(みずか)らの 静脈管の中へです

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年2月24日 (月)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション53/(短歌五首)

(短歌五首)

 

ゆうべゆうべ我が家恋しくおもゆなり

 草葉ゆすりて木枯の吹く

 

小田の水沈む夕陽にきららめく

 きららめきつつ沈みゆくなり

 

沈みゆく夕陽いとしも海の果て

 かがやきまさり沈みゆくかも

 

町々は夕陽を浴びて金の色 

 きさらぎ二月冷たい金なり

 

母君よ涙のごいて見給えな

 われはもはやも病い癒えたり

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年2月23日 (日)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション52/夏の夜の博覧会はかなしからずや

夏の夜の博覧会はかなしからずや

 

夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

雨ちょと降りて、やがてもあがりぬ

夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

 

女房買物をなす間、かなしからずや

象の前に余と坊やとはいぬ

二人蹲(しゃが)んでいぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ

 

三人博覧会を出でぬかなしからずや

不忍(しのばず)ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ

 

そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりきかなしからずや、

髪毛風に吹かれつ

見てありぬ、見てありぬ、

それより手を引きて歩きて

広小路に出でぬ、かなしからずや

 

広小路にて玩具を買いぬ、兎の玩具かなしからずや

 

 

その日博覧会入りしばかりの刻(とき)は

なお明るく、昼の明(あかり)ありぬ、

 

われら三人(みたり)飛行機にのりぬ

例の廻旋する飛行機にのりぬ

 

飛行機の夕空にめぐれば、

四囲の燈光また夕空にめぐりぬ

 

夕空は、紺青(こんじょう)の色なりき

燈光は、貝釦(かいボタン)の色なりき

 

その時よ、坊や見てありぬ

その時よ、めぐる釦を

その時よ、坊やみてありぬ

その時よ、紺青の空!

 

(一九三六・一二・二四)

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年2月22日 (土)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション51/(秋が来た)

(秋が来た)

 

秋が来た。

また公園の竝木路(なみきみち)は、

すっかり落葉で蔽(おお)われて、

その上に、わびしい黄色い夕陽は落ちる。

 

それは泣きやめた女の顔、

ワットマンに描かれた淡彩、

裏ッ側は湿っているのに

表面はサラッと乾いて、

 

細かな砂粒をうっすらと附け

まるであえかな心でも持ってるもののように、

遥(はる)かの空に、瞳を送る。

 

僕はしゃがんで、石ころを拾ってみたり、

遐(とお)くをみたり、その石ころをちょっと放(ほ)ったり、

思い出したみたいにまた口笛を吹いたりもします。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年2月21日 (金)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション50/初恋集 むつよ

初恋集 

 むつよ

 

あなたは僕より年が一つ上で

あなたは何かと姉さんぶるのでしたが

実は僕のほうがしっかりしてると

僕は思っていたのでした

 

ほんに、思えば幼い恋でした

僕が十三で、あなたが十四だった。

その後、あなたは、僕を去ったが

僕は何時まで、あなたを思っていた……

 

それから暫(しばら)くしてからのこと、

野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあったのを

あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、

それと、暫く遊んでいました

 

僕は背戸(せど)から、見ていたのでした。

僕がどんなに泣き笑いしたか、

野原の若草に、夕陽が斜めにあたって

それはそれは涙のような、きれいな夕方でそれはあった。

 

                      (一九三五・一・一一)

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年2月20日 (木)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション49/(一本の藁は畦の枯草の間に挟って)

(一本の藁は畦の枯草の間に挟って)

 

一本の藁(わら)は畦(あぜ)の枯草の間に挟(ささ)って

ひねもす陽を浴びぬくもっていた

ひねもす空吹く風の余勢に

時偶(ときたま)首上げあたりを見ていた

 

私は刈田の堆藁(としゃく)に凭(もた)れて

ひねもす空に凧(たこ)を揚げてた

ひねもす糸を繰り乍(なが)ら

空吹く風の音を聞いてた

 

空は青く冷たく青く

玻璃(はり)にも似たる冬景であった

一本の煙草を点火するにも

沢山の良心を要することだった

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年2月19日 (水)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション48/(なんにも書かなかったら)

(なんにも書かなかったら)

 

なんにも書かなかったら

みんな書いたことになった

 

覚悟を定めてみれば、

此の世は平明なものだった

 

夕陽に向って、

野原に立っていた。

 

まぶしくなると、

また歩み出した。

 

何をくよくよ、

川端やなぎ、だ……

 

土手の柳を、

見て暮らせ、よだ

 

             (一九三四・一二・二九)

 

開いて、いるのは、

あれは、花かよ?

何の、花か、よ?

薔薇(ばら)の、花じゃろ。

 

しんなり、開いて、

こちらを、向いてる。

蜂だとて、いぬ、

小暗い、小庭に。

 

ああ、さば、薔薇(そうび)よ、

物を、云ってよ、

物をし、云えば、

答えよう、もの。

 

答えたらさて、

もっと、開(さ)こうか?

答えても、なお、

ジット、そのまま?

 

 

鏡の、ような、澄んだ、心で、

私も、ありたい、ものです、な。

 

 鏡の、ように、澄んだ、心で、

 私も、ありたい、ものです、な。

 

鏡は、まっしろ、斜(はす)から、見ると、

鏡は、底なし、まむきに、見ると。

 

 鏡、ましろで、私をおどかし、

 鏡、底なく、私を、うつす。

 

私を、おどかし、私を、浄め、

私を、うつして、私を、和ます。

 

鏡、よいもの、机の、上に、

一つし、あれば、心、和ます。

 

ああわれ、一と日、鏡に、向い、

唾、吐いたれや、さっぱり、したよ。

 

 唾、吐いたれあ、さっぱり、したよ、

 何か、すまない、気持も、したが。

 

鏡、許せよ、悪気は、ないぞ、

ちょいと、いたずら、してみたサァ。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

            

2020年2月18日 (火)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション47/蝉

 

蝉(せみ)が鳴いている、蝉が鳴いている

蝉が鳴いているほかになんにもない!

うつらうつらと僕はする

……風もある……

松林を透いて空が見える

うつらうつらと僕はする。

 

『いいや、そうじゃない、そうじゃない!』と彼が云(い)う

『ちがっているよ』と僕がいう

『いいや、いいや!』と彼が云う

「ちがっているよ』と僕が云う

と、目が覚める、と、彼はもうとっくに死んだ奴なんだ

それから彼の永眠している、墓場のことなぞ目に浮ぶ……

 

それは中国のとある田舎の、水無河原(みずなしがわら)という

雨の日のほか水のない

伝説付の川のほとり、

藪蔭(やぶかげ)の砂土帯の小さな墓場、

――そこにも蝉は鳴いているだろ

チラチラ夕陽も射しているだろ……

 

蝉が鳴いている、蝉が鳴いている

蝉が鳴いているほかなんにもない!

僕の怠惰(たいだ)? 僕は『怠惰』か?

僕は僕を何とも思わぬ!

蝉が鳴いている、蝉が鳴いている

蝉が鳴いているほかなんにもない!

(一九三三・八・一四)

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

            

2020年2月17日 (月)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション46/(とにもかくにも春である)

(とにもかくにも春である)

 

     ▲

 

        此(こ)の年、三原山に、自殺する者多かりき。

 

とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。花曇りの空は、その上にひろがって、何もかも、睡(ねむ)がっている。誰ももう、悩むことには馴れたので、黙って春を迎えている。おしろいの塗り方の拙(まず)い女も、クリーニングしないで仕舞っておいた春外套の男も、黙って春を迎え、春が春の方で勝手にやって来て、春が勝手に過ぎゆくのなら、桜よ咲け、陽も照れと、胃の悪いような口付をして、吊帯にぶる下っている。薔薇色(ばらいろ)の埃(ほこ)りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。乾からびはてた、羨望(せんぼう)のように、春は澱(よど)んでいる。

 

     ▲

 

        パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカー

        キシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ

 

十一時十五分、下関行終列車

窓から流れ出している燈光(ひかり)はあれはまるで涙じゃないか

送るもの送られるもの

みんな愉快げ笑っているが

 

旅という、我等の日々の生活に、

ともかくも区切りをつけるもの、一線を劃(かく)するものを

人は喜び、大人なお子供のようにはしゃぎ

嬉しいほどのあわれをさえ感ずるのだが、

 

めずらかの喜びと新鮮さのよろこびと、

まるで林檎(りんご)の一と山ででもあるように、

ゆるやかに重そうに汽車は運び出し、

やがてましぐらに走りゆくのだが、

 

淋しい夜(よる)の山の麓(ふもと)、長い鉄橋を過ぎた後に、

――来る曙(あけぼの)は胸に沁(し)み、眺に沁みて、

昨夜東京駅での光景は、

あれはほんとうであったろうか、幻ではなかったろうか。

 

     ▲

 

闇に梟(ふくろう)が鳴くということも

西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食い

我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、

みんなおんなしようなことなんだ

 

秋の夜、

僕は橋の上に行って梨を囓(かじ)った

夜の風が

歯茎にあたるのをこころよいことに思って

 

 

寒かった、

シャツの襟(えり)は垢(あか)じんでいた

寒かった、

月は河波に砕けていた

 

     ▲

 

        おお、父無し児、父無し児

 

 雨が降りそうで、風が凪(な)ぎ、風が出て、障子(しょうじ)が音を立て、大工達の働いている物音が遠くに聞こえ、夕闇は迫りつつあった。この寒天状の澱(よど)んだ気層の中に、すべての青春的事象は忌(いま)わしいものに思われた。

 落雁(らくがん)を法事の引物(ひきもの)にするという習慣をうべない、権柄的(けんぺいてき)気六ヶ敷(きむずかし)さを、去(い)にし秋の校庭に揺れていたコスモスのように思い出し、やがて忘れ、電燈をともさず一切構わず、人が不衛生となすものぐさの中に、僕は溺(おぼ)れペンはくずおれ、黄昏(たそがれ)に沈没して小児の頃の幻想にとりつかれていた。

 風は揺れ、茅(かや)はゆすれ、闇は、土は、いじらしくも怨(うら)めしいものであった。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月16日 (日)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション45/小 景

小 景

 

河の水は濁(にご)って

夕陽を映して錆色(さびいろ)をしている。

荷足(にたり)はしずしずとやって来る。

竿(さお)さしてやって来る。

その船頭(せんどう)の足の皮は、

乾いた舟板の上を往(い)ったり来たりする。

 

荷足はしずしずと下ってゆく。

竿さして下ってゆく。

船頭は時偶(ときたま)一寸(ちょっと)よそ見して、

竿さすことは忘れない。

船頭は竿さしてゆく。

船頭は、夕焼の空さして下る。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月15日 (土)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション44/脱毛の秋 Etudes

脱毛の秋 Etudes

 

 

それは冷たい。石のようだ

過去を抱いている。

力も入れないで

むっちり緊(しま)っている。

 

捨てたんだ、多分は意志を。

享受してるんだ、夜(よる)の空気を。

流れ流れていてそれでも

ただ崩れないというだけなんだ。

 

脆(もろ)いんだ、密度は大であるのに。

やがて黎明(あけぼの)が来る時、

それらはもはやないだろう……

 

それよ、人の命の聴く歌だ。

――意志とはもはや私には、

あまりに通俗な声と聞こえる。

 

 

それから、私には疑問が遺(のこ)った。

それは、蒼白いものだった。

風も吹いていたかも知れない。

老女の髪毛が顫(ふる)えていたかも知れない。

 

コークスをだって、強(あなが)ち莫迦(ばか)には出来ないと思った。

 

 

所詮(しょせん)、イデエとは未決定的存在であるのか。

而(しか)して未決定的存在とは、多分は

嘗(かつ)て暖かだった自明事自体ではないのか。

 

僕はもう冷たいので、それを運用することを知らない。

僕は一つの藍玉(あいだま)を、時には速く時には遅くと

溶かしているばかりである。

 

 

僕は僕の無色の時間の中に投入される諸現象を、

まずまあ面白がる。

 

無色の時間を彩るためには、

すべての事物が一様の値いを持っていた。

 

まず、褐色の老書記の元気のほか、

僕を嫌がらすものとてはなかった。

 

 

瀝青(チャン)色の空があった。

一と手切(ちぎ)りの煙があった。

電車の音はドレスデン製の磁器を想わせた。

私は歩いていた、私の膝は櫟材(くぬぎざい)だった。

 

風はショウインドーに漣(さざなみ)をたてた。

私は常習の眩暈(めまい)をした。

それは枇杷(びわ)の葉の毒に似ていた。

私は手を展(ひろ)げて、二三滴雨滴(あまつぶ)を受けた。

 

 

風は遠くの街上にあった。

女等はみな、白馬になるとみえた。

ポストは夕陽に悪寒(おかん)していた。

僕は褐色の鹿皮の、蝦蟇口(がまぐち)を一つ欲した。

 

直線と曲線の両観念は、はじめ混り合わさりそうであったが、

まもなく両方消えていった。

 

僕は一切の観念を嫌憎する。

凡(あら)ゆる文献は、僕にまで関係がなかった。

 

 

それにしてもと、また惟(おも)いもする

こんなことでいいのだろうか、こんなことでいいのだろうか?……

 

然(しか)し僕には、思考のすべはなかった

 

風と波とに送られて

ペンキの剥(は)げたこのボート

愉快に愉快に漕げや舟

 

僕は僕自身の表現をだって信じはしない。

 

 

とある六月の夕(ゆうべ)、

石橋の上で岩に漂う夕陽を眺め、

橋の袂(たもと)の薬屋の壁に、

松井須磨子のビラが翻(ひるがえ)るのをみた。

 

――思えば、彼女はよく肥っていた

綿のようだった

多分今頃冥土(めいど)では、

石版刷屋の女房になっている。――さよなら。

 

 

私は親も兄弟もしらないといった

ナポレオンの気持がよく分る

 

ナポレオンは泣いたのだ

泣いても泣いても泣ききれなかったから

なんでもいい泣かないことにしたんだろう

 

人の世の喜びを離れ、

縁台の上に筵(むしろ)を敷いて、

夕顔の花に目をくれないことと、

反射運動の断続のほか、

私に自由は見出だされなかった。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月14日 (金)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション43/青木三造

青木三造

 

序歌の一

 

こころまこともあらざりき

不実というにもあらざりき

ゆらりゆらりとゆらゆれる

海のふかみの海草(うみくさ)の

おぼれおぼれて、溺れたる

ことをもしらでゆらゆれて

 

ゆうべとなれば夕凪(ゆうなぎ)の

かすかに青き空慕(した)い

ゆらりゆらりとゆれてある

海の真底の小暗きに

しおざいあわくとおにきき

おぼれおぼれてありといえ

 

前後もあらぬたゆたいは

それや哀しいうみ草の

なさけのなきにつゆあらじ

やさしさあふれゆらゆれて

あおにみどりに変化(へんげ)すは

海の真底の人知らぬ

涙をのみてあるとしれ

 

その二

 

冷たいコップを燃ゆる手に持ち

夏のゆうべはビールを飲もう

どうせ浮世はサイオウが馬

 チャッチャつぎませコップにビール

 

明けても暮れても酒のことばかり

これじゃどうにもならねようなもんだが

すまねとおもう人様もあるが

 チャッチャつぎませコップにビール

 

飲んだ、飲んだ飲んだ、とことんまで飲んだ

飲んで泡吹きゃ夜空も白い

白い夜空とは、またなんと愉快じゃないか

 チャッチャつぎませコップにビール。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月13日 (木)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション42/(吹く風を心の友と)

(吹く風を心の友と)

 

吹く風を心の友と

口笛に心まぎらわし

私がげんげ田を歩いていた十五の春は

煙のように、野羊(やぎ)のように、パルプのように、

 

とんで行って、もう今頃は、

どこか遠い別の世界で花咲いているであろうか

耳を澄ますと

げんげの色のようにはじらいながら遠くに聞こえる

 

あれは、十五の春の遠い音信なのだろうか

滲むように、日が暮れても空のどこかに

あの日の昼のままに

あの時が、あの時の物音が経過しつつあるように思われる

 

それが何処(どこ)か?――とにかく僕に其処(そこ)へゆけたらなあ……

心一杯に懺悔(ざんげ)して、

恕(ゆる)されたという気持の中に、再び生きて、

僕は努力家になろうと思うんだ――

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月12日 (水)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション41/(孤児の肌に唾吐きかけて)

(孤児の肌に唾吐きかけて)

 

孤児の肌(はだえ)に唾(つば)吐きかけて、

あとで泣いたるわたくしは

滅法界(めっぽうかい)の大馬鹿者で、

 

今、夕陽のその中を

断崖(きりぎし)に沿うて歩みゆき、

声の限りに笑わんものと

 

またも愚(おろ)かな願いを抱き

 

あとで泣くかや、わが心。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月11日 (火)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション40/いちじくの葉

いちじくの葉

 

いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、

風に吹かれて

隙間(すきま)より、空あらわれる

美しい、前歯一本欠け落ちた

おみなのように、姿勢よく

ゆうべの空に、立ちつくす

 

――わたくしは、がっかりとして

わたしの過去の ごちゃごちゃと

積みかさなった思い出の

ほごすすべなく、いらだって、

やがては、頭の重みの現在感に

身を托(たく)し、心も托し、

 

なにもかも、いわぬこととし、

このゆうべ、ふきすぐる風に頸(くび)さらし、

夕空に、くろぐろはためく

いちじくの、木末(こずえ) みあげて、

なにものか、知らぬものへの

愛情のかぎりをつくす。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月10日 (月)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション39/雪が降っている……

雪が降っている……

 

雪が降っている、

とおくを。

雪が降っている、

とおくを。

捨てられた羊かなんぞのように

とおくを、

雪が降っている、

とおくを。

たかい空から、

とおくを、

とおくを

とおくを、

お寺の屋根にも、

それから、

お寺の森にも、

それから、

たえまもなしに。

空から、

雪が降っている

それから、

兵営にゆく道にも、

それから、

日が暮れかかる、

それから、

喇叭(らっぱ)がきこえる。

それから、

雪が降っている、

なおも。

 

(一九二九・二・一八)

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月 9日 (日)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション38/冷酷の歌

冷酷の歌

 

 

ああ、神よ、罪とは冷酷のことでございました。

泣きわめいている心のそばで、

買物を夢みているあの裕福な売笑婦達は、

罪でございます、罪以外の何者でもございません。

 

そしてそれが恰度(ちょうど)私に似ております、

貪婪(どんらん)の限りに夢をみながら

一番分りのいい俗な瀟洒(しょうしゃ)の中を泳ぎながら、

今にも天に昇りそうな、枠のような胸で思いあがっております。

 

伸びたいだけ伸(の)んで、拡がりたいだけ拡がって、

恰度紫の朝顔の花かなんぞのように、

朝は露(つゆ)に沾(うるお)い、朝日のもとに笑(えみ)をひろげ、

 

夕は泣くのでございます、獣(けもの)のように。

獣のように嗜慾(しよく)のうごめくままにうごいて、

その末は泣くのでございます、肉の痛みをだけ感じながら。

 

 

絶えざる呵責(かしゃく)というものが、それが

どんなに辛いものかが分るか?

 

おまえの愚(おろ)かな精力が尽きるまで、

恐らくそれはおまえに分りはしない。

 

けれどもいずれおまえにも分る時は来るわけなのだが、

その時に辛かろうよ、おまえ、辛かろうよ、

 

絶えざる呵責というものが、それが

どんなに辛いか、もう既(すで)に辛い私を

 

おまえ、見るがいい、よく見るがいい、

ろくろく笑えもしない私を見るがいい!

 

 

人には自分を紛(まぎ)らわす力があるので、

人はまずみんな幸福そうに見えるのだが、

 

人には早晩(そうばん)紛らわせない悲しみがくるのだ。

悲しみが自分で、自分が悲しみの時がくるのだ。

 

長い懶(ものう)い、それかといって自滅することも出来ない、

そういう惨(いたま)しい時が来るのだ。

 

悲しみ執(しつ)ッ固(こ)くてなおも悲しみ尽そうとするから、

悲しみに入ったら最後休(や)むときがない!

 

理由がどうであれ、人がなんと謂(い)え、

悲しみが自分であり、自分が悲しみとなった時、

 

人は思いだすだろう、その白けた面(つら)の上に

涙と微笑とを浮べながら、聖人たちの古い言葉を。

 

そして今猶(なお)走り廻(まわ)る若者達を見る時に、

忌(いま)わしくも忌わしい気持に浸ることだろう、

 

嗚呼(ああ)!その時に、人よ苦しいよ、絶えいるばかり、

人よ、苦しいよ、絶えいるばかり……

 

 

夕暮が来て、空気が冷える、

物音が微妙にいりまじって、しかもその一つ一つが聞える。

お茶を注ぐ、煙草を吹かす、薬鑵(やかん)が物憂(ものう)い唸(うな)りをあげる。

床や壁や柱が目に入る、そしてそれだけだ、それだけだ。

 

神様、これが私の只今(ただいま)でございます。

薔薇(ばら)と金毛とは、もはや煙のように空にゆきました。

 

いいえ、もはやそれのあったことさえが信じきれないで、

私は疑いぶかくなりました。

 

萎(しお)れた葱(ねぎ)か韮(にら)のように、ああ神様、

私は疑いのために死ぬるでございましょう。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月 8日 (土)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション37/詩人の嘆き

詩人の嘆き

 

私の心よ怒るなよ、

ほんとに燃えるは独りでだ、

するとあとから何もかも、

夕星(ゆうづつ)ばかりが見えてくる。

 

マダガスカルで出来たという、

このまあ紙は夏の空、

綺麗に笑ってそのあとで、

ちっともこちらを見ないもの。

 

ああ喜びや悲しみや、

みんな急いで逃げるもの。

いろいろ言いたいことがある、

神様からの言伝(ことづて)もあるのに。

 

ほんにこれらの生活(なりわい)の

日々を立派にしようと思うのに、

丘でリズムが勝手に威張って、

そんなことは放ってしまえという。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月 7日 (金)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション36/処女詩集序

処女詩集序

 

かつて私は一切の「立脚点」だった。

かつて私は一切の解釈だった。

 

私は不思議な共通接線に額して

倫理の最後の点をみた。

 

(ああ、それらの美しい論法の一つ一つを

いかにいまここに想起したいことか!)

 

 

その日私はお道化(どけ)る子供だった。

卑小な希望達の仲間となり馬鹿笑いをつづけていた。

 

(いかにその日の私の見窄(みすぼら)しかったことか!

いかにその日の私の神聖だったことか!)

 

 

私は完(まった)き従順の中に

わずかに呼吸を見出していた。

 

私は羅馬婦人(ローマおんな)の笑顔や夕立跡の雲の上を、

膝頭(ひざがしら)で歩いていたようなものだ。

 

 

これらの忘恩な生活の罰か? はたしてそうか?

私は今日、統覚作用の一欠片(ひとかけら)をも持たぬ。

 

そうだ、私は十一月の曇り日の墓地を歩いていた、

柊(ひいらぎ)の葉をみながら私は歩いていた。

 

その時私は何か?たしかに失った。

 

 

今では私は

生命の動力学にしかすぎない――――

自恃をもっ

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション36/処女詩集序

 

処女詩集序

 

かつて私は一切の「立脚点」だった。

かつて私は一切の解釈だった。

 

私は不思議な共通接線に額して

倫理の最後の点をみた。

 

(ああ、それらの美しい論法の一つ一つを

いかにいまここに想起したいことか!)

 

 

その日私はお道化(どけ)る子供だった。

卑小な希望達の仲間となり馬鹿笑いをつづけていた。

 

(いかにその日の私の見窄(みすぼら)しかったことか!

いかにその日の私の神聖だったことか!)

 

 

私は完(まった)き従順の中に

わずかに呼吸を見出していた。

 

私は羅馬婦人(ローマおんな)の笑顔や夕立跡の雲の上を、

膝頭(ひざがしら)で歩いていたようなものだ。

 

 

これらの忘恩な生活の罰か? はたしてそうか?

私は今日、統覚作用の一欠片(ひとかけら)をも持たぬ。

 

そうだ、私は十一月の曇り日の墓地を歩いていた、

柊(ひいらぎ)の葉をみながら私は歩いていた。

 

その時私は何か?たしかに失った。

 

 

今では私は

生命の動力学にしかすぎない――――

自恃をもって私は、むずかる特権を感じます。

 

かくて私には歌がのこった。

たった一つ、歌というがのこった。

 

 

私の歌を聴いてくれ。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月 6日 (木)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション35/夏の夜

夏の夜

 

 

暗い空に鉄橋が架(か)かって、

男や女がその上を通る。

その一人々々が夫々(それぞれ)の生計(なりわい)の形をみせて、

みんな黙って頷(うなず)いて歩るく。

 

吊られている赤や緑の薄汚いランプは、

空いっぱいの鈍い風があたる。

それは心もなげに燈(とも)っているのだが、

燃え尽した愛情のように美くしい。

 

泣きかかる幼児を抱いた母親の胸は、

掻乱(かきみだ)されてはいるのだが、

「この子は自分が育てる子だ」とは知っているように、

 

その胸やその知っていることや、夏の夜の人通りに似て、

はるか遥かの暗い空の中、星の運行そのままなのだが、

それが私の憎しみやまた愛情にかかわるのだ……。

 

 

私の心は腐った薔薇(ばら)のようで、

夏の夜の靄(もや)では淋しがって啜(すすりな)く、

若い士官の母指(おやゆび)の腹や、

四十女の腓腸筋(ひちょうきん)を慕う。

 

それにもまして好ましいのは、

オルガンのある煉瓦(れんが)の館(やかた)。

蔦蔓(つたかづら)が黝々(くろぐろ)と匐(は)いのぼっている、

埃(ほこ)りがうっすり掛かっている。

 

その時広場は汐(な)ぎ亙(わた)っているし、

お濠(ほり)の水はさざ波たててる。

どんな馬鹿者だってこの時は殉教者の顔付(かおつき)をしている。

 

私の心はまず人間の生活のことについて燃えるのだが、

そして私自身の仕事については一生懸命練磨するのだが、

結局私は薔薇色の蜘蛛(くも)だ、夏の夕方は紫に息づいている。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月 5日 (水)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション34/無 題

無 題

 

緋(ひ)のいろに心はなごみ

蠣殻(かきがら)の疲れ休まる

 

金色の胸綬(コルセット)して

町を行く細き町行く

 

死の神の黒き涙腺(るいせん)

美しき芥(あくた)もみたり

 

自らを恕(ゆる)す心の

展(ひろが)りに女を据(す)えぬ

 

緋の色に心休まる

あきらめの閃(ひらめ)きをみる

 

静けさを罪と心得(こころえ)

きざむこと善(よ)しと心得

 

明らけき土の光に

浮揚する

    蜻蛉となりぬ

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月 4日 (火)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション33/(秋の日を歩み疲れて)

(秋の日を歩み疲れて)

 

秋の日を歩み疲れて

橋上を通りかかれば

秋の草 金にねむりて

草分ける 足音をみる

 

忍從(にんじゅう)の 君は默(もく)せし

われはまた 叫びもしたり

川果(かわはて)の 灰に光りて

感興(かんきょう)は 唾液(だえき)に消さる

 

人の呼気(こき) われもすいつつ

ひとみしり する子のまなこ

腰曲げて 走りゆきたり

 

台所暗き夕暮

新しき生木(なまき)の かおり

われはまた 夢のものうさ

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月 3日 (月)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション32/幼き恋の回顧

幼き恋の回顧

 

幼き恋は

燐寸(マッチ)の軸木(じくぎ)

燃えてしまえば

あるまいものを

 

寐覚(ねざ)めの囁(ささや)きは

燃えた燐(りん)だった

また燃える時が

ありましょうか

 

アルコールのような夕暮に

二人は再びあいました――

圧搾酸素(あっさくさんそ)でもてている

恋とはどんなものですか

その実(じつ)今は平凡ですが

たったこないだ燃えた日の

印象が二人を一緒に引きずってます

何(なん)の方(ほう)へです――

ソーセージが

紫色に腐れました――

多分「話の種」の方へでしょう

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月 2日 (日)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション31/春の夕暮

春の夕暮

 

塗板(トタン)がセンベイ食べて

春の日の夕暮は静かです

 

アンダースロウされた灰が蒼ざめて

春の日の夕暮は穏(おだや)かです

 

ああ、案山子はなきか――あるまい

馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい

ただただ青色の月の光のノメランとするままに

従順なのは春の日の夕暮か

 

ポトホトと臘涙(ろうるい)に野の中の伽藍(がらん)は赤く

荷馬車の車、 油を失い

私が歴史的現在に物を言えば

嘲(あざけ)る嘲る空と山とが

 

瓦が一枚はぐれました

春の日の夕暮はこれから無言ながら

前進します

自(みずか)らの静脈管の中へです

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

2020年2月 1日 (土)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション30/初 夏

初 夏

 

扇子と香水――

君、新聞紙を絹風呂敷(きぬふろしき)には包みましたか

夕の月に風が泳ぎます

アメリカの国旗とソーダ水とが

恋し始める頃ですね

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

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