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2020年2月 7日 (金)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション36/処女詩集序

処女詩集序

 

かつて私は一切の「立脚点」だった。

かつて私は一切の解釈だった。

 

私は不思議な共通接線に額して

倫理の最後の点をみた。

 

(ああ、それらの美しい論法の一つ一つを

いかにいまここに想起したいことか!)

 

 

その日私はお道化(どけ)る子供だった。

卑小な希望達の仲間となり馬鹿笑いをつづけていた。

 

(いかにその日の私の見窄(みすぼら)しかったことか!

いかにその日の私の神聖だったことか!)

 

 

私は完(まった)き従順の中に

わずかに呼吸を見出していた。

 

私は羅馬婦人(ローマおんな)の笑顔や夕立跡の雲の上を、

膝頭(ひざがしら)で歩いていたようなものだ。

 

 

これらの忘恩な生活の罰か? はたしてそうか?

私は今日、統覚作用の一欠片(ひとかけら)をも持たぬ。

 

そうだ、私は十一月の曇り日の墓地を歩いていた、

柊(ひいらぎ)の葉をみながら私は歩いていた。

 

その時私は何か?たしかに失った。

 

 

今では私は

生命の動力学にしかすぎない――――

自恃をもっ

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション36/処女詩集序

 

処女詩集序

 

かつて私は一切の「立脚点」だった。

かつて私は一切の解釈だった。

 

私は不思議な共通接線に額して

倫理の最後の点をみた。

 

(ああ、それらの美しい論法の一つ一つを

いかにいまここに想起したいことか!)

 

 

その日私はお道化(どけ)る子供だった。

卑小な希望達の仲間となり馬鹿笑いをつづけていた。

 

(いかにその日の私の見窄(みすぼら)しかったことか!

いかにその日の私の神聖だったことか!)

 

 

私は完(まった)き従順の中に

わずかに呼吸を見出していた。

 

私は羅馬婦人(ローマおんな)の笑顔や夕立跡の雲の上を、

膝頭(ひざがしら)で歩いていたようなものだ。

 

 

これらの忘恩な生活の罰か? はたしてそうか?

私は今日、統覚作用の一欠片(ひとかけら)をも持たぬ。

 

そうだ、私は十一月の曇り日の墓地を歩いていた、

柊(ひいらぎ)の葉をみながら私は歩いていた。

 

その時私は何か?たしかに失った。

 

 

今では私は

生命の動力学にしかすぎない――――

自恃をもって私は、むずかる特権を感じます。

 

かくて私には歌がのこった。

たった一つ、歌というがのこった。

 

 

私の歌を聴いてくれ。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

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