中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション38/冷酷の歌
冷酷の歌
1
ああ、神よ、罪とは冷酷のことでございました。
泣きわめいている心のそばで、
買物を夢みているあの裕福な売笑婦達は、
罪でございます、罪以外の何者でもございません。
そしてそれが恰度(ちょうど)私に似ております、
貪婪(どんらん)の限りに夢をみながら
一番分りのいい俗な瀟洒(しょうしゃ)の中を泳ぎながら、
今にも天に昇りそうな、枠のような胸で思いあがっております。
伸びたいだけ伸(の)んで、拡がりたいだけ拡がって、
恰度紫の朝顔の花かなんぞのように、
朝は露(つゆ)に沾(うるお)い、朝日のもとに笑(えみ)をひろげ、
夕は泣くのでございます、獣(けもの)のように。
獣のように嗜慾(しよく)のうごめくままにうごいて、
その末は泣くのでございます、肉の痛みをだけ感じながら。
2
絶えざる呵責(かしゃく)というものが、それが
どんなに辛いものかが分るか?
おまえの愚(おろ)かな精力が尽きるまで、
恐らくそれはおまえに分りはしない。
けれどもいずれおまえにも分る時は来るわけなのだが、
その時に辛かろうよ、おまえ、辛かろうよ、
絶えざる呵責というものが、それが
どんなに辛いか、もう既(すで)に辛い私を
おまえ、見るがいい、よく見るがいい、
ろくろく笑えもしない私を見るがいい!
3
人には自分を紛(まぎ)らわす力があるので、
人はまずみんな幸福そうに見えるのだが、
人には早晩(そうばん)紛らわせない悲しみがくるのだ。
悲しみが自分で、自分が悲しみの時がくるのだ。
長い懶(ものう)い、それかといって自滅することも出来ない、
そういう惨(いたま)しい時が来るのだ。
悲しみ執(しつ)ッ固(こ)くてなおも悲しみ尽そうとするから、
悲しみに入ったら最後休(や)むときがない!
理由がどうであれ、人がなんと謂(い)え、
悲しみが自分であり、自分が悲しみとなった時、
人は思いだすだろう、その白けた面(つら)の上に
涙と微笑とを浮べながら、聖人たちの古い言葉を。
そして今猶(なお)走り廻(まわ)る若者達を見る時に、
忌(いま)わしくも忌わしい気持に浸ることだろう、
嗚呼(ああ)!その時に、人よ苦しいよ、絶えいるばかり、
人よ、苦しいよ、絶えいるばかり……
4
夕暮が来て、空気が冷える、
物音が微妙にいりまじって、しかもその一つ一つが聞える。
お茶を注ぐ、煙草を吹かす、薬鑵(やかん)が物憂(ものう)い唸(うな)りをあげる。
床や壁や柱が目に入る、そしてそれだけだ、それだけだ。
神様、これが私の只今(ただいま)でございます。
薔薇(ばら)と金毛とは、もはや煙のように空にゆきました。
いいえ、もはやそれのあったことさえが信じきれないで、
私は疑いぶかくなりました。
萎(しお)れた葱(ねぎ)か韮(にら)のように、ああ神様、
私は疑いのために死ぬるでございましょう。
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
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