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2020年2月 6日 (木)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション35/夏の夜

夏の夜

 

 

暗い空に鉄橋が架(か)かって、

男や女がその上を通る。

その一人々々が夫々(それぞれ)の生計(なりわい)の形をみせて、

みんな黙って頷(うなず)いて歩るく。

 

吊られている赤や緑の薄汚いランプは、

空いっぱいの鈍い風があたる。

それは心もなげに燈(とも)っているのだが、

燃え尽した愛情のように美くしい。

 

泣きかかる幼児を抱いた母親の胸は、

掻乱(かきみだ)されてはいるのだが、

「この子は自分が育てる子だ」とは知っているように、

 

その胸やその知っていることや、夏の夜の人通りに似て、

はるか遥かの暗い空の中、星の運行そのままなのだが、

それが私の憎しみやまた愛情にかかわるのだ……。

 

 

私の心は腐った薔薇(ばら)のようで、

夏の夜の靄(もや)では淋しがって啜(すすりな)く、

若い士官の母指(おやゆび)の腹や、

四十女の腓腸筋(ひちょうきん)を慕う。

 

それにもまして好ましいのは、

オルガンのある煉瓦(れんが)の館(やかた)。

蔦蔓(つたかづら)が黝々(くろぐろ)と匐(は)いのぼっている、

埃(ほこ)りがうっすり掛かっている。

 

その時広場は汐(な)ぎ亙(わた)っているし、

お濠(ほり)の水はさざ波たててる。

どんな馬鹿者だってこの時は殉教者の顔付(かおつき)をしている。

 

私の心はまず人間の生活のことについて燃えるのだが、

そして私自身の仕事については一生懸命練磨するのだが、

結局私は薔薇色の蜘蛛(くも)だ、夏の夕方は紫に息づいている。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

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