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2020年2月17日 (月)

中原中也・夕(ゆうべ)の詩コレクション46/(とにもかくにも春である)

(とにもかくにも春である)

 

     ▲

 

        此(こ)の年、三原山に、自殺する者多かりき。

 

とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。花曇りの空は、その上にひろがって、何もかも、睡(ねむ)がっている。誰ももう、悩むことには馴れたので、黙って春を迎えている。おしろいの塗り方の拙(まず)い女も、クリーニングしないで仕舞っておいた春外套の男も、黙って春を迎え、春が春の方で勝手にやって来て、春が勝手に過ぎゆくのなら、桜よ咲け、陽も照れと、胃の悪いような口付をして、吊帯にぶる下っている。薔薇色(ばらいろ)の埃(ほこ)りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。乾からびはてた、羨望(せんぼう)のように、春は澱(よど)んでいる。

 

     ▲

 

        パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカー

        キシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ

 

十一時十五分、下関行終列車

窓から流れ出している燈光(ひかり)はあれはまるで涙じゃないか

送るもの送られるもの

みんな愉快げ笑っているが

 

旅という、我等の日々の生活に、

ともかくも区切りをつけるもの、一線を劃(かく)するものを

人は喜び、大人なお子供のようにはしゃぎ

嬉しいほどのあわれをさえ感ずるのだが、

 

めずらかの喜びと新鮮さのよろこびと、

まるで林檎(りんご)の一と山ででもあるように、

ゆるやかに重そうに汽車は運び出し、

やがてましぐらに走りゆくのだが、

 

淋しい夜(よる)の山の麓(ふもと)、長い鉄橋を過ぎた後に、

――来る曙(あけぼの)は胸に沁(し)み、眺に沁みて、

昨夜東京駅での光景は、

あれはほんとうであったろうか、幻ではなかったろうか。

 

     ▲

 

闇に梟(ふくろう)が鳴くということも

西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食い

我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、

みんなおんなしようなことなんだ

 

秋の夜、

僕は橋の上に行って梨を囓(かじ)った

夜の風が

歯茎にあたるのをこころよいことに思って

 

 

寒かった、

シャツの襟(えり)は垢(あか)じんでいた

寒かった、

月は河波に砕けていた

 

     ▲

 

        おお、父無し児、父無し児

 

 雨が降りそうで、風が凪(な)ぎ、風が出て、障子(しょうじ)が音を立て、大工達の働いている物音が遠くに聞こえ、夕闇は迫りつつあった。この寒天状の澱(よど)んだ気層の中に、すべての青春的事象は忌(いま)わしいものに思われた。

 落雁(らくがん)を法事の引物(ひきもの)にするという習慣をうべない、権柄的(けんぺいてき)気六ヶ敷(きむずかし)さを、去(い)にし秋の校庭に揺れていたコスモスのように思い出し、やがて忘れ、電燈をともさず一切構わず、人が不衛生となすものぐさの中に、僕は溺(おぼ)れペンはくずおれ、黄昏(たそがれ)に沈没して小児の頃の幻想にとりつかれていた。

 風は揺れ、茅(かや)はゆすれ、闇は、土は、いじらしくも怨(うら)めしいものであった。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

 

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