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2020年3月

2020年3月31日 (火)

中原中也・春の詩コレクション34/春の消息

春の消息

 

生きているのは喜びなのか

生きているのは悲みなのか

どうやら僕には分らなんだが

僕は街なぞ歩いていました

 

店舗(てんぽ)々々に朝陽はあたって

淡い可愛いい物々の蔭影(かげ)

僕はそれでも元気はなかった

どうやら 足引摺(ひきず)って歩いていました

 

    生きているのは喜びなのか

    生きているのは悲みなのか

 

こんな思いが浮かぶというのも

ただただ衰弱(よわっ)ているせいだろか?

それとももともとこれしきなのが

人生というものなのだろうか?

 

尤(もっと)も分ったところでどうさえ

それがどうにもなるものでもない

こんな気持になったらなったで

自然にしているよりほかもない

 

そうと思えば涙がこぼれる

なんだか知らねえ涙がこぼれる

悪く思って下さいますな

僕はこんなに怠け者

 

               (一九三五・四・二四)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年3月30日 (月)

中原中也・春の詩コレクション33/狂気の手紙

狂気の手紙

 

袖の振合い他生(たしょう)の縁

僕事(ぼくごと)、気違いには御座候(ござそうら)えども

格別害も致し申さず候間

切角(せっかく)御一興とは思召(おぼしめ)され候て

何卒(なにとぞ)気の違った所なぞ

御高覧の程伏而懇願仕候(ふしてこんがんつかまつりそうろう)

 

陳述此度(のぶればこたび)は気がフーッと致し

キンポーゲとこそ相成候(あいなりそうろう)

野辺(のべ)の草穂と春の空

何仔細(しさい)あるわけにも無之(これなく)候処

タンポポや、煙の族(やから)とは相成候間

一筆御知らせ申上候

 

猶(なお)、また近日日蔭など見申し候節は

早速参上、羅宇(ラウ)換えや紙芝居のことなぞ

詳しく御話し申し上候

お葱(ねぎ)や塩のことにても相当お話し申上候

否、地球のことにてもメリーゴーランドのことにても

お鉢(はち)のことにても火箸(ひばし)のことにても何にても御話申上可候(おはなしもうしあぐべくそうろう)匆々(そうそう)

 

                   (一九三四・四・二二)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年3月29日 (日)

中原中也・春の詩コレクション32/朝

 

雀の声が鳴きました

雨のあがった朝でした

お葱(ねぎ)が欲しいと思いました

 

ポンプの音がしていました

頭はからっぽでありました

何を悲しむのやら分りませんが、

心が泣いておりました

 

遠い遠い物音を

多分は汽車の汽笛(きてき)の音に

頼みをかけるよな心持

 

心が泣いておりました

寒い空に、油煙(ゆえん)まじりの

煙が吹かれているように

焼木杭(やけぼっくい)や霜(しも)のよう僕の心は泣いていた

 

                    (一九三四・四・二二)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年3月28日 (土)

中原中也・春の詩コレクション31/夜明け

夜明け

 

夜明けが来た。雀の声は生唾液(なまつばき)に似ていた。

水仙(すいせん)は雨に濡(ぬ)れていようか? 水滴を付けて耀(かがや)いていようか?

出て、それを見ようか? 人はまだ、誰も起きない。

鶏(にわとり)が、遠くの方で鳴いている。――あれは悲しいので鳴くのだろうか?

声を張上げて鳴いている。――井戸端(いどばた)はさぞや、睡気(ねむけ)にみちているであろう。

 

槽(おけ)は井戸蓋の上に、倒(さかし)まに置いてあるであろう。

御影石(みかげいし)の井戸側は、言問いたげであるだろう。

苔(こけ)は蔭(かげ)の方から、案外に明るい顔をしているだろう。

御影石は、雨に濡れて、顕心的(けんしんてき)であるだろう。

鶏(とり)の声がしている。遠くでしている。人のような声をしている。

 

おや、焚付(たきつけ)の音がしている。――起きたんだな――

新聞投込む音がする。牛乳車(ぐるま)の音がする。

《えー……今日はあれとあれとあれと……?………》

脣(くち)が力を持ってくる。おや、烏(からす)が鳴いて通る。

 

                     (一九三四・四・二二)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年3月27日 (金)

中原中也・春の詩コレクション30/朝

 

雀が鳴いている

朝日が照っている

私は椿(つばき)の葉を想う

 

雀が鳴いている

起きよという

だがそんなに直(す)ぐは起きられようか

私は潅木林(かんぼくばやし)の中を

走り廻(まわ)る夢をみていたんだ

                                                                                           

恋人よ、親達に距(へだ)てられた私の恋人、

君はどう思うか……

僕は今でも君を懐しい、懐しいものに思う

 

雀が鳴いている

朝日が照っている

私は椿の葉を想う

 

雀が鳴いている

起きよという

だがそんなに直ぐは起きられようか

私は潅木林の中を

走り廻る夢をみていたんだ

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年3月26日 (木)

中原中也・春の詩コレクション29/(とにもかくにも春である)

(とにもかくにも春である)

     ▲

此(こ)の年、三原山に、自殺する者多かりき。

 

とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。花曇りの空は、その上にひろがって、何もかも、睡(ねむ)がっている。誰ももう、悩むことには馴れたので、黙って春を迎えている。おしろいの塗り方の拙(まず)い女も、クリーニングしないで仕舞っておいた春外套の男も、黙って春を迎え、春が春の方で勝手にやって来て、春が勝手に過ぎゆくのなら、桜よ咲け、陽も照れと、胃の悪いような口付をして、吊帯にぶる下っている。薔薇色(ばらいろ)の埃(ほこ)りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。乾からびはてた、羨望(せんぼう)のように、春は澱(よど)んでいる。

 

     ▲

 

          パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカー

          キシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ

 

十一時十五分、下関行終列車

窓から流れ出している燈光(ひかり)はあれはまるで涙じゃないか

送るもの送られるもの

みんな愉快げ笑っているが

 

旅という、我等の日々の生活に、

ともかくも区切りをつけるもの、一線を劃(かく)するものを

人は喜び、大人なお子供のようにはしゃぎ

嬉しいほどのあわれをさえ感ずるのだが、

 

めずらかの喜びと新鮮さのよろこびと、

まるで林檎(りんご)の一と山ででもあるように、

ゆるやかに重そうに汽車は運び出し、

やがてましぐらに走りゆくのだが、

 

淋しい夜(よる)の山の麓(ふもと)、長い鉄橋を過ぎた後に、

――来る曙(あけぼの)は胸に沁(し)み、眺に沁みて、

昨夜東京駅での光景は、

あれはほんとうであったろうか、幻ではなかったろうか。

 

     ▲

 

闇に梟(ふくろう)が鳴くということも

西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食い

我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、

みんなおんなしようなことなんだ

 

秋の夜、

僕は橋の上に行って梨を囓(かじ)った

夜の風が

歯茎にあたるのをこころよいことに思って

 

寒かった、

シャツの襟(えり)は垢(あか)じんでいた

寒かった、

月は河波に砕けていた

 

     ▲

 

おお、父無し児、父無し児

雨が降りそうで、風が凪(な)ぎ、風が出て、障子(しょうじ)が音を立て、大工達の働いている物音が遠くに聞こえ、夕闇は迫りつつあった。この寒天状の澱(よど)んだ気層の中に、すべての青春的事象は忌(いま)わしいものに思われた。

落雁(らくがん)を法事の引物(ひきもの)にするという習慣をうべない、権柄的(けんぺいてき)気六ヶ敷(きむずかし)さを、去(い)にし秋の校庭に揺れていたコスモスのように思い出し、やがて忘れ、電燈をともさず一切構わず、人が不衛生となすものぐさの中に、僕は溺(おぼ)れペンはくずおれ、黄昏(たそがれ)に沈没して小児の頃の幻想にとりつかれていた。

風は揺れ、茅(かや)はゆすれ、闇は、土は、いじらしくも怨(うら)めしいものであった。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年3月25日 (水)

中原中也・春の詩コレクション28/早春散歩

早春散歩

 

空は晴れてても、建物には蔭(かげ)があるよ、

春、早春は心なびかせ、

それがまるで薄絹(うすぎぬ)ででもあるように

ハンケチででもあるように

我等の心を引千切(ひきちぎ)り

きれぎれにして風に散らせる

 

私はもう、まるで過去がなかったかのように

少なくとも通っている人達の手前そうであるかの如(ごと)くに感じ、

風の中を吹き過ぎる

異国人のような眼眸(まなざし)をして、

確固たるものの如く、

また隙間風(すきまかぜ)にも消え去るものの如く

 

そうしてこの淋しい心を抱いて、

今年もまた春を迎えるものであることを

ゆるやかにも、茲(ここ)に春は立返ったのであることを

土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら

土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら

僕は思う、思うことにも慣れきって僕は思う……

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年3月24日 (火)

中原中也・春の詩コレクション27/(吹く風を心の友と)

(吹く風を心の友と)

 

吹く風を心の友と

口笛に心まぎらわし

私がげんげ田を歩いていた十五の春は

煙のように、野羊(やぎ)のように、パルプのように、

 

とんで行って、もう今頃は、

どこか遠い別の世界で花咲いているであろうか

耳を澄ますと

げんげの色のようにはじらいながら遠くに聞こえる

 

あれは、十五の春の遠い音信なのだろうか

滲むように、日が暮れても空のどこかに

あの日の昼のままに

あの時が、あの時の物音が経過しつつあるように思われる

 

それが何処(どこ)か?――とにかく僕に其処(そこ)へゆけたらなあ……

心一杯に懺悔(ざんげ)して、

恕(ゆる)されたという気持の中に、再び生きて、

僕は努力家になろうと思うんだ――

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年3月23日 (月)

中原中也・春の詩コレクション26/間奏曲

間奏曲

 

いとけない顔のうえに、

降りはじめの雨が、ぽたっと落ちた……

 

百合(ゆり)の少女の眼瞼(まぶた)の縁(ふち)に、

露の玉が一つ、あらわれた……

 

春の祭の街の上に空から石が降って来た

人がみんなとび退(の)いた!

 

いとけない顔の上に、

雨が一つ、落ちた……

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年3月22日 (日)

中原中也・春の詩コレクション25/幼なかりし日

幼なかりし日

 

・・・・・・・・・・

在りし日よ、幼なかりし日よ!

春の日は、苜蓿(うまごやし)踏み

青空を、追いてゆきしにあらざるか?

 

いまははた、その日その草の、

何方(いずち)の里を急げるか、何方の里にそよげるか?

すずやかの、昔ならぬ音は呟(つぶや)き

電線は、心とともに空にゆきしにあらざるか?

 

町々は、あやに翳(かげ)りて、

厨房(ちゅうぼう)は、整いたりしにあらざるか?

過ぎし日は、あやにかしこく、

その心、疑惧(うたがい)のごとし。

 

さわれ人きょうもみるがごとくに、

子等の背はまろく

子等の足ははやし。

………人きょうも、きょうも見るごとくに。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月21日 (土)

中原中也・春の詩コレクション24/春の雨

春の雨

 

昨日は喜び、今日は死に、

明日は戦い?……

ほの紅の胸ぬちはあまりに清く、

道に踏まれて消えてゆく。

 

歌いしほどに心地よく、

聞かせしほどにわれ喘(あえ)ぐ。

春わが心をつき裂きぬ、

たれか来りてわを愛せ。

 

ああ喜びはともにせん、

わが恋人よはらからよ。

 

われの心の幼くて、

われの心に怒りあり。

 

さてもこの日に雨が降る、

雨の音きけ、雨の音。

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月20日 (金)

中原中也・春の詩コレクション23/春の夕暮

春の夕暮

 

塗板(トタン)がセンベイ食べて

春の日の夕暮は静かです

アンダースロウされた灰が蒼ざめて

春の日の夕暮は穏(おだや)かです

 

ああ、案山子はなきか――あるまい

馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい

ただただ青色の月の光のノメランとするままに

従順なのは春の日の夕暮か

 

ポトホトと臘涙(ろうるい)に野の中の伽藍(がらん)は赤く

荷馬車の車、 油を失い

私が歴史的現在に物を言えば

嘲(あざけ)る嘲る空と山とが

 

瓦が一枚はぐれました

春の日の夕暮はこれから無言ながら

前進します

自(みずか)らの静脈管の中へです

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月19日 (木)

中原中也・春の詩コレクション20/(風船玉の衝突)

(風船玉の衝突)

 

風船玉の衝突

立て膝(ひざ)

立て膝

スナアソビ

心よ!

幼き日を忘れよ!

 

煉瓦塀(れんがべい)に春を発見した

福助人形の影法師(かげぼうし)

孤児の下駄が置き忘れてありました

公園の入口

ペンキのはげた立札

 

心よ!

詩人は着物のスソを

狂犬病にクイチギられたが……!

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月17日 (火)

中原中也・春の詩コレクション19/春の日の怒

春の日の怒

 

田の中にテニスコートがありますかい?

春風です

よろこびやがれ凡俗(ぼんぞく)!

名詞の換言(かんげん)で日が暮れよう

 

アスファルトの上は凡人がゆく

顔 顔 顔

石版刷りのポスターに

木履(きぐつ)の音は這(は)い込もう

 

 (「新編中原中也全集」第2巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月16日 (月)

中原中也・春の詩コレクション18/道化の臨終(Etude Dadaistique)

道化の臨終(Etude Dadaistique

 

   序 曲

 

君ら想(おも)わないか、夜毎(よごと)何処(どこ)かの海の沖に、

火を吹く龍(りゅう)がいるかもしれぬと。

君ら想わないか、曠野(こうや)の果(はて)に、

夜毎姉妹の灯ともしていると。

 

君等想わないか、永遠の夜(よる)の浪、

其処(そこ)に泣く無形(むぎょう)の生物(いきもの)、

其処に見開く無形の瞳、

かの、かにかくに底の底……

 

心をゆすり、ときめかし、

嗚咽(おえつ)・哄笑一時(こうしょういっとき)に、肝(きも)に銘(めい)じて到(いた)るもの、

清浄(しょうじょう)こよなき漆黒(しっこく)のもの、

暖(だん)を忘れぬ紺碧(こんぺき)を……

 

     *       *

         *

 

空の下(もと)には 池があった。

その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、

空はかおりと はるけくて、

今年も春は 土肥(つちこ)やし、

雲雀(ひばり)は空に 舞いのぼり、

小児(しょうに)が池に 落っこった。

小児は池に仰向(あおむ)けに、

池の縁(ふち)をば 枕にて、

あわあわあわと 吃驚(びっくり)し、

空もみないで 泣きだした。

 

僕の心は 残酷(ざんこく)な、

僕の心は 優婉(ゆうえん)な、

僕の心は 優婉な、

僕の心は 残酷な、

涙も流さず 僕は泣き、

空に旋毛(つむじ)を 見せながら、

紫色に 泣きまする。

 

僕には何も 云(い)われない。

発言不能の 境界に、

僕は日も夜も 肘(ひじ)ついて、

僕は砂粒(すなつぶ)に 照る日影だの、

風に揺られる 雑草を、

ジッと瞶(みつ)めて おりました。

 

どうぞ皆さん僕という、

はてなくやさしい 痴呆症(ちほうしょう)、

抑揚(よくよう)の神の 母無(おやな)し子、

岬の浜の 不死身貝(ふじみがい)、

そのほか色々 名はあれど、

命題・反対命題の、

能(あた)うかぎりの 止揚場(しようじょう)、

天(あめ)が下(した)なる 「衛生無害」、

昔ながらの薔薇(ばら)の花、

ばかげたものでも ござりましょうが、

大目(おおめ)にあずかる 為体(ていたらく)。

 

かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、

泣くも笑うも 朝露(あさつゆ)の命、

星のうちなる 星の星……

砂のうちなる 砂の砂……

どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、

浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、

格別何も いりませぬ故(ゆえ)、

笛のうちなる 笛の笛、

――次第(しだい)に舌は 縺れてまいる――

至上至福(しじょうしふく)の 臨終(いまわ)の時を、

いやいや なんといおうかい、

一番お世話になりながら、

一番忘れていられるもの……

あの あれを……といって、

それでは誰方(どなた)も お分りがない……

では 忘恩(ぼうおん)悔(く)ゆる涙とか?

ええまあ それでもござりまするが……

では――

えイ、じれったや

これやこの、ゆくもかえるも

別れては、消ゆる移(うつ)り香(か)、

追いまわし、くたびれて、

秋の夜更(よふけ)に 目が覚めて、

天井板の 木理(もくめ)みて、

あなやと叫び 呆然(ぼうぜん)と……

さて われに返りはするものの、

野辺(のべ)の草葉に 盗賊の、

疲れて眠る その腰に、

隠元豆(いんげんまめ)の 刀あり、

これやこの 切れるぞえ、

と 戸の面(おもて)、丹下左膳(たんげさぜん)がこっち向き、

――狂った心としたことが、

何を云い出すことじゃやら……

さわさりながら さらばとて、

正気の構えを とりもどし、

人よ汝(いまし)が「永遠」を、

恋することのなかりせば、

シネマみたとてドッコイショのショ、

ダンスしたとてドッコイショのショ。

なぞと云ったら 笑われて、

ささも聴いては 貰(もら)えない、

さればわれ、明日は死ぬ身の、

今茲(ここ)に 不得要領……

かにかくに 書付(かきつ)けましたる、

ほんのこれ、心の片端(はしくれ)、

不備の点 恕(ゆる)され給(たま)いて、

希(ねが)わくは お道化(どけ)お道化て、

ながらえし 小者(こもの)にはあれ、

冥福(めいふく)の 多かれかしと、

神にはも 祈らせ給え。

 

           (一九三四・六・二)

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月15日 (日)

中原中也・春の詩コレクション17/聞こえぬ悲鳴

聞こえぬ悲鳴

 

悲しい 夜更(よふけ)が 訪(おとず)れて

菫(すみれ)の 花が 腐れる 時に

神様 僕は 何を想出(おもいだ)したらよいんでしょ?

 

痩せた 大きな 露西亜(ロシア)の婦(おんな)?

彼女の 手ですか? それとも横顔?

それとも ぼやけた フイルム ですか?

それとも前世紀の 海の夜明け?

 

ああ 悲しい! 悲しい……

神様 あんまり これでは 悲しい

疲れ 疲れた 僕の心に……

いったい 何が 想い出せましょ?

 

悲しい 夜更は 腐った花弁(はなびら)――

  噛(か)んでも 噛んでも 歯跡もつかぬ

  それで いつまで 噛んではいたら

  しらじらじらと 夜は明けた

 

                   ――一九三五、四――

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月14日 (土)

中原中也・春の詩コレクション16/はるかぜ

はるかぜ

 

ああ、家が建つ家が建つ。

僕の家ではないけれど。

  空は曇(くも)ってはなぐもり、

  風のすこしく荒い日に。

 

ああ、家が建つ家が建つ。 

僕の家ではないけれど。

  部屋にいるのは憂鬱(ゆううつ)で、

  出掛けるあてもみつからぬ。

 

ああ、家が建つ家が建つ。

僕の家ではないけれど。

  鉋(かんな)の音は春風に、

  散って名残(なごり)はとめませぬ。

 

  風吹く今日の春の日に、

  ああ、家が建つ家が建つ。

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月13日 (金)

中原中也・春の詩コレクション16/春日狂想

春日狂想

 

 

愛するものが死んだ時には、

自殺しなきゃあなりません。

 

愛するものが死んだ時には、

それより他に、方法がない。

 

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、

なおもながらうことともなったら、

 

奉仕(ほうし)の気持に、なることなんです。

奉仕の気持に、なることなんです。

 

愛するものは、死んだのですから、

たしかにそれは、死んだのですから、

 

もはやどうにも、ならぬのですから、

そのもののために、そのもののために、

 

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

 

 

奉仕の気持になりはなったが、

さて格別の、ことも出来ない。

 

そこで以前(せん)より、本なら熟読。

そこで以前(せん)より、人には丁寧。

 

テンポ正しき散歩をなして

麦稈真田(ばっかんさなだ)を敬虔(けいけん)に編(あ)み――

 

まるでこれでは、玩具(おもちゃ)の兵隊、

まるでこれでは、毎日、日曜。

 

神社の日向(ひなた)を、ゆるゆる歩み、

知人に遇(あ)えば、にっこり致(いた)し、

 

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、

鳩に豆なぞ、パラパラ撒(ま)いて、

 

まぶしくなったら、日蔭(ひかげ)に這入(はい)り、

そこで地面や草木を見直す。

 

苔(こけ)はまことに、ひんやりいたし、

いわうようなき、今日の麗日(れいじつ)。

 

参詣人等(さんけいにんら)もぞろぞろ歩き、

わたしは、なんにも腹が立たない。

 

《まことに人生、一瞬の夢、

ゴム風船の、美しさかな。》

 

空に昇って、光って、消えて――

やあ、今日は、御機嫌(ごきげん)いかが。

 

久しぶりだね、その後どうです。

そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましょ。

 

勇(いさ)んで茶店に這入(はい)りはすれど、

ところで話は、とかくないもの。

 

煙草(たばこ)なんぞを、くさくさ吹かし、

名状(めいじょう)しがたい覚悟をなして、――

 

戸外(そと)はまことに賑(にぎ)やかなこと!

――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

 

外国(あっち)に行ったら、たよりを下さい。

あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

 

馬車も通れば、電車も通る。

まことに人生、花嫁御寮(はなよめごりょう)。

 

まぶしく、美(は)しく、はた俯(うつむ)いて、

話をさせたら、でもうんざりか?

 

それでも心をポーッとさせる、

まことに、人生、花嫁御寮。

 

 

ではみなさん、

喜び過ぎず悲しみ過ぎず、

テンポ正しく、握手(あくしゅ)をしましょう。

 

つまり、我等(われら)に欠けてるものは、

実直(じっちょく)なんぞと、心得(こころえ)まして。

 

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――

テンポ正しく、握手をしましょう。

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月12日 (木)

中原中也・春の詩コレクション15/正午 丸ビル風景

正 午

 丸ビル風景

 

ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

月給取(げっきゅうとり)の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振って

あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口

空はひろびろ薄曇(うすぐも)り、薄曇り、埃(ほこ)りも少々立っている

ひょんな眼付(めつき)で見上げても、眼を落としても……

なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな

ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口

空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月11日 (水)

中原中也・春の詩コレクション14/月の光 その二

月の光 その二

 

おおチルシスとアマントが

庭に出て来て遊んでる

 

ほんに今夜は春の宵(よい)

なまあったかい靄(もや)もある

 

月の光に照らされて

庭のベンチの上にいる

 

ギタアがそばにはあるけれど

いっこう弾き出しそうもない

 

芝生のむこうは森でして

とても黒々しています

 

おおチルシスとアマントが

こそこそ話している間

 

森の中では死んだ子が

蛍のように蹲(しゃが)んでる

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年3月10日 (火)

中原中也・春の詩コレクション13/また来ん春……

また来ん春……

 

また来(こ)ん春と人は云(い)う

しかし私は辛いのだ

春が来たって何になろ

あの子が返って来るじゃない

 

おもえば今年の五月には

おまえを抱いて動物園

象を見せても猫(にゃあ)といい

鳥を見せても猫だった

 

最後に見せた鹿だけは

角によっぽど惹かれてか

何とも云わず 眺めてた

 

ほんにおまえもあの時は

此(こ)の世の光のただ中に

立って眺めていたっけが……

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月 9日 (月)

中原中也・春の詩コレクション12/わが半生

わが半生

 

私は随分苦労して来た。

それがどうした苦労であったか、

語ろうなぞとはつゆさえ思わぬ。

またその苦労が果して価値の

あったものかなかったものか、

そんなことなぞ考えてもみぬ。

 

とにかく私は苦労して来た。

苦労して来たことであった!

そして、今、此処(ここ)、机の前の、

自分を見出(みいだ)すばっかりだ。

じっと手を出し眺(なが)めるほどの

ことしか私は出来ないのだ。

 

   外では今宵(こよい)、木の葉がそよぐ。

   はるかな気持の、春の宵だ。

   そして私は、静かに死ぬる、

   坐ったまんまで、死んでゆくのだ。

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月 8日 (日)

中原中也・春の詩コレクション11/思い出

思い出

 

お天気の日の、海の沖は

なんと、あんなに綺麗なんだ!

お天気の日の、海の沖は

まるで、金や、銀ではないか

 

金や銀の沖の波に、

ひかれひかれて、岬の端に

やって来たれど金や銀は

なおもとおのき、沖で光った。

 

岬の端には煉瓦工場が、

工場の庭には煉瓦干されて、

煉瓦干されて赫々(あかあか)していた

しかも工場は、音とてなかった

 

煉瓦工場に、腰をば据えて、

私は暫(しばら)く煙草を吹かした。

煙草吹かしてぼんやりしてると、

沖の方では波が鳴ってた。

 

沖の方では波が鳴ろうと、

私はかまわずぼんやりしていた。

ぼんやりしてると頭も胸も

ポカポカポカポカ暖かだった

 

ポカポカポカポカ暖かだったよ

岬の工場は春の陽をうけ、

煉瓦工場は音とてもなく

裏の木立で鳥が啼いてた

 

鳥が啼いても煉瓦工場は、

ビクともしないでジッとしていた

鳥が啼いても煉瓦工場の、

窓の硝子は陽をうけていた

 

窓の硝子は陽をうけてても

ちっとも暖かそうではなかった

春のはじめのお天気の日の

岬の端の煉瓦工場よ!

 

*        *

    *        *

 

煉瓦工場は、その後廃(すた)れて、

煉瓦工場は、死んでしまった

煉瓦工場の、窓も硝子も、

今は毀(こわ)れていようというもの

 

煉瓦工場は、廃れて枯れて、

木立の前に、今もぼんやり

木立に鳥は、今も啼くけど

煉瓦工場は、朽ちてゆくだけ

 

沖の波は、今も鳴るけど

庭の土には、陽が照るけれど

煉瓦工場に、人夫は来ない

煉瓦工場に、僕も行かない

 

嘗(かつ)て煙を、吐いてた煙突も、

今はぶきみに、ただ立っている

雨の降る日は、殊にもぶきみ

晴れた日だとて、相当ぶきみ

 

相当ぶきみな、煙突でさえ

今じゃどうさえ、手出しも出来ず

この尨大(ぼうだい)な、古強者(ふるつわもの)が

時々恨む、その眼は怖い

 

その眼怖くて、今日も僕は

浜へ出て来て、石に腰掛け

ぼんやり俯(うつむ)き、案じていれば

僕の胸さえ、波を打つのだ

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月 7日 (土)

中原中也・春の詩コレクション10/閑 寂

閑 寂

 

なんにも訪(おとな)うことのない、

 私の心は閑寂(かんじゃく)だ。

 

  それは日曜日の渡り廊下、

   ――みんなは野原へ行っちゃった。

 

板は冷たい光沢(つや)をもち、

 小鳥は庭に啼いている。

 

  締めの足りない水道の、

   蛇口の滴(しずく)は、つと光り!

 

土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)

 空はきれいな四月です。

 

  なんにも訪(おとな)うことのない、

   私の心は閑寂だ。

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年3月 6日 (金)

中原中也・春の詩コレクション9/雲 雀

雲 雀

 

ひねもす空で鳴りますは

ああ 電線だ、電線だ

ひねもす空で啼(な)きますは

ああ 雲の子だ、雲雀奴(ひばりめ)だ

 

碧(あーお)い 碧い空の中

ぐるぐるぐると 潜りこみ

ピーチクチクと啼きますは

ああ 雲の子だ、雲雀奴だ

 

歩いてゆくのは菜の花畑

地平の方へ、地平の方へ

歩いてゆくのはあの山この山

あーおい あーおい空の下

 

眠っているのは、菜の花畑に

菜の花畑に、眠っているのは

菜の花畑で風に吹かれて

眠っているのは赤ん坊だ? 

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月 5日 (木)

中原中也・春の詩コレクション8/春と赤ン坊

春と赤ン坊

 

菜の花畑で眠っているのは……

菜の花畑で吹かれているのは……

赤ン坊ではないでしょうか?

 

いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です

ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です

菜の花畑に眠っているのは、赤ン坊ですけど

 

走ってゆくのは、自転車々々々

向(むこ)うの道を、走ってゆくのは

薄桃色(うすももいろ)の、風を切って……

 

薄桃色の、風を切って

走ってゆくのは菜の花畑や空の白雲(しろくも)

――赤ン坊を畑に置いて

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月 4日 (水)

中原中也・春の詩コレクション7/春の日の歌

春の日の歌

 

流(ながれ)よ、淡(あわ)き 嬌羞(きょうしゅう)よ、

ながれて ゆくか 空の国?

心も とおく 散らかりて、

エジプト煙草(たばこ) たちまよう。

 

流よ、冷たき 憂(うれ)い秘(ひ)め、

ながれて ゆくか 麓(ふもと)までも?

まだみぬ 顔の 不可思議(ふかしぎ)の

咽喉(のんど)の みえる あたりまで……

 

午睡(ごすい)の 夢の ふくよかに、

野原の 空の 空のうえ?

うわあ うわあと 涕(な)くなるか

 

黄色い 納屋(なや)や、白の倉、

水車の みえる 彼方(かなた)まで、

ながれ ながれて ゆくなるか?

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月 3日 (火)

中原中也・春の詩コレクション6/春

 

春は土と草とに新しい汗をかかせる。

その汗を乾かそうと、雲雀(ひばり)は空に隲(あが)る。

瓦屋根(かわらやね)今朝不平がない、

長い校舎から合唱(がっしょう)は空にあがる。

 

ああ、しずかだしずかだ。

めぐり来た、これが今年の私の春だ。

むかし私の胸摶(う)った希望は今日を、

厳(いか)めしい紺青(こあお)となって空から私に降りかかる。

 

そして私は呆気(ほうけ)てしまう、バカになってしまう

――薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?

薮(やぶ)かげの小川か銀か小波か?

 

大きい猫が頸ふりむけてぶきっちょに

一つの鈴をころばしている、

一つの鈴を、ころばして見ている。

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月 2日 (月)

中原中也・春の詩コレクション5/早春の風

早春の風

 

  きょう一日(ひとひ)また金の風

 大きい風には銀の鈴

きょう一日また金の風

 

  女王の冠さながらに

 卓(たく)の前には腰を掛け

かびろき窓にむかいます

 

  外(そと)吹く風は金の風

 大きい風には銀の鈴

きょう一日また金の風

 

  枯草(かれくさ)の音のかなしくて

 煙は空に身をすさび

日影たのしく身を嫋(なよ)ぶ

 

  鳶色(とびいろ)の土かおるれば

 物干竿(ものほしざお)は空に往(ゆ)き

登る坂道なごめども

 

  青き女(おみな)の顎(あぎと)かと

 岡に梢(こずえ)のとげとげし

今日一日また金の風……

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

2020年3月 1日 (日)

中原中也・春の詩コレクション4/春の思い出

春の思い出

 

摘み溜(た)めしれんげの華(はな)を

  夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば

立迷う春の暮靄(ぼあい)の

    土の上(へ)に叩きつけ

 

いまひとたびは未練で眺め

  さりげなく手を拍(たた)きつつ

路の上(へ)を走りてくれば

    (暮れのこる空よ!)

 

わが家(や)へと入りてみれば

  なごやかにうちまじりつつ

秋の日の夕陽の丘か炊煙(すいえん)か

    われを暈(くる)めかすもののあり

 

      古き代(よ)の富みし館(やかた)の

          カドリール ゆらゆるスカーツ

          カドリール ゆらゆるスカーツ

      何時(いつ)の日か絶(た)えんとはする カドリール!

 

 (「新編中原中也全集」第1巻・詩より。新かなに変えてあります。)

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