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2020年4月14日 (火)

中原中也・夜の詩コレクション14/羊の歌 安原喜弘に

羊の歌

        安原喜弘に

 

   Ⅰ 祈 り

 

死の時には私が仰向(あおむ)かんことを!

この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!

それよ、私は私が感じ得なかったことのために、

罰されて、死は来たるものと思うゆえ。

 

ああ、その時私の仰向かんことを!

せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!

 

   Ⅱ

 

思惑(おもわく)よ、汝(なんじ) 古く暗き気体よ、

わが裡(うち)より去れよかし!

われはや単純と静けき呟(つぶや)きと、

とまれ、清楚(せいそ)のほかを希(ねが)わず。

 

交際よ、汝陰鬱(いんうつ)なる汚濁(おじょく)の許容よ、

更(あらた)めてわれを目覚ますことなかれ!

われはや孤寂(こじゃく)に耐えんとす、

わが腕は既(すで)に無用の有(もの)に似たり。

 

汝、疑いとともに見開く眼(まなこ)よ

見開きたるままに暫(しば)しは動かぬ眼よ、

ああ、己(おのれ)の外(ほか)をあまりに信ずる心よ、

 

それよ思惑、汝 古く暗き空気よ、

わが裡より去れよかし去れよかし!

われはや、貧しきわが夢のほかに興(きょう)ぜず

 

   Ⅲ

 

  我が生は恐ろしい嵐のようであった、

  其処此処に時々陽の光も落ちたとはいえ。

          ボードレール

 

九歳の子供がありました

女の子供でありました

世界の空気が、彼女の有であるように

またそれは、凭(よ)っかかられるもののように

彼女は頸(くび)をかしげるのでした

私と話している時に。

 

私は炬燵(こたつ)にあたっていました

彼女は畳に坐っていました

冬の日の、珍(めずら)しくよい天気の午前

私の室には、陽がいっぱいでした

彼女が頸かしげると

彼女の耳朶(みみのは)陽に透(す)きました。

 

私を信頼しきって、安心しきって

かの女の心は密柑(みかん)の色に

そのやさしさは氾濫(はんらん)するなく、かといって

鹿のように縮かむこともありませんでした

私はすべての用件を忘れ

この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味(じゅくどくがんみ)しました。

 

   Ⅳ

 

さるにても、もろに佗(わび)しいわが心

夜(よ)な夜なは、下宿の室(へや)に独りいて

思いなき、思いを思う 単調の

つまし心の連弾(れんだん)よ……

 

汽車の笛(ふえ)聞こえもくれば

旅おもい、幼(おさな)き日をばおもうなり

いなよいなよ、幼き日をも旅をも思わず

旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……

 

思いなき、おもいを思うわが胸は

閉(と)ざされて、醺生(かびは)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ

しらけたる脣(くち)、乾きし頬(ほお)

酷薄(こくはく)の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……

 

これやこの、慣れしばかりに耐えもする

さびしさこそはせつなけれ、みずからは

それともしらず、ことように、たまさかに

ながる涙は、人恋(ひとこ)うる涙のそれにもはやあらず……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

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