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2020年5月

2020年5月31日 (日)

中原中也・夜の詩コレクション57/浮 浪

浮 浪

 

私は出て来た、

街に灯がともって

電車がとおってゆく。

今夜人通も多い。

 

私も歩いてゆく。

もうだいぶ冬らしくなって

人の心はせわしい。なんとなく

きらびやかで淋しい。

 

建物の上の深い空に

霧(きり)が黙ってただよっている。

一切合切(いっさいがっさい)が昔の元気で

拵(こしらえ)えた笑(えみ)をたたえている。

 

食べたいものもないし

行くとこもない。

停車場の水を撒(ま)いたホームが

……恋しい。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年5月30日 (土)

中原中也・夜の詩コレクション56/無 題

無 題

 

疲れた魂と心の上に、

訪れる夜が良夜(あたらよ)であった‥‥‥

そして額のはるか彼方(かなた)に、

私を看守(みまも)る小児(しょうに)があった‥‥‥

 

その小児は色白く、水草の青みに揺れた、

その瞼(まぶた)は赤く、その眼(まなこ)は恐れていた。

その小児が急にナイフで自殺すれば、

美しい唐縮緬(とうちりめん)が飛び出すのであった!

 

しかし何事も起ることなく、

良夜の闇は潤んでいた。

私は木の葉にとまった一匹の昆虫‥‥‥

それなのに私の心は悲しみで一杯だった。

 

額のつるつるした小さいお婆さんがいた、

その慈愛は小川の春の小波(さざなみ)だった。

けれども時としてお婆さんは怒りを愉(たの)しむことがあった。

そのお婆さんがいま死のうとしているのであった‥‥‥

 

神様は遠くにいた、

良夜の空気は動かなく、神様は遠くにいた。

私はお婆さんの過ぎた日にあったことをなるべく語ろうとしているのであった、

私はお婆さんの過ぎた日にあったことを、なるべく語ろうとしているのであった‥‥‥

 

(いかにお婆さん、怒りを愉しむことは好ましい!)

 

               (一九二七・八・二九)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年5月29日 (金)

中原中也・夜の詩コレクション55/夜寒の都会

夜寒の都会

 

外燈に誘出(さそいだ)された長い板塀(いたべい)、

人々は影を連れて歩く。

 

星の子供は声をかぎりに、

ただよう靄(もや)をコロイドとする。

 

亡国に来て元気になった、

この洟色(はないお)の目の婦(おんな)、

今夜こそ心もない、魂もない。

 

舗道の上には勇ましく、

黄銅の胸像が歩いて行った。

 

私は沈黙から紫がかった、

数箇の苺(いちご)を受けとった。

 

ガリラヤの湖にしたりながら、

天子は自分の胯(また)を裂いて、

ずたずたに甘えてすべてを呪った。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年5月28日 (木)

中原中也・夜の詩コレクション54/かの女

かの女

 

千の華燈(かとう)よりとおくはなれ、

笑める巷(ちまた)よりとおくはなれ、

露じめる夜のかぐろき空に、

かの女はうたう。

 

「月汞(げっこう)はなし、

低声(こごえ)誇りし男は死せり。

皮肉によりて瀆(けが)されたりし、

生よ歓喜よ!」かの女はうたう。

 

鬱悒(うつゆう)のほか訴うるなき、

翁(おきな)よいましかの女を抱け。                                  

自覚なかりしことによりて、

 

いたましかりし純美の心よ。

かの女よ憔(じ)らせ、狂い、踊れ、

汝(なれ)こそはげに、太陽となる!

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年5月27日 (水)

中原中也・夜の詩コレクション53/或る心の一季節 ――散文詩

或る心の一季節

――散文詩          

 

 最早(もはや)、あらゆるものが目を覚ました、黎明(れいめい)は来た。私の心の中に住む幾多のフェアリー達は、朝露の傍(そば)では草の葉っぱのすがすがしい線を描いた。

 私は過去の夢を訝(いぶか)しげな眼で見返る………何故(ナニユエ)に夢であったかはまだ知らない。其処(そこ)に安座(あんざ)した大饒舌(だいじょうぜつ)で漸(ようや)く癒る程暑苦しい口腔(こうくう)を、又整頓を知らぬ口角を、樺色(かばいろ)の勝負部屋を、私は懐(なつか)しみを以(もっ)て心より胸にと汲(く)み出だす。だが次の瞬間に、私の心ははや、懐しみを棄てて慈(いつく)しみに変っている。これは如何(どう)したことだ?………けれども、私の心に今は残像に過ぎない、大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔、整頓を知らぬ口角、樺色の勝負部屋……それ等の上にも、幸いあれ!幸いあれ!

 併(しか)し此(こ)の願いは、卑屈(ひくつ)な生活の中では「ああ昇天は私に涙である」という、計(はか)らない、素気(すげ)なき呟(つぶや)きとなって出て来るのみだ。それは何故(なぜ)か?

 

 私の過去の環境が、私に強請(きょうせい)した誤れる持物は、釈放さるべきアルコールの朝(アシタ)の海を昨日得ている。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈(はず)の天使はまだ私の黄色の糜爛(びらん)の病床に来ては呉(く)れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸(うめ)きは今や美(うる)わしく強き血漿(けっしょう)であるに、その最も親わしき友にも了解されずにいる。………

 私はそれが苦しい。――「私は過去の夢を訝しげな眼で見返る………何故に夢であったかはまだ知らない。其処に安座した大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔を、又整頓を知らぬ口角を、樺色の勝負部屋を、私は懐しみを以て心より胸にと汲み出す」――さればこそ私は恥辱を忘れることによっての自由を求めた。

 友よ、それを徒(いたず)らな天真爛漫と見過(みあやま)るな。

 だが、その自由の不快を、私は私の唯一つの仕事である散歩を、終日した後、やがてのこと己が机の前に帰って来、夜の一点を囲う生暖き部屋に、投げ出された自分の手足を見懸ける時に、泌々(しみじみ)知る。掛け置いた私の置時計の一秒々々の音に、茫然(ぼうぜん)耳をかしながら私は私の過去の要求の買い集めた書物の重なりに目を呉れる、又私の燈(ともしび)に向って瞼(まぶた)を見据える。

 間もなく、疲労が軽く意識され始めるや、私は今日一日の巫戲(ふざ)けた自分の行蹟(ぎょうせき)の数々が、赤面と後悔を伴って私の心に蘇るのを感ずる。――まあ其処にある俺は、哄笑(こうしょう)と落胆との取留(とりとめ)なき混交(こんこう)の放射体ではなかったか!――だが併(しか)し、私のした私らしくない事も如何(いか)にか私の意図したことになってるのは不思議だ………「私の過去の環境が、私に強請した誤れる私の持物は、釈放さるべきアルコールの朝(アシタ)の海を昨日得ている。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈の天使はまだ私の黄色の糜爛の病床に来ては呉れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸きは今や美わしく強き血漿であるに、その最も親わしき友にも了解されずにいる」………そうだ、焦点の明確でないこと以外に、私は私に欠点を見出すことはもう出来ない。

 

 私は友を訪れることを避けた。そして砂埃の立ち上がり巻き返る広場の縁をすぐって歩いた。

 今日もそれをした。そして今もう夜中が来ている。終列車を当てに停車場の待合室にチョコンと坐っている自分自身である。此所から二里近く離れた私の住居である一室は、夜空の下に細い赤い口をして待っているように思える――

 私は夜、眠いリノリュームの、停車場の待合室では、沸き返る一抱きの蒸気釜を要求した。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年5月26日 (火)

中原中也・夜の詩コレクション52/涙 語

涙 語

 

まずいビフテキ

寒い夜

澱粉(でんぷん)過剰の胃にたいし

この明滅燈の分析的なこと!

 

あれあの星というものは

地球と人との様(さま)により

新古自在(しんこじざい)に見えるもの

 

とおい昔の星だって

いまの私になじめばよい

 

私の意志の尽きるまで

あれはああして待ってるつもり

 

私はそれをよく知ってるが

遂々のとこははむかっても

ここのところを親しめば

神様への奉仕となるばかりの

愛でもがそこですまされるというもの

 

この生活の肩掛(かたかけ)や

この生活の相談が

みんな私に叛(そむ)きます

なんと藁紙(わらがみ)の熟考よ

 

私はそれを悲しみます

それでも明日は元気です

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年5月25日 (月)

中原中也・夜の詩コレクション51/(何と物酷いのです)

(何と物酷いのです)

 

何と物酷(ものすご)いのです

此(こ)の夜の海は

――天才の眉毛(まゆげ)――

いくら原稿が売れなくとも

燈台番(とうだいばん)にはなり給(たま)うな

 

あの白ッ、黒い空の空――

卓の上がせめてもです

読書くらい障(さまた)げられても好いが

書くだけは許してください

 

実質ばかりの世の中は淋しかろうが

あまりにプロパガンダプロパガンダ……

だから御覧なさい

あんなに空は白黒(しろぐろ)くとも

あんなに海は黒くとも

そして――岩、岩、岩

だが中間が空虚です

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年5月24日 (日)

中原中也・夜の詩コレクション50/ダダ音楽の歌詞

ダダ音楽の歌詞

 

ウワキはハミガキ

ウワバミはウロコ

太陽が落ちて

太陽の世界が始った

 

テッポーは戸袋

ヒョータンはキンチャク

太陽が上って

夜の世界が始った

 

オハグロは妖怪

下痢はトブクロ

レイメイと日暮が直径を描いて

ダダの世界が始った

 

(それを釈迦(しゃか)が眺めて

それをキリストが感心する)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年5月23日 (土)

中原中也・夜の詩コレクション49/初夏の夜に

初夏の夜に

 

オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か――

死んだ子供等(こどもら)は、彼(あ)の世の磧(かわら)から、此(こ)の世の僕等(ぼくら)を看守(みまも)ってるんだ。

彼の世の磧は何時(いつ)でも初夏の夜、どうしても僕はそう想(おも)えるんだ。

行こうとしたって、行かれはしないが、あんまり遠くでもなさそうじゃないか。

窓の彼方の、笹藪(ささやぶ)の此方(こちら)の、月のない初夏の宵(よい)の、空間……其処(そこ)に、

死児等(しじら)は茫然(ぼうぜん)、佇(たたず)み僕等を見てるが、何にも咎(とが)めはしない。

罪のない奴等(やつら)が、咎めもせぬから、こっちは尚更(なおさら)、辛(つら)いこった。

いっそほんとは、奴等に棒を与え、なぐって貰(もら)いたいくらいのもんだ。

それにしてもだ、奴等の中にも、十歳もいれば、三歳もいる。

奴等の間にも、競走心が、あるかどうか僕は全然知らぬが、

あるとしたらだ、何(いず)れにしてもが、やさしい奴等のことではあっても、

三歳の奴等は、十歳の奴等より、たしかに可哀想(かわいそう)と僕は思う。

なにさま暗い、あの世の磧の、ことであるから小さい奴等は、

大きい奴等の、腕の下をば、すりぬけてどうにか、遊ぶとは想うけれど、

それにしてもが、三歳の奴等は、十歳の奴等より、可哀想だ……

――オヤ、蚊が鳴いてる、またもう夏か……

 

               (一九三七・五・一四)

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月21日 (木)

中原中也・夜の詩コレクション48/道化の臨終(Etude Dadaistique)

道化の臨終(Etude Dadaistique

 

   序 曲

 

君ら想(おも)わないか、夜毎(よごと)何処(どこ)かの海の沖に、

火を吹く龍(りゅう)がいるかもしれぬと。

君ら想わないか、曠野(こうや)の果(はて)に、

夜毎姉妹の灯ともしていると。

 

君等想わないか、永遠の夜(よる)の浪、

其処(そこ)に泣く無形(むぎょう)の生物(いきもの)、

其処に見開く無形の瞳、

かの、かにかくに底の底……

 

心をゆすり、ときめかし、

嗚咽(おえつ)・哄笑一時(こうしょういっとき)に、肝(きも)に銘(めい)じて到(いた)るもの、

清浄(しょうじょう)こよなき漆黒(しっこく)のもの、

暖(だん)を忘れぬ紺碧(こんぺき)を……

 

     *       *

         *

 

空の下(もと)には 池があった。

その池の めぐりに花は 咲きゆらぎ、

空はかおりと はるけくて、

今年も春は 土肥(つちこ)やし、

雲雀(ひばり)は空に 舞いのぼり、

小児(しょうに)が池に 落っこった。

小児は池に仰向(あおむ)けに、

池の縁(ふち)をば 枕にて、

あわあわあわと 吃驚(びっくり)し、

空もみないで 泣きだした。

 

僕の心は 残酷(ざんこく)な、

僕の心は 優婉(ゆうえん)な、

僕の心は 優婉な、

僕の心は 残酷な、

涙も流さず 僕は泣き、

空に旋毛(つむじ)を 見せながら、

紫色に 泣きまする。

 

僕には何も 云(い)われない。

発言不能の 境界に、

僕は日も夜も 肘(ひじ)ついて、

僕は砂粒(すなつぶ)に 照る日影だの、

風に揺られる 雑草を、

ジッと瞶(みつ)めて おりました。

 

どうぞ皆さん僕という、

はてなくやさしい 痴呆症(ちほうしょう)、

抑揚(よくよう)の神の 母無(おやな)し子、

岬の浜の 不死身貝(ふじみがい)、

そのほか色々 名はあれど、

命題・反対命題の、

能(あた)うかぎりの 止揚場(しようじょう)、

天(あめ)が下(した)なる 「衛生無害」、

昔ながらの薔薇(ばら)の花、

ばかげたものでも ござりましょうが、

大目(おおめ)にあずかる 為体(ていたらく)。

 

かく申しまする 所以(ゆえん)のものは、

泣くも笑うも 朝露(あさつゆ)の命、

星のうちなる 星の星……

砂のうちなる 砂の砂……

どうやら舌は 縺(もつ)れまするが、

浮くも沈むも 波間の瓢(ひさご)、

格別何も いりませぬ故(ゆえ)、

笛のうちなる 笛の笛、

――次第(しだい)に舌は 縺れてまいる――

至上至福(しじょうしふく)の 臨終(いまわ)の時を、

いやいや なんといおうかい、

一番お世話になりながら、

一番忘れていられるもの……

あの あれを……といって、

それでは誰方(どなた)も お分りがない……

では 忘恩(ぼうおん)悔(く)ゆる涙とか?

ええまあ それでもござりまするが……

では――

えイ、じれったや

これやこの、ゆくもかえるも

別れては、消ゆる移(うつ)り香(か)、

追いまわし、くたびれて、

秋の夜更(よふけ)に 目が覚めて、

天井板の 木理(もくめ)みて、

あなやと叫び 呆然(ぼうぜん)と……

さて われに返りはするものの、

野辺(のべ)の草葉に 盗賊の、

疲れて眠る その腰に、

隠元豆(いんげんまめ)の 刀あり、

これやこの 切れるぞえ、

と 戸の面(おもて)、丹下左膳(たんげさぜん)がこっち向き、

――狂った心としたことが、

何を云い出すことじゃやら……

さわさりながら さらばとて、

正気の構えを とりもどし、

人よ汝(いまし)が「永遠」を、

恋することのなかりせば、

シネマみたとてドッコイショのショ、

ダンスしたとてドッコイショのショ。

なぞと云ったら 笑われて、

ささも聴いては 貰(もら)えない、

さればわれ、明日は死ぬ身の、

今茲(ここ)に 不得要領……

かにかくに 書付(かきつ)けましたる、

ほんのこれ、心の片端(はしくれ)、

不備の点 恕(ゆる)され給(たま)いて、

希(ねが)わくは お道化(どけ)お道化て、

ながらえし 小者(こもの)にはあれ、

冥福(めいふく)の 多かれかしと、

神にはも 祈らせ給え。

 

               (一九三四・六・二)

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月20日 (水)

中原中也・夜の詩コレクション47/子守唄よ

子守唄よ

 

母親はひと晩じゅう、子守唄(こもりうた)をうたう

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

然(しか)しその声は、どうなるのだろう?

たしかにその声は、海越えてゆくだろう?

暗い海を、船もいる夜の海を

そして、その声を聴届(ききとど)けるのは誰だろう?

それは誰か、いるにはいると思うけれど

しかしその声は、途中で消えはしないだろうか?

たとえ浪は荒くはなくともたとえ風はひどくはなくとも

その声は、途中で消えはしないだろうか?

 

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう

淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だろう?

淋しい人の世の中に、それを聴くのは誰だろう?

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月19日 (火)

中原中也・夜の詩コレクション46/道修山夜曲

道修山夜曲

 

星の降るよな夜(よる)でした

松の林のその中に、

僕は蹲(しゃが)んでおりました。

 

星の明りに照らされて

折(おり)しも通るあの汽車は、

今夜何処(どこ)までゆくのやら。

 

松には今夜風もなく

土はジットリ湿ってる。

遠く近くの笹の葉も

しずもりかえっているばかり。

 

星の降るよな夜でした、

松の林のその中に

僕は蹲んでおりました。

 

          ――一九三七、二、二――

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月18日 (月)

中原中也・夜の詩コレクション45/聞こえぬ悲鳴

聞こえぬ悲鳴

 

悲しい 夜更(よふけ)が 訪(おとず)れて

菫(すみれ)の 花が 腐れる 時に

神様 僕は 何を想出(おもいだ)したらよいんでしょ?

痩せた 大きな 露西亜(ロシア)の婦(おんな)?

 

彼女の 手ですか? それとも横顔?

それとも ぼやけた フイルム ですか?

それとも前世紀の 海の夜明け?

ああ 悲しい! 悲しい……

 

神様 あんまり これでは 悲しい

疲れ 疲れた 僕の心に……                                                            

いったい 何が 想い出せましょ?

悲しい 夜更は 腐った花弁(はなびら)――

   噛(か)んでも 噛んでも 歯跡もつかぬ

   それで いつまで 噛んではいたら

   しらじらじらと 夜は明けた

 

               ――一九三五、四――

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月17日 (日)

中原中也・夜の詩コレクション44/或る夜の幻想(1・3)

或る夜の幻想(1・3)

 

1 彼女の部屋

 

彼女には

美しい洋服箪笥(ようふくだんす)があった

その箪笥は

かわたれどきの色をしていた

 

彼女には

書物や

其(そ)の他(ほか)色々のものもあった

が、どれもその箪笥(たんす)に比べては美しくもなかったので

彼女の部屋には箪笥だけがあった

 

  それで洋服箪笥の中は

  本でいっぱいだった

 

3 彼 女

 

野原の一隅(ひとすみ)には杉林があった。

なかの一本がわけても聳(そび)えていた。

 

或(あ)る日彼女はそれにのぼった。

下りて来るのは大変なことだった。

 

それでも彼女は、媚態(びたい)を棄てなかった。

一つ一つの挙動(きょどう)は、まことみごとなうねりであった。

 

  夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、

  背中にあった。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月16日 (土)

中原中也・夜の詩コレクション43/夢

 

一夜(ひとよ) 鉄扉(かねど)の 隙(すき)より 見れば、

 海は轟(とどろ)き、浪(なみ)は 躍(おど)り、

私の 髪毛(かみげ)の なびくが ままに、

 炎は 揺れた、炎は 消えた。

 

私は その燭(ひ)の 消(き)ゆるが 直前(まえ)に

 黒い 浪間に 小児と 母の、

白い 腕(かいな)の 踠(もが)けるを 見た。

 その きえぎえの 声さえ 聞いた。

 

一夜 鉄扉の 隙より 見れば、

 海は 轟き、浪は 躍り、

私の 髪毛の なびくが ままに、

 炎は 揺れた、炎は 消えた。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月15日 (金)

中原中也・夜の詩コレクション42/白紙(ブランク)

白紙(ブランク)

 

書物は、書物の在(あ)る処(ところ)。

インキは、インキの在る処。

 

   私は、何にも驚かぬ。

   却(かえっ)て、物が私に驚く。

 

私はもはや、眠くはならぬ。 

私の背後に、夜空は彳(た)ってる。

 

   書物は、書物の在る処。

   インキは、インキの在る処。

 

しずかに、しずかに、夜はくだち、                   

得知れぬ、悩みに、私は眠らぬ。                       

 

   書物は、書物の在る処。

   インキは、インキの在る処。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月14日 (木)

中原中也・夜の詩コレクション41/深更

深 更

 

あああ、こんなに、疲れてしまった……

――しずかに、夜(よる)の、沈黙(しじま)の中に、

揺(ゆ)るとしもないカーテンの前――

煙草(たばこ)喫うより能もないのだ。

 

揺るとしもないカーテンの前、

過ぎにし月日の記憶も失(う)せて、

都会も眠る、この夜(よ)さ一(ひ)と夜(よ)、

我や、覚めたる……動かぬ心!

 

机の上なる、物々(ものもの)の影、

覚めたるわが目に、うつるは汝等(なれら)か?

我や、汝等を、見るにもあらぬに、

机の上なる、物々の影。

 

おもわせぶりなる、それな姿態(したい)や、

これな、かなしいわが身のはてや、

夜空は、暗く、霧(けむ)りて、高く、

時計の、音のみ、沈黙(しじま)を破り。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

中原中也・夜の詩コレクション41/深更

深 更

 

あああ、こんなに、疲れてしまった……

――しずかに、夜(よる)の、沈黙(しじま)の中に、

揺(ゆ)るとしもないカーテンの前――

煙草(たばこ)喫うより能もないのだ。

 

揺るとしもないカーテンの前、

過ぎにし月日の記憶も失(う)せて、

都会も眠る、この夜(よ)さ一(ひ)と夜(よ)、

我や、覚めたる……動かぬ心!

 

机の上なる、物々(ものもの)の影、

覚めたるわが目に、うつるは汝等(なれら)か?

我や、汝等を、見るにもあらぬに、

机の上なる、物々の影。

 

おもわせぶりなる、それな姿態(したい)や、

これな、かなしいわが身のはてや、

夜空は、暗く、霧(けむ)りて、高く、

時計の、音のみ、沈黙(しじま)を破り。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

中原中也・夜の詩コレクション41/深更

深 更

 

あああ、こんなに、疲れてしまった……

――しずかに、夜(よる)の、沈黙(しじま)の中に、

揺(ゆ)るとしもないカーテンの前――

煙草(たばこ)喫うより能もないのだ。

 

揺るとしもないカーテンの前、

過ぎにし月日の記憶も失(う)せて、

都会も眠る、この夜(よ)さ一(ひ)と夜(よ)、

我や、覚めたる……動かぬ心!

 

机の上なる、物々(ものもの)の影、

覚めたるわが目に、うつるは汝等(なれら)か?

我や、汝等を、見るにもあらぬに、

机の上なる、物々の影。

 

おもわせぶりなる、それな姿態(したい)や、

これな、かなしいわが身のはてや、

夜空は、暗く、霧(けむ)りて、高く、

時計の、音のみ、沈黙(しじま)を破り。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月13日 (水)

中原中也・夜の詩コレクション40/夜更け

夜更け

 

夜が更(ふ)けて帰ってくると、

丘の方でチャルメラの音が……

 

        夜が更けて帰って来ても、

        電車はまだある。

 

……かくて私はこの冬も

夜毎(よごと)を飲んで更かすならいか……

 

        こうした性(さが)を悲しんだ

        父こそ今は世になくて、

 

夜が更けて帰って来ると、

丘の方でチャルメラの音が……

 

        電車はまだある、

        夜は更ける……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月11日 (月)

中原中也・夜の詩コレクション39/我が祈り 小林秀雄に

我が祈り

   小林秀雄に

 

神よ、私は俗人(ぞくじん)の奸策(かんさく)ともない奸策が

いかに細き糸目(いとめ)もて編(あ)みなされるかを知っております。

神よ、しかしそれがよく編みなされていればいる程、

破れる時には却(かえっ)て速(すみや)かに乱離(らんり)することを知っております。

 

神よ、私は人の世の事象が

いかに微細(びさい)に織(お)られるかを心理的にも知っております。

しかし私はそれらのことを、

一も知らないかの如(ごと)く生きております。

 

私は此所(ここ)に立っております!………

私はもはや歌おうとも叫ぼうとも、

描こうとも説明しようとも致しません!

 

しかし、噫(ああ)! やがてお恵みが下ります時には、

やさしくうつくしい夜の歌と

櫂歌(かいうた)とをうたおうと思っております………

 

               一九二九、一二、一二

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月10日 (日)

中原中也・夜の詩コレクション38/暗い天候(二・三)

暗い天候(二・三)

 

 

こんなにフケが落ちる、

秋の夜に、雨の音は

トタン屋根の上でしている……

お道化(どけ)ているな――

しかしあんまり哀しすぎる。

 

犬が吠える、虫が鳴く、

畜生(ちくしょう)! おまえ達には社交界も世間も、

ないだろ。着物一枚持たずに、

俺も生きてみたいんだよ。

 

吠えるなら吠えろ、

鳴くなら鳴け、

目に涙を湛(たた)えて俺は仰臥(ぎょうが)さ。

さて、俺は何時(いつ)死ぬるのか、明日(あした)か明後日(あさって)か……

――やい、豚、寝ろ!

 

こんなにフケが落ちる、

秋の夜に、雨の音は

トタン屋根の上でしている。

なんだかお道化ているな

しかしあんまり哀しすぎる。

 

 

この穢(けが)れた涙に汚れて、

今日も一日、過ごしたんだ。

 

暗い冬の日が梁(はり)や壁を搾(し)めつけるように、

私も搾められているんだ。

 

赤ン坊の泣声や、おひきずりの靴の音や、

昆布や烏賊(するめ)や洟紙(はながみ)や首巻や、

 

みんなみんな、街道沿(かいどうぞ)いの電線の方へ

荷馬車の音も耳に入らずに、舞い颺(あが)り舞い颺り

 

吁(ああ)! はたして昨日が晴日(おてんき)であったかどうかも、

私は思い出せないのであった。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月 8日 (金)

中原中也・夜の詩コレクション37/蛙 声

蛙 声

 

天は地を蓋(おお)い、

そして、地には偶々(たまたま)池がある。

その池で今夜一(ひ)と夜(よ)さ蛙は鳴く……

――あれは、何を鳴いてるのであろう?

 

その声は、空より来(きた)り、

空へと去るのであろう?

天は地を蓋い、

そして蛙声(あせい)は水面に走る。

 

よし此(こ)の地方(くに)が湿潤(しつじゅん)に過ぎるとしても、

疲れたる我等(われら)が心のためには、

柱は猶(なお)、余りに乾いたものと感(おも)われ、

 

頭は重く、肩は凝(こ)るのだ。

さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、

その声は水面に走って暗雲(あんうん)に迫る。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月 7日 (木)

中原中也・夜の詩コレクション36/或る男の肖像

或る男の肖像

 

   1

 

洋行(ようこう)帰(がえ)りのその洒落者(しゃれもの)は、

齢をとっても髪に緑の油をつけてた。

 

夜毎(よごと)喫茶店にあらわれて、

其処(そこ)の主人と話している様はあわれげであった。

 

死んだと聞いてはいっそうあわれであった。

 

   2

 

      ――幻滅は鋼(はがね)のいろ。

 

髪毛の艶(つや)と、ランプの金との夕まぐれ

庭に向って、開け放たれた戸口から、

彼は戸外(そと)に出て行った。

 

剃(そ)りたての、頚条(うなじ)も手頸(てくび)も

どこもかしこもそわそわと、

寒かった。

 

開け放たれた戸口から

悔恨(かいこん)は、風と一緒に容赦(ようしゃ)なく

吹込(ふきこ)んでいた。

 

読書も、しんみりした恋も、

あたたかいお茶も黄昏の空とともに

風とともにもう其処にはなかった。

 

   3

 

彼女は

壁の中へ這入(はい)ってしまった。

それで彼は独り、

部屋で卓子(テーブル)を拭(ふ)いていた。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月 6日 (水)

中原中也・夜の詩コレクション35/月の光 その二

月の光 その二

 

おおチルシスとアマントが

庭に出て来て遊んでる

 

ほんに今夜は春の宵(よい)

なまあったかい靄(もや)もある

 

月の光に照らされて

庭のベンチの上にいる

 

ギタアがそばにはあるけれど

いっこう弾き出しそうもない

 

芝生のむこうは森でして

とても黒々しています

 

おおチルシスとアマントが

こそこそ話している間

 

森の中では死んだ子が

蛍のように蹲(しゃが)んでる

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月 5日 (火)

中原中也・夜の詩コレクション34/月の光 その一

月の光 その一

 

月の光が照っていた

月の光が照っていた

 

  お庭の隅の草叢(くさむら)に

  隠れているのは死んだ児(こ)だ

 

月の光が照っていた

月の光が照っていた

 

  おや、チルシスとアマントが

  芝生の上に出て来てる

 

ギタアを持っては来ているが

おっぽり出してあるばかり

 

  月の光が照っていた

  月の光が照っていた

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月 3日 (日)

中原中也・夜の詩コレクション33/月夜の浜辺

月夜の浜辺

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。

 

それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけでもないが

なぜだかそれを捨てるに忍びず

僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちていた。

 

それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけでもないが

   月に向ってそれは抛(ほう)れず

   浪に向ってそれは抛れず

僕はそれを、袂に入れた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

指先に沁(し)み、心に沁みた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

どうしてそれが、捨てられようか?

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月 2日 (土)

中原中也・夜の詩コレクション32/幻 影

幻 影

 

私の頭の中には、いつの頃からか、

薄命(はくめい)そうなピエロがひとり棲(す)んでいて、

それは、紗(しゃ)の服なんかを着込んで、

そして、月光を浴びているのでした。

 

ともすると、弱々しげな手付をして、

しきりと 手真似(てまね)をするのでしたが、

その意味が、ついぞ通じたためしはなく、

あわれげな 思いをさせるばっかりでした。

 

手真似につれては、唇(くち)も動かしているのでしたが、

古い影絵でも見ているよう――

音はちっともしないのですし、

何を云(い)ってるのかは 分りませんでした。

 

しろじろと身に月光を浴び、

あやしくもあかるい霧(きり)の中で、

かすかな姿態(したい)をゆるやかに動かしながら、

眼付(めつき)ばかりはどこまでも、やさしそうなのでした。

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

2020年5月 1日 (金)

中原中也・夜の詩コレクション31/一つのメルヘン

一つのメルヘン

 

秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、

小石ばかりの、河原があって、

それに陽は、さらさらと

さらさらと射しているのでありました。

 

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、

非常な個体の粉末のようで、

さればこそ、さらさらと

かすかな音を立ててもいるのでした。

 

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、

淡い、それでいてくっきりとした

影を落としているのでした。

 

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、

今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は

さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

 

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)

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