中原中也・夜の詩コレクション36/或る男の肖像
或る男の肖像
1
洋行(ようこう)帰(がえ)りのその洒落者(しゃれもの)は、
齢をとっても髪に緑の油をつけてた。
夜毎(よごと)喫茶店にあらわれて、
其処(そこ)の主人と話している様はあわれげであった。
死んだと聞いてはいっそうあわれであった。
2
――幻滅は鋼(はがね)のいろ。
髪毛の艶(つや)と、ランプの金との夕まぐれ
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外(そと)に出て行った。
剃(そ)りたての、頚条(うなじ)も手頸(てくび)も
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。
開け放たれた戸口から
悔恨(かいこん)は、風と一緒に容赦(ようしゃ)なく
吹込(ふきこ)んでいた。
読書も、しんみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏の空とともに
風とともにもう其処にはなかった。
3
彼女は
壁の中へ這入(はい)ってしまった。
それで彼は独り、
部屋で卓子(テーブル)を拭(ふ)いていた。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。新かなに変えてあります。)
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