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2020年7月

2020年7月31日 (金)

中原中也・夜の詩コレクション117/雨が降るぞえ――病棟挽歌

雨が降るぞえ

   ――病棟挽歌

 

雨が、降るぞえ、雨が、降る。

今宵は、雨が、降るぞえ、な。

俺はこうして、病院に、

しがねえ、暮しをしては、いる。

 

雨が、降るぞえ、雨が、降る。

今宵は、雨が、降るぞえ、な。

たんたら、らららら、らららら、ら、

今宵は、雨が、降るぞえ、な。

 

人の、声さえ、もうしない、

まっくらくらの、冬の、宵。

隣りの、牛も、もう寝たか、

ちっとも、藁(わら)のさ、音もせぬ。

 

と、何号かの病室で、

硝子戸(ガラスど)、開ける、音が、する。

空気を、換えると、いうじゃんか、

それとも、庭でも、見るじゃんか。

 

いや、そんなこと、分るけえ。

いずれ、侘(わび)しい、患者の、こと、

ただ、気まぐれと、いわば気まぐれ、

庭でも、見ると、いわばいうまで。

 

たんたら、らららら、雨が、降る。

たんたら、らららら、雨が、降る。

牛も、寝たよな、病院の、宵、

たんたら、らららら、雨が、降る。

 

(了)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

2020年7月30日 (木)

中原中也・夜の詩コレクション116/道修山夜曲

道修山夜曲

 

星の降るよな夜(よる)でした

松の林のその中に、

僕は蹲(しゃが)んでおりました。

 

星の明りに照らされて、

折(おり)しも通るあの汽車は

今夜何処(どこ)までゆくのやら。

 

松には今夜風もなく、

土はジットリ湿ってる。

遠く近くの笹の葉も、

しずもりかえっているばかり。

 

星の降るよな夜でした、

松の林のその中に

僕は蹲んでおりました。

 

(一九三七・二・二)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

2020年7月29日 (水)

中原中也・夜の詩コレクション115/夏の夜の博覧会はかなしからずや

夏の夜の博覧会はかなしからずや

 

夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

雨ちょと降りて、やがてもあがりぬ

夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

 

女房買物をなす間、かなしからずや

象の前に余と坊やとはいぬ

二人蹲(しゃが)んでいぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ

 

三人博覧会を出でぬかなしからずや

不忍(しのばず)ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ

 

そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりきかなしからずや、

髪毛風に吹かれつ

見てありぬ、見てありぬ、

それより手を引きて歩きて

広小路に出でぬ、かなしからずや

広小路にて玩具を買いぬ、兎の玩具かなしからずや

 

 

その日博覧会入りしばかりの刻(とき)は

なお明るく、昼の明(あかり)ありぬ、

 

われら三人(みたり)飛行機にのりぬ

例の廻旋する飛行機にのりぬ

 

飛行機の夕空にめぐれば、

四囲の燈光また夕空にめぐりぬ

 

夕空は、紺青(こんじょう)の色なりき

燈光は、貝釦(かいボタン)の色なりき

 

その時よ、坊や見てありぬ

その時よ、めぐる釦を

その時よ、坊やみてありぬ

その時よ、紺青の空!

 

(一九三六・一二・二四)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

2020年7月28日 (火)

中原中也・夜の詩コレクション114/暗い公園

暗い公園

             

雨を含んだ暗い空の中に

大きいポプラは聳(そそ)り立ち、

その天頂(てっぺん)は殆(ほと)んど空に消え入っていた。

 

六月の宵(よい)、風暖く、

公園の中に人気(ひとけ)はなかった。

私はその日、なお少年であった。

 

ポプラは暗い空に聳り立ち、

その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴っていた。

仰ぐにつけても、私の胸に、希望は鳴った。

 

今宵も私は故郷(ふるさと)の、その樹の下に立っている。

其(そ)の後十年、その樹にも私にも、

お話する程の変りはない。

 

けれど、ああ、何か、何か……変ったと思っている。

 

               (一九三六・一一・一七)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

2020年7月27日 (月)

中原中也・夜の詩コレクション113/断 片

中原中也・夜の詩コレクション113/断 片

 

断 片

 

(人と話が合うも合わぬも

所詮は血液型の問題ですよ)?……

 

恋人よ! たとえ私がどのように今晩おまえを思っていようと、また、おまえが私をどのように思っていようと、百年の後には思いばかりか、肉体さえもが影をもとどめず、そして、冬の夜(よる)には、やっぱり風が、煙突に咆(ほ)えるだろう……

おまえも私も、その時それを耳にすべくもないのだし……

 

そう思うと私は淋しくてたまらぬ

そう思うと私は淋しくてたまらぬ

 

勿論(もちろん)このような思いをすることが平常(いつも)ではないけれど、またこんなことを思ってみたところでどうなるものでもないとは思うけど、時々こうした淋しさは訪れて来て、もうどうしようもなくなるのだ……

 

(人と話が合うも合わぬも

所詮は血液型の問題ですよ)?……

 

そう云ってけろけろしている人はしてるもいい……

そう云ってけろけろしている人はしてるもいい……

 

人と話が合うも合わぬも、所詮は血液型の問題であって、だから合う人と合えばいい合わぬ人とは好加減(いいかげん)にしてればいい、と云ってけろけろ出来ればなんといいこったろう……

 

恋人よ! 今宵(こよい)煙突に風は咆(ほ)え、

僕は灯影(ほかげ)に坐っています

そして、考えたってしようのないことばかりが考えられて

耳ゴーと鳴って、柚子酸(ゆずす)ッぱいのです

 

そして、僕の唱える呪文(?)ときたら

笑っちゃ不可(いけ)ない、こんなものです

ラリルレロ、カキクケコ

ラリルレロ、カキクケコ

 

現にこういっている今から十年の前には、

あの男もいたしあの女もいた

今もう冥土に行ってしまって

その時それを悲しんだその母親も冥土に行った

もう十年にもなるからは

冥土にも相当お馴れであろうと

冗談さえ云いたい程だが

とてもそれはそうはいかぬ

十二年前の恰度(ちょうど)今夜

その男と火鉢を囲んで煙草を吸っていた

その煙草が今夜は私独りで吸っているゴールデンバットで、

ゴールデンバットと私とは猶(なお)存続してるに

あの男だけいないというのだから不思議でたまらぬ

勿論(もちろん)あの男が埋葬されたということは知ってるし

とまれ僕の気は慥(たし)かなんだ

だが、気が慥かということがまた考えようによっては、たまらないくらい悲しいことで

気が慥かでさえなかったならば、尠(すくな)くとも、僕程に気が慥かでさえなかったならば、こうまざまざとあの男をだって今夜此処(ここ)で思い出すわけはないのだし、思い出して、妙な気持(然り、妙な気持、だってもう、悲しい気持なぞということは通り越している)にならないでもすみそうだ

 

そして、

(人と話が合うも合わぬも

所詮は血液型の問題ですよ)と云って

僕も、万事都合ということだけを念頭に置いて

考えたって益にもならない、こんなことなぞを考えはしないで、尠くも今在るよりは裕福になっていたでもあろうと……

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

2020年7月26日 (日)

中原中也・夜の詩コレクション112/小唄二編

小唄二編

 

 

しののめの、

よるのうみにて

汽笛鳴る。

 

心よ

起きよ、

目を覚ませ。

 

しののめの、

よるのうみにて

汽笛なる。

 

象の目玉の、

汽笛鳴る。

 

 

僕は知ってる煙(けむ)が立つ

  三原山には煙が立つ

 

行ってみたではないけれど

  雪降りつもった朝(あした)には

 

寝床の中で呆然(ぼうぜん)と

  煙草くゆらし僕思う

 

三原山には煙が立つ

  三原山には煙が立つ

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月25日 (土)

中原中也・夜の詩コレクション111/一夜分の歴史

一夜分の歴史

 

その夜は雨が、泣くように降っていました。

瓦はバリバリ、煎餅かなんぞのように、

割れ易いものの音を立てていました。

梅の樹に溜った雨滴(しずく)は、風が襲(おそ)うと、

他の樹々のよりも荒っぽい音で、

庭土の上に落ちていました。

コーヒーに少し砂糖を多い目に入れ、

ゆっくりと掻き混ぜて、さてと私は飲むのでありました。

 

と、そのような一夜が在ったということ、

明らかにそれは私の境涯(きょうがい)の或る一頁(いちページ)であり、

それを記憶するものはただこの私だけであり、

その私も、やがては死んでゆくということ、

それは分り切ったことながら、また驚くべきことであり、

而(しか)も驚いたって何の足しにもならぬということ……

――雨は、泣くように降っていました。

梅の樹に溜った雨滴(しずく)は、他の樹々に溜ったのよりも、

風が吹くたび、荒っぽい音を立てて落ちていました。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月24日 (金)

中原中也・夜の詩コレクション110/夜半の嵐

夜半の嵐

 

松吹く風よ、寒い夜(よ)の

われや憂き世にながらえて

あどけなき、吾子(あこ)をしみればせぐくまる

おもいをするよ、今日このごろ。

 

人のなさけの冷たくて、

真(しん)はまことに響きなく……

松吹く風よ、寒い夜の

汝(なれ)より悲しきものはなし。

 

酔覚(よいざ)めの、寝覚めかなしくまずきこゆ

汝より悲しきものはなし。

口渇くとて起出でて

水をのみ、渇きとまるとみるほどに

吹き寄する風よ、寒い夜の

 

喀痰(かくたん)すれば唇(くち)寒く

また床(とこ)に入り耳にきく

夜半の嵐の、かなしさよ……

それ、死の期(とき)もかからまし

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月23日 (木)

中原中也・夜の詩コレクション109/雲った秋

雲った秋

 

 

或(あ)る日君は僕を見て嗤(わら)うだろう、

あんまり蒼(あお)い顔しているとて、

十一月の風に吹かれている、無花果(いちじく)の葉かなんかのようだ、

棄てられた犬のようだとて。

 

まことにそれはそのようであり、

犬よりもみじめであるかも知れぬのであり

僕自身時折はそのように思って

僕自身悲しんだことかも知れない

 

それなのに君はまた思い出すだろう

僕のいない時、僕のもう地上にいない日に、

あいつあの時あの道のあの箇所で

蒼い顔して、無花果の葉のように風に吹かれて、――冷たい午後だった――

 

しょんぼりとして、犬のように捨てられていたと。

 

 

猫が鳴いていた、みんなが寝静まると、

隣りの空地で、そこの暗がりで、

まことに緊密でゆったりと細い声で、

ゆったりと細い声で闇の中で鳴いていた。

 

あのようにゆったりと今宵一夜(ひとよ)を

鳴いて明そうというのであれば

さぞや緊密な心を抱いて

猫は生存しているのであろう……

 

あのように悲しげに憧れに充ちて

今宵ああして鳴いているのであれば

なんだか私の生きているということも

まんざら無意味ではなさそうに思える……

 

猫は空地の雑草の陰で、

多分は石ころを足に感じ

その冷たさを足に感じ、

霧の降る夜を鳴いていた――

 

 

君のそのパイプの、

汚れ方だの燋げ方だの、

僕はいやほどよく知ってるが、

気味の悪い程鮮明に、僕はそいつを知ってるのだが……

 

今宵ランプはポトホト燻(かが)り

君と僕との影は床(ゆか)に

或(ある)いは壁にぼんやりと落ち、

遠い電車の音は聞こえる

 

君のそのパイプの、

汚れ方だの焦げ方だの、

僕は実によく知ってるが、

それが永劫(えいごう)の時間の中では、どういうことになるのかねえ?――

 

    今宵私の命はかがり

    君と僕との命はかがり、

    僕等の命も煙草のように

    どんどん燃えてゆくとしきゃ思えない

 

まことに印象の鮮明ということ

我等の記臆、謂(い)わば我々の命の足跡が

あんまりまざまざとしているということは

いったいどういうことなのであろうか

 

    今宵ランプはポトホト燻り、

    君と僕との影は床に

    或いは壁にぼんやりと落ち、

    遠い電車の音は聞こえる

 

どうにも方途がつかない時は

諦めることが男々(おお)しいことになる

ところで方途が絶対につかないと

思われることは、まず皆無

 

    そこで命はポトホトかがり

    君と僕との命はかがり

    僕等の命も煙草のように

    どんどん燃えるとしきゃ思えない

 

コオロギガ、ナイテ、イマス

シュウシン ラッパガ、ナッテ、イマス

デンシャハ、マダマダ、ウゴイテ、イマス

クサキモ、ネムル、ウシミツドキデス

イイエ、マダデス、ウシミツドキハ

コレカラ、ニジカン、タッテカラデス

ソレデハ、ボーヤハ、マダオキテイテイイデスカ

イイエ、ボーヤハ、ハヤクネルノデス

ネテカラ、ソレカラ、オキテモイイデスカ

アサガキタナラ、オキテイイノデス

アサハ、ドーシテ、コサセルノデスカ

アサハ、アサノホーデ、ヤッテキマス

ドコカラ、ドーシテ、ヤッテクル、ノデスカ

オカオヲ、アラッテ、デテクル、ノデス

ソレハ、アシタノ、コトデスカ

ソレガ、アシタノ、アサノ、コトデス

イマハ、コオロギ、ナイテ、イマスネ

ソレカラ、ラッパモ、ナッテ、イマスネ

デンシャハ、マダマダ、ウゴイテ、イマス

ウシミツドキデハ、マダナイデスネ

オワリ

 

               (一九三五・一〇・五)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月22日 (水)

中原中也・夜の詩コレクション108/桑名の駅

桑名の駅

 

桑名の夜は暗かった

蛙がコロコロ鳴いていた

夜更の駅には駅長が

綺麗(きれい)な砂利を敷き詰めた

プラットホームに只(ただ)独り

ランプを持って立っていた

 

桑名の夜は暗かった

蛙がコロコロ泣いていた

焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは

此処(ここ)のことかと思ったから

駅長さんに訊(たず)ねたら

そうだと云って笑ってた

 

桑名の夜は暗かった

蛙がコロコロ鳴いていた

大雨の、霽(あが)ったばかりのその夜(よる)は

風もなければ暗かった

 

               (一九三五・八・一二)

               「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪

               間の不通のため、臨時関西線を運転す」

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月21日 (火)

中原中也・夜の詩コレクション107/大島行葵丸にて ――夜十時の出帆

大島行葵丸にて

      ――夜十時の出帆

 

 夜の海より僕(ぼか)唾(つば)吐いた

 ポイ と音(おと)して唾とんでった

 瞬間(しばし)浪間に唾白かったが

 じきに忽(たちま)ち見えなくなった

 

観音岬に燈台はひかり

ぐるりぐるりと射光(ひかり)は廻(まわ)った

僕はゆるりと星空見上げた

急に吾子(こども)が思い出された

 

 さだめし無事には暮らしちゃいようが

 凡(およ)そ理性の判ずる限りで

 無事でいるとは思ったけれど

 それでいてさえ気になった

 

               (一九三五・四・二四)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月20日 (月)

中原中也・夜の詩コレクション106/十二月(しわす)の幻想

十二月(しわす)の幻想

 

ウー……と、警笛が鳴ります、ウウウー……と、

皆さん、これは何かの前兆です、皆さん!

吃度(きっと)何かが起こります、夜の明け方に。

吃度何かが夜の明け方に、起こると僕は感じるのです

 

――いや、そんなことはあり得ない、決して。

そんなことはあり得ようわけがない。

それはもう、十分冷静に判断の付く所だ。

それはもう、実証的に云(い)ってそうなんだ……。

 

ところで天地の間には、

人目に付かぬ条件があって、

それを計上しない限りで、

諸君の意見は正しかろうと、

 

一夜彗星(すいせい)が現れるように

天変地異は起ります

そして恋人や、親や、兄弟から、

君は、離れてしまうのです、君は、離れてしまうのです

 

               (一九三五・四・二三)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月19日 (日)

中原中也・夜の詩コレクション105/月夜とポプラ

月夜とポプラ

 

木(こ)の下かげには幽霊がいる

その幽霊は、生れたばかりの

まだ翼(はね)弱いこうもりに似て、

而(しか)もそれが君の命を

やがては覘(ねら)おうと待構えている。

(木の下かげには、こうもりがいる。)

そのこうもりを君が捕って

殺してしまえばいいようなものの

それは、影だ、手にはとられぬ

而も時偶(ときたま)見えるに過ぎない。

僕はそれを捕ってやろうと、

長い歳月考えあぐんだ。

けれどもそれは遂(つい)に捕れない、

捕れないと分った今晩それは、

なんともかんともありありと見える――

 

               (一九三五・一・一一)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月18日 (土)

中原中也・夜の詩コレクション104/坊 や

坊 や

 

山に清水が流れるように

その陽の照った山の上の

硬い粘土の小さな溝を

山に清水が流れるように

 

何も解せぬ僕の赤子(ぼーや)は

今夜もこんなに寒い真夜中

硬い粘土の小さな溝を

流れる清水のように泣く

 

母親とては眠いので

目が覚めたとて構いはせぬ

赤子(ぼーや)は硬い粘土の溝を

流れる清水のように泣く

 

その陽の照った山の上の

硬い粘土の小さな溝を

さらさらさらと流れるように清水のように

寒い真夜中赤子(ぼーや)は泣くよ

 

               (一九三五・一・九)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月17日 (金)

中原中也・夜の詩コレクション103/誘蛾燈詠歌

誘蛾燈詠歌

 

ほのかにほのかに、ともっているのは

これは一つの誘蛾燈(ゆうがとう)、稲田の中に

秋の夜長のこの夜さ一と夜、ともっているのは

誘蛾燈、ひときわ明るみひときわくらく

銀河も流るるこの夜さ一と夜、稲田の此処(ここ)に

ともっているのは誘蛾燈、だあれも来ない

稲田の中に、ともっているのは誘蛾燈

たまたま此処に来合せた者が、見れば明るく

ひときわ明るく、これより明るいものとてもない

夕べ誰(た)が手がこれをば此処に、置きに来たのか知る由もない

銀河も流るる此の夜さ一と夜、此処にともるは誘蛾燈

 

 

と、つまり死なのです、死だけが解決なのです

それなのに人は子供を作り、子供を育て

ここもと此処(娑婆(しゃば))だけを一心に相手とするのです

却々(なかなか)義理堅いものともいえるし刹那的(せつなてき)とも考えられます

暗い暗い曠野(こうや)の中に、その一と所に灯(ともし)をばともして

ほのぼのと人は暮しをするのです、前後(あとさき)の思念もなく

扨(さて)ほのぼのと暮すその暮しの中に、皮肉もあれば意地悪もあり

虚栄もあれば衒(てら)い気もあるというのですから大したものです

ほのぼのと、此処だけ明るい光の中に、親と子とそのいとなみと

義理と人情と心労と希望とあるというのだからおおけなきものです

もともとはといえば終局の所は、案じあぐんでも分らない所から

此処は此処だけで一心になろうとしたものだかそれとも、

子供は子供で現に可愛いいから可愛がる、従って

その子はまたその子の子を可愛がるというふうになるうちに

入籍だの誕生の祝いだのと義理堅い制度や約束が生じたのか

その何れであるかは容易に分らず多分は後者の方であろうにしても

如何(いか)にも私如き男にはほのかにほのかに、ここばかり明(あか)る此の娑婆というものは

なにや分らずただいじらしく、夜べに聞く青年団の

喇叭(らっぱ)練習の音の往還(おうかん)に流れ消えゆくを

銀河思い合せて聞いてあるだに感じ強うて精一杯で

その上義務だのと云われてははや驚くのほかにすべなく

身を挙げて考えてのようやくのことが、

ほのぼのとほのぼのとここもと此処ばかり明る灯(ともし)ともして

人は案外義理堅く生活するということしか分らない

そして私は青年団練習の喇叭を聞いて思いそぞろになりながら

而(しか)も義理と人情との世のしきたりに引摺(ひきず)られつつびっくりしている

 

 

          あおによし奈良の都の……

 

それではもう、僕は青とともに心中しましょうわい

くれないだのイエローなどと、こちゃ知らんことだわい

流れ流れつ空をみて赤児の脣(くち)よりなお淡(あわ)く

空に浮かれて死んでゆこか、みなさんや

どうか助けて下されい、流れ流れる気持より

何も分らぬわたくしは、少しばかりは人様なみに

生きていたいが業(ごう)のはじまり、かにかくにちょっぴりと働いては

酒をのみ、何やらかなしく、これこのようにぬけぬけと

まだ生きておりまして、今宵小川に映る月しだれ柳や

いやもう難有(ありがと)って、耳ゴーと鳴って口きけませんだじゃい

 

 

          やまとやまと、やまとはくにのまほろば……

 

何云いなはるか、え? あんまり責めんといとくれやす

責めはったかてどないなるもんやなし、な

責めんといとくれやす、何も諛(へつら)いますのやないけど

あてこないな気持になるかて、あんたかて

こないな気持にならはることかてありますやろ、そやないか?

そらモダンもええどっしやろ、しかし柳腰(やなぎごし)もええもんどすえ?

 

          (ああ、そやないかァ)

          (ああ、そやないかァ)

   5 メルヘン

 

寒い寒い雪の曠野の中でありました

静御前(しずかごぜん)と金時(きんとき)は親子の仲でありました

すげ笠は女の首にはあまりに大きいものでありました

雪の中ではおむつもとりかえられず

吹雪は瓦斯(ガス)の光の色をしておりました

 

×

 

或るおぼろぬくい春の夜でありました

平(たいら)の忠度(ただのり)は桜の木の下に駒をとめました

かぶとは少しく重過ぎるのでありました

そばのいささ流れで頭の汗を洗いました、サテ

花や今宵の主(あるじ)ならまし

 

                     (一九三四・一二・一六)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月16日 (木)

中原中也・夜の詩コレクション102/星とピエロ

星とピエロ

 

何、あれはな、空に吊るした銀紙じゃよ             

こう、ボール紙を剪(き)って、それに銀紙を張る、

それを綱(あみ)か何かで、空に吊るし上げる、

するとそれが夜になって、空の奥であのように

光るのじゃ。分ったか、さもなけりゃ空にあんあものはないのじゃ

 

そりゃ学者共は、地球のほかにも地球があるなぞというが

そんなことはみんなウソじゃ、銀河系なぞというのもあれは

女共(おなごども)の帯に銀紙を擦(す)り付けたものに過ぎないのじゃ

ぞろぞろと、だらしもない、遠くの方じゃからええようなものの

じゃによって、俺(わし)なざあ、遠くの方はてんきりみんじゃて

 

               (一九三四・一二・一六)

 

見ればこそ腹も立つ、腹が立てば怒りとうなるわい

それを怒らいでジッと我慢しておれば、神秘だのとも云いたくなる

もともと神秘だのと云う連中(やつ)は、例の八ッ当りも出来ぬ弱虫じゃで

誰怒るすじもないとて、あんまり仕末(しまつ)がよすぎる程の輩(やから)どもが

あんなこと発明をしよったのじゃわい、分ったろう

 

分らなければまだ教えてくれる、空の星が銀紙じゃないというても

銀でないものが銀のように光りはせぬ、青光りがするってか

そりゃ青光りもするじゃろう、銀紙じゃから喃(のう)

向きによっては青光りすることもあるじゃ、いや遠いってか

遠いには正に遠いいが、そりゃ吊し上げる時綱を途方ものう長うしたからのことじゃ

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月14日 (火)

中原中也・夜の詩コレクション101/野卑時代

野卑時代

 

星は綺麗(きれい)と、誰でも云(い)うが、

それは大概、ウソでしょう

星を見る時、人はガッカリ

自分の卑少(ひしょう)を、思い出すのだ

 

星を見る時、愉快な人は

今時減多に、いるものでなく

星を見る時、愉快な人は

今時、孤独であるかもしれぬ

 

それよ、混迷、卑怯(ひきょう)に野卑(やひ)に

人々多忙のせいにてあれば

文明開化と人云うけれど

野蛮開発と僕は呼びます

 

勿論(もちろん)、これも一つの過程

何が出てくるかはしれないが

星を見る時、しかめつらして

僕も此の頃、生きてるのです

 

               (一九三四・一一・二九)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月13日 (月)

中原中也・夜の詩コレクション100/月下の告白 青山二郎に

月下の告白 青山二郎に

 

劃然(かくぜん)とした石の稜(りょう)

あばた面(づら)なる墓の石

虫鳴く秋の此(こ)の夜(よ)さ一と夜

月の光に明るい墓場に

エジプト遺蹟(いせき)もなんのその

いとちんまりと落居(おちい)てござる

この僕は、生きながらえて

此の先何を為すべきか

石に腰掛け考えたれど

とんと分らぬ、考えともない

足の許(もと)なる小石や砂の

月の光に一つ一つ

手にとるようにみゆるをみれば

さてもなつかしいたわししたし

さてもなつかしいたわししたし

 

               (一九三四・一〇・二〇)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月12日 (日)

中原中也・夜の詩コレクション99/秋岸清凉居士

秋岸清凉居士

 

消えていったのは、

あれはあやめの花じゃろか?

いいえいいえ、消えていったは、

あれはなんとかいう花の紫の莟(つぼ)みであったじゃろ

冬の来る夜に、省線の

遠音とともに消えていったは

あれはなんとかいう花の紫の莟みであったじゃろ

 

 

とある侘(わ)びしい踏切のほとり

草は生え、すすきは伸びて

その中に、

焼木杭(やけぼっくい)がありました

 

その木杭に、その木杭にですね、

月は光を灑(そそ)ぎました

 

木杭は、胡麻塩頭の塩辛声(しょっかれごえ)の、

武家の末裔(はて)でもありましょうか?

それとも汚ないソフトかぶった

老ルンペンででもありましょうか

 

風は繁みをさやがせもせず、

冥府(あのよ)の温風(ぬるかぜ)さながらに

繁みの前を素通りしました

 

繁みの葉ッパの一枚々々

伺うような目付して、

こっそり私を瞶(みつ)めていました

 

月は半月(はんかけ) 鋭く光り

でも何時(いつ)もより

可なり低きにあるようでした

 

虫は草葉の下で鳴き、

草葉くぐって私に聞こえ、

それから月へと昇るのでした

 

ほのぼのと、煙草吹かして懐(ふところ)で、

手を暖(あった)めてまるでもう

此処(ここ)が自分の家(うち)のよう

すっかりと落付きはらい路の上(へ)に

ヒラヒラと舞う小妖女(フェアリー)に

だまされもせず小妖女(ファアリー)を、

見て見ぬ振りでいましたが

やがてして、ガックリとばかり

口開(あ)いて背(うし)ろに倒れた

頸(うなじ) きれいなその男

秋岸清凉居士といい――僕の弟、

月の夜とても闇夜じゃとても

今は此の世に亡い男

 

今夜侘びしい踏切のほとり

腑抜(ふぬけ)さながら彳(た)ってるは

月下の僕か弟か

おおかた僕には違いないけど

死んで行ったは、

――あれはあやめの花じゃろか

いいえいいえ消えて行ったは、

あれはなんとかいう花の紫の莟じゃろ

冬の来る夜に、省線の

遠音とともに消えていったは

あれはなんとかいう花の紫の莟か知れず

あれは果されなかった憧憬に窒息しおった弟の

弟の魂かも知れず

はた君が果されぬ憧憬であるかも知れず

草々も虫の音も焼木杭も月もレールも、

いつの日か手の掌(ひら)で揉んだ紫の朝顔の花の様に

揉み合わされて悉皆(しっかい)くちゃくちゃになろうやもはかられず

今し月下に憩(やす)らえる秋岸清凉居士ばかり

歴然として一基の墓石

石の稜(りょう) 劃然(かくぜん)として

世紀も眠る此(こ)の夜(よ)さ一と夜

――虫が鳴くとははて面妖(めんよう)な

エジプト遺蹟(いせき)もかくまでならずと

首を捻(ひね)ってみたが何

ブラリブラリと歩き出したが

どっちにしたっておんなしことでい

さてあらたまって申上まするが

今は三年の昔の秋まで在世

その秋死んだ弟が私の弟で

今じゃ秋岸清凉居士と申しやす、ヘイ。

 

(一九三四・一〇・二〇夜)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月11日 (土)

中原中也・夜の詩コレクション98/咏嘆調

咏嘆調

 

悲しみは、何処(どこ)まででもつづく

蛮土の夜の、お祭りのように、その宵(よい)のように、

その夜更のように何処まででもつづく。

 

それは、夜と、湿気と、炬火(たいまつ)と、掻き傷と、

野と草と、遠いい森の灯のように、

頸(うなじ)をめぐり少しばかりの傷を負わせながら過ぎてゆく。

 

それは、まるで時間と同じものでもあるのだろうか?

胃の疲れ、肩の凝りのようなものであろうか、

いかな罪業のゆえであろうか

この駱駅(らくえき)とつづく悲しみの小さな小さな無数の群は。

 

それはボロ麻や、腓(はぎ)に吹く、夕べの風の族であろうか?

夕べ野道を急ぎゆく、漂白の民(たみ)であろうか?

何処までもつづく此(こ)の悲しみは、

はや頸を真ッ直ぐにして、ただ諦(あきら)めているほかはない。……

 

 

「夜は早く寝て、朝は早く起きる!」

――やるせない、この生計(なりわい)の宵々に、

煙草吹かして茫然(ぼうぜん)と、電燈(でんき)の傘を見てあれば、

昔、小学校の先生が、よく云(い)ったこの言葉

不思議に目覚め、あらためて、

「夜は早く寝て、朝は早く起きる!」と、

くちずさみ、さてギョッとして、

やがてただ、溜息(ためいき)を出すばかりなり。

 

「夜は早く寝て、朝は早く起きる!」

「夕空霽(は)れて、涼虫(すずむし)鳴く。」

「腰湯がすんだら、背戸(せど)の縁台にいらっしゃい。」

思い出してはがっかりとする、

これらの言葉の不思議な魅力。

いかなる故(ゆえ)にがっかりするのか、

はやそれさえも分りはしない。

 

「夜は早く寝て、朝は早く起きる!」

僕は早く起き、朝霧(あさぎり)よ、野に君を見なければならないだろうか。

小学校の先生よ、僕はあなたを思い出し、

あなたの言葉を思い出し、あなたの口調を、思い出しさえするけれど、

それら悔恨のように、僕の心に侵(し)み渡りはするけれど、

それはただ一抹の哀愁となるばかり、

意志とは何の、関係もないのでした……

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月10日 (金)

中原中也・夜の詩コレクション97/夜明け

夜明け

 

夜明けが来た。雀の声は生唾液(なまつばき)に似ていた。

水仙(すいせん)は雨に濡(ぬ)れていようか? 水滴を付けて耀(かがや)いていようか?

出て、それを見ようか? 人はまだ、誰も起きない。

鶏(にわとり)が、遠くの方で鳴いている。――あれは悲しいので鳴くのだろうか?

声を張上げて鳴いている。――井戸端(いどばた)はさぞや、睡気(ねむけ)にみちているであろう。

 

槽(おけ)は井戸蓋の上に、倒(さかし)まに置いてあるであろう。

御影石(みかげいし)の井戸側は、言問いたげであるだろう。

苔(こけ)は蔭(かげ)の方から、案外に明るい顔をしているだろう。

御影石は、雨に濡れて、顕心的(けんしんてき)であるだろう。

鶏(とり)の声がしている。遠くでしている。人のような声をしている。

 

おや、焚付(たきつけ)の音がしている。――起きたんだな――

新聞投込む音がする。牛乳車(ぐるま)の音がする。

《えー……今日はあれとあれとあれと……?………》

脣(くち)が力を持ってくる。おや、烏(からす)が鳴いて通る。

 

               (一九三四・四・二二)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月 9日 (木)

中原中也・夜の詩コレクション96/童 謡

童 謡

 

しののめの、

よるのうみにて

汽笛鳴る。

 

心よ

起きよ、

目を醒(さ)ませ。

 

しののめの、

よるのうみにて

汽笛鳴る、

 

象の目玉の、

汽笛鳴る。                                                                            

 

                    (一九三三・九・二二)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月 8日 (水)

中原中也・夜の詩コレクション95/夏の記臆

夏の記臆

 

温泉町のほの暗い町を、

僕は歩いていた、ひどく俯(うつむ)いて。

三味線(しゃみせん)の音や、女達の声や、

走馬燈(まわりどうろ)が目に残っている。

 

其処(そこ)は直(す)ぐそばに海もあるので、

夏の賑(にぎわ)いは甚(はなは)だしいものだった。

銃器を掃除したボロギレの親しさを、

汚れた襟(えり)に吹く、風の印象を受けた。

 

闇の夜は、海辺に出て、重油のような思いをしていた。

太っちょの、船頭の女房は、かねぶんのような声をしていた。

最初の晩は町中歩いて、歯ブラッシを買って、

宿に帰った。――暗い電気の下で寝た。

 

                (一九三三・八・二一)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。※原文の「かねぶん」には傍点がつけられてあり、” “で示しました。

2020年7月 7日 (火)

中原中也・夜の詩コレクション95/虫の声

虫の声

 

夜が更(ふ)けて、

一つの虫の声がある。

 

それはたしかに庭で鳴いたのだが、

鳴き了(おわ)るや、それは彼処(かしこ)野原で鳴いたようにもおもわれる。

 

此処(ここ)と思い、彼処と思い、

あやしげな思いに抱かれていると、

 

此処、庭の中からにこにことして、幽霊は立ち現われる。

よくみれば、慈しみぶかい年増婦(としま)の幽霊。

 

一陣の風は窓に起り、

幽霊は去る。

 

虫が鳴くのは、中原中也・夜の詩コレクション93/夏過けて、友よ、秋とはなりました

 

夏過けて、友よ、秋とはなりました

 

友達よ、僕が何処(どこ)にいたか知っているか?

僕は島にいた、島の小さな漁村にいた。

其処(そこ)で僕は散歩をしたり、舟で酒を呑(の)んだりしていた。

又沢山の詩も読んだ、何にも煩(わずら)わされないで。

 

時に僕はひどく退屈した、君達に会いたかった。

しかし君達との長々しい会合、その終りにはだれる会合、

飲みたくない酒を飲み、話したくないことを話す辛さを思い出して

僕は僕の惰弱な心を、ともかくもなんとか制(おさ)えていた。

 

それにしてもそんな時には勉強は出来なかった、散歩も出来なかった。

僕は酒場に出掛けた、青と赤との濁った酒場で、

僕はジンを呑んで、しまいにはテーブルに俯伏(うつぶ)していた。

 

或(あ)る夜は浜辺で舟に凭(すが)って、波に閃(きら)めく月を見ていた。

遠くの方の物凄い空。舟の傍(そば)では虫が鳴いていた。

思いきりのんびり夢をみていた。浪の音がまだ耳に残っている。

 

 

暗い庭で虫が鳴いている、雨気を含んだ風が吹いている。

茲(ここ)は僕の書斎だ、僕はまた帰って来ている。

島の夜が思い出される、いったいどうしたものか夏の旅は、

死者の思い出のように心に沁(し)みる、毎年々々、

 

秋が来て、今夜のように虫の鳴く夜は、

靄(もや)に乗って、死人は、地平の方から僕の窓の下まで来て、

不憫(ふびん)にも、顔を合わすことを羞(はず)かしがっているように思えてならぬ。

それにしても、死んだ者達は、あれはいったいどうしたのだろうか?

 

過ぎし夏よ、島の夜々よ、おまえは一種の血みどろな思い出、

それなのにそれはまた、すがすがしい懐かしい思い出、

印象は深く、それなのに実際なのかと、疑ってみたくなるような思い出、

わかっているのに今更のように、ほんとだったと驚く思い出!……

 

               (一九三三・八・二一)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月 6日 (月)

中原中也・夜の詩コレクション94/虫の声

虫の声

 

夜が更(ふ)けて、

一つの虫の声がある。

 

それはたしかに庭で鳴いたのだが、

鳴き了(おわ)るや、それは彼処(かしこ)野原で鳴いたようにもおもわれる。

 

此処(ここ)と思い、彼処と思い、

あやしげな思いに抱かれていると、

 

此処、庭の中からにこにことして、幽霊は立ち現われる。

よくみれば、慈しみぶかい年増婦(としま)の幽霊。

 

一陣の風は窓に起り、

幽霊は去る。

 

虫が鳴くのは、

彼処の野でだ。

 

          (一九三三・八・九)

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

2020年7月 5日 (日)

中原中也・夜の詩コレクション92/(宵の銀座は花束捧げ)

(宵の銀座は花束捧げ)

 

宵(よい)の銀座は花束捧(ささ)げ、

  舞うて踊って踊って舞うて、

我等(われら)東京市民の上に、

  今日は嬉(うれ)しい東京祭り

 

今宵(こよい)銀座のこの人混みを

  わけ往く心と心と心

我等東京住いの身には、

  何か誇りの、何かある。

 

心一つに、心と心

  寄って離れて離れて寄って、

今宵銀座のこのどよもしの

  ネオンライトもさんざめく

 

ネオンライトもさざめき笑えば、

  人のぞめきもひときわつのる

宵の銀座は花束捧げ、

  今日は嬉しい東京祭り

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月 4日 (土)

中原中也・夜の詩コレクション91/(とにもかくにも春である)

(とにもかくにも春である)

 

     ▲

此(こ)の年、三原山に、自殺する者多かりき。

 

 とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。花曇りの空は、その上にひろがって、何もかも、睡(ねむ)がっている。誰ももう、悩むことには馴れたので、黙って春を迎えている。おしろいの塗り方の拙(まず)い女も、クリーニングしないで仕舞っておいた春外套の男も、黙って春を迎え、春が春の方で勝手にやって来て、春が勝手に過ぎゆくのなら、桜よ咲け、陽も照れと、胃の悪いような口付をして、吊帯にぶる下っている。薔薇色(ばらいろ)の埃(ほこ)りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。乾からびはてた、羨望(せんぼう)のように、春は澱(よど)んでいる。

 

     ▲

 

          パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカー

          キシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ

 

十一時十五分、下関行終列車

窓から流れ出している燈光(ひかり)はあれはまるで涙じゃないか

送るもの送られるもの

みんな愉快げ笑っているが

 

旅という、我等の日々の生活に、

ともかくも区切りをつけるもの、一線を劃(かく)するものを

人は喜び、大人なお子供のようにはしゃぎ

嬉しいほどのあわれをさえ感ずるのだが、

 

めずらかの喜びと新鮮さのよろこびと、

まるで林檎(りんご)の一と山ででもあるように、

ゆるやかに重そうに汽車は運び出し、

やがてましぐらに走りゆくのだが、

 

淋しい夜(よる)の山の麓(ふもと)、長い鉄橋を過ぎた後に、

――来る曙(あけぼの)は胸に沁(し)み、眺に沁みて、

昨夜東京駅での光景は、

あれはほんとうであったろうか、幻ではなかったろうか。

 

     ▲

 

闇に梟(ふくろう)が鳴くということも

西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食い

我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、

みんなおんなしようなことなんだ

 

秋の夜、

僕は橋の上に行って梨を囓(かじ)った

夜の風が

歯茎にあたるのをこころよいことに思って

 

寒かった、

シャツの襟(えり)は垢(あか)じんでいた

寒かった、

月は河波に砕けていた

 

     ▲

 

          おお、父無し児、父無し児

 

 雨が降りそうで、風が凪(な)ぎ、風が出て、障子(しょうじ)が音を立て、大工達の働いている物音が遠くに聞こえ、夕闇は迫りつつあった。この寒天状の澱(よど)んだ気層の中に、すべての青春的事象は忌(いま)わしいものに思われた。

 落雁(らくがん)を法事の引物(ひきもの)にするという習慣をうべない、権柄的(けんぺいてき)気六ヶ敷(きむずかし)さを、去(い)にし秋の校庭に揺れていたコスモスのように思い出し、やがて忘れ、電燈をともさず一切構わず、人が不衛生となすものぐさの中に、僕は溺(おぼ)れペンはくずおれ、黄昏(たそがれ)に沈没して小児の頃の幻想にとりつかれていた。

 風は揺れ、茅(かや)はゆすれ、闇は、土は、いじらしくも怨(うら)めしいものであった。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

2020年7月 3日 (金)

中原中也・夜の詩コレクション90/Qu’est-ce que c’est?

Qu’est-ce que c’est?

 

蛙が鳴くことも、

月が空を泳ぐことも、

僕がこうして何時(いつ)まで立っていることも、

黒々と森が彼方(かなた)にあることも、

これはみんな暗がりでとある時出っくわす、

見知越(みしりご)しであるような初見であるような、

あの歯の抜けた妖婆(ようば)のように、

それはのっぴきならぬことでまた

逃れようと思えば何時(いつ)でも逃れていられる

そういうふうなことなんだ、ああそうだと思って、

坐臥常住(ざがじょうじゅう)の常識観に、

僕はすばらしい籐椅子(とういす)にでも倚(よ)っかかるように倚っかかり、

とにかくまず羞恥(しゅうち)の感を押鎮(おしし)ずめ、

ともかくも和やかに誰彼(だれかれ)のへだてなくお辞儀を致すことを覚え、

なに、平和にはやっているが、

蛙の声を聞く時は、

何かを僕はおもい出す。何か、何かを、

おもいだす。

 

Qu’est-ce que c’est?

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

2020年7月 2日 (木)

中原中也・夜の詩コレクション89/(蛙等が、どんなに鳴こうと)

(蛙等が、どんなに鳴こうと)

 

蛙等が、どんなに鳴こうと

月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、

僕はそれらを忘れたいものと思っている

もっと営々と、営々といとなみたいいとなみが

もっとどこかにあるというような気がしている。

 

月が、どんなに空の遊泳術に秀でていようと、

蛙等がどんなに鳴こうと、

僕は営々と、もっと営々と働きたいと思っている。

それが何の仕事か、どうしてみつけたものか、

僕はいっこうに知らないでいる

 

僕は蛙を聴き

月を見、月の前を過ぎる雲を見て、

僕は立っている、何時(いつ)までも立っている。

そして自分にも、何時(いつ)かは仕事が、

甲斐のある仕事があるだろうというような気持がしている。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

2020年7月 1日 (水)

中原中也・夜の詩コレクション88/(蛙等は月を見ない)

(蛙等は月を見ない)

 

蛙等は月を見ない

恐らく月の存在を知らない

彼等(かれら)は彼等同志暗い沼の上で

蛙同志いっせいに鳴いている。

 

月は彼等を知らない

恐らく彼等の存在を思ってみたこともない

月は緞子(どんす)の着物を着て

姿勢を正し、月は長嘯(ちょうしょう)に忙がしい。

 

月は雲にかくれ、月は雲をわけてあらわれ、

雲と雲とは離れ、雲と雲とは近づくものを、

僕はいる、此処(ここ)にいるのを、彼等は、

いっせいに、蛙等は蛙同志で鳴いている。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

 

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