中原中也・夜の詩コレクション98/咏嘆調
咏嘆調
悲しみは、何処(どこ)まででもつづく
蛮土の夜の、お祭りのように、その宵(よい)のように、
その夜更のように何処まででもつづく。
それは、夜と、湿気と、炬火(たいまつ)と、掻き傷と、
野と草と、遠いい森の灯のように、
頸(うなじ)をめぐり少しばかりの傷を負わせながら過ぎてゆく。
それは、まるで時間と同じものでもあるのだろうか?
胃の疲れ、肩の凝りのようなものであろうか、
いかな罪業のゆえであろうか
この駱駅(らくえき)とつづく悲しみの小さな小さな無数の群は。
それはボロ麻や、腓(はぎ)に吹く、夕べの風の族であろうか?
夕べ野道を急ぎゆく、漂白の民(たみ)であろうか?
何処までもつづく此(こ)の悲しみは、
はや頸を真ッ直ぐにして、ただ諦(あきら)めているほかはない。……
*
「夜は早く寝て、朝は早く起きる!」
――やるせない、この生計(なりわい)の宵々に、
煙草吹かして茫然(ぼうぜん)と、電燈(でんき)の傘を見てあれば、
昔、小学校の先生が、よく云(い)ったこの言葉
不思議に目覚め、あらためて、
「夜は早く寝て、朝は早く起きる!」と、
くちずさみ、さてギョッとして、
やがてただ、溜息(ためいき)を出すばかりなり。
「夜は早く寝て、朝は早く起きる!」
「夕空霽(は)れて、涼虫(すずむし)鳴く。」
「腰湯がすんだら、背戸(せど)の縁台にいらっしゃい。」
思い出してはがっかりとする、
これらの言葉の不思議な魅力。
いかなる故(ゆえ)にがっかりするのか、
はやそれさえも分りはしない。
「夜は早く寝て、朝は早く起きる!」
僕は早く起き、朝霧(あさぎり)よ、野に君を見なければならないだろうか。
小学校の先生よ、僕はあなたを思い出し、
あなたの言葉を思い出し、あなたの口調を、思い出しさえするけれど、
それら悔恨のように、僕の心に侵(し)み渡りはするけれど、
それはただ一抹の哀愁となるばかり、
意志とは何の、関係もないのでした……
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
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