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2020年7月25日 (土)

中原中也・夜の詩コレクション111/一夜分の歴史

一夜分の歴史

 

その夜は雨が、泣くように降っていました。

瓦はバリバリ、煎餅かなんぞのように、

割れ易いものの音を立てていました。

梅の樹に溜った雨滴(しずく)は、風が襲(おそ)うと、

他の樹々のよりも荒っぽい音で、

庭土の上に落ちていました。

コーヒーに少し砂糖を多い目に入れ、

ゆっくりと掻き混ぜて、さてと私は飲むのでありました。

 

と、そのような一夜が在ったということ、

明らかにそれは私の境涯(きょうがい)の或る一頁(いちページ)であり、

それを記憶するものはただこの私だけであり、

その私も、やがては死んでゆくということ、

それは分り切ったことながら、また驚くべきことであり、

而(しか)も驚いたって何の足しにもならぬということ……

――雨は、泣くように降っていました。

梅の樹に溜った雨滴(しずく)は、他の樹々に溜ったのよりも、

風が吹くたび、荒っぽい音を立てて落ちていました。

 

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)

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