中原中也・夜の詩コレクション95/虫の声
虫の声
夜が更(ふ)けて、
一つの虫の声がある。
それはたしかに庭で鳴いたのだが、
鳴き了(おわ)るや、それは彼処(かしこ)野原で鳴いたようにもおもわれる。
此処(ここ)と思い、彼処と思い、
あやしげな思いに抱かれていると、
此処、庭の中からにこにことして、幽霊は立ち現われる。
よくみれば、慈しみぶかい年増婦(としま)の幽霊。
一陣の風は窓に起り、
幽霊は去る。
虫が鳴くのは、中原中也・夜の詩コレクション93/夏過けて、友よ、秋とはなりました
夏過けて、友よ、秋とはなりました
友達よ、僕が何処(どこ)にいたか知っているか?
僕は島にいた、島の小さな漁村にいた。
其処(そこ)で僕は散歩をしたり、舟で酒を呑(の)んだりしていた。
又沢山の詩も読んだ、何にも煩(わずら)わされないで。
時に僕はひどく退屈した、君達に会いたかった。
しかし君達との長々しい会合、その終りにはだれる会合、
飲みたくない酒を飲み、話したくないことを話す辛さを思い出して
僕は僕の惰弱な心を、ともかくもなんとか制(おさ)えていた。
それにしてもそんな時には勉強は出来なかった、散歩も出来なかった。
僕は酒場に出掛けた、青と赤との濁った酒場で、
僕はジンを呑んで、しまいにはテーブルに俯伏(うつぶ)していた。
或(あ)る夜は浜辺で舟に凭(すが)って、波に閃(きら)めく月を見ていた。
遠くの方の物凄い空。舟の傍(そば)では虫が鳴いていた。
思いきりのんびり夢をみていた。浪の音がまだ耳に残っている。
2
暗い庭で虫が鳴いている、雨気を含んだ風が吹いている。
茲(ここ)は僕の書斎だ、僕はまた帰って来ている。
島の夜が思い出される、いったいどうしたものか夏の旅は、
死者の思い出のように心に沁(し)みる、毎年々々、
秋が来て、今夜のように虫の鳴く夜は、
靄(もや)に乗って、死人は、地平の方から僕の窓の下まで来て、
不憫(ふびん)にも、顔を合わすことを羞(はず)かしがっているように思えてならぬ。
それにしても、死んだ者達は、あれはいったいどうしたのだろうか?
過ぎし夏よ、島の夜々よ、おまえは一種の血みどろな思い出、
それなのにそれはまた、すがすがしい懐かしい思い出、
印象は深く、それなのに実際なのかと、疑ってみたくなるような思い出、
わかっているのに今更のように、ほんとだったと驚く思い出!……
(一九三三・八・二一)
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱより。新かなに変えてあります。)
« 中原中也・夜の詩コレクション94/虫の声 | トップページ | 中原中也・夜の詩コレクション95/夏の記臆 »
「067中原中也・夜の歌コレクション」カテゴリの記事
- 中原中也・夜の詩コレクション118/秋の夜に、湯に浸り(2020.08.01)
- 中原中也・夜の詩コレクション117/雨が降るぞえ――病棟挽歌(2020.07.31)
- 中原中也・夜の詩コレクション116/道修山夜曲(2020.07.30)
- 中原中也・夜の詩コレクション115/夏の夜の博覧会はかなしからずや(2020.07.29)
- 中原中也・夜の詩コレクション114/暗い公園(2020.07.28)
コメント