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2020年8月26日 (水)

カウリスマキの平凡ならざる眼差しは、平和な農民夫婦に都会の悪の手がしのび、家庭が崩壊するという悲劇をとらえながら、夫も妻も、最後には、一種の解放に辿りついている点にある

白い花びら
1998年
フィンランド

監督・脚本・製作:アキ・カウリスマキAki Kaurismaki、原作:ユハニ・アホJuhaniAho、撮影:ティモ・サルミネンTimo Salminen、音楽:アンシ・ティカンマキ。
出演:サカリ・クオスマネンSakari Kuosmanen、カティ・オウティネンKatiOutinen、アンドレ・ウィルムスAndre Wilms、エスコ・ニッカリEskoNikkai

映画説明:澤登翠、日本語字幕:天野ジュネット

アキ・カウリスマキ監督「白い花びら」(1998年、フィンランド)は、20世紀最後の無声映画である。原作の「YUHA」は、フィンランドの国民的作家ユハニ・アホの名作で、ベストセラーを記録した小説。NHK・BSは、澤登翠という活弁師による活弁入りで放映、カウリスマキ作品を損なわず、いっそう「こく」のある味を出している。

女房を寝取られた男のことを、フランス語でコキュということを知ったのは、遠藤周作の芥川賞作品「白い人」の中であったか、それをはじめて読んだのはかれこれ30年前のことである。記憶に間違いがなければ、「白い人」の中でである。調べるゆとりがないまま、こうしてHPにいきなりアップしてしまえる気楽さが、HPのよい点だ、なんて開き直って、調べるのは後日ということにするが、そのコキュをカウリスマキが扱うと、こうなるという映画が「白い花びら」である。

フランスのコキュが男に重心をおいているなら、日本では「思秋期の妻たち」というように女の側に焦点をあて、家に閉じ込められていた妻が女を取り戻し、自由を求めて旅立ち、さすらう――というのは、単純すぎる比較だが、カウリスマキの平凡ならざる眼差しは、平和な農民夫婦に都会の悪の手がしのび、家庭が崩壊するという悲劇をとらえながら、夫も妻も、最後には、一種の解放に辿りついている点にあるのではないだろうか。

妻を寝取った男シュメイッカに、鉈(なた)で対決する夫ユハには、陰鬱な響きやじめじめしたもの(ウェットさ)がなく、復讐の怨念のドロドロは隠れ、野太くまっすぐなユハにいつしか深い共感さえ覚える。妻マルハも、ユハとの間の子ではない、恋してしまった悪漢シュメイッカとの間に生まれたばかりの赤ん坊を抱きかかえ、ユハとの決別を宣言して、さっぱりしているのである。

(2003.1.25)

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