「連帯」は、一人の男の力で成し得た運動であるはずもない。無数のマチェックが、1989年のポーランド革命に結集したのである。
鉄の男
1981
ポーランド
アンジェイ・ワイダ監督、アレクサンデル・シチボル・リルスキー脚本、エドワルト・クオシンスキー撮影。
イエジー・ラジビオビッチ、クリスチナ・ヤンダ、マリアン・オバニア
ポーランドの長い、長い冬は、グダニスクに結集した自主管理労働組合「連帯」によって打ち破られ、やがてこの運動の波は東欧の全域に広がり、ついにはドイツのベルリンの壁をも崩壊させる原動力となった。
「鉄の男」は、50年代の労働英雄を父にもつマチェック・トムチックという男が自主管理労組を結成し、孤軍奮闘にはじまる苦難の闘いを経て、多くの労働者、学生、市民の共感・支持を得ていく過程および歴史的勝利までを描く。マチェックは、ワイダを世界に知らしめた「灰とダイアモンド」の主人公の名でもあることは、ワイダがポーランドの歴史の連続性を疑うことなく見続け、「灰とダイアモンド」のマチェックの死が犬死(いぬじに)ではなかったことを宣言する自らの眼への確信でもあるだろう。
「連帯」は、一人の男の力で成し得た運動であるはずもない。無数のマチェックが、1989年のポーランド革命に結集したのである。ワイダは、そのことを表現する方法として「灰とダイアモンドのマチェック」を「起用」したのだ。マチェック・トムチックの学友であり、放送技術者として登場するジデックのような、あるいは、「連帯」が勝利する歴史的瞬間に獄中にあるマチェックの妻アグニエシカ、あるいはアグニエシカの母ら、その性ほとんどまっすぐな労働者、学生、市民の無数の存在が「マチェックの歴史性」と連帯していたのだ。
それら無数のマチェックの崇高な闘いは、「人(の死)を踏み越えて(労働者は)権力に至る。だから権力はその跡を消したがる」という民衆の経験則、闘う人々が口伝えに学び取ってきた思想に支えられている。労働英雄ビルクード(マチェックの父)の埋葬シーンで、マチェックの妻アグニエシカの母が、そう語るのである。
映画は、「プチブル記者」ビンケルが警察権力に脅迫されて、マチェックを陥れる陰謀に組し、ジデック、アグニエシカ、その母らに取材を重ね、彼らの回想を組み合わせるという構成手法をとる中で、ポーランドの冬の時代に、労働者運動と学生運動が不幸な断絶状態を繰り返すことに触れる。マチェックは、虐殺された父の遺志を継ぐために、この断絶を克服する孤独な闘いに挑んだ経緯を明らかにするのである。
ビンケルが、最後には、警察の陰謀に組することを拒絶するが、ジデックに改悛の底を見透かされ、「消えてしまえ」とあしらわれるシーンのユーモアが、「地下水道」や「灰とダイアモンド」の時代との違いを物語り、エンディングのアンナ・プルクナルの血の叫びのような歌にも、かえってユーモアがあると言えば、不謹慎であろうか。
(2000.10.10鑑賞&記)
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