その1 この後に続く、戦闘場面、とりわけ米軍の戦車に少年兵たちが襲われるシーンの無機質な死のイメージに比べ、人間の会話の熱さが浮き上がります。
ドイツの映画監督ベルンハルト・ヴィッキ作品「橋」(1959年)の1シーン=7人の少年兵が橋の上で参戦の決意に巻き込まれてゆく会話を交わす=から、会話の部分をひろっておきます。7人は、固有名をもった少年たちですが、ここでは、発言のそれぞれに、その名を記しません。映画では、1分ほどのシーンですが、この後に続く、戦闘場面、とりわけ米軍の戦車に少年兵たちが襲われるシーンの「無機質な死のイメージ」に比べ、「人間の会話の熱さ」が浮き上がります。
橋/Die Brucke
ドイツ
1959
ベルンハルト・ヴィッキ監督
マンフレッド・グレゴール原作、ミハエル・マンスフェルト、カール・ヴィルヘルム・フィフィア脚色、ゲルト・フォン・ボニン撮影、ハンス・マルティン・マイエフスキー音楽。
<出演>
フォルカー・ボーネット、フリッツ・ヴェッパー、ミハエル・ヒンツ、フランク・グラウブレヒト、カール・ミハエル・バルツァー、フォルカー・レヒテンブリンク、ギュンター・ホフマン、C・トランロウ
・味方は残っているのかな?
・家に帰りたいか?
・そんな
・みんなで逃げればいい
・何だと?
・帰ろう
・正気か
・何を言う。橋を守れとの命令だ。
・守っても、戦いに影響しない
・ドイツを守ることになる
・家に帰りたいのはだれだ。お前か?
・まさか
・君は?
・いや
・僕も残る
・お前は?
・裏切りものと思う?
・お前は?
・弱虫じゃない。
・お前は弱虫か?
・残るよ
(2001.12.8)
« ラスコリニコフは、冷酷無情、ニヒルというより、情熱の人であったのだ、と思い直すこともできた | トップページ | その2 「橋」は、あくまで映画であるが、このリアルさは、人がみな、ふだん、あるいは、いつかどこかで経験したリアルさである。ほとんど、見る者は、映画の中の7人の少年兵と同じ視点に立って、戦車が近づいてくるのを知覚するのだ。 »
「191合地舜介の思い出シネマ館2」カテゴリの記事
- モフセン・マフマルバフ監督作品「カンダハール」(イラン、2001年)メモ(2022.06.21)
- 野蛮と紙一重で絡み合っている土俗的エネルギーの側に立ち、皇軍への復讐を命令する造り酒屋のおかみさんの思想が美しい(2020.10.16)
- 革命初期~建国直前の内部矛盾が民衆の呼吸の内にとらえられていることを知るのである。(2020.10.15)
- 「阿Q」(魯迅)のその後、阿Qの甦りとしての「ボンクラの秦」を、この作品に感じないわけにはいかない。(2020.10.14)
- 「女欲しがって悪いか。共青団が殴るのか。殴れよ、旺泉、お前は家にも外にも女がいるから。やりたい放題、どちらとも寝られる。俺なんか、この年になっても、女の一人も知らない。これがまっとうかよ。さあ、殴れ、ぶっ殺してくれよ。」(2020.10.13)
« ラスコリニコフは、冷酷無情、ニヒルというより、情熱の人であったのだ、と思い直すこともできた | トップページ | その2 「橋」は、あくまで映画であるが、このリアルさは、人がみな、ふだん、あるいは、いつかどこかで経験したリアルさである。ほとんど、見る者は、映画の中の7人の少年兵と同じ視点に立って、戦車が近づいてくるのを知覚するのだ。 »
コメント