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2020年8月23日 (日)

ふと、こんな女性をどこかで見た覚えがある気がして来るのである。――アキ・カウリスマキ「浮き雲」のイロナのこと

浮き雲
1996年
フィンランド

アキ・カウリスマキ脚本・監督、ティモ・サルミネン、エリヤ・ダンメリ撮影、シエリー・フィッシャー音楽。
カティ・オウティネン、カリ・ヴァーナネン、エリナ・サロ

浮き雲とは、「ものごとの落ち着きの定まらない状態」の比喩表現であることが辞書に記されてある。

二葉亭四迷や林芙美子の小説のタイトルでよく知られているが、フィンランドのアキ・カウリスマキ監督の映画「浮き雲」は、原題から離れての命名なのであろうか。作品の内容が、字義通り「(ある夫婦の)落ち着きの定まらない状態」を描いたものであるだけに、少し気がかりである。それとも、浮き雲の比喩は、フィンランドにもあり、世界共通のものなのだろうか。

二葉亭や林芙美子の作品のタイトルというイメージがあり、やや古めかしい響きがある「浮き雲」を、映画のタイトルに使ったのには、意図するものがあったのであろうと、いまは、推測しておくだけである。

テーマはリストラである。リストラとたたかう夫婦の物語である。というより、リストラとたたかう女性の物語と言ったほうが適切だ。いや、この女性イロナ(および夫のラウリ)は、たたかわんとして必死であるというよりも、今日明日の暮らしをしのごうとするのに勇敢で、結果、たたかっている、という感じである。

カウリスマキは、イロナの怒りや悲しみや寂しさに寄り添いながらも、それを前面には出さないでいる。まるで「一筆描き」の水彩画を描くように、イロナをはじめとする登場人物との距離を測っているかのようである。

これは、運動や組織のない、「分断され、孤立した」一介の女性の生存競争への賛歌なのであろう。冷戦後の、たたかいの形なのであろう。けれんのない駒割り、前進するだけの時間、軽快なテンポのフェードアウト……など、静かな熱情を感じさせる作品である。ふと、こんな女性をどこかで見た覚えがある気がして来るのである。
(2001年8月6日記)

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