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2020年8月19日 (水)

消えやらぬ悲鳴に 耳を貸さぬ我々がいる

夜と霧
1955年
フランス

「夜と霧」は1955年の作品。アラン・レネ監督の名を世界に知らしめた30数分のドキュメンタリーである。アウシュビッツ、ベルゼン、ダッハウなどで行われた、ナチスの残虐行為の記録映像をモンタージュしつつ、廃墟と化し雑草のはびこる強制収容所の現在に立ったカメラが、「捉え得るものは何か」を自ら問う「映画」である。

人間のなした罪業の、目を背けたくなる残虐の数々を凝視するカメラおよびカメラを通じた映像作家の眼差しに、ブレや揺らぎや起伏はない。怒りや悲しみや憎しみすらも、前面に出てくることはない、と言ってよいだろうか。敢えて言えば、終盤、ナレーションが、1945年の敗戦、連合軍の到着、解放の推移を語る間、累々たる死体の山をブルドーザーで埋めている映像が流れ、悪の頂点が捉えられたと思える部分がある。

月並みな言葉しか出てこないが、全編を通じてあるのは深い絶望であり、いま目前にしている映像は「我々」の現実の問題である、という視点である。

作品は、跡地の現在の風景をカラー映像で捉え、次のナレーションを添えて、終る。

火葬場は廃墟に
ナチスは過去になる
だが900万の霊はさまよう

我々の誰が
戦争を警戒し 知らせるのか
次の戦争を防げるのか

今もカポが将校が
密告者が――
隣りにいる

信じる人 あるいは信じない人
廃墟の下にある死んだ悪魔を
見つめる我々は
遠ざかる映像の前で
希望が回復した振りをする

ある国のある時期における
特別な話と言い聞かせ――

消えやらぬ悲鳴に
耳を貸さぬ我々がいる


ナレーション  ミシェル・ブーケ
原作・脚本  ジャン・ケイロール
音楽  ハンス・アイスラー
編集  アンリ・コルピ、ジャスミン・ジャスネ
撮影  ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニー
製作  エドゥアール・ムスカ
監督  アラン・レネ

日本語字幕   橋本克己

(2002.10.19)

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