「愛し合うのに互いを知る必要なんかないわ」とビットリアが語るときの、男の戸惑いがなんとも可笑(おか)しい。
太陽はひとりぼっち
1962年
イタリア
ミケランジェロ・アントニオーニ監督、トニーノ・グエッラ脚本、ジョバンニ・フスコ音楽、。モニカ・ビッティ、アラン・ドロン
ビットリア(モニカ・ヴィッティ)が心を開くとき、目が数段、大きくなる。いつもは、うすら笑みを浮かべた物憂い表情が、感情をあらわにすることがある。ケニア人のダンスに興じる場面、ピエロ(アラン・ドロン)に口説かれる結末のシーンなど。それ以外は、「幸福感」を感じられない女であり続けるのだ。アントニオーニは、彼女を描き、愛の不可能を追求するとともに、その可能な一瞬をも見せたのである。「人は、何故、質問ばかりするの?愛し合うのに、互いを知る必要ないわ。愛し合う必要もないかもしれない」と彼女が語るとき、男はなんと答えることができるだろうか。やがては、別離が待っているしかない。ピエロとの愛のさなかに、すでに溝は生じていた。冒頭、リカルドに気持ちを問われたビットリアが答える「わからない」という言葉だけが、確かなことだ。
(2000.3.25記)
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