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2020年9月 1日 (火)

その2 「橋」は、あくまで映画であるが、このリアルさは、人がみな、ふだん、あるいは、いつかどこかで経験したリアルさである。ほとんど、見る者は、映画の中の7人の少年兵と同じ視点に立って、戦車が近づいてくるのを知覚するのだ。

「橋」(ベルンハルト・ヴィッキ監督、1959年、ドイツ)は、不思議な作品である。名作の多くが、見る度にそれまで腑(ふ)に落ちなかった謎を解いていき、2度、3度と見返す度に、また新たな謎を生んでいくように、この映画も、新たな謎を生みつづける。そのため、何度も見ようという気を起こさせる。そういう不思議さをもつ。

戦争ごっこと大人の軍人から嘲笑されながら、7人は橋の上で参戦の決意に至るが、その直後、本物の戦争の中にいる。米軍機の空爆を受け、戦車がじわじわと迫ってくる現実の中に投げ出されている。その流れを映画化した見事さを、映画的」にだけで見るわけにはいかない。「橋」は、あくまで映画であるが、この「リアルさ」は、人がみな、ふだん、あるいは、いつかどこかで経験したリアルさである。ほとんど、見る者は、映画の中の7人の少年兵と同じ視点に立って、戦車が近づいてくるのを知覚するのだ。

本で読んだくらいのことしか知らないバズーカ砲を、おぼつかない足取りで塹壕(ざんごう)に抱え込んだ少年は、次の瞬間、目前に迫った戦車の爆破に成功するのである。「戦争ができちゃった!」という気分を手に入れた少年兵たちは、その勢いで、しばらく、戦うことができた。しかし、それも束の間のことである。同僚が一人一人殺されていくにつれ、砲撃の雨の中で、泣きじゃくり、錯乱する。戦車が、そんな少年兵たちを「知覚」するわけがない。少年兵=人間と戦車のこの対比が、鮮烈だ。怖い。ゾクゾクさせる。
(2001.12.9)

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