イヴィカ・マティック監督「遺書―女のいる風景」■メモ1 そこにあるのは、酸いも甘いも分別できず、誠実さが愚鈍の域にまで達した「芸術家」への批判であると同時に、陋習 に閉ざされ、ふてぶてしいまでに保守的な村社会への警鐘である。
遺書―女のいる風景
1976
ユーゴスラヴィア
イヴィカ・マティック脚本・監督。
ストーレ・アランデロヴィック、ボジタルカ・フラート。
イヴィカ・マティック監督「遺書―女のいる風景」は、エミール・クストリッツアが「私が死ぬ時、このフィルムを一緒に埋葬
してくれれば死ぬ事も怖くない」というオマージュを冒頭に掲げた作品だ。イヴィカは、27歳でこの作品を撮り、数々の
賞を得た後、死去した。
ユーゴスラヴィアのどこかの村に赴任してきた森林監督官の「似非文化観」「偽芸術観」を、ほとんど当人の地点に立ち
ながらも、決定的なところで断絶して笑い飛ばした作品のようだ。この笑いがなんとも「底深い笑い」である。クストリッツ
アが激賞する由縁(ゆえん)がわかるのである。
そこにあるのは、酸いも甘いも分別できず、誠実さが愚鈍の域にまで達した「芸術家」への批判であると同時に、陋習
に閉ざされ、ふてぶてしいまでに保守的な村社会への警鐘である。その2つの偽りに翻弄されて生きる女性たちの悲し
みにも連れ添いながら、イヴィカという映画監督は、冷徹な、しかも愛情に満ちた眼差しを向ける。
森林監督官と結婚する羽目になったルチアが、映画の観客に向かって、「あの人は行っちまった。髪の毛が抜けるよう
に」と言い、葬列に帰っていくエンディングのシーンは、笑いはじめたら止らず、笑わなかったらひどくもの悲しい気分を
手に入れるだけのものなのである。
(2001.5.19)
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