死んでしまった恋人(妻)との日々を回想する作品の眼差しには、悔いが漲(みなぎ)っている
歓喜に向かって
1949年
スウェーデン
「歓喜に向かって」は、1949年作。1918年生れのベルイマンだから30歳の作品ということになる。ベルイマンの長い映画製作のキャリアの中での初期作品だ。日本では劇場未公開だが、NHK・BS2ミッドナイトシアターで放映した。
2003年現在の眼で見ても、DV(ドメスティック・バイオレンス)とも受け取れる、男の女に対する殴打シーンは、愛の苦悩というベルイマンらしいテーマの中にも、霞まない。よりいっそう、ヴィヴィッドに見えてくる。
死んでしまった恋人(妻)との日々を回想する作品の眼差しには、悔いが漲(みなぎ)っているのである。この眼差しの中にこそ、ベルイマンがいる。
(2003.1.3)
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