スペイン内戦は、父と祖父を互いに敵にした
エル・スール ー南ー
1983
スペイン・フランス
ビクトル・エリセ監督、アデライダ・ガルシア・モラレス原作、ホセ・ルイス・アルカイネ撮影。
オメロ・アントヌッティ、ソンソレス・アラングーレン、イシアル・ポリャン、オーロール・クレマン
スペイン内戦が終結したころに生まれた娘エストレーリャは、内戦そのものを知らない。父アグスティンの手紙の端に、「イレーネ・オリス」という女性の名が書き連ねられてあるのを盗み読みしてから、エストレーリャは、父の謎に関心を抱き、その苦悩の根底に父の故郷である「南」で起きた悲劇(と愛の物語)を知る――。結末は、父の自死を受け止めるエストレーリャの回想だが、すでにエストレーリャはその意味を深く理解し、深い悲しみゆえに抑制した声で語る。
幼時のエストレーリャ、成人間近のエストレーリャを演じる俳優は異なるが、ナレーションは一貫して、エストレーリャの口による。
父アグスティンは共和派、祖父はフランコ派に分かれざるを得なかった内戦で、アグスティンはフランコ派の勝利とともに獄入りの苦渋を味わい、そのさなか、イレーネとの愛が進行した――。「南」で起きた悲劇は、エストレーリャの聖体拝受日にやって来た父の乳母ミラグロスや祖母の口を通して以外に知り得ないことがらだった。
エリセは、ストーリーを前面に添えず、エストレーリャとミラグロス、エストレーリャと母フリア、エストレーリャと父アグスティンの会話の端々で語らせる。うっかりすると聞き逃しかねない会話が埋め込まれているため、画面は猥雑さが極力排され、張り詰めた緊張が漂うのである。言葉、映像が向かうところは、「ミツバチのささやき」同様、ここでも、「終わりを告げていない内戦」というテーマである。
(2000.9.16鑑賞&記)
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