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2020年8月29日 (土)

言葉のやりとりの中に、演出家と女優の実存的関係のドロドロが回収されてしまうから、観客は、視覚や官能といった生物学的な身体を解放されない。

リハーサルの後で
1984年
スウェーデン

大晦日の夕方に「ひいたかな」と感じた風邪が年を越して元日、および今日2日に頭をもたげ、眠りに眠った2日間。「去年今年貫く棒の如きもの」は、子規だったか虚子だったか、ひょっとして、俳人も風邪で年を越したのではないかと、この句に妙な共感を覚えた。

やり残したことを、この休日で挽回しようと、年内飛ばしたのがよくなかったのか、たくさんの荷物ともども年を越してしまった、というわけである。真に、棒のように、行く年来る年はつながっている。

新年になってやったことといえば、毎日1本のつもりで続けた映画の鑑賞および感想記作成くらいのことだが、元日に、「リハーサルの後で」、今日「歓喜に向かって」と、ベルイマン作品を立て続けに見て、なんだか余計に滅入ってしまった。「歓喜に向かって」はともかく、「リハーサルの後で」は、現役バリバリの演出家や俳優のための演技論、俳優論、演出家と女優の関係論、その上、男女愛憎論……と、「論」の展開に終始する。

背景は稽古場だけである。エルランド・ヨセフスン扮する演出家ヘンリックと、レナ・オリン扮する新進女優アンナが、殺風景な稽古場で延々、論を展開するのである。イングリッド・チューリン扮するアンナの母にして老残のベテラン女優ラーケルが亡霊として登場する場面は、アンナは幼児に成り変っているという仕掛けもあり、ラーケルがヘンリックに肉体を迫る場面があるが、他はすべてが現在進行形の会話である。

何ごとも起こらない、映画なのだ。その意味で、「リハーサルの後で」なのだ。ヘンリックとアンナが、この現在進行形の中で、セックスのひとつをしそうになるが、画面ではしない。ヘンリックの言葉の中に、それは易々(やすやす)と閉じ込められてしまう。

言葉のやりとりの中に、演出家と女優の実存的関係のドロドロが回収されてしまうから、観客は、視覚や官能といった生物学的な身体を解放されない。頭だけで映画を見なければならない。さらに言えば、ドメスティックな人物関係も息苦しいのである。
(2003.1.2)

監督 イングマール・ベルイマン
脚本 イングマール・ベルイマン
撮影 スヴェン・ニクヴィスト
美術 アンナ・アスプ
出演 エルランド・ヨセフソン / レナ・オリン / イングリッド・チューリン

(キャスト、スタッフは2020.08.29追記)

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