「もだえ」その2 この作品は、反抗する青春を描いたものではないのだ、と考え直す。社会へ旅立つ青年たちの、いわば通過儀礼としての女性体験、あるいは、人生の大いなる謎への初体験を描いたのだ。
もだえ
1944年
スウェーデン
イングマール・ベルイマンが脚本・助監督を担当した「もだえ」は1944年の作品。日本公開は、アート・シアター・ギルド(ATG)草創の年、1962年だ。ベルイマンは、この脚本で映画界デビューした。
公立専門学校の最終学年生のヤーンは、サディスティックなラテン語教師カリギュラに特別に目をつけられ、授業がやってくる度に、こっぴどい仕打ちにあっている。他の生徒も、みなカリギュラの授業に怯えきっていた。
カリギュラは、幼時に蒙った深いトラウマから、サディズムを患っていて、タバコ売りの娘ベッタに執拗につきまとう一方、公立学校のラテン語教師の能力を買われていた。ヤーンは、ある日、ベッタが酔いどれて家路を辿るのを見つけ、アパートに送ったことから、深い仲になるが、ベッタとカリギュラの関係には気づかないでいた。
ヤーンとベッタが真剣に愛しあうようになったある日、ヤーンはベッタがアルコールを飲みすぎて死んでいるのを発見する。その部屋のものかげから、取り乱したカリギュラが現われるが、ヤーンには、ベッタが殺されたとは思えない混乱の中にあった。
卒業試験に落ち、ベッタとの関係がカリギュラによって密告されたヤーンは、退学処分を受け、両親から咎(とが)められて、家を飛び出す。行き先は、亡くなったベッタのアパートだった。
あらすじは、こうなる。
この映画は、しかし、両親の元を飛び出し、初めて知った女=ベッタのぬくもりの残る部屋で暮しはじめるヤーンの物語、としては終わらない。この部屋に、校長が現われ、ヤーンへの力添えを申し出て、ヤーンもこの申し出を受け入れるというところで終わるのである。ベッタの愛猫を抱きかかえて、両親の元へ向かうヤーンの爽快な顔をアップで見せ、瀟洒(しょうしゃ)な家の建ち並ぶ、平和な街の坂道を降りていくヤーンの後姿を追い、終わるのである。
この終わり方に、はじめ違和感を感じたが、この作品は、反抗する青春を描いたものではないのだ、と考え直す。社会へ旅立つ青年たちの、いわば通過儀礼としての女性体験、あるいは人生の大いなる謎への初体験を描いたのだ。のこのこ両親の元へと戻って行くヤーンに、物足りなさを感じるよりも、希望のある形でヤーンに声援を送りたかったのだろう、と解釈した。
カリギュラの存在が全編を通じて、陽となり、影となり、サスペンスな画面を生み、1940年代スウェーデン社会の陰鬱さ(ナチスの暗喩なのかもしれない)を映すシンボリックな表現ともなって、曖昧さがなく、破綻のない構造をもった作品である。
(2003.1.4)
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