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2020年8月30日 (日)

冷戦構造の崩壊後の現在に、これらの映像を見ているという、どこかしら安心感みたいなものが、作品との距離を縮めているとでも言ったらいいものか。

アレクサンドル・ネフスキー
1938
ソ連

監督・セルゲイ・エイゼンシュテイン、脚本・セルゲイ・エイゼンシュテイン、出演・ニコライ・チェルカーソフ、音楽・セルゲイ・プロコフィエフ

60年も、70年も前に作られた映画が、2002年の今見ても、輝きを失わず、いっそう輝いて見える。セルゲイ・エイゼンシュテイン監督「アレクサンドル・ネフスキー」は、確か、1960年代末に「新宿・アートシアター」で公開上映されたのを見た記憶があるが、その時から勘定しても40数年である。

「戦艦ポチョムキン」の感動が、天下がひっくりかえる革命のダイナミズムの表現であるなら、「アレクサンドル・ネフスキー」は、13世紀の戦闘のダイナミズムをあますところなく表現している。

冷戦構造の崩壊後の現在に、これらの映像を見ているという、どこかしら安心感みたいなものが、作品との距離を縮めているとでも言ったらいいものか。娯楽映画のようにさえ見ていられるから発見である。小さい時、「鞍馬天狗」を見たときに似たワクワク感を抱きながら、そして見終えて、何か晴れ晴れした気分を得て、映画館を出た感じを味わった。

エイゼンシュテインには、もともと、楽しいという要素があった。映画に、この要素があるのは当たり前のことだが、それを思い出させてくれたのが、「アレクサンドル・ネフスキー」であり、そう言えば、「メキシコ万歳」にも「戦艦ポチョムキン」にも「全線」にも、それがあることを知るのである。
(2002.6.8)

<セルゲイ・エイゼンシュテインめも>
1898 生まれる
1925 ストライキ
1925 戦艦ポチョムキン
1928 十月
1929 全線
1931 メキシコ万歳
1938 アレクサンドル・ネフスキー
1944 イワン雷帝
1948 死す

 

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