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2020年9月

2020年9月30日 (水)

ここに来るまで、何人もの家族兄弟を失ってなお、懸命に生きようとする少年少女や老人や青年男女との対話のプロセスを経てきた観客、そして映画の作り手には、希望が捕まえられているのである。

そして人生はつづく
1992
イラン

アッバス・キアロスタミ監督。

渋滞する幹線道路を、父と子が行く。目指すは、コケル村。父は、前作「友だちのうちはどこ?」の監督、コケルはそのロケ地である。1990年、イランを襲った大地震で、コケル村も壊滅的被害を蒙(こうむ)った。映画に出演してもらった少年アハマッドや村の老人たちは、無事でいられただろうか。とるものもとりあえず、監督は、ややくたびれた愛車に息子を同乗させ、コケルに向かっている。

映画は、道行く人々に、道を尋ね尋ねし、ときには降車して、復旧作業に追われ、テント生活を強いられている被災者と語らう父子を追うだけの、ノン・ストーリー作品である。だからといって、この作品をドキュメンタリーとは呼べない。緻密な演出、計算された会話、構成されたカメラワークなど、映画製作の技法が随所に散りばめられた映画である。1990年の大地震から2年後の1992年に完成し、公開されていることからも、そのことは推測できる。

プロの俳優を使わず、ほとんどが市井(しせい)の生活者を起用するキアロスタミ監督の映画作りの手法は、この作品でも顕著に現われるが、だからといって出演者になんの注文をつけないわけではない。その典型が、「友だちのうちはどこ?」にも出演したルヒ老人に見られる。

渋滞をそれて山道に入った父子が見るのは、何本もの亀裂が入った山肌である。長さ100メートル以上もある亀裂を前にして立ち往生する車が、豆粒のように俯瞰される。まさしく地震の爪跡(つめあと)であるが、人々は子を失い、親兄弟を失い、親族を失い、家財産を失う中で、悲嘆に明け暮れているばかりではない。テント生活を強いられながらも、遠い山道を往復し、生活物資を運び、洗濯し……復旧に懸命だ。

ルヒ老人も、トイレの便器を運んでいるところを、通りすがった父子の車に同乗することになる。という、実際は演出が入ったわけで、カメラが、偶然にも、便器を運ぶルヒ老人をとらえたのではない。映画が与えたルヒ老人の家に着くまでの、ルヒ老人の語りに耳を傾けてみよう。

(お忘れですか?)
わしをご存知ですか?
(覚えていませんか?)
わしが?はいはい、思い出しましたよ。
(本当に?)
はいはい。
(あなたがご無事で何よりです)
地震ですべてが壊れ、不便で大変ですが、幸いいまだ生きていますよ。神のご加護でね。
(マハマドブールの家は?)
どのマハマドブール?
(一緒に映画に出た……)
あの人たちはコケルだから、わしの村ではない。
(そうですね。この道でコケルへ行けます?)
地震の前には道があったんだが、今はもうなくなってしまったよ。
(この大変なときに、何を運んでるんです?)
口に出して言うまでもない物だよ。何に使うか、見ればわかるだろ?死んだ人は死んだ人、生きる人にはなくてはならぬ物だよ。<笑>やれやれ。だがね、わしが思うに、罪のない人々が死んで、沢山の家が壊れたのに、わしの家だけ無事だったなんて、神様はわしを特別扱いしてくださったのかね。
(すごい幸運の持ち主なんですね)
そんなことはない。
(なぜですか?)
わしが考えるのは、地震とは腹を空かせた狼のようなもので、手当たり次第に人を食べてしまうんだよ。神の仕業ではない。
(ルヒさん!=これは子の言葉)
なんだね?
(「友だちのうちはどこ?」では、もっとお年寄りでしたよね?=これも子の声)
映画の人たちが、背中にこぶをつけたからだよ。「もっと年寄りに見せなくちゃ」なんて言って。それでわしも言う通りにしたんだよ。本当は気に入らなかったがね。公平じゃない。<笑>
映画がどんな芸術か知らないが。年寄りをもっと年寄りに見せるのが芸術かね。若くきれいに見せるのが芸術ってものじゃないかね。人は年寄りになって初めて若さがわかるのさ。
(でも無事だったし、若く見えますよ)
死んではじめて生きてるありがたさがわかる。もし墓に入ったものが生きてくるなら、その人はよりよく生きるようになる。

会話は、まだ続き、ルヒさんの家に着くが、ここでもルヒさんは、ルヒさんの家とされている家が、実は映画が設定したルヒさんの家であることを暴露するのである。観客は、映画がこうして創られていることを知るが、どこまでが事実に則した内容であるのかを戸惑うまでもない。映画表現の手法として、このような方法もあることを受容できるのであるし、何よりも映画が伝えたかったことが伝わればよいのであるから。

コケルを目指し、父子の車は行く。途中、何度も何度も、コケルへの道を尋ね、コケルの状況を尋ねる。そして、アハマドブールの消息を尋ねながら、コケルはもうひとやまを越えたところに近づいている。

キアロスタミの映画は、結果を明らかにしない(場合が多い)。しかし、目標=テーマを放棄するわけではない。テーマを、この映画を見た人々に、より鮮明に、より多く自らの想像力で考えてほしいと考えているかのように、結果を明らかにしないのである。結果は、あきらかに、この今の中にある。この細部にある。このプロセスに隠されている、露出している、とでもいわんばかりである。

アハマドブールの消息、コケルの状況は、もうすぐ、目にすることが可能だ。もうひと息だ。車は、急坂を登りきれず、後退し、しかし、再びエンジンを最大限ふかして、登りはじめる。ひとやま越えた。また急坂が立ちはだかる。また登りきれず、押し戻され、坂のとば口まで後退する。そこへ、生活物資を背負った青年が通りかかり、車を押す。また再び、車は急坂を登り、ひとやま越えた……。

これらを、カメラが遠撮し、それは、まるでシジフォス神話でシジフォスが岩を山頂に運んでは落とされ、また運んでは落とされる、あの繰り返しのようであるが、まったく異なる行為である。ここに来るまで、何人もの家族兄弟を失ってなお、懸命に生きようとする少年少女や老人や青年男女との対話のプロセスを経てきた観客、そして映画の作り手には、希望が捕まえられているのである。
(2001.5.4鑑賞&5.6記)

2020年9月29日 (火)

夜遅く、マハマッドは、夕飯を食べる気持ちになれない。ノートをネマツアデに届けられなかったことに、胸が痛むのである。

友だちのうちはどこ?
1987
イラン

アッバス・キアロスタミ監督。

小学校の授業風景にはじまり、授業風景で終わる物語。ラストシーンの授業風景では、じわじわーっと感動のようなものが立ち上ってきて、いつまでもいつまでもその感動が反芻されるような作品だ。

成長経済下のイランの山村コケル。隣村のボシュテは、山を一つ越えたところにあるという感じだろうか。山というより、丘を一つ越えたと言ったほうが適切かもしれない。コケルの小学校には、遠地ボシュテから登校する子供たちもいる。

主人公のアハマッドはコケルに住み、親友のネマツアデはボシュテに住むが、ネマツアデの父親はドアの取り付け販売のために、ロバに乗ってコケルを訪れる関係にある。

ネマツアデが、書き取りのノートをアハマッドに間違えて持ち帰られたために宿題をできずに、教師にひどく叱られる。叱られたその日にも、同じ間違えでアハマッドは、ネマツアデのノートを持ち帰ってしまった。2人のノートは、表紙がそっくりで間違えやすかったのである。

物語は、アハマッドが、ネマツアデのノートを返しに、ボシュテの村を探しまわり、夜になってもネマツアデを見つけられずに、仕方なくコケルに戻り、翌日の授業にのぞむ……というシンプルなものだが、この過程で見聞きする人々の生活や少年同士の繋がりあいに、キアロスタミの眼差しが散りばめられる。

どの子供たちも、家父長的共同体の中にあり、親たちは生活に追われている。学校から戻った子供たちは、近代教育を受けながら、家に帰れば、その共同体の規範に従い、また、親たちの労働の手助けに参じている。アハマッドは、母親の手伝いや祖父の称するしつけに素直に応じる、心根の優しい少年である。そのマハマッドが、母親からのパンを買うお使いと、ネマツアデのノートを返しに行かなければならない、というディレンマに陥った。

アハマッドは、このディレンマを突破する。ボシュテのネマツアデに会いに行く。パンを買うお使いを忘れたわけではない。結果は、しかし、そのどちらも成就できなかったのである。

夜遅く、マハマッドは、夕飯を食べる気持ちになれない。ノートをネマツアデに届けられなかったことに、胸が痛むのである。帰宅した父親は、何も、言わない。母親も、昼間の母親ではなく、穏やかな声で、食事をしないマハマッドを労(いた)わる。

翌日の授業風景。マハマッドの姿がない。ネマツアデの心は、今にも、潰(つぶ)れそうである。教師が、後ろの席の生徒たちの宿題を点検しはじめているのだ。もうすぐ、教師がネマツアデの宿題を点検する。

その教室へ、マハマッドが、到着した。一時は、くたびれ果て、落ち込んだマハマッドが病気にでもなって、欠席したのだろうか、と思っても仕方のない事態であった。そのマハマッドが、ネマツアデの隣りの席に着くと、丁度、教師が2人のところへやってきた。

パラパラと、マハマッドのノートをめくる音。静かだ。OK、OK。今度は、ネマツアデのノートである。マハマッドの書いた書き取りを、教師は気づかない。OK、OK……。ネマツアデのノートに、花が一輪、押し花になっている。昨夜、ボシュテの村で親切にしてくれた老人が手折ってくれた花である。
(2001.5.3鑑賞、5.4記)

2020年9月28日 (月)

目を閉じてしまうのか? あの世から見に来たいほど、美しい世界なのに、あんたはあの世に行きたいのか。もう1度、泉の水を飲みたくはないかね?泉の水で顔を洗いたくないかね?

桜桃の味
1997
イラン

アッバス・キアロスタミ監督。

自殺に関しての、長い長い映画である。昨年末、NHKの番組で長谷川肇久さんが、引き合いにしていたのを聞いて、見よう見ようと思っていたのを、ようやく見た。

舞台は、テヘラン郊外の丘陵地。というより、主人公バディの運転する車の中が大半である。自殺を決意した初老の男バディが、自家用車でその手助けを求め、街中や近郊の村を彷徨し、ときに助手席へ誘って、交渉する。「夜に睡眠薬を飲んで穴の中に横たわる。あなたは次の朝に来て、穴の中の私を呼んでほしい。返事がなかったら、土をかけて、埋めてほしい」というのが、男の頼みである。その交渉の会話が主軸となっている作品である。

会話はしかし、それだけが独立した世界を形成しているわけではない。荒地をジグザグしながら進む車を遠撮し、俯瞰する映像をともなっていたり、男の目に映る山肌、子供たち、村人たち、カラスの群れ、飛行機雲、猫、落日……などの風景が、会話に重なる。会話と映像は、巧みに絡まりあい、映像の中に言葉が沁み込み、言葉の中に映像が入り込む関係にあり、そこにまた作品の眼差しはある。男の目に映る風景は、男の内面をシンボリックに反映し、ひとつひとつ意味を付与されているようである。

セメント採掘現場を覗き込んだ男が、自分の影が、落下する瓦礫に重なるのにショックを受け、その場にしゃがみ込んでしまうシーンは、この映画の中で、映像と内面の最も緊張したシンボリックな表現になっている、といえるであろう。運転席から、男が見る風景は、荒々しい生のシンボルなのか、死のイメージがかぶさっているものなのか、ひとつひとつが何ものかを語っていて、緊迫感がみなぎる。その、男の視界と異なる、作品の視界(神学生と男の会話のシーンは、荒地を行く車を遠景でとらえる)には、キアロスタミ監督の眼差しがある。

クルドの若い訓練兵、神学を学ぶアフガンの青年らに、断られた男は、ついに自然史博物館で動物の剥製製作を仕事にしている老人ハゲリに巡り会う。ハゲリの子息は白血病で治療費の捻出に逼迫(ひっぱく)している、という設定だが、真偽のほどは問題ではない。ハゲリが、男の手助けに応じたのは、男が生きるためにであって、自殺の手助けではない、ということは、映画の中で断言されているわけではないが、そう感じさせる生への確信がハゲリに漂っている。ハゲリとは、普通のおじさんであるようにみえながら、ひとかどの人物であるから、そう理解できるのである。

若き日に、ハゲリ自身、自殺を試みた。そのときの様子を、男の運転する車の中で、語りはじめたハゲリにも、男の決意は揺らがない。揺らがないが、身心のどこかにボディーブローを与えているかのようでもある。荒れた丘陵の土煙は、男の目に死のイメージとして映っているのだろうか。ハゲリと会う直前、男は、セメント採掘場で、自らの死の影に怯(おび)えたばかりであった。

ハゲリが車の中で男に語った言葉を、書き出しておこう。

「思い出を話そう。結婚したばかりのことだ。生活は貧しく、すべてが悪くなるばかりだ。わしは疲れ果て、死んだら楽になると思った。もう限界だとね。ある朝、暗いうちに車にロープを積んで家を出た。わしは固く決意してた。自殺しようと。1960年のことで、わしはミネアに住んでいた。

わしは家の側の果樹園に入って行った。1本の桑の木があった。まだ辺りはまっ暗でね。ロープを投げたが枝に掛からない。1度投げてだめ、2度投げてもだめ。とうとう木に登ってロープを枝に結んだ。すると手になにか柔らかい物が触れた。熟した桑の実だった。

1つ食べた。甘かった。2つ食べ、3つ食べ……。いつの間にか夜が明け、山の向うに日が昇ってきた。美しい太陽!美しい風景!美しい緑!学校へ行く子供たちの声が聞こえてきた。子供たちが木を揺すれと。わしは木を揺すった。皆、落ちた実を食べた。わしはうれしくなってきた。

それで桑の実を摘んで家に持って帰った。妻はまだ眠っていた。妻も起きてから桑の実を食べた。美味しいと言ってね。わしは死を置き忘れて、桑の実を持って帰った。桑の実に命を救われた。」

(ここで、男が問う。「桑の実を食べたら万事うまくいったとでも?」)

「そうとは言わない。わしが変わった。わしの気持ちが変わったし、考え方も変わった。すべて変わった。この世の人間はだれでも悩みを抱えて生きている。生きている限り仕方ない。人間が何億いようと、悩みのない人間はいない。悩みを教えてくれたら、もっと上手く話ができたが。

あんただって病院に行けば、医者に病むところを教えるだろ。あんたはトルコ人じゃないから、一つ、笑い話をしよう。怒らないで。

トルコ人が医者に行って訴えた。「先生、指で体を触るとあらゆるところが痛い。頭を触ると頭が痛い。足を触ると足が痛い。腹も痛い、手も痛い、どこもかしこも痛い。」
 医者は男を診察して、こう言った。「体はなんともない。ただ指が折れてる」と。

あんたの体はなんともない。ただ考えが病気なだけだ。わしも自殺しに行ったが、桑の実に命を救われた。ほんの小さな桑の実に。あんたの目が見てる世界は、本当の世界と違う。見方を変えれば、世界が変わる。幸せな目で見れば、幸せな世界が見えるよ。

そんなに若いのに。つまらない悩みで死んでしまうなんて。たったひとつの悩みで。人生は汽車のようなものだ。前へ前へ、ただ走って行く。そして最後に終着駅に着く。そこが死の国だ。死はひとつの解決法だが、旅の途中で実行してしまったらだめだよ。

初めはいいと思っても、間違っていることもある。まず、よく考えること。正しいと信じていても、後で間違っていることに気づくものだ。

希望はないのかね?
朝起きたとき、空をみたことはないかね。夜明けの太陽を見たいとは思わないかね?赤と黄に染まった夕焼け空をもう1度見たくないか?月はどうだ?星空を見たくないか?夜空にぽっかり浮かんだ満月を見たくない?

目を閉じてしまうのか?
あの世から見に来たいほど、美しい世界なのに、あんたはあの世に行きたいのか。もう1度、泉の水を飲みたくはないかね?泉の水で顔を洗いたくないかね?

自然には四季があるが、四季はそれぞれで違った果物がとれる。夏には夏の果物。秋には秋の果物。冬は冬の果物、春には春の果物。この世のどんな母親も、それほど果物を備えられない。どんなに子供を愛する母親も、神には適わない。それほど神は人を慈(いつく)しんでいる。

すべてを拒み、すべてを諦めてしまうのか?
桜桃の味を忘れてしまうのか?
だめだ、友達として頼む。諦めないでくれ。」

車は、赤茶けた山肌の露出する丘陵の道を、右に折れ、左に折れ、やがて街中に出て、ハゲリの職場である自然史博物館へ辿(たど)り着く。ハゲリを降ろしてまもなく、男はハゲリのもとへ引き返し、死の手助けを確実に実行するように、ハゲリに念押しする。ハゲリの言葉は、男に、届いていないかのようだ。

やがて夜が来て、男は自殺を決行する穴へ入る。暗闇から、男は、満月に行き交う雲を凝視している――。

このシーンで男の物語は断絶し、一転、緑たわわな丘陵での撮影シーンとなり、キアロスタミ監督自らも登場、撮了を告げる。キアロスタミが言う。「これから音入れに入る」と。主人公の男も、撮影隊やエキストラがくつろぐ丘にまぎれている。そして、この映画で初めて、BGMが流れ、エンディングとなる。

男は、自殺を決行してしまったのだろうか?そこを、映画は見せない。それは、観客がこの作品をどう見るか、見たかにかかっていることを問いかけているかのようである。桑の実が救った命の話は、男に通じたのだろうか。桜桃の味が男の生きる力に響いたであろうか。

死へ向かう生存にとって、では、生きるとはどういうことか。ハゲリと男の巡り会いそのもの、会話そのもの、対話そのものの中に、ヒントが隠されている気がしてならない。自殺願望の男の物語というより、これは、一種、友情の物語として見ることができるのかもしれない。

登場する人々は、微塵も曲がったところのない誠実さを滲(にじ)ませている。その意味では、悪というものが、何ひとつ存在しない、人間賛歌を聴いた感じが強く残る作品でもある。
(2001.4.28鑑賞&記、4.30追補)

【アッバス・キアロスタミ・フィルモグラフィ】
パンと裏通り 1970
トラベラー 1974
コーラス 1992
友だちのうちはどこ? 1987
ホームワーク 1989
クロ-ズ・アップ 1990
そして人生はつづく 1992
オリ-ブの林をぬけて 1994
桜桃の味 1997
風が吹くまま 1999

2020年9月27日 (日)

映画であるためのあざとさは必要だったのか

ロリータ
1997年
アメリカ

エイドリアン・ライン監督、ウラジミール・ナボコフ原作。
ジェレミー・アイアンズ、ドミニク・スウェイン、
メラニー・グリフィス、フランク・ランジェラ。

1962年製作のスタンリー・キューブリック監督作品の日本公開は、いつだったのか。スー・リオンという名を鮮烈に覚えているのは、映画公開と前後して発行された単行本の表紙に、サングラスを鼻眼鏡にして何かをうかがっている正面向きの彼女の写真が使われていたからだ。そのころ、映画を見た記憶はない。

V・ナボコフの翻訳本を高校2年の時に教室で回し読みした(といっても、本当にみんなが読んで理解したかは疑わしいが)ことを覚えているのだから、やはり、本の表紙の印象が刻まれたのだろう。購入して学校へ持っていったのはぼくだから、確かに読んだのだが、内容はてんで覚えていない。ただ、文体の意外に湿潤な響きに嫌悪ではなく共感に近いものを抱いたことがぼんやりと思い出される。

高校生には、好色爺が若い娘を追い回す物語くらいの解釈しかできなかったはずだ。2000年の現在も、その程度の解釈が流布する俗物に満ちた時代には変りはない。そんなことにいちいち、あきれていても仕方ない。確か、白系ロシア人の白系の意味が、共産主義革命と戦って敗れた人々のことを指していることを、この本の解説で知った。ナボコフの流転の物語に、高校生ながら感じ入ったことがかすかな記憶として残っている。

エイドリアン・ラインの「ロリータ」は、少年時代の初恋の女性の死をトラウマとして抱えた初老の男が、生き写しのような娘ロリータに出会い、破滅的な恋に陥った果てに、殺人を犯すという二重、三重の劇で構成されている。

初老というにふさわしい年齢になって見た映画は、結末の殺戮シーンのエイドリアン流が存在しなければ、100点に近い共感を持てたはずだった。あのあざといシーンがなければ、あるいはあのシーンを他の撮り方をすれば、映画としての興行性や、作品としての現代性が薄くなり、エイドリアン流そのものが無くなってしまう。それでは、ナボコフファンの心だけを撃つ作品になるに違いなかった。しかし、そうして欲しかった、とエイドリアンに欲求しても無意味であるが、ぼくはそうして欲しかったのである。
(2000.9.3記)

2020年9月26日 (土)

1953年のニューヨーク・ブルックリン風景

ブルックリン最終出口
1989
西ドイツ&アメリカ

ウリ・エデル監督、ヒューバート・セルビーJr原作、デズモンド・ナカノ脚本、ステファン・チャブスキー撮影。
ジェニファー・ジェイソン・リー、スティーブン・ラング、バート・ヤング、ジェリー・オーバック、ピーター・ドブソン

1953年のブルックリン。6カ月もの間ストライキに入っている労働者たち、ストリート・ギャング、娼婦、ゲイ、兵隊。混沌とした街を描くにはいくつかの物語が設定される。スト事務所の責任者ハリー、街のギャング・ビニーら、娼婦トララ、ゲイのジョージーやレジナ、ジョニーの家族、酒場の店主ウイリー、アレックス--といった人々の物語だ。これらの物語は、相互にからまりあって進行するが、結末はストライキが勝利のうちに収束し、歓喜する労働者の群れが工場に入っていくシーンである。

ジョニーの娘エラはバイク狂のトミーと幸せな結婚生活に入り、弟スプークは娼婦トララに純情を寄せている。主人公ハリーは、組合費乱用で責任者を解かれ、ゲイのレジナに拒絶され、挙句の果てにビニーらからリンチを受けるという破局を迎えている。ジョージーは、ビニーに散々いたぶられながらも、思いを断ち切れず、麻薬におぼれ、仕舞いには車に轢かれて死んでしまうのだ。トララは、出征する兵隊との別離の悲しみの底で、列をなす群衆のひとりひとりにからだを投げ出し、レイプに耐える。スプークは、兄となったトニーの結婚の祝祭から抜け出し、レイプされるトララを救い出す。

幸運と破局のそれぞれの物語は、ブルックリンという街の単なる風景に過ぎない、と監督ウリ・エデルは言っているかのようだ。センセーションを巻き起こした原作の映画化であり、いつものように原作か映画か、という二分法で評論されがちだが、映画は街の一断面を描出することに成功していて、これでいいのである。ハリーが満たされない妻を犯すようにするセックスシーン、トララがレイプに耐えるシーンなど、鮮烈なシーンがいくつか存在する。
(2000.4.15鑑賞&記)

2020年9月25日 (金)

その一瞬、二人は目を合わせる。ボニーは、クライドは、何を、その一瞬、お互いの眼差しの中に見たであろうか。

俺たちに明日はない
1967年
アメリカ

製作:ウォーレン・ベイテイ、監督:アーサー・ペン、脚本:デビッド・ニューマン、ロバート・ベントン、撮影:バーネット・ガフィ、音楽:チャールズ・ストラウス。
出演:ウォーレン・ベイテイ、フェイ・ダナウェイ、ジーン・ハックマン、エステル・パーソンズ、マイケル・J・ポラード。
日本語字幕:林完治

「俺たちに明日はない」(1967年、米)は、アメリカン・ニュー・シネマと後に呼ばれるようになった流れの先駆的作品で、監督はアーサー・ペン。その流れは、「イージー・ライダー(1969年)、「明日に向かって撃て!」(1969年)、「真夜中のカーボーイ」(1969年)、「タクシー・ドライバー」(1976年)……と連なっていく。脚本の、ニューマン、ベントンが、フランス・ヌーベルバーグの強い影響を受けており、J・L・ゴダールへの監督交渉の経過もあったが、ゴダールは撮影中の作品があったために、アーサー・ペン監督作品となった話は有名である。

BS2「ミッドナイト・シアター」(3月16日)で放映され、30数年ぶりに見たが、作品はまったく色褪せることはなかった。20歳代に見て感じた胸苦しさに加えて、追い詰められてゆくボニー&クライドの心理関係の細部を味わうことにもなり、手に汗、心ズキズキしながら、見終えた。60年代末という時代は、2003年現在とまるで異なる状況だが、見ている自分は、何も変わっていない! という衝撃に打ちのめされた。映画を映画として見られない、変なこだわりが、いまなお、自分の中にある。

冒頭、ようやく意気投合しはじめたボニー・パーカーとクライド・バローの二人が、食品店を襲って店主と格闘し逃走する車の中で、クライドがこう語る。「殺そうとしやがった。何もしていないのに。食べ物ぐらいで騒ぎやがって。なんて野郎だ。おれが何をした」

クライドの、この台詞(せりふ)には、今でも、吹き出す。吹き出しながら、心の底のどこかで「そうだ、そうだ。食い物ぐらいで、オノ持ち出すなんて、ふてえ野郎だ」なんて、共感しているのである。

あの頃(60年代末)、「働かざるもの食うべからず」と叫んでいたのは、ヒッピー、フーテンを、世の中のゴミのように見なしていた、お行儀のいいオジサン・オバサンたちだった。マルクス系の学生たちも、おおかたデモに明け暮れる青春のさなかで、労働なんて、さっぱりだった。(少なくとも、近辺では)

映画の中の時間は1930年代であり、みんなみんなそのハングリーな気分を拠り所にし、未来を見ようとしていた。しかし、明日がない感じだった。生存の1回性、1回かぎりの人生よだった。

いま、未来はあるだろうか、と問うと、命の限りが見えている年頃になった。たいして、変わってないじゃないか。悔恨とともに、なお明日を思い描く毎日に変わりはない。

ボニー&クライドが、銃弾の乱射を浴びる寸前の、鳥の羽ばたき、バタバタという騒々しい音。無数の銃口が生垣の中で揺れる。その一瞬、二人は目を合わせる。ボニーは、クライドは、何を、その一瞬、お互いの眼差しの中に見たであろうか。なんとも、胸が騒ぐ。
(2003.3.16)

2020年9月24日 (木)

映像であるゆえに、個人の心理の深みだけでなく、複数の心理関係が同時的にとらえられ、脚本も見事というほかになく、この関係を表現した

鳩の翼
1997
イギリス

イアン・ソフトリー監督、ヘンリー・ジェームス原作、ホセイン・アミニ脚本、エド・シアーマー音楽。
ヘレナ・ボナム・カーター、ライナス・ローチ、アリソン・エリオット、シャーロット・ランプリング

ヘンリー・ジェームスの原作がもつ心理描写、というより心理関係描写が、見事に、映像に生かされた。映像であるゆえに、個人の心理の深みだけでなく、複数の心理関係が同時的にとらえられ、脚本も見事というほかになく、この関係を表現したのである。この記事を書くまでに、3度、鑑賞したが、見る度にディテールの完成度に圧倒され、見る度に感動は深いものになっていったことを記しておきたい。

主人公ケイトが、亡き母メアリー・クロイの墓を清掃するシーンがあり、墓碑に「1866-1908」と刻まれてあることから、この物語が、第一次世界大戦前の時代、20世紀初頭の話であることがわかるが、戦争は無縁である。ロンドンの社交界に生きるケイトと新聞記者マートンの恋に、不治の病にかかった富豪のアメリカ女性ミリーがからまる恋愛心理劇としてみるのが自然であろう。

マートンは、貧しい記者であるゆえ、ケイトへの求婚を、ケイトの伯母モードに反対されている。モードの後ろ盾がなければ、父の生活は維持できず、母はモードに反抗したために失意の最期をとげたことを知るケイトは、表面、モードに従うふりをしつつ、行く末、マートンと結ばれることを画策するようなクレバーな女性だ。

マートンとの交際をしばらく断ち、モードのテリトリーで暮らしているケイトの転機は、アメリカの富豪女性ミリーとの出会いである。ケイトとミリーは、互いに、気が合い、すぐさま親しくなる。そのミリーが、マートンを見初めたときから、ケイト、ミリー、マートンの三角関係が生じ、友情、同情、嫉妬、そしてミリーの財産の行方が、ケイトとマートンの愛に、切迫した試練を与えるのである。

ケイトは、不治の病を背負い余命いくばくもないミリーがマートンを愛していることを知り、同情心と友情心から、旅行先のベニスに2人を残す。ミリーの愛は、マートンの心を撃ち、2人は結ばれるが、ミリーはマートンの愛を得た喜びの中で死んでしまう。

ロンドンに戻ったマートンをケイトが訪れるラストシーンで、ミリーが2人の愛に残した試練が描かれる。ミリーからの手紙は、マートンに財産の分与を告げるものに違いないが、ケイトは手紙を暖炉にくべてしまう。マートンをベッドに誘うケイト。セックスの後、ケイトがマートンに言う。「誓って。彼女の面影を愛さない、と」。そのマートンの脳裏を、ベニスですごしたミリーとの楽しい時間が去来している。

同情や友情から、恋人マートンをミリーに貸すが、ミリーの魅力を知っているため、マートンが本気になりはしないか、嫉妬渦巻くケイトの心理を、ケイトの心理だけにとどめず、関係の中で描くことができたのは、(小説の言葉もそうであるが)、映像表現の巧みによるものといってよい。
(2000.10.1鑑賞&記)

2020年9月23日 (水)

指の一本くらい失うような愛を選び取りなさい

ピアノ・レッスン
1993
オーストラリア

ジェーン・カンピオン監督・脚本、マイケル・ナイマン音楽。
ホリー・ハンター、ハーベイ・カイテル、サム・ニール、アンナ・パキン

ジェーン・カンピオンは、後に「ある貴婦人の肖像」(1995)でもそうするように、ここでも主人公の女性に2人の対照的な男性を配置する。女をいかせてしまう男と女に暴力を振るう男である。

女に暴力を振るうといっても、見るからに野蛮な男ではなく、女=主人公の強い意志が、男の中に潜在している暴力的なものをひっぱり出してしまうという暴力である。外見は、紳士であるが、女によって、通常時は眠っている暴力性をあらわにされてしまう男たち。

女の官能に寄り添い、肌をふれあい、心を通わせる男は、やがて、女の肉体をも獲得する。ベインズが、エイダを射止めるのは、心と肉体が分離されていない状態の自然の女そのものだった。ストレートに女そのものに迫るのである。ピアノは、ベインズにとって、財産なのではなく、エイダの肉体=心の一部と見えたのであり、そうは見えなかった男=夫は、エイダをついに抱けない。

結末部で、「自分の意志が怖い。何をするかわからない強い意志が……」と、この物語のナレーターでもある娘フリンに語らせるのは、カンピオン監督の、自立し果敢な自己選択の道を選ぶ現代の女たちへのエールなのであろう。指の一本くらい失うような愛を選び取りなさい、とでも言っているかのようだ。
(2000.9.9記)

2020年9月22日 (火)

イザベルが男と交わした三つのキスの味

ある貴婦人の肖像
1996
イギリス

ジェーン・カンピオン監督、ヘンリー・ジェームス原作。
ニコール・キッドマン、ジョン・マルコビッチ、バーバラ・ハーシー

苦しみは深い。でも、いつか消える。今も薄れている。愛は残る。苦しみのわけがいつかわかる――臨終のベッドできれぎれに、ラルフがイザベルに語る。自分で選びとった男との結婚が無残に崩壊し、従兄弟ラルフを見舞ったイザベルがラルフの愛に深く気づくシーンである。

ラルフは常々、真に愛する女性のためなら自分を犠牲にすることをいとわない、と明言するような男である。男の愛は、そのためにあり、イザベルを愛しながらも、自己選択的に生きるイザベルを兄のような眼差しで見守っている。

カンピオン監督は、「ピアノ・レッスン」でもそうであるように、女心の核心に触れる男のやさしさの理想形を、ここでも提案しているかのようだ。

勝気ゆえにイザベルが選び取ったオズモンドは、芸術家然としながら、冷酷無比で奸計に富み、マダム・マールとの間の娘バンジーを連れ子として育てている。オズモンドとマールの間に秋風が吹き、イザベルがオズモンドのすべてを知るころ、ラルフが危篤になり、イザベルは新しい選択に踏み切るというストーリーの中で、オズモンドはラルフの対極にいるような男として描かれるのである。

悪のある男、計算のできる現実的な男――は、時として、その強さゆえに女性を魅惑するもののようであるが、気に入らないことを妻イザベルが行うと正体を現し、ドメスティック・バイオレンスを振るうとき、ようやくにして女性イザベルは自己選択の誤りを悟るのである。

冒頭、タイトルロールの背後で、物語とは関係のない女性たちの声だけが登場し、キスの経験を思い思いに語らせている。そのキスを、イザベルはラルフの臨終のベッドしなければならなかった。それは精神的なキスというしかないものだ。しかし、最後には、ラルフから「彼女に尽くしてくれ。彼女が望むように」と遺言された親友ウォーバートン卿を受け入れて、身悶えするような官能的なキスをついに果たすのである。イザベルが、オズモンドと交わしたキスの味を思うと怖いものがあるのだが……。
(2000.9.3記)

2020年9月21日 (月)

こんな風に男が女を愛しても、女は穏やかな微笑(みしょう)を湛(たた)えているばかりである。

フランス軍中尉の女
1981年
イギリス

カレル・ライス監督、ジョン・ファウルズ原作、ハロルド・ピンター脚本。メリル・ストリープ、ジェレミー・アイアンズ

映像表現うんぬんではなく、メリル・ストリープという女優の不可思議な魅力に、映画の中のジェレミー・アイアンズと同じようにとりこになってしまった。こんな風に男が女を愛しても、女は穏やかな微笑(みしょう)を湛(たた)えているばかりである。

劇中劇の愛の悲劇を演じた俳優は、外では、不倫関係を小粋に楽しむ男女でもある。劇中劇の外の現実ではハッピーエンドに仕立てたところもじめじめさを吹き飛ばして、ますます映画を好きになってしまう。その上そこでも、自由な男女関係をあっけらかんと称賛しているかのようなアングルが抜群だ。
(2000.3.5記)

2020年9月20日 (日)

アンナを死に追いやった母性愛

アンナ・カレーニナ
1997
アメリカ&イギリス

バーナード・ローズ監督・脚本、レオ・トルストイ原作、ダリン・オカダ撮影。
ソフィー・マルソー、ショーン・ビーン、アルフレッド・モリーナ、ミア・カーシュナー、ジェームズ・フォックス

アンナを自殺に追いやったものは何か。自殺までしなくてもよかったのではないか。トルストイは、ほかの道を考えられなかったのか。19世紀末のテーマであり、いまどき、不倫で自殺とは古いよと言える人は幸せである。

アンナが自殺に追いやられる過程を執拗に描いていることは、映画に関しても原作に関しても見逃せない点だ。それが最大のテーマであると言っても過言でないくらいだ。19世紀末の貴族社会の道徳、因習に反抗した一人の女性の恋の苦悶を、自殺で終わらせる作品をトルストイは書いたのだし、映画もそれに脚色を加えなかった。すでに古典のストーリーを知っている人は、この苦悶の過程を味わい、思索する読者・観客であることを求められている。

アンナ=ウロンスキーの物語とキティ=レーヴィンの物語を対比的に構成した原作をさらに強調したローズ作品は、レーヴィン=キティの側からアンナ=ウロンスキーの愛にオマージュを贈ったのである。その愛の内実だけが主要なテーマである、といってよい。アンナとウロンスキーが、2人だけの時間をイタリアで所有する場面があるが、その愛の歓喜は根のない、1回限りのものであった。愛が、つねにそういう側面をもつものであるように……。だから、レーヴィン=キティが正しい、などとこの映画が訴えているのではない、ということである。

やはりというか、どうしようにもなくというか、アンナを苦しめたのは、息子への愛だったのか。母性との格闘の末に、アンナは死を選んだのか。アンナ・カレーニナを自殺に追いやったものが、母性愛そのものであったのではないか、という新しい見方で映画が作られていないか、と期待して見たが、それらしい新しさは見当たらない。という意味で、原作に忠実な映画ということができる。

古典大作の映画化は、原作の深い解釈から始まり、解釈に終わる。それで基本的にOKなのだ。それすら達成できないのなら、誤謬が拡大されるだけだから、やらないほうがましである。
(2000.6.5記)

2020年9月19日 (土)

愛の怨念、不動の愛、終わらない愛―の結末

嵐が丘
1992
イギリス

ピーター・コズミンスキー監督、エミリ・ブロンテ原作、アン・デブリン脚本、坂本龍一音楽。
ジュリエット・ビノシュ、ラルフ・ファインズ、ジャネット・マクティア、サイモン・シェパード、ソフィ・ウォード

ヒースクリフの暴力はいつ終わりを告げるのか。いつまで続けられるのか。ヒースクリフがこの世を去ってもヘアトン・アーンショウに引き継がれるのだろうか。引き継がれ、繰り返され、悲劇が循環するのだろうか。もし、終わるとすれば、それは何によって、誰によって終わらされるのか。作品は、どのような結末を見せるのか。というような関心をあらかじめ用意して見た。それは、文学の古典の筋書きがすでに知られているからだ。その1点をピーター・コズミンスキー監督作品はどうとらえたか、とドキドキしながら見るのである。

イントロとエンディングに、シンニード・オコナー演ずる作者エミリ・ブロンテを登場させ、物語の絶対的語り手を設定した作品。物語の中には登場しないが、物語のすべてを聞き知った者の存在、いわば神の視座をしつらえたのである。

ヘアトン・アーンショウとキャスリン・リントンが馬を駆って、ヒースの丘を疾走するエンディングのシーンは、憎しみの劇の終焉を暗示する。ヒースクリフのキャシーへの愛。それを、一瞬たりとて動じなかった不屈の愛の劇として封印したことを示したものであろう。ジュリエット・ビノシュによるキャシーを、因習から解放された女性として描いた点も新しい。
(2000.5.24鑑賞&記)

2020年9月18日 (金)

晴れがましい怒り――アンガー・ジェネレーションは、やがて世界に広がっていく

土曜の夜と日曜の朝
1960
イギリス

トニー・リチャードソン製作、カレル・ライス監督、アラン・シリトー原作・脚本、フレディ・フランシス撮影。アルバート・フィニー、シャーリー・アン・フィールド、レイチェル・ロバート

なんとも爽やかな怒り――。アンガー・ジェネレーションはやがてビートルズに継承され、フランスでは「勝手にしやがれ」に呼応、のちにアメリカでは「俺たちに明日はない」「イージーライダー」などに継承され、60年代末から70年代の学生叛乱、労働運動、反体制運動などへ浸透していった、などとだれも言わないが、ぼくは断じてそう思い込んでいる。カレル・ライス監督デビュー作品。
(2000.4.8鑑賞&記)

2020年9月17日 (木)

俺の人生は乱雑に書きなぐった下書きだ

汚れた血
1986
フランス

レオス・カラックス監督・脚本、ジャン=イヴ・エスコフィエ撮影。ドニ・ラヴァン、ジュリエット・ビノシュ、ミシェル・ピコリ、ハンス・メイヤー、ジュリー・デルビー。

「自然に出る。すべての舗石を愛撫する。階段の一段一段に感謝する。もしも生き延びればだ。駄目だったら怒り狂うぞ。俺の人生は乱雑に書きなぐった下書きだ。何という混沌。まるで海原の真っ只中で崩れていく波のうねりのようだ。決して浜や岩にたどりつかない。生きるすべを学ぶ時間はもうない。でももっと生きるはずだった。まだ何年も何年も。人生を整えるために。」--。

主人公のアレックスが息をひきとるときに喋る言葉だ。

「ボーイ・ミーツ・ガール」「ポンヌフの恋人」とともに、世に青春3部作と呼ばれるカラックス作品群の2作目。フィルム・ノワールやメロドラマの要素を取り入れ、饒舌といえる文学趣味も色濃いが、この最後のシーンは哀切だ。ジュリエット・ビノシュ演じるアンナに心ひかれたアレックスが突如、踊りだし、駐車しているポルシェをひっくり返すシーンが身体で喋るのとは対照的である。

ゴダールに影響されたといわれるカラックスだが、ゴダールとはまったく別の世界を作っている。歌舞伎でいうところのけれんがあり、何度も見ると、匂うほどである。この匂いの中に、アレックスの素朴な怒りがかき消されてしまう。ゴダールほど画面が乾いていないのは、文学性が前面に出すぎるせいであろうか。
(2000.3.26記)

2020年9月16日 (水)

ドキュメント(裁判記録)に埋没している史的ジャンヌ・ダルクは、解釈の眼差しを通過するのである。

ジャンヌ・ダルク裁判
1962年
フランス

監督・ロベール・ブレッソン、脚本・ロベール・ブレッソン
出演・フロランス・カレ、ジャン=クロード・フルノー、ロジェ・オーラ
カンヌ国際映画祭(1962年)グランプリ(審査員特別賞)

ロベール・ブレッソン「ジャンヌ・ダルク裁判」は1962年作品で、「スリ」(1959年)、「バルタザール どこへ行く」(1964年)の間に作られた。ドキュメンタリーというより、シネマトグラフという言い方がブレッソンに即している作品である。「スリ」や、その前作「抵抗」(1956年)で試みられたシネマトグラフは、この「ジャンヌ・ダルク裁判」を経て、「バルタザール どこへ行く」で頂点に達する。

男性の服装をしたジャンヌが、裁判官から女性服の着用を求められるが、断じて(というより、凛として)(というより、さらっとした感じで)拒絶するシーンが2度3度ある。ブレッソンは、現存する裁判記録を丹念に調べ上げてこの作品を作ったといわれているのだが、ここにドキュメンタリーとシネマトグラフの分岐点が垣間見られるのである。

歴史上、異端審問、魔女裁判といわれるジャンヌ・ダルク裁判は、この作品「ジャンヌ・ダルク裁判」で、性差別やジェンダーというテーマをも視野に入れた。ドキュメント(裁判記録)に埋没している史的ジャンヌ・ダルクは、解釈の眼差しを通過するのである。こうして史的ジャンヌは現代性を帯びるが、そこにはドキュメンタリーとの決定的な差異が生じるのであり、この点にシネマトグラフとブレッソン自らが命名した映画表現の独自性も存在しはじめる。
(2002.5.25発)

2020年9月15日 (火)

その2 過剰な技法を抑制し、センセーショナルといえるシーンのひとつもない、内省に満ちた反戦映画がつくられるまでには、ルイ・マルといえども時間を要した。

さよなら子供もたち
1987
フランス

監督・脚本・制作 ルイ・マル
音楽 シューベルト、サン=サーンス
撮影 レナート・ベルタ
編集 エマニュエル・カストロ
出演 ガスパール・マネッス、ラファエル・フェジト、フランシーヌ・ラセット

ボネ、ネギュス、デュプレは、アウシュビッツで死んだ。ジャン神父はアウトハウゼンで死亡。学校は1944年10月に再開した。40年の歳月が過ぎたが、わたしは死ぬまでこの1月の朝を忘れない。

「さよなら子供たち」のエンディングのナレーションは、ジュリアンの表情をアップでとらえ、ジュリアンが語る。ジュリアンは、いま、どこでなにをしているのかは明らかにされないが、40年の歳月が流れている。語るのは、初老にさしかかった50代のジュリアンである。

少年ジュリアンは、ジャン神父、ボネ、ネギュス、デュプレがゲシュタポに拉致されてゆくのを、「いま」見た。寄宿学校の生徒たちが集められ整列する前を、たったいま、4人がゲシュタポに連れ去られたところである。子どもたちの一人が、「さよなら神父さん!」と語りかけると、ほかの子どもたちも口々に、「さよなら神父さん!」と語りかける。ジャン神父は、ふと立ち止まり、子どもたちに「さよなら子供たち!」と一言、言って、寄宿学校の門を出て行く。4人のうちの最後尾を歩いていくボネにさよならを言うジュリアンに、さよならを返し、ボネも門から消えた……。

そこに冒頭に記したナレーションがかぶさる。映画全般がさりげなく進むが、最後の場面もこのように淡々と過ぎてゆく。

聖体拝受式後の父母同席のパーティーで、「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通る以上に困難である」と聖書の有名な言葉を激越な口調で語るジャン神父は、特別である。神父はこの演説を除いていつも寡黙(かもく)であり、「さよなら子供たち!」と語るこの最後の場面のようにいつも寡黙である。そうであるがゆえに、ジュリアンのアップの表情とナレーション(とその内容=ナチスによる4人の死)が、鮮烈に見る者に響いてくる。

反戦を静かに静かに訴えるルイ・マルは、この映画をつくるまでに「鬼火」「ルシアンの青春」などの作品をつくらなければならなかった。過剰な技法を抑制し、センセーショナルといえるシーンのひとつもない、内省に満ちた反戦映画がつくられるまでには、ルイ・マルといえども時間を要した。
(2002.4.21)

2020年9月14日 (月)

その1 瞬間の、このかすかな肉体の表情によって、人は人を殺しているのに、人はそれを自覚していない(動物はこんなことを決してしない)。作品は、その瞬間をとらえる。ジュリアンの表情を通じて……。

さよなら子供たち
1987
フランス

監督・脚本・制作 ルイ・マル
音楽 シューベルト、サン=サーンス
撮影 レナート・ベルタ
編集 エマニュエル・カストロ
出演 ガスパール・マネッス、ラファエル・フェジト、フランシーヌ・ラセット

ルイ・マル監督の1987年作品「さよなら子供たち」は、「死刑台のエレベーター」「地下鉄のザジ」「鬼火」「ルシアンの青春」「ダメージ」などの他作品に比べて、抜きん出たものがある。実に見事な作品である。他の作品が見事なものであっても、もっともっと見事だ、と言いたいほど見事である。

映画は、主人公ジュリアンの回想であることが、最後のワンカットで示されて、ようやく回想であることがわかるつくりで、回想を冒頭からは明らかにしない。回想を示すナレーションは、最後の最後のひとことしかはさまれない。そして、回想であることを示された次の瞬間に、映画は終わっている。そのようにつくった意志に、Finを見させられながら感心させられてしまうのである。これは、見事である。

見事というのは、このような映画つくりの技法によるが、真にこの作品を見事にしているのは、ジュリアンという12歳の少年の眼差しを通じた作家の眼差しにある。この点でも、技法とはきりはなすことができないが、技法を超えて存在する眼差しにこそ見事さの根源がある、と言えるような作家の眼差しである。それは、内省とか洞察とか思惟とか……という領域にあるものである。

ひとつのことを例示しておこう。

終盤、ゲシュタポに追われたユダヤ人少年の所在を漏らしてしまう看護婦のさりげない所作は、人間ならだれしもが身につけているものである。ユダヤ少年の隠れたベッドを大声を出して教えてしまうというより、目の動き=めくばせで伝えるという悪意は普通の人々のものである。瞬間の、このかすかな肉体の表情によって、人は人を殺しているのに、人はそれを自覚していない(動物はこんなことを決してしない)。作品は、その瞬間をとらえる。ジュリアンの表情を通じて……。ジュリアンが見た普通の人の悪意に、ジュリアンは恐れ戦(おのの)く。作品は、そのジュリアンの表情をとらえる。
(2002.4.17)

2020年9月13日 (日)

自分もまた、タジオのような少年、ロリータのような少女に会うことができるだろうか、と孤老の身に置き換えて見てしまう

ベニスに死す
1971
イタリア

ルキノ・ヴィスコンティ監督・脚本、トーマス・マン原作、ニコラ・バダルッコ脚本、パスカリーノ・デ・サンチェス撮影。
ダーク・ボガード、ビヨルン・アンドレセン、シルバーナ・マンガーノ

老残の身に秋風が沁みるように、若い人々の命はまぶしい。焦がれるような恋慕の情が湧き起っても、不思議ではない。「ロリータ」が若い女性への老年の恋慕であったのに対し、ここでの相手は少年である、美少年である。

ビルドゥングス・ロマンをよくしたトーマス・マンの原作を格好の素材に、ヴィスコンティは饒舌を排し、単旋律で、ただただ少年にあくがれる老残の音楽家の内部を追う。原作の音楽家は、グスタフ・マーラーをモデルとしたといわれており、ヴィスコンティもグスタフの名をこの老人に与え、バックに5番交響曲を終始、流し続けている。

グスタフが親友アルフレッドに、芸術論争を吹っかけられる場面がいくつかあり、死期間近であっても、創作意欲に衰えのない音楽家は、少年タジオとの交感を通じて「美」の完成へと最後の力をふりしぼる。少年が弾く「エリーゼのために」が、いつしか高級娼婦エスメラダのピアノへ転じるシーンは、精神の高みにのぼるものは悪とのたたかいを通過せざるを得ないという摂理を表現したものだろうか。

人の晩年が、このように、孤独で、肌寒い心情に見舞われることを考えるとき、自分もまた、タジオのような少年、ロリータのような少女に会うことができるだろうか、と孤老の身に置き換えて見てしまう作品だ。
(2000.9.25鑑賞&記)

2020年9月12日 (土)

ドストエフスキーの純愛作品を幻想的にデザインしたヴィスコンティ作品

白夜
1957
イタリア

ルキノ・ヴィスコンティ監督、スーゾ・チェッキ・ダミーゴ脚本、ニノ・ロータ音楽。
ベネチア映画祭銀獅子賞。

ドストエフスキーとヴィスコンティというアンバランスに興味をもって見る。小説を読みはじめた矢先、ビデオ・レンタル店で見つけ、先に映画作品を見てしまった鑑賞記である。

ペテルスブルクの町は、イタリアのベニスあたりに設定されているし、主人公の青年はマルチェロ・マストロヤンニ、女主人公ナタリアはマリア・シェル、その恋人はジャン・マレーという「こってりした」演技派ばかりだし、背景はオール・セットと、いかにもヴィスコンティらしい仕掛けだ。主人公がラスコリニコフのような蒼白の貧乏青年である必要はないのである。

原作「白夜」の悲劇性が、スーゾ・チェッキ・ダミーゴの脚本、ニノ・ロータの音楽などとともに、攻撃的に演出されている。たとえば、この町並みには、何一つロケ撮りが存在しない。雪のシーンさえ、自然を排するのである。この人口的風景の中で展開する人間のドラマの幻想性。それを高めるかのようなオールセットである。

「ラテン的ドストエフスキー」などと言えばヴィスコンティが怒るかもしれないが、結末、マストロヤンニの孤独、絶望に救いが感じられるのは、野良犬(唯一の自然物と言える)を登場させた演出によるだけでなく、全編を通じての「ラテン性」にあるような気がしてならなかった。ナタリアに「恋してるような目で私を見つめるのね。私のことを知った以上、恋しちゃだめよ」などと言わせるのも、ドストエフスキー作品をラテン的に洒落て解釈してみせる主体=ヴィスコンティの「ローマ的」大らかさである。
(2000.5.12鑑賞&記)

2020年9月11日 (金)

その2 フラガーノの留守中に、初めて会った二人は、すでに肉体のつながりを持っていたが、ここでさらに結ばれるのである。その仕掛けが、夜に鳴く猫であり、それは求愛する動物の声である。

郵便配達は二度ベルを鳴らす
1942
イタリア

ルキノ・ヴィスコンティ監督、ジェームズ・M・ケイン原作、ジュゼッペ・ロサーティ音楽。クララ・カラマイ、マッシモ・ジロッティ、ジュアン・デ・ランダ

ルキノ・ヴィスコンティ「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は1942年の映画だ。半世紀以上前の作品が、輝いている。色褪(あ)せない。これまで何度見たか、これで最低3回は見た記憶がある。映画、ことさら名作は、いつ見ても、なんらかの発見があるものだが、今回(昨日)見て2ヵ所、それがあった。

ジョバンナの憂悶を表わす猫のシーン。

冒頭部、ジーノ、ジョバンナ、フラガーノが、初めて3人そろうシーンで、ジョバンナは、戸外でやかましくわめきたてている猫の夜鳴きをどうにかして欲しいと、夫フラガーノに懇願する。フラガーノは、ジョバンナの心を理解せぬまま、銃を取り出し、夜鳴き猫を射殺してしまう。このシーンで、フラガーノが銃を取り出し、戸外に出た直後、ジーノは、ジョバンナのところに、すっと歩み寄り、肩を抱きしめて、労(いた)わる。ドン、という銃声を聴くジョバンナとジーノは、心でも結ばれる。ジーノは、ジョバンナの憂悶を理解する。「触られるのも嫌や」というほどに、夫のがさつさを嫌悪する女の気持ちを、ジーノは確認する。フラガーノの留守中に、初めて会った二人は、すでに肉体のつながりを持っていたが、ここでさらに結ばれるのである。

その仕掛けが、夜に鳴く猫であり、それは求愛する動物の声である。ジョバンナの憂悶が、この猫の鳴き声にかぶさった、シンボリックな表現になっているのだ。

もう一つのシーン。フラガーノを殺害してしまったジーノとジョバンナが、同じ屋根の下で暮らし始めた日の終りに、ジョバンナが一人、片づけの済んでいないフロアで、食事するシーン。

ジーノは、すでに「こんなはずではなかった」という悔いを、ジョバンナとの定住生活に感じている。二人は、口論したばかりだ。客のひけた、祭りの後の店。食い散らかし、飲み残されたテーブルの端の椅子に腰掛け、シチューをほうばるジョバンナは、疲れにまかせて、眠り込んでしまう。夢の暮らしを手に入れて、健気に働いた1日の終りに、伴侶であるジーノからの反発を受けたジョバンナは、何を思うか。不安を、包み込むように眠りが襲うのである。ジーノとの暮らしに、すでに翳りが見えたことを表わすシーンである。

この2シーンだけで、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の、ジーノとジョバンナの関係の流れが表現されている。
(2002.2.24)

2020年9月10日 (木)

その1 一瞬のうちに結びついた男女の愛が、一瞬にして滅び去る

郵便配達は二度ベルを鳴らす
1942
イタリア

ルキノ・ヴィスコンティ監督、ジェームズ・M・ケイン原作、ジュゼッペ・ロサーティ音楽。クララ・カラマイ、マッシモ・ジロッティ、ジュアン・デ・ランダ

意に沿わぬ結婚をして、本心、夫フラガーノに触れられるのもいやなのだが、仕方なく抱かれる熟年の女ジョバンナが、風来坊のような移動労働者ジーノと出会う。共謀して、フラガーノを殺した後に二人を襲う齟齬感。ジーノは、フラガーノの影のこびり付いた家に耐えられず、ジョバンナは生きる糧となった家を離れられない。ジーノがつぶやく。「想像してたのと違う」。ジョバンナが、ジーノに拒否され、一人、片付けの終わっていない店のフロアで食事するシーンがリアルである。

ヴィスコンティは、ジーノに大道芸師との男同士の友情というテーマを設定し、男女の愛を鮮明に対比的に浮き上がらせた。また、ジョバンナをジーノより年上としたことにより、薄幸な女がつかんだかに見えた幸福が、もろく崩れていくという悲劇性をも高めたのだ。

結末、家を捨て二人が旅立つ車が転覆して、ジョバンナが無残な死に至る場面があわれである。この二人に、むつまじく穏やかで平和な家族的時間が訪れるかに見えたのは、身ごもったジョバンナが未来を語る、この旅立ちの車の中だけであった。一瞬のうちに結びついた男女の愛が、一瞬にして滅び去る。
(2000.4.8記)

2020年9月 9日 (水)

若者たちの列に取り囲まれながら、沸々(ふつふつ)と湧いてくる悦びに似た心の揺れを、しっかりと胸に抱きしめている。

カビリアの夜
1957
イタリア

「カビリアの夜」は、1957年作だから、フェデリコ・フェリーニ初期の作品といってよいだろう。1920年生まれのフェリーニは、出世作「道」を54年に、「甘い生活」を60年、「8・1/2」を63年と、40歳前後のこのころ、約3年に1本のペースで作品を世に問うた。「道」がそうであったように、「カビリアの夜」も、いまだネオ・レアリスモの色彩を残しながら、フェリーニ的世界の確立期に入った作品である。

純粋無垢、薄幸の娼婦カビリア(ジュリエッタ・マシーナ)の、転んでは起き上がり、転んでは起き上がりする健気(けなげ)さに、思わず拍手喝采となる結末も、その結末に至る直前の劇には、胸を締めつけられる緊迫感がみなぎる。観客は、カビリアが幸せの頂点に立っている丁度その時に、すでにこの幸せが崩れてゆく予感を抱かされ、ドキドキする胸の鼓動を押さえきれないのである。

その劇とは、こんなふうな会話で進む。オスカーに誘われ、湖に沈む夕日を見にきた湖畔で、2人きりの時間が成り立つ幸せの頂点と奈落の瞬間に交わされる会話である。


神様はいるのね。
不幸と苦しみばかりの人生にも、最後には幸せが訪れるのね。あなたは天使よ。

手が氷みたい。
後悔してる?
きれいね。深そう。
ボートに乗りたいわ。ボートはないの?
<泳げる?>
全然。この前、溺れかけたの。突き落とされて。

何よ。
どうしたの?
殺さないわね。
答えて。
殺さないわね。
殺す気なの?
黙ってないで、答えて。
何か、言って。
黙ってないで。
お金ね。
やっぱり、お金ね。

殺して、お願い。
もう生きていたくない。
殺して。
こんな人生にはうんざりよ。
突き落として。
生きていたくない。
早く殺して。
<黙れ。殺す気はない。黙るんだ。>

もうイヤ。生きていたくない。殺して。
お願い。殺して。生きていたくない。
殺して。
殺して……。

先ほどオスカーと辿った森の道を、カビリアが行く。恋人たちの集団が、ギターやアコーディオンを弾きながら、家路を急ぐ森の道だ。カビリアの立ち直りは早い。若者たちの列に取り囲まれながら、沸々(ふつふつ)と湧いてくる悦びに似た心の揺れを、しっかりと胸に抱きしめている。それは、不幸なんてものじゃない。
(2002.3.24SUN)

2020年9月 8日 (火)

この作品に瞬間的に現われた笑いの要素は、チャップリンやジャック・タチを連想させるものがあった、と見るのはピント外れなのだろうか。

大きな鳥と小さな鳥
1965-66年
イタリア

製作: アルフレード・ビーニ
脚本・監督: ピエル・パオロ・パゾリーニ
撮影監督: トニーノ・デッリ・コッリ、マリオ・ベルナルド
美術: ルイジ・スカッチャノーチェ
音楽: エンニオ・モリコーネ
編集: ニーノ・バラッリ
出演: トト、ニネット・ダヴォリ、フェミ・ベヌッシ、ロッサナ・ディ・ロッコ

傑作をまた見てしまって、言葉を紡ぎ出せない状態だ。とりあえず、スタッフ&キャストをメモしておくが、ひとことだけ記しておこう。さまざまな見方ができ、さまざまに読めるという多義性を名作はもつものだが、そのひとつに過ぎないアングルである。

「大きな鳥小さな鳥」が、パゾリーニ映画のあるエポックを画した作品であることは間違いないことだろうけれど、この作品に瞬間的に現われた笑いの要素は、チャップリンやジャック・タチを連想させるものがあった、と見るのはピント外れなのだろうか。1度や2度は、この作品のある場面で笑いを爆発させてしまった観客は少なくあるまい。
(2002.4.29)

2020年9月 7日 (月)

革命をアジテートし、自ら先頭に立つというこれほどにヴィヴィッドなイエス像は、60年代の革命的高揚に後押しされて創造された背景がありつつも、いまなお、これを超える革命者イエスはつくられていないようである。

奇跡の丘
1964
イタリア

アルフレード・ビーニ製作、 ピエル・パオロ・パゾリーニ脚本・監督、 トニーノ・デッリ・コッリ撮影監督、 ルイジ・スカッチャノーチェ美術、 ルイス・エンリケス・バカロフ音楽、 ニーノ・バラッリ編集

出演: エンリケ・イラソキ、マルゲリータ・カルーゾ、スザンナ・パゾリーニ、マルチェッロ・モランテ、マリオ・ソクラテ、ニネット・ダヴォリ

ピエル・パオロ・パゾリーニ「奇跡の丘」(1964)は、極めて文献に忠実な作品である。「アポロンの地獄」が「ソフォクレスのオイデプス」を下敷きにしていたように、ここでは「マタイによる福音書」を下敷きにしており、映画の原題も「マタイ福音書」である。いわゆる史的イエスを鷲掴(わしづか)みした観がある。その上、パゾリーニ独自の解釈が打ち出され、画面は、はじめから終りまで緊張感が継続し、茶の間ビデオで鑑賞していてもトイレに立てないほどである。(トイレに立つときには、一時停止のボタンを押すのだが。)

聖書を詳しく読んだわけではないが、①十字架はイエス自らが担いでゴルゴタの丘への道を歩かされたのではなかったのか、②ユダの首吊り自殺は、記録されているのだろうか、③イエスの母マリアは、イエスの磔刑(たっけい)の現場に居合わせたのだろうか――など、いくつかの疑問が湧き、解消されていった。

処刑場であるゴルゴタの丘にはいくつかの十字架があり、イエスの処刑は単独で行われたのではないこともリアルだったが、処刑後の夜、マリアや使徒たちがイエスの遺体を十字架からおろし、白いシーツに覆って運び出したシーンを撮ったこともリアルであり、やがて復活する(=この世に甦る)ことになっても、不信心な者でさえ、違和感を抱かなかったほどにリアルであった。マタイ福音書に記されて、世に膾炙(かいしゃ)している名高いロゴスの数々を、パゾリーニはふんだんにイエスに語らせ、それを聞かされた観客は、すでにパゾリーニ=イエスのマジックの中にあるからだろうか。

革命をアジテートし、自ら先頭に立つというこれほどにヴィヴィッドなイエス像は、60年代の革命的高揚に後押しされて創造された背景がありつつも、いまなお、これを超える革命者イエスはつくられていないようである。
(2002.4.20)

2020年9月 6日 (日)

パゾリーニこそ、60・70年代的才能だったことが明らかになるであろう。 ――パゾリーニ「アポロンの地獄」への助走その2

ピエロ・パオロ・パゾリーニは、1960年代末から70年代前半という時代――というのは「われわれ」の青春期――に、「奇跡の丘」「アポロンの地獄」「王女メディア」「テオレマ」「豚小屋」(など)によって登場した。いまや本人は死亡し、古典となった作品群は、2002年の青春にも支持され、甦っているようである。その解釈・評価の方法は、脱構築というよりも、ストレートに作品に向かい、真摯(しんし)な受け止め方が多い(ようである)。

NHK・BSや朝日新聞社「イタリア映画祭」などで、パゾリーニ作品に再会し、あらためて、というより、初めて60・70年代の輝きに触れている。と言うとおおげさだが、そのきっかけを掴(つか)んだような感慨がある。1975年に死んじまったパゾリーニは、その後を生き延びた「60・70年代たち」にまさって、輝いていることを、いま2002年に知ることになった。これは、幸いである。

文学作品も数多く残したパゾリーニだが、ここに日本公開された映画作品の一覧をまとめ、パゾリーニ=「60・70年代のわかれ」の一歩を記しておきたい。パゾリーニこそ、60・70年代的才能だったことが明らかになるであろう。ゆえに、もはやおぼろになった60・70年代を、個人の記憶からわれわれの記録にとどめておく意味も明らかになるであろう。

1922 誕生
乞食 1961
マンマ・ローマ 1962
ロゴパグ 1963
愛の集会 1964
奇跡の丘 1964
大きな鳥小さな鳥 1966
アポロンの地獄 1967
華やかな魔女たち 1967
テオレマ 1968
豚小屋 1969
王女メディア 1970
デカメロン 1971
アラビアンナイト 1974
ソドムの市 1975
1975 逝去
(2002.5.5)


2020年9月 5日 (土)

終盤、すべてを知ってしまったオイデプスにイオカステが語りかける。母の愛人になることをなぜ驚くのです。男は誰でも愛で母親と結ばれているとか。誰でも言いますわ」 ――パゾリーニ「アポロンの地獄」への助走その1

アポロンの地獄
1967
イタリア

パゾリーニ「アポロンの地獄」をもう1度見直した。これで、通算3度見たことになる。1度目は、今から30年以上も前のことで、ほとんど記憶にないことは、昨日付けで記したが、記憶とはつねに不思議なもので、甦(よみがえ)ってくることもあるのである。

2度目に甦らず、3度目に甦るなどということがあるのが、記憶の不思議である。

つまり、あの時=30年以上前には、あの時なりに、認識したことがあるということであり、長い時間を経て、認識されたものは、記憶装置の下層に沈殿し、あるいはほとんどは消滅したにもかかわらず、残存していた部分が、呼び覚まされるということが起こるのであろう。

残存していた部分とは、知識であるよりも、雰囲気とか感じとか匂いとかである。あの時、目一杯、映画という世界に入り込み、オイデプスの悲劇に浸り、その意味について若干は「認識」したのだが、甦ってきたものは、「知識」の部分ではなく、もっと「生(なま)な」「五感的な」部分であった。

モーツアルトの弦楽四重奏や、日本の雅楽や笛・太鼓の音楽、バリ島のケチャ、東欧やアラブのの民族音楽など、この映画で使われている多彩な音に、既視感、見覚え感(いわゆるデ・ジャブ)があり、そういえばそうだったなどと、記憶の下層から立ち上ってくる感覚があったのである。

オイデプスについては、渋谷街頭で僚友たちと議論を交わした覚えがあり、こちらは内容をてんでに覚えていない。ぼくたちは、むしろ近親相姦というテーマでしか、この作品を論じなかったような覚えがある。それはそれで、この作品に接近する角度ではあり、間違っているわけでもないが、「アポロンの地獄」への1視点にしかならないのではなかろうか、と今にしては思うのである。

3度目に見た「アポロンの地獄」は、ソフォクレスに拠るところが大きいことをあらためて知ったが、パゾリーニの深い読みと、なによりもパゾリーニの独創、パゾリーニの表現、パゾリーニの思想が鮮烈に描かれている点が衝撃であった。

ひとつだけ、記しておこう。終盤、すべてを知ってしまったオイデプスにイオカステが語りかける。母の愛人になることをなぜ驚くのです。男は誰でも愛で母親と結ばれているとか。誰でも言いますわ」

パゾリーニは、イオカステ=シルヴァーナ・マンガーノをして、母と子の肉体の愛をも肯定する言葉を発言せしめたのであろうか――。

その謎を解くには、膨大な言葉が費やされねばならない。

(2001.5.27)

2020年9月 4日 (金)

この映画は、結婚にあたって処女でないことが罪であり、その(処女でなくした)相手を殺すことが家族・兄弟の名誉の問題である「村」(=マチズモ)の話なのである。

予告された殺人の記録
1987
イタリア・フランス

フランチェスコ・ロージ監督、ガブリエル・ガルシア・マルケス原作、トニーノ・グエッラ脚本、パスファリーノ・デ・サンティス撮影、ピエロ・ピッチョーニ音楽。
ルパート・エヴェレット、オルネラ・ムーティ、ジャン・マリア・ヴォロンテ。アンソニー・ドロン、アラン・キュニー

フランチェスコ・ロージ監督「予告された殺人の記録」は、つまるところ、恋愛劇として見るのが妥当なようである。ガブリエル・ガルシア・マルケスの原作をロージ的に読みながら、ロージ的映像美を強く打ち出した作品になっている。

殺人の動機が生じ、実行されるまでの実時間はわずか半日に満たない。その前段になる時間は、バルヤドン・サン・ロマンという金持ちでハンサムな男が、南米コロンビア(マグダレナ川の流域か)のある田舎の村の船着場に下船した3か月前に起点があった。この2つの時間を包み込むようにして、こ映画の現在=事件から25年を経た時間があり、その現在、この殺人事件の謎を解明しようとする男クリスト(殺されたサンチァゴの親友)によって案内された観客は、3つの時間を往来することになる。ロージは、原作の時間を、このように映画的に再編集したのである。

したがって、物語は、バルヤドンがアンヘラを見初め、結婚式・初夜へと至り、アンヘラの不実を知るシーンへ遡り、サンチァゴがアンヘラの2人の兄弟に殺されるシーンへ舞い戻り、そして25年後にバルヤドンとアンヘラが再会するシーンへと前進する形になった。この再会は、25年間、アンヘラが書き続け、無視され続けた愛の手紙を、バルヤドンが受け入れるというエンディングで終わるのである。

この映画が、恋愛劇である理由はここにあり、ロージは、原作には存在しない、この再会劇を編み出したのである。

サンチァゴの親友であり、殺人の行われた当日もほとんどサンチァゴと一緒に行動していたクリストは、この映画全体の案内役でもあるが、深い後悔の念を抱いて、サンチァゴ殺害の真相を糺しに、25年ぶりに村を訪れた。なぜ、サンチァゴを救えなかったのかと自問するとき、「偶然」の積み重ねとするには、後悔が消えないからである。

クリストは語る。
――検察官は熱心に取り調べたが、サンチァゴが張本人であることを示すささいな証拠でさえ見つけられなかった。親友たち同様、検察官にとっても、サンチァゴが最後の瞬間に示した行動が潔白の証拠だった。これほど予告された殺人はない。
 何年もの間、話題は他になかった。夜明けに鶏が鳴くと、すぐに我々は、不合理な事件を可能にした偶然の繋がりに秩序を与えようと努めた。もちろんそれは、無数のミステリーを明かすためではなく、宿命が彼に名指しで与えた場所と任務が何だったのかが解けなければ、日常に戻れなかったからだ。
 多くの人には分からなかった。だが、犯行を阻むために何かができたはずなのに、しなかった人の大方は、名誉の問題は当事者にしか近づけない聖域であることを口実に自らを慰めたのだった。

この映画は、結婚にあたって処女でないことが罪であり、その(処女でなくした)相手を殺すことが家族・兄弟の名誉の問題である「村」(=マチズモ)の話なのである。
*原作の主題をマチズモ社会の悲劇ととらえる読み方が一般に通用している。マチズモとは、男性の優越、家族の名誉が何よりも重んじられる社会の価値観。

クリストが、白髪交混じりのアンヘラに、25年を経た今、不実の相手を尋ねたとき、「古いことは詮索しないで!……彼よ」と、アンヘラは答える。

「彼」とは、だれのことを指しているのだろうか。その問いを作品の眼差しは、現在なお残存している、この頑迷な因習の実践者たちおよび暗黙の支持者たちに発出するには、3人称で表現しなければならなかった。そのように、この作品をロージの作品にした、と言えるのではなかろうか。

婚約したバルヤドンとアンヘラを乗せた小舟が、悠揚とした南米の河を行く。純白の鳥、極彩色のインコ、鰐、蜥蜴が姿を見せる、音のない映像が、バルヤドンとアンヘラの結びつきを語っている。そのシーンが、鮮やかにエンディングのシーンにもう1度よみがえってくるのである。
(2001.7.28鑑賞&記)

2020年9月 3日 (木)

普通の人々のありふれた、滑稽なほどの異常

スサーナ
1950
メキシコ

セルビオ・コーガン製作、ルイス・ブニュエル監督・脚本、ホセ・オルディス・ラモス撮影。

ロシータ・キンタナ、フェルバンド・ソレール、ビクトル・マヌエル・メンドーサ、ルイス・ロペス・リモサ。


脱獄して辿り着いた農場で、スサーナはなにを企んだのか、というとなにも企んではいない。ただ生きようとしただけであった。男たちとの話を通じ易くするために、ワンピースを少しだけめくって、肌のラインが見えるようにしたくらいのことを除いて。それを誘惑というのなら、そう呼んでもおかしくはない。その誘惑が面白いように成功し、スサーナはもう一歩というところで、農場を乗っ取るところまでに至るのだ。しかし、それはスサーナの素性を知り、知っていることで脅迫的な愛を迫るヘススの密告によって終わりを告げる。

作品の眼差しは、メキシコのラス・パロマス農場を支配しているありふれた、いかにもありそうな、普通の、人間関係、秩序関係、上下関係であり、その中に安住している人々の価値観である。スサーナの闖入によって、その価値観はたわいもなく崩れ落ちたが、次の瞬間、追っ手によるスサーナの奪回によって、元通りに戻ってしまうのだ。ラストの平和な朝の農場の光景は、自らの罪に頬かむりして、礼儀正しい人々の滑稽さに満ちていて、吹き出しそうな味わいがある。ブニュエルは、ブラック・ユーモアに巧みな作家でもある。
(2000.6.5鑑賞&記)

2020年9月 2日 (水)

アントニオーニ的な絶望感というより、誤解を恐れずに言って、一種、爽快感があるのである。

パリ、テキサス
1984年
ドイツ

監督:ヴィム・ヴェンダース、製作:クリス・ジーヴァニッヒ、アナトール・ドーマン、脚本:サム・シェパード、撮影:ロビー・ミューラー、音楽:ライ・クーダー。
キャスト:ハリー・ディーン・スタントン、ディーン・ストックウェル、ナスターシャ・キンスキー、ハンダー・カーソン。

「この店だと、あなたの声が聞こえる。どの男もあなたの声なの」

「パリ、テキサス」(ヴィム・ベンダーズ監督)で、ようやく探しあてた妻ハンターとのぞき部屋のマジック・ミラー越しに話すトラヴィスの会話の、妻の言葉である。

この映画を見ながら思い出していたのは、ミケランジェロ・アントニオーニの「愛の不毛3部作」である。相当、ピントが外れているかもしれないが、アントニオーニが提起し得なかった愛の可能性のひとつの答を、ベンダーズはここで果したのではないか、という思いだった。

トラヴィスは、結局、去る。ついに見つけた妻の元を去る。だから、これは男と女の深い断絶の物語であって、愛の可能というよりも不可能性を、アントニオーニよりもより一層、掘り進めたのだ、という読み方もある。しかし、アントニオーニ的な絶望感というより、誤解を恐れずに言って、一種、爽快感がこの映画にはあるのである。これは、断絶をドライな眼差しでとらえた、というだけのものでもない。

1984年カンヌ国際映画祭グランプリ。
(2003.3.15)

2020年9月 1日 (火)

その3 やがて、その音が、ゆっくりとこちらに向かってくる戦車であることに気づく時の、少年兵たちの恐怖は、観客のものでもある。 (日曜の夜8時なのに、会社から持ち帰った仕事に忙しい合間を縫(ぬ)ってのアドリブ。)

ドイツ映画「橋」で、前線に取り残されてしまった少年兵たちが、最初に戦争を体験するのは、轟音とともにやってくる空爆である。静寂な、人気のない村の橋上に、いきなり米軍機の爆音にさらされるのである。空爆で、ジーキという最少年の同僚が死ぬ。

泣き叫ぶ少年兵たちの耳に、次に、聞こえてくる不思議な音。それは、次第に、高まっている。近づいている音だ。キーンというか、ヒューヒューというか、擬音語では表現し得ない音……。ここでも「映画」は、静寂、沈黙の村を描き、少年兵たちが、耳をそばだて、息を殺す長い、長い時間を挿(はさ)む。やがて、その音が、ゆっくりとこちらに向かってくる戦車であることに気づく時の、少年兵たちの恐怖は、観客のものでもある。

爆音、静寂。轟音、沈黙……。この繰り返しが、戦場の恐怖を映画的に表現し、見終わった観客には、反戦のメッセージを伝える1シーンとなるのである。いうまでもなく、これら少年兵は、ナチスの支配する軍の末端兵である。
(2001.12.16)

その2 「橋」は、あくまで映画であるが、このリアルさは、人がみな、ふだん、あるいは、いつかどこかで経験したリアルさである。ほとんど、見る者は、映画の中の7人の少年兵と同じ視点に立って、戦車が近づいてくるのを知覚するのだ。

「橋」(ベルンハルト・ヴィッキ監督、1959年、ドイツ)は、不思議な作品である。名作の多くが、見る度にそれまで腑(ふ)に落ちなかった謎を解いていき、2度、3度と見返す度に、また新たな謎を生んでいくように、この映画も、新たな謎を生みつづける。そのため、何度も見ようという気を起こさせる。そういう不思議さをもつ。

戦争ごっこと大人の軍人から嘲笑されながら、7人は橋の上で参戦の決意に至るが、その直後、本物の戦争の中にいる。米軍機の空爆を受け、戦車がじわじわと迫ってくる現実の中に投げ出されている。その流れを映画化した見事さを、映画的」にだけで見るわけにはいかない。「橋」は、あくまで映画であるが、この「リアルさ」は、人がみな、ふだん、あるいは、いつかどこかで経験したリアルさである。ほとんど、見る者は、映画の中の7人の少年兵と同じ視点に立って、戦車が近づいてくるのを知覚するのだ。

本で読んだくらいのことしか知らないバズーカ砲を、おぼつかない足取りで塹壕(ざんごう)に抱え込んだ少年は、次の瞬間、目前に迫った戦車の爆破に成功するのである。「戦争ができちゃった!」という気分を手に入れた少年兵たちは、その勢いで、しばらく、戦うことができた。しかし、それも束の間のことである。同僚が一人一人殺されていくにつれ、砲撃の雨の中で、泣きじゃくり、錯乱する。戦車が、そんな少年兵たちを「知覚」するわけがない。少年兵=人間と戦車のこの対比が、鮮烈だ。怖い。ゾクゾクさせる。
(2001.12.9)

その1 この後に続く、戦闘場面、とりわけ米軍の戦車に少年兵たちが襲われるシーンの無機質な死のイメージに比べ、人間の会話の熱さが浮き上がります。

ドイツの映画監督ベルンハルト・ヴィッキ作品「橋」(1959年)の1シーン=7人の少年兵が橋の上で参戦の決意に巻き込まれてゆく会話を交わす=から、会話の部分をひろっておきます。7人は、固有名をもった少年たちですが、ここでは、発言のそれぞれに、その名を記しません。映画では、1分ほどのシーンですが、この後に続く、戦闘場面、とりわけ米軍の戦車に少年兵たちが襲われるシーンの「無機質な死のイメージ」に比べ、「人間の会話の熱さ」が浮き上がります。

橋/Die Brucke
ドイツ
1959

ベルンハルト・ヴィッキ監督
マンフレッド・グレゴール原作、ミハエル・マンスフェルト、カール・ヴィルヘルム・フィフィア脚色、ゲルト・フォン・ボニン撮影、ハンス・マルティン・マイエフスキー音楽。

<出演>
フォルカー・ボーネット、フリッツ・ヴェッパー、ミハエル・ヒンツ、フランク・グラウブレヒト、カール・ミハエル・バルツァー、フォルカー・レヒテンブリンク、ギュンター・ホフマン、C・トランロウ

・味方は残っているのかな?
・家に帰りたいか?
・そんな
・みんなで逃げればいい
・何だと?
・帰ろう
・正気か
・何を言う。橋を守れとの命令だ。
・守っても、戦いに影響しない
・ドイツを守ることになる
・家に帰りたいのはだれだ。お前か?
・まさか
・君は?
・いや
・僕も残る
・お前は?
・裏切りものと思う?
・お前は?
・弱虫じゃない。
・お前は弱虫か?
・残るよ
(2001.12.8)

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