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2020年9月30日 (水)

ここに来るまで、何人もの家族兄弟を失ってなお、懸命に生きようとする少年少女や老人や青年男女との対話のプロセスを経てきた観客、そして映画の作り手には、希望が捕まえられているのである。

そして人生はつづく
1992
イラン

アッバス・キアロスタミ監督。

渋滞する幹線道路を、父と子が行く。目指すは、コケル村。父は、前作「友だちのうちはどこ?」の監督、コケルはそのロケ地である。1990年、イランを襲った大地震で、コケル村も壊滅的被害を蒙(こうむ)った。映画に出演してもらった少年アハマッドや村の老人たちは、無事でいられただろうか。とるものもとりあえず、監督は、ややくたびれた愛車に息子を同乗させ、コケルに向かっている。

映画は、道行く人々に、道を尋ね尋ねし、ときには降車して、復旧作業に追われ、テント生活を強いられている被災者と語らう父子を追うだけの、ノン・ストーリー作品である。だからといって、この作品をドキュメンタリーとは呼べない。緻密な演出、計算された会話、構成されたカメラワークなど、映画製作の技法が随所に散りばめられた映画である。1990年の大地震から2年後の1992年に完成し、公開されていることからも、そのことは推測できる。

プロの俳優を使わず、ほとんどが市井(しせい)の生活者を起用するキアロスタミ監督の映画作りの手法は、この作品でも顕著に現われるが、だからといって出演者になんの注文をつけないわけではない。その典型が、「友だちのうちはどこ?」にも出演したルヒ老人に見られる。

渋滞をそれて山道に入った父子が見るのは、何本もの亀裂が入った山肌である。長さ100メートル以上もある亀裂を前にして立ち往生する車が、豆粒のように俯瞰される。まさしく地震の爪跡(つめあと)であるが、人々は子を失い、親兄弟を失い、親族を失い、家財産を失う中で、悲嘆に明け暮れているばかりではない。テント生活を強いられながらも、遠い山道を往復し、生活物資を運び、洗濯し……復旧に懸命だ。

ルヒ老人も、トイレの便器を運んでいるところを、通りすがった父子の車に同乗することになる。という、実際は演出が入ったわけで、カメラが、偶然にも、便器を運ぶルヒ老人をとらえたのではない。映画が与えたルヒ老人の家に着くまでの、ルヒ老人の語りに耳を傾けてみよう。

(お忘れですか?)
わしをご存知ですか?
(覚えていませんか?)
わしが?はいはい、思い出しましたよ。
(本当に?)
はいはい。
(あなたがご無事で何よりです)
地震ですべてが壊れ、不便で大変ですが、幸いいまだ生きていますよ。神のご加護でね。
(マハマドブールの家は?)
どのマハマドブール?
(一緒に映画に出た……)
あの人たちはコケルだから、わしの村ではない。
(そうですね。この道でコケルへ行けます?)
地震の前には道があったんだが、今はもうなくなってしまったよ。
(この大変なときに、何を運んでるんです?)
口に出して言うまでもない物だよ。何に使うか、見ればわかるだろ?死んだ人は死んだ人、生きる人にはなくてはならぬ物だよ。<笑>やれやれ。だがね、わしが思うに、罪のない人々が死んで、沢山の家が壊れたのに、わしの家だけ無事だったなんて、神様はわしを特別扱いしてくださったのかね。
(すごい幸運の持ち主なんですね)
そんなことはない。
(なぜですか?)
わしが考えるのは、地震とは腹を空かせた狼のようなもので、手当たり次第に人を食べてしまうんだよ。神の仕業ではない。
(ルヒさん!=これは子の言葉)
なんだね?
(「友だちのうちはどこ?」では、もっとお年寄りでしたよね?=これも子の声)
映画の人たちが、背中にこぶをつけたからだよ。「もっと年寄りに見せなくちゃ」なんて言って。それでわしも言う通りにしたんだよ。本当は気に入らなかったがね。公平じゃない。<笑>
映画がどんな芸術か知らないが。年寄りをもっと年寄りに見せるのが芸術かね。若くきれいに見せるのが芸術ってものじゃないかね。人は年寄りになって初めて若さがわかるのさ。
(でも無事だったし、若く見えますよ)
死んではじめて生きてるありがたさがわかる。もし墓に入ったものが生きてくるなら、その人はよりよく生きるようになる。

会話は、まだ続き、ルヒさんの家に着くが、ここでもルヒさんは、ルヒさんの家とされている家が、実は映画が設定したルヒさんの家であることを暴露するのである。観客は、映画がこうして創られていることを知るが、どこまでが事実に則した内容であるのかを戸惑うまでもない。映画表現の手法として、このような方法もあることを受容できるのであるし、何よりも映画が伝えたかったことが伝わればよいのであるから。

コケルを目指し、父子の車は行く。途中、何度も何度も、コケルへの道を尋ね、コケルの状況を尋ねる。そして、アハマドブールの消息を尋ねながら、コケルはもうひとやまを越えたところに近づいている。

キアロスタミの映画は、結果を明らかにしない(場合が多い)。しかし、目標=テーマを放棄するわけではない。テーマを、この映画を見た人々に、より鮮明に、より多く自らの想像力で考えてほしいと考えているかのように、結果を明らかにしないのである。結果は、あきらかに、この今の中にある。この細部にある。このプロセスに隠されている、露出している、とでもいわんばかりである。

アハマドブールの消息、コケルの状況は、もうすぐ、目にすることが可能だ。もうひと息だ。車は、急坂を登りきれず、後退し、しかし、再びエンジンを最大限ふかして、登りはじめる。ひとやま越えた。また急坂が立ちはだかる。また登りきれず、押し戻され、坂のとば口まで後退する。そこへ、生活物資を背負った青年が通りかかり、車を押す。また再び、車は急坂を登り、ひとやま越えた……。

これらを、カメラが遠撮し、それは、まるでシジフォス神話でシジフォスが岩を山頂に運んでは落とされ、また運んでは落とされる、あの繰り返しのようであるが、まったく異なる行為である。ここに来るまで、何人もの家族兄弟を失ってなお、懸命に生きようとする少年少女や老人や青年男女との対話のプロセスを経てきた観客、そして映画の作り手には、希望が捕まえられているのである。
(2001.5.4鑑賞&5.6記)

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