その1 一瞬のうちに結びついた男女の愛が、一瞬にして滅び去る
郵便配達は二度ベルを鳴らす
1942
イタリア
ルキノ・ヴィスコンティ監督、ジェームズ・M・ケイン原作、ジュゼッペ・ロサーティ音楽。クララ・カラマイ、マッシモ・ジロッティ、ジュアン・デ・ランダ
意に沿わぬ結婚をして、本心、夫フラガーノに触れられるのもいやなのだが、仕方なく抱かれる熟年の女ジョバンナが、風来坊のような移動労働者ジーノと出会う。共謀して、フラガーノを殺した後に二人を襲う齟齬感。ジーノは、フラガーノの影のこびり付いた家に耐えられず、ジョバンナは生きる糧となった家を離れられない。ジーノがつぶやく。「想像してたのと違う」。ジョバンナが、ジーノに拒否され、一人、片付けの終わっていない店のフロアで食事するシーンがリアルである。
ヴィスコンティは、ジーノに大道芸師との男同士の友情というテーマを設定し、男女の愛を鮮明に対比的に浮き上がらせた。また、ジョバンナをジーノより年上としたことにより、薄幸な女がつかんだかに見えた幸福が、もろく崩れていくという悲劇性をも高めたのだ。
結末、家を捨て二人が旅立つ車が転覆して、ジョバンナが無残な死に至る場面があわれである。この二人に、むつまじく穏やかで平和な家族的時間が訪れるかに見えたのは、身ごもったジョバンナが未来を語る、この旅立ちの車の中だけであった。一瞬のうちに結びついた男女の愛が、一瞬にして滅び去る。
(2000.4.8記)
« 若者たちの列に取り囲まれながら、沸々(ふつふつ)と湧いてくる悦びに似た心の揺れを、しっかりと胸に抱きしめている。 | トップページ | その2 フラガーノの留守中に、初めて会った二人は、すでに肉体のつながりを持っていたが、ここでさらに結ばれるのである。その仕掛けが、夜に鳴く猫であり、それは求愛する動物の声である。 »
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