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2020年9月17日 (木)

俺の人生は乱雑に書きなぐった下書きだ

汚れた血
1986
フランス

レオス・カラックス監督・脚本、ジャン=イヴ・エスコフィエ撮影。ドニ・ラヴァン、ジュリエット・ビノシュ、ミシェル・ピコリ、ハンス・メイヤー、ジュリー・デルビー。

「自然に出る。すべての舗石を愛撫する。階段の一段一段に感謝する。もしも生き延びればだ。駄目だったら怒り狂うぞ。俺の人生は乱雑に書きなぐった下書きだ。何という混沌。まるで海原の真っ只中で崩れていく波のうねりのようだ。決して浜や岩にたどりつかない。生きるすべを学ぶ時間はもうない。でももっと生きるはずだった。まだ何年も何年も。人生を整えるために。」--。

主人公のアレックスが息をひきとるときに喋る言葉だ。

「ボーイ・ミーツ・ガール」「ポンヌフの恋人」とともに、世に青春3部作と呼ばれるカラックス作品群の2作目。フィルム・ノワールやメロドラマの要素を取り入れ、饒舌といえる文学趣味も色濃いが、この最後のシーンは哀切だ。ジュリエット・ビノシュ演じるアンナに心ひかれたアレックスが突如、踊りだし、駐車しているポルシェをひっくり返すシーンが身体で喋るのとは対照的である。

ゴダールに影響されたといわれるカラックスだが、ゴダールとはまったく別の世界を作っている。歌舞伎でいうところのけれんがあり、何度も見ると、匂うほどである。この匂いの中に、アレックスの素朴な怒りがかき消されてしまう。ゴダールほど画面が乾いていないのは、文学性が前面に出すぎるせいであろうか。
(2000.3.26記)

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