革命をアジテートし、自ら先頭に立つというこれほどにヴィヴィッドなイエス像は、60年代の革命的高揚に後押しされて創造された背景がありつつも、いまなお、これを超える革命者イエスはつくられていないようである。
奇跡の丘
1964
イタリア
アルフレード・ビーニ製作、 ピエル・パオロ・パゾリーニ脚本・監督、 トニーノ・デッリ・コッリ撮影監督、 ルイジ・スカッチャノーチェ美術、 ルイス・エンリケス・バカロフ音楽、 ニーノ・バラッリ編集
出演: エンリケ・イラソキ、マルゲリータ・カルーゾ、スザンナ・パゾリーニ、マルチェッロ・モランテ、マリオ・ソクラテ、ニネット・ダヴォリ
ピエル・パオロ・パゾリーニ「奇跡の丘」(1964)は、極めて文献に忠実な作品である。「アポロンの地獄」が「ソフォクレスのオイデプス」を下敷きにしていたように、ここでは「マタイによる福音書」を下敷きにしており、映画の原題も「マタイ福音書」である。いわゆる史的イエスを鷲掴(わしづか)みした観がある。その上、パゾリーニ独自の解釈が打ち出され、画面は、はじめから終りまで緊張感が継続し、茶の間ビデオで鑑賞していてもトイレに立てないほどである。(トイレに立つときには、一時停止のボタンを押すのだが。)
聖書を詳しく読んだわけではないが、①十字架はイエス自らが担いでゴルゴタの丘への道を歩かされたのではなかったのか、②ユダの首吊り自殺は、記録されているのだろうか、③イエスの母マリアは、イエスの磔刑(たっけい)の現場に居合わせたのだろうか――など、いくつかの疑問が湧き、解消されていった。
処刑場であるゴルゴタの丘にはいくつかの十字架があり、イエスの処刑は単独で行われたのではないこともリアルだったが、処刑後の夜、マリアや使徒たちがイエスの遺体を十字架からおろし、白いシーツに覆って運び出したシーンを撮ったこともリアルであり、やがて復活する(=この世に甦る)ことになっても、不信心な者でさえ、違和感を抱かなかったほどにリアルであった。マタイ福音書に記されて、世に膾炙(かいしゃ)している名高いロゴスの数々を、パゾリーニはふんだんにイエスに語らせ、それを聞かされた観客は、すでにパゾリーニ=イエスのマジックの中にあるからだろうか。
革命をアジテートし、自ら先頭に立つというこれほどにヴィヴィッドなイエス像は、60年代の革命的高揚に後押しされて創造された背景がありつつも、いまなお、これを超える革命者イエスはつくられていないようである。
(2002.4.20)
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