パゾリーニこそ、60・70年代的才能だったことが明らかになるであろう。 ――パゾリーニ「アポロンの地獄」への助走その2
ピエロ・パオロ・パゾリーニは、1960年代末から70年代前半という時代――というのは「われわれ」の青春期――に、「奇跡の丘」「アポロンの地獄」「王女メディア」「テオレマ」「豚小屋」(など)によって登場した。いまや本人は死亡し、古典となった作品群は、2002年の青春にも支持され、甦っているようである。その解釈・評価の方法は、脱構築というよりも、ストレートに作品に向かい、真摯(しんし)な受け止め方が多い(ようである)。
NHK・BSや朝日新聞社「イタリア映画祭」などで、パゾリーニ作品に再会し、あらためて、というより、初めて60・70年代の輝きに触れている。と言うとおおげさだが、そのきっかけを掴(つか)んだような感慨がある。1975年に死んじまったパゾリーニは、その後を生き延びた「60・70年代たち」にまさって、輝いていることを、いま2002年に知ることになった。これは、幸いである。
文学作品も数多く残したパゾリーニだが、ここに日本公開された映画作品の一覧をまとめ、パゾリーニ=「60・70年代のわかれ」の一歩を記しておきたい。パゾリーニこそ、60・70年代的才能だったことが明らかになるであろう。ゆえに、もはやおぼろになった60・70年代を、個人の記憶からわれわれの記録にとどめておく意味も明らかになるであろう。
1922 誕生
乞食 1961
マンマ・ローマ 1962
ロゴパグ 1963
愛の集会 1964
奇跡の丘 1964
大きな鳥小さな鳥 1966
アポロンの地獄 1967
華やかな魔女たち 1967
テオレマ 1968
豚小屋 1969
王女メディア 1970
デカメロン 1971
アラビアンナイト 1974
ソドムの市 1975
1975 逝去
(2002.5.5)
« 終盤、すべてを知ってしまったオイデプスにイオカステが語りかける。母の愛人になることをなぜ驚くのです。男は誰でも愛で母親と結ばれているとか。誰でも言いますわ」 ――パゾリーニ「アポロンの地獄」への助走その1 | トップページ | 革命をアジテートし、自ら先頭に立つというこれほどにヴィヴィッドなイエス像は、60年代の革命的高揚に後押しされて創造された背景がありつつも、いまなお、これを超える革命者イエスはつくられていないようである。 »
「191合地舜介の思い出シネマ館2」カテゴリの記事
- モフセン・マフマルバフ監督作品「カンダハール」(イラン、2001年)メモ(2022.06.21)
- 野蛮と紙一重で絡み合っている土俗的エネルギーの側に立ち、皇軍への復讐を命令する造り酒屋のおかみさんの思想が美しい(2020.10.16)
- 革命初期~建国直前の内部矛盾が民衆の呼吸の内にとらえられていることを知るのである。(2020.10.15)
- 「阿Q」(魯迅)のその後、阿Qの甦りとしての「ボンクラの秦」を、この作品に感じないわけにはいかない。(2020.10.14)
- 「女欲しがって悪いか。共青団が殴るのか。殴れよ、旺泉、お前は家にも外にも女がいるから。やりたい放題、どちらとも寝られる。俺なんか、この年になっても、女の一人も知らない。これがまっとうかよ。さあ、殴れ、ぶっ殺してくれよ。」(2020.10.13)
« 終盤、すべてを知ってしまったオイデプスにイオカステが語りかける。母の愛人になることをなぜ驚くのです。男は誰でも愛で母親と結ばれているとか。誰でも言いますわ」 ――パゾリーニ「アポロンの地獄」への助走その1 | トップページ | 革命をアジテートし、自ら先頭に立つというこれほどにヴィヴィッドなイエス像は、60年代の革命的高揚に後押しされて創造された背景がありつつも、いまなお、これを超える革命者イエスはつくられていないようである。 »
コメント