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« その1 瞬間の、このかすかな肉体の表情によって、人は人を殺しているのに、人はそれを自覚していない(動物はこんなことを決してしない)。作品は、その瞬間をとらえる。ジュリアンの表情を通じて……。 | トップページ | ドキュメント(裁判記録)に埋没している史的ジャンヌ・ダルクは、解釈の眼差しを通過するのである。 »

2020年9月15日 (火)

その2 過剰な技法を抑制し、センセーショナルといえるシーンのひとつもない、内省に満ちた反戦映画がつくられるまでには、ルイ・マルといえども時間を要した。

さよなら子供もたち
1987
フランス

監督・脚本・制作 ルイ・マル
音楽 シューベルト、サン=サーンス
撮影 レナート・ベルタ
編集 エマニュエル・カストロ
出演 ガスパール・マネッス、ラファエル・フェジト、フランシーヌ・ラセット

ボネ、ネギュス、デュプレは、アウシュビッツで死んだ。ジャン神父はアウトハウゼンで死亡。学校は1944年10月に再開した。40年の歳月が過ぎたが、わたしは死ぬまでこの1月の朝を忘れない。

「さよなら子供たち」のエンディングのナレーションは、ジュリアンの表情をアップでとらえ、ジュリアンが語る。ジュリアンは、いま、どこでなにをしているのかは明らかにされないが、40年の歳月が流れている。語るのは、初老にさしかかった50代のジュリアンである。

少年ジュリアンは、ジャン神父、ボネ、ネギュス、デュプレがゲシュタポに拉致されてゆくのを、「いま」見た。寄宿学校の生徒たちが集められ整列する前を、たったいま、4人がゲシュタポに連れ去られたところである。子どもたちの一人が、「さよなら神父さん!」と語りかけると、ほかの子どもたちも口々に、「さよなら神父さん!」と語りかける。ジャン神父は、ふと立ち止まり、子どもたちに「さよなら子供たち!」と一言、言って、寄宿学校の門を出て行く。4人のうちの最後尾を歩いていくボネにさよならを言うジュリアンに、さよならを返し、ボネも門から消えた……。

そこに冒頭に記したナレーションがかぶさる。映画全般がさりげなく進むが、最後の場面もこのように淡々と過ぎてゆく。

聖体拝受式後の父母同席のパーティーで、「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通る以上に困難である」と聖書の有名な言葉を激越な口調で語るジャン神父は、特別である。神父はこの演説を除いていつも寡黙(かもく)であり、「さよなら子供たち!」と語るこの最後の場面のようにいつも寡黙である。そうであるがゆえに、ジュリアンのアップの表情とナレーション(とその内容=ナチスによる4人の死)が、鮮烈に見る者に響いてくる。

反戦を静かに静かに訴えるルイ・マルは、この映画をつくるまでに「鬼火」「ルシアンの青春」などの作品をつくらなければならなかった。過剰な技法を抑制し、センセーショナルといえるシーンのひとつもない、内省に満ちた反戦映画がつくられるまでには、ルイ・マルといえども時間を要した。
(2002.4.21)

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