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2020年9月13日 (日)

自分もまた、タジオのような少年、ロリータのような少女に会うことができるだろうか、と孤老の身に置き換えて見てしまう

ベニスに死す
1971
イタリア

ルキノ・ヴィスコンティ監督・脚本、トーマス・マン原作、ニコラ・バダルッコ脚本、パスカリーノ・デ・サンチェス撮影。
ダーク・ボガード、ビヨルン・アンドレセン、シルバーナ・マンガーノ

老残の身に秋風が沁みるように、若い人々の命はまぶしい。焦がれるような恋慕の情が湧き起っても、不思議ではない。「ロリータ」が若い女性への老年の恋慕であったのに対し、ここでの相手は少年である、美少年である。

ビルドゥングス・ロマンをよくしたトーマス・マンの原作を格好の素材に、ヴィスコンティは饒舌を排し、単旋律で、ただただ少年にあくがれる老残の音楽家の内部を追う。原作の音楽家は、グスタフ・マーラーをモデルとしたといわれており、ヴィスコンティもグスタフの名をこの老人に与え、バックに5番交響曲を終始、流し続けている。

グスタフが親友アルフレッドに、芸術論争を吹っかけられる場面がいくつかあり、死期間近であっても、創作意欲に衰えのない音楽家は、少年タジオとの交感を通じて「美」の完成へと最後の力をふりしぼる。少年が弾く「エリーゼのために」が、いつしか高級娼婦エスメラダのピアノへ転じるシーンは、精神の高みにのぼるものは悪とのたたかいを通過せざるを得ないという摂理を表現したものだろうか。

人の晩年が、このように、孤独で、肌寒い心情に見舞われることを考えるとき、自分もまた、タジオのような少年、ロリータのような少女に会うことができるだろうか、と孤老の身に置き換えて見てしまう作品だ。
(2000.9.25鑑賞&記)

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