若者たちの列に取り囲まれながら、沸々(ふつふつ)と湧いてくる悦びに似た心の揺れを、しっかりと胸に抱きしめている。
カビリアの夜
1957
イタリア
「カビリアの夜」は、1957年作だから、フェデリコ・フェリーニ初期の作品といってよいだろう。1920年生まれのフェリーニは、出世作「道」を54年に、「甘い生活」を60年、「8・1/2」を63年と、40歳前後のこのころ、約3年に1本のペースで作品を世に問うた。「道」がそうであったように、「カビリアの夜」も、いまだネオ・レアリスモの色彩を残しながら、フェリーニ的世界の確立期に入った作品である。
純粋無垢、薄幸の娼婦カビリア(ジュリエッタ・マシーナ)の、転んでは起き上がり、転んでは起き上がりする健気(けなげ)さに、思わず拍手喝采となる結末も、その結末に至る直前の劇には、胸を締めつけられる緊迫感がみなぎる。観客は、カビリアが幸せの頂点に立っている丁度その時に、すでにこの幸せが崩れてゆく予感を抱かされ、ドキドキする胸の鼓動を押さえきれないのである。
その劇とは、こんなふうな会話で進む。オスカーに誘われ、湖に沈む夕日を見にきた湖畔で、2人きりの時間が成り立つ幸せの頂点と奈落の瞬間に交わされる会話である。
神様はいるのね。
不幸と苦しみばかりの人生にも、最後には幸せが訪れるのね。あなたは天使よ。
手が氷みたい。
後悔してる?
きれいね。深そう。
ボートに乗りたいわ。ボートはないの?
<泳げる?>
全然。この前、溺れかけたの。突き落とされて。
何よ。
どうしたの?
殺さないわね。
答えて。
殺さないわね。
殺す気なの?
黙ってないで、答えて。
何か、言って。
黙ってないで。
お金ね。
やっぱり、お金ね。
殺して、お願い。
もう生きていたくない。
殺して。
こんな人生にはうんざりよ。
突き落として。
生きていたくない。
早く殺して。
<黙れ。殺す気はない。黙るんだ。>
もうイヤ。生きていたくない。殺して。
お願い。殺して。生きていたくない。
殺して。
殺して……。
先ほどオスカーと辿った森の道を、カビリアが行く。恋人たちの集団が、ギターやアコーディオンを弾きながら、家路を急ぐ森の道だ。カビリアの立ち直りは早い。若者たちの列に取り囲まれながら、沸々(ふつふつ)と湧いてくる悦びに似た心の揺れを、しっかりと胸に抱きしめている。それは、不幸なんてものじゃない。
(2002.3.24SUN)
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