イザベルが男と交わした三つのキスの味
ある貴婦人の肖像
1996
イギリス
ジェーン・カンピオン監督、ヘンリー・ジェームス原作。
ニコール・キッドマン、ジョン・マルコビッチ、バーバラ・ハーシー
苦しみは深い。でも、いつか消える。今も薄れている。愛は残る。苦しみのわけがいつかわかる――臨終のベッドできれぎれに、ラルフがイザベルに語る。自分で選びとった男との結婚が無残に崩壊し、従兄弟ラルフを見舞ったイザベルがラルフの愛に深く気づくシーンである。
ラルフは常々、真に愛する女性のためなら自分を犠牲にすることをいとわない、と明言するような男である。男の愛は、そのためにあり、イザベルを愛しながらも、自己選択的に生きるイザベルを兄のような眼差しで見守っている。
カンピオン監督は、「ピアノ・レッスン」でもそうであるように、女心の核心に触れる男のやさしさの理想形を、ここでも提案しているかのようだ。
勝気ゆえにイザベルが選び取ったオズモンドは、芸術家然としながら、冷酷無比で奸計に富み、マダム・マールとの間の娘バンジーを連れ子として育てている。オズモンドとマールの間に秋風が吹き、イザベルがオズモンドのすべてを知るころ、ラルフが危篤になり、イザベルは新しい選択に踏み切るというストーリーの中で、オズモンドはラルフの対極にいるような男として描かれるのである。
悪のある男、計算のできる現実的な男――は、時として、その強さゆえに女性を魅惑するもののようであるが、気に入らないことを妻イザベルが行うと正体を現し、ドメスティック・バイオレンスを振るうとき、ようやくにして女性イザベルは自己選択の誤りを悟るのである。
冒頭、タイトルロールの背後で、物語とは関係のない女性たちの声だけが登場し、キスの経験を思い思いに語らせている。そのキスを、イザベルはラルフの臨終のベッドしなければならなかった。それは精神的なキスというしかないものだ。しかし、最後には、ラルフから「彼女に尽くしてくれ。彼女が望むように」と遺言された親友ウォーバートン卿を受け入れて、身悶えするような官能的なキスをついに果たすのである。イザベルが、オズモンドと交わしたキスの味を思うと怖いものがあるのだが……。
(2000.9.3記)
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