« エスマイルの父、つまり、この母の夫の不在が、作品の底流にあって、母の苦悩を生んでいるのだ。 | トップページ | 見わたせど、見わたせど、褐色の砂丘が続く地を、1人の女性が行く。故国アフガンを離れ、いまは、カナダに暮らす女性ナファスはジャーナリストである。妹の住むカンダハールへ、単身で乗り込む勇敢さは、ジャーナリストであるという理由からだけなのではない。妹が発信してきた手紙に、「(アフガンの生活の悲惨さに)絶望して、今世紀最後の日蝕の日に自殺する」とあったからである。 »

2020年10月 4日 (日)

絶望の淵に立つラマザーニが、聴く鳥の声こそ、神の声である。それは、罰する神である。

太陽は、僕の瞳
1999
イラン

マジッド・マジディ監督
出演:ホセイン・マージゥーブ、モフセン・ラマザーニ

不思議な声で鳴く鳥の、姿は、終始、見えない。啄木鳥(キツツキ)や郭公(かっこう)なら、山村に住む人なら聴き分けられるし、事実、アジズばあさんは、モハマドにキツツキが鳴くのを聴いて、それが、嘴(くちばし)で木に穴を開け、巣を作っている音であることを教える。イラン映画「太陽は、僕の瞳」(マジッド・マジディ監督)の、数々のシーンで、音(とりわけ、鳥の鳴き声)は、重要な役割を持っている。それは、主人公のモハマド少年が、全盲である理由からくるばかりのことなのではない。

鳥の鳴き声が、なんとも不思議な、いったいどんな姿形をしているのだろうかと、目を見開き、不安の面持ちで、次のシーンを見守っている観客に、マジディ監督は、その姿形を見せない。同じような意味で、この不思議な鳥の鳴き声に怯(おび)えるのは、モハマドの父ラマザーニである。ラマザーニの不安、苦悩、畏怖(いふ)を、監督は、この不思議な鳴き声によって、演出し、表現している。

父ラマザーニは、幼くして父を亡くし、5年前に妻を失って、いま、再婚の準備に心が急(せ)いている。そのために、全盲のモハマドの存在をうとましく思う心境にある。ラマザーニの母アジズは、そんな息子ラマザーニを厳しく見つめ、対立し、ついに家出を決行する。雨の中を、着の身着のままで行くアジズを取り戻したラマザーニだったが、数日後、アジズは死んでしまう。再婚相手の家族は、ラマザーニに「この結婚は不吉」と、婚約破棄を宣告する。

絶望の淵に立つラマザーニが、聴く鳥の声こそ、神の声である。それは、罰する神である。モハマドには、愛の神として聴こえる鳥の鳴き声が、ラマザーニには、不安、畏怖、苦悩をいや増す兇なるものであり、ついには罰する神となるのである。「太陽は、僕の瞳」は、このシンボリックな表現が、洗練の域に達している作品、と言える。
(2002.1.20記)

« エスマイルの父、つまり、この母の夫の不在が、作品の底流にあって、母の苦悩を生んでいるのだ。 | トップページ | 見わたせど、見わたせど、褐色の砂丘が続く地を、1人の女性が行く。故国アフガンを離れ、いまは、カナダに暮らす女性ナファスはジャーナリストである。妹の住むカンダハールへ、単身で乗り込む勇敢さは、ジャーナリストであるという理由からだけなのではない。妹が発信してきた手紙に、「(アフガンの生活の悲惨さに)絶望して、今世紀最後の日蝕の日に自殺する」とあったからである。 »

合地舜介の思い出シネマ館2」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« エスマイルの父、つまり、この母の夫の不在が、作品の底流にあって、母の苦悩を生んでいるのだ。 | トップページ | 見わたせど、見わたせど、褐色の砂丘が続く地を、1人の女性が行く。故国アフガンを離れ、いまは、カナダに暮らす女性ナファスはジャーナリストである。妹の住むカンダハールへ、単身で乗り込む勇敢さは、ジャーナリストであるという理由からだけなのではない。妹が発信してきた手紙に、「(アフガンの生活の悲惨さに)絶望して、今世紀最後の日蝕の日に自殺する」とあったからである。 »

2020年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

最近の記事

カテゴリー

無料ブログはココログ