見わたせど、見わたせど、褐色の砂丘が続く地を、1人の女性が行く。故国アフガンを離れ、いまは、カナダに暮らす女性ナファスはジャーナリストである。妹の住むカンダハールへ、単身で乗り込む勇敢さは、ジャーナリストであるという理由からだけなのではない。妹が発信してきた手紙に、「(アフガンの生活の悲惨さに)絶望して、今世紀最後の日蝕の日に自殺する」とあったからである。
カンダハール
2001
イラン
モフセン・マフマルバフ監督
■メモその1
モフセン・マフマルバフ監督の「カンダハール」が、東京フィルメックス特別招待作品として、東京・朝日ホールで上映されたのを見た。カナダに移住したアフガニスタン女性ナファスが、カンダハールに住む妹からの手紙に込められた絶望を聞き取り、単身、アフガンに入り、カンダハールへ向かう旅を追うという構成の、ロードムービーの形を借りた反戦映画だ。
とき、まさに、カンダハールは、タリバーン撤退の報道で溢れかえり、刻々、変動する情勢が伝えられている。しかし、なにもかもが、本当のようでなく、メディアのフィルター、情報操作というフィルターにかかっているようでしかたなく感じられるのである。そこにあるのは、その時々の事実の断片か、その断片を強引に繋ぎ合わせた一方的解釈かである場合が多く、モヤモヤがとれないでいる。
見たばかりで、考えをまとめきれないでいるが、映画「カンダハール」は、断片としてのアフガンであることを極力、排除し、すくなくともここ数十年のアフガンを流れた史的時間を、アフガン女性の眼差しからとらえ返そうとしている、とは言えるであろう。ナファスを手助けするブラック・アメリカンであり、ブラック・ムスリムである男性医師の眼差しや、貧しさゆえに貧しさを取り除こうとするためのことならなんでもする優しいアフガンへの(監督の)眼差し――なども、強く印象に残った。
(2001.11.19記)
■メモその2
映画「カンダハール」は、アフガニスタンの人びとが、世界の各地で暮らす貧しき人びとと同じように、見放されてはならないことを強く訴えている。
モフセン・マフマルバフ監督の最新作「カンダハール」は、「9.11」以前に撮了していたらしいが、ユネスコのフェデリコ・フェリーニ・メダルを受賞し、10月3日、パリのユネスコ本部での授賞式では、特別上映会も行われ、監督はその場でスピーチした。そのスピーチは、11月19日の朝日ホールでの東京フィルメックス特別招待作品上映会でも紹介された。
朝日ホールで紹介されたスピーチを聞き書きしたが、当日、頒布されていた「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」(モフセン・マフマルドフ著、武井みゆき+渡部良子訳、現代企画室)の冒頭部にも掲載されているので、聞き書きを補うために、全文を引用させていただく。映画「カンダハール」の、作品としてのメッセージとともに、その作者の肉声のメッセージは、この時に及んで、切実であり、より多くの人に伝えられるべきものである。
映画は、映画人だけに閉ざされるものでもなく、バーミヤン石仏群は仏教徒のためにだけ開かれているものでもなく、(いまやこの世から消えてなくなった)世界貿易センタービルは富める者だけに機能していたものではないはずであるように、映画「カンダハール」は、アフガニスタンの人びとが、世界の各地で暮らす貧しき人びとと同じように、見放されてはならないことを強く訴えている。
【神にさえ見放されたアフガニスタン】
アフガニスタンは、何年もの間、空からは人びとの頭上に爆弾が降り注ぎ、地にあっては人びとの足もとに地雷が埋められてきた国です。アフガニスタンは、人びとが路上で毎日のように自分たちの政府によって鞭打たれている国です。アフガニスタンは、逃げ場のない難民たちが、その隣人たちによって追い返されている国です。アフガニスタンは、旱魃によって、人びとが飢えと渇きに苦しみながら死に向かわされている国です。この国では世界のどこよりも神の名が語られるというのに、神に見放されているかのようです。
アメリカでの9月11日の事件が起こるまで、アフガニスタンは忘れられた国でした。今でさえも、アフガニスタンに向けられる関心は、そのほとんどが人道的なものではないのです。
もしも過去の25年間、権力が人びとの頭上に降らせていたのがミサイルではなく書物であったなら、無知や部族主義やテロリズムがこの地にはびこる余地はなかったでしょう。もしも人びとの足もとに埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったなら、数百万のアフガン人が死と難民への道を辿らずにすんだでしょう。
このような状況の中、アフガンについての映画に<フェデリコ・フェリーニ>メダルが与えられることは、ひとつの希望の徴(しるし)です。しかし、この賞に与えられるものがパンであったなら、飢えたアフガニスタンの人びとに分け与えることができたでしょう。もしこの賞が雨であったなら、アフガニスタンの乾いた地に降らせることができたでしょう。もし自由の風であったなら、アフガン女性のブルカに向けて吹かせることができたでしょう。
この賞はパンではなく、雨ではなく、自由の風ではなく、一つの希望の徴にすぎませんが、私は、この希望を、アフガニスタンの苦しむ人びとに捧げられた希望とともに、私のもとに預かっておこうと思います。そして、世界の文化大使の方々の前で、私はアフガニスタンの人びとに約束します。アフガニスタンが自由になったら、カンダハールの町にフェリーニの名をとった学校を建てることを。皆さんからいただいた、このメダルは、その学校の生徒たちに捧げます。
*改行を1行空きに、ルビを( )に、漢数字を洋数字に変更しました。
(2001.11.24記)
■メモその3
イランの監督モフセン・マフマルバフの映画「カンダハール」の冒頭、難民キャンプで、地雷から身を守るための教育が行われているシーンがある。
人形を見つけても、無闇に近づいてはいけない。こうして、踏んづけてみて、ぶーっという音がしたら、私が踏んづけた足はなくなっていると思ってください。
教えているのは、高校生くらいの年頃の女性だ。地べたにしゃがみ込んで、耳目をそばだてているのは、小学生くらいの少年少女である。足を失う、という実態が、人形を踏みつけるという行為の結果生じる、ということを、いたいけない子どもたちに実感させるために、子どもたちの遊び道具を使わねばならない戦場。
頬擦りし、キスし、抱っこして遊ぶべき人形が、殺戮の武器になっている、というおぞましい現実を、なんと理解したらいいか。
悪質な、あくどい、悪知恵が働いている……。
「日本の皆さん、もう戦争は終わりました。はやく、防空壕から出てきて、みんなで遊びましょう」という米兵の声に、ゾロゾロ出て行った日本人は、みな殺された――という話を、幼時、聞かされた憶えがある。ぼんやりとした記憶なのだが、「鬼畜・水雷・大将」という遊びが、原っぱで遊ばれていたころのことだから、その遊びの合い間の、大人たちのデマゴーグだったかもしれない。はっきりだれだか覚えていないが、だれかから、聞いた言葉が残っていて、この地雷人形のシーンを考えているうちに、思い出された。
あくどい、悪質な、人間の仕業(しわざ)というものがある。
人間のあくどさを見て、無神論者であっても、「神よ!」と祈りたくなる瞬間である。
(2001.11.25記)
メモその4
見わたせど、見わたせど、褐色の砂丘が続く地を、1人の女性が行く。故国アフガンを離れ、いまは、カナダに暮らす女性ナファスはジャーナリストである。妹の住むカンダハールへ、単身で乗り込む勇敢さは、ジャーナリストであるという理由からだけなのではない。妹が発信してきた手紙に、「(アフガンの生活の悲惨さに)絶望して、今世紀最後の日蝕の日に自殺する」とあったからである。
日本でいえば高校生ほどの女性が、人形に仕掛けられた地雷を避ける訓練を、小学生ほどの子どもたちの群れの中で行っている難民キャンプ。イラン国境らしい。カンダハールやヘラートへと、帰還する難民である。難民にも、国外へ脱出するものもあれば、脱出できずに否応もなく故郷へ引き返すものもある。ナファスは、この帰還難民の一行の一つに便乗し、カンダハールを目指すのである。一行の老家長の第4夫人と偽る算段が立てられ、ロバに揺られた旅がこうしてはじまる。
出発後すぐのシーン。タリバーン兵数人に取り囲まれ、泣き叫ぶ少女、幼児の声。「女、子供たちが何をしたというんです」というナファスの抗議は通じない。無言で、子どもたちが持っている身の回り品を略奪する男たちは、それ以上のことをしない。それが不気味であり、タリバーンが単なるならず者ではないことを物語っているかのようである。老家長は、抗議を諦めるのに素早く、アラーへの祈りを一行に促し、カンダハールへの帰還をあっさりと中止する。
ナファスを、今度、案内するのは、中学生ほどの少年である。この少年は、コーランの朗誦ができなかったために、マリッサ(神学校)を強制退学処分にされたばかりである。文字が読めず、先生からコーランの朗誦を命じられてもアカペラでしか応答しない少年の素朴さが、他の優等生たちの必死さと対照されるシーンが、深刻な背景を考えさせつつも、微笑を誘う。
少年は、日々の糧(かて)を得るために、いまや砂漠の中で金になることならなんでもする、貧しき人びと=アフガンの1人である。ナファスをカンダハールへ案内する替わりに、幾ばくかの金を得る仕事の途中でも、骸骨化した人間の指から、指輪を抜き取ることも厭(いと)わない。これも仕事である。ナファスに売りつけようとするが、ナファスは断じて、受け取らない。(ナファスとの旅の終りで、少年は指輪を、カンダハールの妹にあげてくれるようにナファスにプレゼントする。これを、ナファスが受け取ることにしたのは、少年=アフガンへの理解という意味をもつのだろう。)
井戸水を飲んで、食べられず、食べても吐き出す症状に陥ったナファスを、少年は野戦病院に連れてゆく。診察・治療にあたっているのは、ブラック・ムスリムのアメリカ人男性であった。素性を隠し、医師と偽って治療を続けてきた男性は、ナファスの無謀を一瞬にして理解し、少年との危険な旅を止めさせるために力を貸す。近くの(といっても、車で半日はかかるのだろうか)赤十字の支援センターへ同行し、そこの職員にカンダハールへの便乗の手立てを相談することにした。
医師は、ムジャヒディーンとしてアフガンに乗り込んだのだろうか、来歴を語るには、多難な道を辿ってきたことをナファスにほのめかすだけである。アメリカ人であり、イスラムであり、医師である――という設定で、この男性の眼差しを映画に持ち込んだマフマルバフの創意がここにある。その眼差しは、ナファスへは伝わったものであろうが、観客には充分には聞きとれない。
地雷で手足を失った男たちが行列をつくる、赤十字の支援センターへ、医師はナファスを連れてくる。支給は、年に1度ほどしか行えない支援センターでは、義足の奪い合いを制する赤十字の看護婦たちでおおわらわ。遥か上空を、小さなパラシュートをつけた支援物資(あれは、米英軍のものなのか)が落とされるのを見つけた傷痍兵たちが、いっせいに、落下地点へ松葉杖をついて駆け出す。
カンダハールへの便は3日後にしかなく、日蝕の2日後にカンダハールへ辿り着かねばならないナファスを、今度は、右腕を失った青年がエスコートすることになる。この青年は、義足を必要としないが、支給の列の中に混ざり、妻のための義足が要ると言って、赤十字との交渉をしつこく行っている貧しい民の1人=アフガンである。自分の義足を、今、必要としないが、来年には必要になるかもしれないとも言い、ひょうきんにねばる青年の虚言に、看護婦は、ビッグサイズの旧式の義足を与えることにする。
50と5000(フラン)の違いを知らない、この青年との旅。いったんは、断った青年が、ブルカで顔を隠した婚礼の行列の中から現れる。最初の老人、2番目の少年、4番目のこの青年と、アフガンの貧しさから形づくられた無知やずるさの底には、必ず、この実直さがある。それは、賢さである。監督は、そう言っているようである。婚礼集団の列に紛れ込み、カンダハールを目指すナファスの脳裏にも、この賢さへの愛がある。しかし、日蝕には死ぬという妹の声も飛び交っている。
ジャーナリストであるナファスは、携帯録音機を離さず、カンダハールへの途上での見聞や、脳裏を掠める思いを、その小さな文明の利器に向かって語りつづけるのである。タリバーンのチェックを受けたとき、ブルカに身を隠した青年が言う「携帯を捨てて!」の言葉にも、揺らぎなく、ナファスは自らの思いを、語り続ける。カンダハールは間近である。妹の声が聞こえる――。
(2001.11.25記)
※紹介パンフレットもなく、約一時間半の上映を1回見ただけの記憶で記しました。ストーリー紹介に間違いがあるかもしれませんが、ご了承ください。
« 絶望の淵に立つラマザーニが、聴く鳥の声こそ、神の声である。それは、罰する神である。 | トップページ | ゲリラに参加するオメールが、背広姿で馬を駆り、クルディスタンの原野を疾走するエンディングが、延々と続けられてきた暗闇のシーンから観客を解き放ち、かすかな希望を暗示する。 »
「191合地舜介の思い出シネマ館2」カテゴリの記事
- モフセン・マフマルバフ監督作品「カンダハール」(イラン、2001年)メモ(2022.06.21)
- 野蛮と紙一重で絡み合っている土俗的エネルギーの側に立ち、皇軍への復讐を命令する造り酒屋のおかみさんの思想が美しい(2020.10.16)
- 革命初期~建国直前の内部矛盾が民衆の呼吸の内にとらえられていることを知るのである。(2020.10.15)
- 「阿Q」(魯迅)のその後、阿Qの甦りとしての「ボンクラの秦」を、この作品に感じないわけにはいかない。(2020.10.14)
- 「女欲しがって悪いか。共青団が殴るのか。殴れよ、旺泉、お前は家にも外にも女がいるから。やりたい放題、どちらとも寝られる。俺なんか、この年になっても、女の一人も知らない。これがまっとうかよ。さあ、殴れ、ぶっ殺してくれよ。」(2020.10.13)
« 絶望の淵に立つラマザーニが、聴く鳥の声こそ、神の声である。それは、罰する神である。 | トップページ | ゲリラに参加するオメールが、背広姿で馬を駆り、クルディスタンの原野を疾走するエンディングが、延々と続けられてきた暗闇のシーンから観客を解き放ち、かすかな希望を暗示する。 »
コメント