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2020年10月11日 (日)

そんなことどもを思い出し、1950年ころの台湾と日本は、なんと似通っているのだろうか! と、懐かしさとともに親しみをも抱くのである。

童年往事
台湾
1985年
侯孝賢監督

メモその1
「童年往事」(1985年)は、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の家族の思い出であり、亡き父母、祖母へのレクイエムであり、それらを通じた幼時の自己記録(自伝)である。

冒頭、タイトル・ロールにかぶせて、長いナレーションがある。このナレーションが、この作品自体を語っている。全文を引用しておく。

この映画は、私の子供時代の思い出である。父の印象が特に強い。

父は広東市梅県出身で、1947年、私が生れて40日目に、チームを率いて広州の競技会に行った。当時、父は広東省梅県の教育課長だった。広州で父は、中山大学の同級生李槐に会った。李槐は当時、台中市の市長だった。彼は、父を台湾に迎え、主任秘書にした。1年後、父から手紙がきた。”ここの生活は大変よい。全員で来なさい”と。

1949年、父は台北教育庁に転任して督学官になり、新竹に住んだ。だがそこは湿気が多く、父がぜんそくになったため、私が小学校1年のとき、家族で鳳山へ引っ越した。

祖母は銀紙でお金を作っていた。”死んだらエンマ様の所で使うんだ”と。祖母は80歳を過ぎていた。父は親孝行で祖母抜きでは食事をしようとしない。祖母は、食事の度に私を呼びにきて大切にしてくれた。小さいころ占いで、将来は大臣になると言われたからだ。

鳳山で私のあだ名はアハ。祖母が私をそう呼んだからだ。
*以上、句読点を追加するなどの編集を行っています。

ナレーションが終わると、祖母が、「アハ、アハ」と呼びながら、「私」を探す場面に入っている。夕餉(ゆうげ)を報せる家族の声である。この声に、この映画を見ている観客は、自身の幼少時代を重ねて、懐旧ムードにいきなり入り込むことになる。原っぱで遊び呆けて、夕闇が迫るころのこの声の主は家庭によって異なり、母親だったり、ばあさんだったり、理由があって同居している親の姉妹であったり、いずれにしても女性の声であった。「ご飯ですよ~」という声が、缶けりや馬とびや鬼ごっこ……が、その頂点に達している時に野原に起こるのをうるさがって、なお遊びに興じたものである。そんなことどもを思い出し、1950年ころの台湾と日本は、なんと似通っているのだろうか! と、懐かしさとともに親しみをも抱くのである。

ドラマを期待して見はじめた者は、やや拍子抜けした気分を味わいもするのだが、人の幼少時代の普遍性みたいなものに感じ入り、次の瞬間、すでに、映画の時間の中に入り込んでしまっているのに気づく。

メモその2
映画前半に、突然挿入される幻想的なシーン
――今も時々思うのだが、祖母の大陸へ帰る道は、きっと、私と一緒に歩いた青ザクロを拾ったあの道なのだ。

これは、台湾の監督・侯孝賢(ホウ・シャオシェン)、1985年の作品「童年往事―時の流れ」のエンディングでのナレーションである。青ザクロを拾ったあの道とは、「私」=アハ(阿孝)が、80歳を過ぎた祖母の望郷への思いに応えて2人で行った遠出のことで、映画前半に、突然挿入される幻想的なシーンを指している。大陸中国で生まれ育った祖母は、いつか、自分が生れ故郷の広東省梅県へ帰る日があることを夢見ていた。その道連れに、孫のアハ(私=侯監督の分身)を誘っていたが、ある日、それが実現した。実際には、大陸へ行けなかったが、アハとの小さな旅は、のんびりとしていて、どこか、故郷を思わせる風景に満ち、青ザクロの実る田舎道では、アハがもぎ取ったいくつもの青ザクロでお手玉をしてみせるほど童心に帰ることができて、満ち足りた時間になった。

それで十分だったとは、祖母も思わなかったに違いなかったが、監督=私は、父を失い、母を失い、そして祖母を失った来し方を振り返る時、祖母の思いを、自分の思いに重ねて二人で通った青ザクロの道に託した。今ここに生きているこの国・台湾は監督の故郷であることに変わりなく、大陸・中国も父母、祖母ら、そして私=監督の家族の故郷であることに変わりなく、しかし、その故郷を思う強度・深度には微妙に異なるものがある。その異なりを承知しつつ、祖母の大陸を思う時、青ザクロの実ったあの道は大陸へつながっている。

(2004.3.22 未完)

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