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« その日、お墓に行くとおばあさんがいて、僕は思いました。もし死ぬと知ってたら短い人生を大切に思い、僕を傷つけなかった。もし僕に優しくしてくれていたら、きっと彼女の家族は死なずにすんだろう。 | トップページ | エスマイルの父、つまり、この母の夫の不在が、作品の底流にあって、母の苦悩を生んでいるのだ。 »

2020年10月 2日 (金)

日常些事の中によくある不運の一瞬を捉えたもので、他愛(たあい)ないけれど、ゾクゾクする映像としてしまう非凡さを感じさせる。

白い風船
1995
イラン

ジャファール・バナヒ監督、アッバス・キアロスタミ脚本。
アイーダ・モハマッド・カーニ(娘)、モーセン・カリフィ(兄)、フュレシュテ・サドル・オーファニ(母親)

1995カンヌ映画祭新人監督賞(カメラドール)、CIAE芸術貢献賞、国際批評家連盟賞、1995東京国際映画祭ヤングシネマ東京ゴールド賞、1995サンパウロ国際映画祭最優秀作品賞、同審査員特別賞、1996ニューヨーク映画批評家協会賞

イランの大晦日。新年を迎える準備で忙しない庶民の生活の中の子どもたち。

主人公の少女レザは、母親に連れられて買い物に行った時に街の金魚店で見た金魚が欲しくてたまらない。兄アリを味方につけ、母親に甘え通して、ようやく小遣い銭を手に入れ、街へ繰り出した。しかし、金魚店に着いて、肝心の500トマン紙幣が紛失していることに気づいて……。

心優しい街の人々に助けられて、少女は、側溝に落ちた紙幣を取り戻し、金魚を手に入れる。蛇使いの老人、仕立て屋、仕立て屋で働く青年、若い兵隊ら、大晦日の街でさまざまに新年の準備に追われていた人々も、店を仕舞い、帰郷し、持ち場に戻って行く。

兄妹も、そそくさと両親の待つ家に帰っていくが、ひとり、兄の喧嘩友だちである風船売りの少年は、取り残されて、閉ざされた店のシャッターに寄りかかったまま、虚(うつ)ろな眼差しを街に注いでいる――というストーリーだ。

監督のジャファール・バナヒは、アッバス・キアロスタミ作品「そして人生はつづく」で助監督をつとめた。

単純なストーリーながら、ディテールの描写に緊迫感や細やかな観察眼が散りばめられているのは、キアロスタミの脚本の力もさることながら、ジャファールという監督がキアロスタミから多くを吸収した結果なのであろうか。

ようやく見つけた500トマン紙幣が、丁度、通りかかったバイクの風に飛ばされ、偶然にも、そばに空いていた側溝へ落ち込んでしまうシーンなど、日常些事の中によくある不運の一瞬を捉えたもので、他愛(たあい)ないけれど、ゾクゾクする映像としてしまう非凡さを感じさせる。
(2001.5.10鑑賞&5.21記)

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