再掲載/2012年10月27日 (土) 「冬の長門峡」の二つの過去2・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)
「冬の長門峡」は
一読して単調な感じを抱かせる詩ですが
読めば読むほど深みを感じさせる詩です。
不思議な魅力のある文語詩です。
◇
まず冒頭連の
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
――で、ある特定の過去(ある日ある時)に
長門峡に遊んだのが寒い日だったことを叙述します。
第2連から第5連までは
長門峡での経験の内容が
淡々と語られ
最終第6連でふたたび
寒い寒い 日なりき。
――と、その日が寒い日だったことを述べます。
◇
かつて長門峡に遊んだ日が
寒い日だったことを
冒頭と末尾で繰り返すという詩で
その間の連で
詩人が目にした景色や経験が歌われるのですが
冒頭行など3か所に出てくる「けり」は
過去を表わしつつ「詠嘆」の気持ちが込められています。
水は流れてありにけり。
客とてもなかりけり。
流れ流れてありにけり。
――この3行には「詠嘆」の気持ちがあるということで
水は流れていたんだよ
客といってもだれもいなかったんだよ
流れ流れていたんだよ
――といったニュアンスがあります。
情景描写の中に情感が込められているのですが
ほかの行は、
なりき
ありぬ
こぼれたり
ありき
なりき
――と過去を断定的に叙述するだけになっています。
◇
詩全体に
心の動きを感じさせない工夫が凝らされているのですが
その訳はこの詩の背後には
愛息文也を失った悲しみがあり
詩人はそれを表面に出すまいと歯を食いしばったからなのです。
◇
詩人はいま長門峡を目前にしているのではありません。
長門峡は遠い日に遊んだ場所です。
それを回想して歌っているうちにその過去へ入り込み
長門峡を流れる水が
魂(たましい)を持つかのように流れているのを感じたのです。
この魂は文也以外にありえません。
水に魂を感じてまもなく
今度はミカンのような真ん丸であったかそうな夕陽が
欄干越しに見えたのです。
この夕陽も文也以外にありえません。
どちらも回想の中に現われた風景なのですが
詩人はいま、それらを目前にしているように
ありありと思い出すのです。
が……次の瞬間、
それらが遠い過去のものだったことを知るのです。
第5連と第6連の間は
連続しているようで
無限といってよい時間が存在します。
ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。
――と我に帰る詩人は
回想をはじめた冒頭の時間から
遠く隔たった今を自覚するのです。
◇
この詩には
二つの過去があります。
過去の時間が二つあるのです。
(この項終わり)
*
冬の長門峡
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。
われのほか別に、
客とてもなかりけり。
水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
あゝ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。
*「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
冬の長門峡
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。
われのほか別に、
客とてもなかりけり。
水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。
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