再掲載4/2012年10月25日 (木) 「一つのメルヘン」の不可能な風景4・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
――という、何の変哲もないような1行が
この詩の最終行におかれました。
よく見れば、「……」があり
水がずっと流れ続けることを示しています。
◇
それまで干上がっていた川床に
一つの蝶が舞い降りたことから
水が流れ出すという物語の枠組みだけが語られ
この詩は終わります。
物語の内容は語られず
死んだような川原が生気を取り戻したことだけが告げられる詩ですが
この詩の歯車であり心臓でもあるような役割を
「さらさらと」の一語が負っています。
このオノマトペは
歯車のようでありながら
詩の音数律をきざみ
詩全体のリズム感をも生んでいる心臓部でもあるのです。
◇
「さらさらと」が含まれる行だけの音節数を見ると
第1連は
5―5 それに陽は/さらさらと
5―7―5 さらさらと/射しているので/ありました。
第2連は
5―5 さればこそ/さらさらと
7―4―6 かすかな音を/立てても/いるのでした。
第4連は
5―5―8―5 さらさらと/さらさらと/流れているので/ありました……
――というようになっています。
破調がありながら
5音7音が基調音になっていることがわかるでしょうか。
「さらさらと」というオノマトペが駆使されて
意味やイメージの連鎖が生まれ
57音による流麗なリズムが作り出されました。
◇
「一つのメルヘン」のこの流麗な口調は
第2詩集「在りし日の歌」の「永訣の秋」で
次に配置された「幻影」に
「でした・でした」のナレーションとなって連続し
さらさらと、さらさらと流れるメルヘン世界の川原に
あたかも月光が射し
そこにいつしか一人のピエロが立っていると錯覚するかの風景につながっていきます――。
さらには、まったく信じがたいことに
「さらさらと流れているのでありました……」は
「水は流れてありにけり」と
「冬の長門峡」を流れる水の風景につながっていくかのようで驚かされます。
(この項終わり)
*
一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
(※「新編中原中也全集」より。新字・新かな表記にしてあります。編者。)
◇
歴史的表記の原詩も掲出しておきます。
*
一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
(※「新編中原中也全集」より。)
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