再掲載/2012年10月22日 (月) 「一つのメルヘン」の不可能な風景2・生きているうちに読んでおきたい名作たち
(前回からつづく)
さて、この詩「一つのメルヘン」のはじまりの4行
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
――の不思議な感覚はなんなのかとじっくり読んでみれば
まずは、夜でありながら陽が射している風景からくることに気づきます。
この不思議な風景、ありえない風景の中に
いきなり迷い込むのですが
迷ったことを意識させない滑らかさがあるために
すらすらとすらすらと読めてしまう詩なのです。
◇
夜なのに陽が射すというのは
まるで舞台にスポットライトが投じられている風景みたいなもののようですから
そのように見なせば自然な景色ですし
メルヘンなのだから
非論理の幻想風景があってもよいだろうなどと考えて
ひっかかることもなく先を読み進めます。
◇
第2連は「承」。
陽といっても、と第1連の陽を説明するのです。
太陽光線でありながら
まるで硅石(けいせき)かなにかのような
非常に硬い個体たとえば水晶の粉末のようなもので
だから、さらさらと、かすかに聞える音を出しているのでした……。
ここでオノマトペ(=さらさら)を介して
陽は光であることから
小さな音を出す物質に変化しますが
言葉の流れが滑らかで心地よいリズムになっているために
じっくり読まないと変化に気がつきませんし
気がついても、メルヘンの世界なのだからと受容する姿勢になっています。
そして第3連の「転」へ進みます。
◇
ここで、一つの蝶々の出現。
無機質な水無しの河原に突如、生き物が現われます。
まるで蝶だけにカラーがついている映画のシーンみたいに。
さらさらと陽が射し
さらさらとかすかな音を立てていた河原に
こんどは一つの蝶が舞い降りたのです。
一匹の蝶ではなく一つの蝶というところが
切り紙細工の作り物のような
それでいて生命のある小さな動物を思わせて幻想的です。
淡くて、しかし、くっきりとした影を
蝶は小石の上に落としました。
◇
だからどうしたのか――。
その疑問が出る前に
きっかりと答えが出ます。
それまでひからびていた水無し川が流れ出したのです。
さらさらとさらさらと流れ出したのです。
(つづく)
*
一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
(※「新編中原中也全集」より。新字・新かな表記にしてあります。編者。)
◇
歴史的表記の原詩も掲出しておきます。
*
一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
(※「新編中原中也全集」より。)
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