再掲載/2012年10月26日 (金) 「冬の長門峡」の二つの過去・生きているうちに読んでおきたい名作たち
叙景にはじまり叙情に転じる詩であるという角度でみると
「冬の長門峡」は
「春の日の夕暮」と同じグループの詩篇です。
しかし「転」の部分の動きが
それほどくっきりしているものではないので
そうとは見えにくいのですが
じっくり読めば「起承転結」が浮かび上がってきます。
◇
そもそも2行6連構成の詩ですから
きっかり起承転結に当てはまりませんが
第1連が起
第2、3連が承
第4、5連が転
第6連が結
――というようなことになるでしょうか。
◇
第1連で、長門峡の風景から起こし
第2連、第3連で、それを受(承)けて詩人が登場します。
ここまでは静かな長門峡と宿にいる詩人の叙景です。
第4連、第5連
水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
――で、この詩の風景の中に動きが出てきて
最終第6連
ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。
――が「結(論)」と読める詩です。
◇
技巧も修辞(レトリック)もないような詩で
プロの読み手にも賛否両論がありますが
読み込めば読み込むほど
ハイ・ブローな技が見えてくる詩です。
(つづく)
*
冬の長門峡
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。
われのほか別に、
客とてもなかりけり。
水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
あゝ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。
※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。
◇
「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。
冬の長門峡
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。
われのほか別に、
客とてもなかりけり。
水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。
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