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2021年7月

2021年7月31日 (土)

再掲載/2012年12月29日 (土) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」2

「春日狂想」は
「在りし日の歌」の最終詩「蛙声」の前にあり
「正午」に続いています。

「永訣の秋」のラインアップを
ここで再度見ておきますと

ゆきてかえらぬ
一つのメルヘン
幻影
あばずれ女の亭主が歌った
言葉なき歌
月夜の浜辺
また来ん春……
月の光 その一
月の光 その二
村の時計
或る男の肖像
冬の長門峡
米子
正午
春日狂想
蛙声
――の16篇です。

このうち文也の死を直接追悼したのは
「また来ん春……」とこの「春日狂想」、
間接的に歌ったのが「月夜の浜辺」と「月の光」の2作と「冬の長門峡」ということになります。
(※「月夜の浜辺」は、文也の死以前の制作と推定する説が最近の研究では有力のようです。)

まず「春日狂想」をざっと読んでみましょう。
次に何度も何度も繰り返し読んでみましょう。
そうでもしないとこの詩を味わうのは無理ですから。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。
――の冒頭行のインパクトが強烈なため
読み終えてもこの詩句が頭の中にこびりつくようなことになりますから
それだけではこの詩を読んだことにはならないので
全体を最後まで読むのです。

すると
1、2、3の3節で構成されている、
1は詩の導入部ですんなり読めるけれど
2はなかなか味わい深くて
汲めども汲めども尽きせぬ奥深さを感じて
繰り返し読んでいるとどんどんどんどん味が出てきて
同時に幾つもの疑問も出てきて
その疑問を解こうと熱中していて
いつしか呆けたような時間の中にいて
まことに、人生、花嫁御寮と詩の一節を諳(そら)んじていたり
3ではっと我に帰ったり……

特に2の《 》の中の

まことに人生、一瞬の夢、
ゴム風船の、美しさかな。

――という文句はだれの言葉なのか。
だれが喋っているのかと釘付けにされます。

まことに人生というフレーズは
この《 》内のほかに
地の文(=詩の本文)にも2回現われますから
これはいったいどういうことかと思い巡らせば
アルチュール・ランボーの詩のドラマ仕立てか!
ギリシア悲劇のコロス(合唱)なのか!

それにしても
全篇77音(ときに8音)で貫(つらぬ)いて
狙われたのは何なのだろうなどと
詩の構造および詩を作る技(わざ)へ関心を引きつけられますが。

詩人は
詩の技の完成度など
てんで気にしていないように
この詩を作っているようで
では何をもっとも大切にしたのかと
繰り返し読む度(たび)に
繰り返し考えさせられるのです。

(つづく)

春日狂想
 
   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながらうことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

   2

奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばつかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)へば、につこり致し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなつたら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましよ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国《あつち》に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーツとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしませう。
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春日狂想
 
   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながろうことともなったら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

   2

奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばっかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)えば、にっこり致し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなったら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましょ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国《あっち》に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。

再掲載/2012年12月28日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「春日狂想」

「永訣の秋」に採るためには
「わかれの歌」でなければならない。
内容は現在ではなく
過去のものでなくてはならないということで
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」は採られなくて
「また来ん春……」や「春日狂想」や「冬の長門峡」は選ばれました。

愛児文也を追悼した詩「春日狂想」も
この流れに沿って読むことが可能になります。

追悼それ自体が客体化され
距離をもって眺められます。

現在の心境ではなく
そこから一歩引いたところで歌った追悼として
「春日狂想」を読めるようになります。

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

――という冒頭行もそのように
読みはじめることができます。

「春日狂想」は昭和12年3月23日の制作とされているのは
文学界の同年5月号に掲載された詩(春日狂想)と
同日の日記に「文学界に詩稿発送」と記されている詩が合致することなどからの推定です。

3月23日といえば
中原中也が中村古峡療養所から退院して
40日近くが経過していることになり
文也の死から数えれば
およそ4か月の時間が過ぎたことになる日です。
それだけの時間が経過しました。

単なる時間の累積ばかりではなく
半強制的に文也の死との距離を置くことを命じられた時間を経たことで
文也の死を
直後の衝撃とは異なる受け止め方をできるようになっていたと言えるのでしょうか。

時間が何らかの解決になったとは
たやすく言うことはできませんが
直後と4か月後との受け止め方には
違いがあることを想像することはできそうです。

(つづく)

春日狂想
 
   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながらうことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

   2

奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばつかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)へば、につこり致し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなつたら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましよ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国《あつち》に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーツとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしませう。
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

春日狂想
 
   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながろうことともなったら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

   2

奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前《せん》より、本なら熟読。
そこで以前《せん》より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田《ばっかんさなだ》を敬虔(けいけん)に編み――

まるでこれでは、玩具《おもちゃ》の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)えば、にっこり致し、

飴売爺々(あめうりじじい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなったら、日蔭に這入(はい)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましょ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外《そと》はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国《あっち》に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美《は)》しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。

2021年7月30日 (金)

再掲載/2012年12月22日 (土) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」9

(前回からつづく)

「在りし日の歌」のとりわけ「永訣の秋」に
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を採らなくて
「また来ん春……」や「春日狂想」や「冬の長門峡」を選んだ理由が見えてきました。

「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を
よーく味わっていれば
それを理解できる気がしませんか?

この詩を何度も何度も読んでいると
追悼詩としての絶唱であることを
誰しもが感じとるに違いありません。

次第次第に悲しみが高まってきて
いましも倒れてしまいそうになるほど
詩人の感情にシンクロし
詩の中に入って
詩人の悲しみを悲しむことになります。

悲しみでめまいがする感覚になるのです。
そのように
悲しみの「現在」が
歌われているのです。

あまりに現在的すぎて
「永訣の秋」にマッチしなかったのです。
「在りし日の歌」に採るにも
詩人の今が歌われていて
「過去」のものになっていなかったことを
詩人自ら分かっていたのです。

「あがりぬ」
「ありぬ」
「いぬ」
「きぬ」
「出でぬ」
「買いぬ」
「のりぬ」
「めぐりぬ」
――と完了を示す助動詞「ぬ」で強調すればするほど
現在が浮かび上がります。

全篇を通じて現われる「ぬ」の繰り返しも
「1」で8回も出てくる「かなしからずや」のルフランに
かき消されてしまうためでしょうか。

「また来ん春……」はその点で
「月の光」や
「春日狂想」や
「冬の長門峡」と同じように
内容との距離感があり
作意・創意といったものまであり
過ぎ去りし日へのわかれ歌の域に達しています。

これは作品の完成度の問題ではありません。
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」は
稀(まれ)にみる追悼詩です。
その絶唱です。

「永訣の秋」に収めるには
バランスを欠いただけの話です。

「また来ん春……」が
ソネット、75調である上に
「辛いのだ」
「何になろ」
「来るじゃない」
「ニャーといい」
「ニャーだった」
「いたっけが……」
――という口語会話体で書かれていることも
内容との適度な距離を感じさせる効果を生んでいます。

(この項終わり)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

再掲載/2012年12月21日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」8

(前回からつづく)

中原中也は中村古峡療養所に入院中の一定期間に
創作を禁じられていたのですが
なにも書いてはならないという厳格な禁止期間はそう長くはなく
特に後半期には
詩篇さえ残していますから
創作意欲は旺盛にあったものの
療養に専念したといえることでしょう。

昭和12年2月27日、鎌倉へ引っ越した日から
「蛙声」が制作された5月14日までが
「在りし日の歌」の第3次編集期とされていますが
この期間には
当初からの詩集タイトル「去年の雪」が維持され
冒頭詩篇は「むなしさ」でした。

「蛙声」の制作が
大きな節目になります。

この詩を「在りし日の歌」の最終詩篇と決めることによって
詩集全体の構成がほぼ完成するのです。
これが第4次編集期です。

「亡き児文也の霊に捧ぐ」の献辞を添えた「在りし日の歌」というタイトルが決まり
「含羞」が冒頭詩篇とされ
そこには「在りし日の歌」のサブタイトルが置かれ
最終詩篇を「蛙声」とする
――とした大枠が次々に決められました。

これらはほぼ同時に決められたと考えるのが
編集という作業という面からみても妥当でしょうから
前後関係はあっても無いのと同然です。

この作業の中で
かねて「別れの秋」という題を候補にしていた第2章を
「永訣の秋」と決め
第1章を「在りし日の歌」としますが
「在りし日の歌」が
詩集全体のタイトルであり
第1章のタイトルであり
冒頭詩「含羞」のサブタイトルでもあるというくどさを
詩人は受け容れました。

詩人は
「これでよし!」としたのです。

ああしようこうしようと
配置を試行錯誤し
ようやく「在りし日の歌」全体の構造が決まったときには
個々の詩篇の配列も
ほとんど決まっていました。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

再掲載/2012年12月20日 (木) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」7

(前回からつづく)

「文也の一生」
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
「冬の長門峡」
――をインクのペン書きから毛筆に変えて書いたのは
特別な思いを込めたからに違いありません。

このことは愛児文也の突然の死が
詩人に与えた衝撃のすべてを物語るようです。

毛筆で書くなどは前例がないものでしたし
日記から詩へ
詩から詩へ
――という連続と非連続。

特に「夏の夜の博覧会はかなしからずや」から
「冬の長門峡」への連続(と非連続)に耳を澄ませば

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

――のポエジーによりいっそう深いところで触れることになるでしょう。

文也の死を過去の事実として
詩人は認めようと努力したのです。

「また来ん春……」は
これら三つの追悼詩(文)とほぼ同時期に作られたものでありながら
どちらが先に作られたか断定できない作品ですが
東京・上野動物園へ文也を連れて行ったときの様子が描かれているのは
「冬の長門峡」以外に共通しています。

「また来ん春……」は
毛筆で書くという特別な心境に入る以前に
文也の死を悼んだ詩として作られたのかもしれません。
とすれば
文也追悼の初めての詩ということになります。

「永訣の秋」に
「また来ん春……」
「月の光 その一」
「月の光 その二」
「冬の長門峡」
「春日狂想」
――と続く「わかれの歌」ですが
悲しみを詩の中に
閉じ込めようとしても
閉じ込めようとしても
滾々(こんこん)と湧き出るかのようなそれを
容易に手なずけることもできずに
詩人はそれをシュール(=超える)する姿勢をとったり……。
真正面から受け止めたり……。

たたかう気持ちを崩しません。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

2021年7月29日 (木)

再掲載/2012年12月19日 (水) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」6

(前回からつづく)

「文也の一生」は日記の8ページにわたって
毛筆で書き付けられました。
そして

7月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。

――と書いたところで途切れます。

同じ毛筆で書かれたのが
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」で
この詩は発表されていませんが
明らかに「文也の一生」を中断した後で
書き継がれた形跡があり
内容も博覧会に親子3人で行った時のイメージを膨(ふく)らませたものになっています。

「夏の夜の博覧会はかなしからずや」に続けて
「冬の長門峡」が書かれました。
これも毛筆で書かれました。

ここで「夏の夜の博覧会はかなしからずや」を読んでおきます。
読みやすくするために「新字・新かな」表記に変え、適宜(てきぎ)行アキを加えます。

夏の夜の博覧会はかなしからずや
 
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
雨ちょと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に余と坊やとはいぬ
二人蹲(しゃが)んでいぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ

三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍(しのばず)ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ

そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりきかなしからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや

広小路にて玩具を買いぬ、兎の玩具かなしからずや

   2

その日博覧会入りしばかりの刻(とき)は
なお明るく、昼の明《あかり》ありぬ、

われら三人《みたり》飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ

飛行機の夕空にめぐれば、
四囲の燈光また夕空にめぐりぬ

夕空は、紺青(こんじょう)の色なりき
燈光は、貝釦(かいボタン)の色なりき

その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊やみてありぬ
その時よ、紺青の空!
       (一九三六・一二・二四)

※《 》で示したルビは原作者本人によるもの、(  )は全集編集委員会によるものです。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

再掲載/2012年12月18日 (火) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」5

(前回からつづく)

やや迂回(うかい)しますが
「文也の一生」というタイトルのある「日記」を読んでみましょう。

文也が死んだのは昭和11年11月10日でしたが
翌々日の12日付けで
届けられた香典の内訳をメモして以来途絶えていた日記が
1か月後の12月12日付けで再開されます。

再開されても年明けてすぐに療養生活を余儀なくされるので
自前の日記は書き継がれず
このノートによる日記は
「文也の一生」の3日後に書かれた次男愛雅(よしまさ)の誕生と
戯歌と称した2行詩を記しただけで終りとなります。

読みやすくするために「新字・新かな」表記に変え、適宜(てきぎ)行アキを加えます。

日記(昭和11年12月12日)
文也の一生

 昭和9年(1934)8月 春よりの孝子の眼病の大体癒ったによって帰省。9月末小生一人上京。文也9月中に生れる予定なりしかば、待っていたりしも生れぬので小生一人上京。10月18日生れたりとの電報をうく。八白先勝みづのえという日なりき。その午後1時山口市後河原田村病院(院長田村旨達氏の手によりて)にて生る。生れてより全国天気一か月余もつづく。

 昭和9年12月10日(ママ)小生帰省。午後日があたっていた。客間の東の6畳にて孝子に負われたる文也に初対面。小生をみて泣く。それより祖母(中原コマ)を山口市新道の新道病院に思郎に伴われて面会にゆく。祖母ヘルニヤ手術後にて衰弱甚だし。(12月9日(ママ)午後詩集山羊の歌出来。それを発送して午後8時頃の下関行にて東京に立つ。小澤、高森、安原、伊藤近三見送る。駅にて長谷川玖一と偶然一緒になる。玖一を送りに藤堂高宣、佐々木秀光来ている。)
 
 手術後長くはないとの医者の言にもかかわらず祖母2月3日まで生存。その間小生はランボオの詩を訳す。1月の半ば頃高森文夫上京の途寄る。たしか3泊す。二人で玉をつく。高森滞在中は坊やと孝子方部屋の次の次の8畳の間に寝る。祖母退院の日は好晴、小生坊やを抱いて祖母のフトンの足の方に立っていたり、東の8畳の間。
 
 3月20日頃小生腹痛はげしく34日就床。これよりさき1月半ば頃坊や孝子の乳房を噛み、それが膿みて困る。3月26日呉郎高校に合格。この頃お天気よく、坊やを肩車して権現山の方へ歩いたりす。一度小生の左の耳にかみつく。
 
 4月初旬(?)小生一人上京。4月下旬高森敦夫上京アパ-トに同居す。6月7日谷町62に越す。高森も一緒。6月末帰省。7月10日頃高森文夫を日向に訪ぬ。34にち滞在。7月末祇園祭。花火を買い来て坊やにみす。8月10(ママ)日母と女中と呉郎に送られ上京。湯田より小郡まではガソリンカー。坊や時々驚き窓外を眺む。3等寝台車に昼間は人なく自分達のクーペには坊やと孝子と自分のみ。関西水害にて大阪より関西線を経由。桑名駅にて長時間停車。上京家に着くや坊や泣く。おかゆをつくり、少し熱いのをウッカリ小生1匙口に入れまた泣く。
 
 9月ギフの女を傭う。12月23日夕暇をとる。坊や上京四五日にして匍ひはじむ。「ウマウマ」は山口にいる頃既に云う。9月10日頃障子をもって起つ。9月20日頃立って一二歩歩く。間もなく歩きだし、間もなく階段を登る。降りることもじきに覚える。拾郎早大入試のため3月10日頃上京。間もなく宇太郎君上京、同じく早大入試のため。坊や此の頃誰を呼ぶにも「アウチャン」なり。拾郎合格。宇太郎君山高合格。8月の10日頃階段中程より転落。そのずっと前エンガワより庭土の上に転落。7月10日拾郎帰省の夜は坊やと孝子と拾郎と小生4人にて谷町交番より円タクにて新宿にゆく。ウチワや風鈴を買う。新宿一丁目にて拾郎に別れ、同所にて坊やと孝子江戸川バスに乗り帰る。小生一人青山を訪ねたりしも不在。すぐに帰る。坊やねたばかりの所なりし。
 
 春暖き日坊やと二人で小澤を番衆会館アパートに訪ね、金魚を買ってやる。同じ頃動物園にゆき、入園した時森にとんできた烏を坊や「ニャーニャー」と呼ぶ。大きい象はなんとも分からぬらしく子供の象をみて「ニャーニャー」という。豹をみても鶴をみても「ニャーニャー」なり。やはりその頃昭和館にて猛獣狩をみす。一心にみる。6月頃四谷キネマに夕より敦夫君と坊やをつれてゆく。ねむさうなればおせんべいをたべさせながらみる。7月敦夫君他へ下宿す。8月頃靴を買いに坊やと二人で新宿を歩く。春頃親子3人にて夜店をみしこともありき。8月初め神楽坂に3人にてゆく。7月末日万国博覧会にゆきサーカスをみる。飛行機にのる。坊や喜びぬ。帰途不忍池を貫く路を通る。上野の夜店をみる。

※「新編中原中也全集 第5巻」より。文中(ママ)とあるのは、考証の結果、詩人の記憶違いであることが判明しているものです。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

2021年7月28日 (水)

再掲載/2012年12月17日 (月) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」4

(前回からつづく)

5次にわたる編集期は
全集委員会が考えた便宜的な「期間区分」であって
中原中也がいつからいつまでと期間を区切ったものではありません。
創作や編集的な作業を禁じられていた療養中にですら
「頭の中」には「在りし日の歌」の構想が進められていたかもしれないのに
それは表面に出てくることはありませんでした。

詩人は聞き分けがよかったのですし
療養所長の中村古峡という人物を信頼していたのかもしれません。

「また来ん春……」が
昭和11年の年末に制作され
中村古峡療養所を退院して直後に発表されたという事実は見逃してなりません。

発表は第3次編集期に入る直前ということになりますが
これをすでに第3次編集期に入った時期と考えることも可能ですし
逆に第2次編集期に入れることも可能です。
文也の死後およそ1か月して作られた詩が
療養期間中に編集・印刷されて公表されたのです。

そして「また来ん春……」は
文也の死を直接的に歌った初めての作品です。
字義通り追悼詩と呼べるものです。
文学界の同じ2月号に「詩三篇」と題して
「月の光 その一」「その二」とあわせて発表されたのです。

冬来たりなば春遠からじ
春よ来い早く来い
春は名のみの風の寒さや
……
春を待ち望む声は冬の間巷間に満ち溢れます。

またやって来る春、と世間の人はよく口にしますが
それを聞くのが辛くてしょうがない
春が来たからどうなるというんだ
あの子が帰ってくるわけじゃない――。

感じている核心にあるところを
ズバリと言い出すのは
「春日狂想」と同じです。

しかし、思いの丈を述べるだけに流そうとしない意思が
ソネット(4433)、75のリズムという定型に表われます。

叙情を情念のほとばしりにまかせるだけに終らせない。
定型の中に叙情を閉じ込めようとしているかのような。

「また来ん春……」を制作したのと同じ頃
日記に「文也の一生」が書かれていますが
どちらが先に書かれたのか分かっていません。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

再掲載/2012年12月16日 (日) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」3

(前回からつづく)

昭和11年11月10日、
長男文也が小児結核で死亡するという不幸に見舞われた詩人は
悲嘆の底に沈み、精神に変調をきたしたため
家人のはからいで千葉の中村古峡療養所へ入院したのは
明けて昭和12年1月9日。
1か月以上の療養の末、2月15日に退院し、
2月27日に四谷・市谷の住まいを払い
鎌倉の寿福寺境内の借家へ引っ越します。

文也の死後で昭和11年内に
中原中也が新たに制作した詩篇は
①未発表詩篇「断片」
②未発表詩篇「暗い公園」
③「また来ん春……」
④「月の光 その一」
⑤「月の光 その二」
⑥未発表詩篇「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
⑦「冬の長門峡」
――の7篇です。
(※旧作を作り直したり再構成したものを除く。詩篇以外では散文の評論で「感想」「詩壇への願い」「詩壇への抱負」があります。)

「断片」が作られたのは昭和11年11月11日から17日の間と推定され
「冬の長門峡」は昭和11年12月24日(日付けあり)ですから
およそ1か月半の間に7作品を制作しています。

散文を含めれば10作品におよび
昭和11年末の制作意欲は
完全には衰えていなかったことを示しています。

「在りし日の歌」の第3次編集に入るのは
鎌倉に来てしばらくした春頃らしいのですが
2月には「また来ん春……」(文学界2月号)
4月には「冬の長門峡」(文学界4月号)
5月には「春日狂想」(文学界5月号)を発表しています。

千葉の療養所への入退院と鎌倉への引っ越しで
空白を余儀なくされた期間をやり過ごして
2月には詩活動をはじめているということになります。
空白は1月と2月のうちのわずかな期間でした。

この間にも、「在りし日の歌」の編集構想が
「頭の中で」進んでいなかったと断言できるものでもありません。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

2021年7月26日 (月)

再掲載/2012年12月15日 (土) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」2

(前回からつづく)

中原中也が第2詩集の編集をはじめたことを確定する
具体的資料は実のところなんら残存しません。
「山羊の歌」出版以後に詩人が著(あら)わした日記や書簡にも
編集を開始したという明確な記述は見つかっていません。

つまり全ては
日記や書簡などを参考にして立てられた仮説です。

日記、書簡は詩人本人が書いたものですから第一級の資料ですが
そこに何の記述もないときに
どのような方法で仮説が立てられたか――。

その方法が新全集に明らかにされていますからそれを読むと
推理小説を読むようなスリルとサスペンスに満ちた記述に出会いますが
その記述は文学的立場から逸脱(いつだつ)しない
あくまで実証的手法による考証・校訂に基いています。

それはすでに旧全集(大岡昇平、吉田凞生、中村稔)でとられた方法でしたが
新全集(新たに、宇佐美斉、佐々木幹郎が参加)は旧全集の成果の上に
いくつかの修正や再発見を取り入れて
よりいっそう綿密な記述へと再構築しました。

新旧全集ともに最も有力な手掛かりとしたのは
原稿用紙の種類とそこに書かれた内容で
これらから使用時期を検討し編集時期を推定、
全編集期間を5期間に分類し
それぞれの期間の特徴を分析しました。

その5期間を
ざっと眺めてみますと

第1次編集期 昭和11年前半
第2次編集期 昭和11年後半
第3次編集期 昭和12年春
第4次編集期 昭和12年夏
第5次編集期 昭和12年秋

――となります。
 
第2次編集期と第3次編集期の間に
長男文也の死がありました。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

再掲載/2012年12月14日 (金) 「永訣の秋」愛児文也のわかれ・「また来ん春……」

「在りし日の歌」の編集はどのような経過で行われたか――。

「永訣の秋」を集中して読んできて残すのは
「また来ん春……」
「春日狂想」
「蛙声」の3作品というところにさしかかりました。

「永訣の秋」の読みがフィニッシュ段階に入るということで
「在りし日の歌」の編集が
愛息・文也の死によって被(こうむ)ったある変更について
ここで目を向けておきます。

「在りし日の歌」は
文也の死(昭和11年11月10日)以前から編集が開始されていましたが
文也の死によって追悼の目的をあわせ持つようになって
「含羞」を冒頭詩とするなどの変更が行われたのですが
そのあたりのこととも関連することです。

「新編中原中也全集」(角川書店)が
他に類例をみない綿密な考証の成果をふんだんに盛り込んでいるのは
小林秀雄による中原中也の死直後の評価の仕事以来
戦後にはじまった大岡昇平や安原喜弘らの仕事へつながれ、
そしてこれらの基礎工事の上に築かれた3次にわたる全集編集へつながれたという
長い歴史的所産であるからです。

新全集(新編中原中也全集)には
大岡が中村稔に参加を呼びかけた第1次(~第3次)
次に吉田凞生(ひろお)が参画した第2次(~第3次)
そして宇佐美斉、佐々木幹郎が参画した第3次編集委員会のメンバーらによる
幾人もの仕事が積み重なっています。

この新全集に
「在りし日の歌」の「成立過程」と「編集過程」がくわしく記述されていますから
それを読んでみれば
「在りし日の歌」は昭和11年前半に編集が開始され
小林秀雄に清書原稿が託される昭和12年9月まで
5回に期間分類できる編集期を経たことが分かります。

(つづく)

また来ん春……
 
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るじやない

おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫《にやあ》といひ
鳥を見せても猫《にやあ》だつた

最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

また来ん春……
 
また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫《にゃあ》といい
鳥を見せても猫《にゃあ》だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

2021年7月23日 (金)

再掲載/2012年12月11日 (火) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」7

(前回からつづく)

中原中也が「現代と詩人」に

さあさあ僕は、詩集を読もう。フランスの詩は、なかなかいいよ。

――と記したとき念頭にあったのは
真っ先にアルチュール・ランボーとポール・ベルレーヌの二人の詩人のはずでした。
ほかにボードレールやラファルグや
ネルバルやデボルト=バルモールがいたとしても
この二人は別格の存在のはずでした。

「ランボオ詩集」の後記のランボー論は
ランボーを論じるためにはベルレーヌを登場させないではいられないものでした。
この二人の詩人が
「あれ」=「宝島」への最も近い存在でした。

ここでベルレーヌの「言葉なき恋歌」をすこしだけ齧(かじ)ってみたいのですが
中原中也の翻訳はありませんから
鈴木信太郎訳で読んでみます。

鈴木信太郎訳
言葉なき恋歌より

そは やるせなく蕩くる心地

           野には風  
           息を已む。
              (ファヴァアル)

そは やるせなく蕩(とろ)くる心地
恋痴(し)れし身のつかれ、
微風(そよかぜ)に抱擁(だきし)められし
森の戦慄(おののき)、
鈍色(にびいろ)に翳(かす)む梢に
幽(かそ)けくも歌ふ声なり。

おお 爽やかの繊弱(かよわ)き私語(ささやき)。
そは ひそひそと しのびしのびに、
そは 草の そよぎて息も絶え絶えの
粛(しめ)やかの泣く音に似たり……
せせらぎの水の底なる 礫(さざれいし)の
にぶき揺鳴(ゆらぎ)と 君は言ふらむ。

おろ睡る嘆きの中に
すすり哭(な)く この霊魂(たましい)は、
われらが心と 思(おぼ)さずや 君。
わが心と君が心よ、心より
この暖かき夕闇に 仄(ほの)かに昇り
煙と消ゆる つつましき祈の歌。

(「ヴェルレエヌ詩集」岩波文庫、1987年 第31刷より、一部、新漢字に改めてあります。)

中原中也が鈴木信太郎のこのベルレーヌ訳を読んだという形跡はありませんが
ベルレーヌ最高峰の「言葉なき恋歌」に目を通したことは間違いありません。

ここで注目したいのは
冒頭や各所に出てくる「そ」という指示代名詞です。
古語の「そ」ですが
現代語で「それ」です。

「言葉なき歌」を書いた中原中也の頭の中で
ランボーとベルレーヌのことが駆け巡っていたのであれば
この「そ」が何度となく去来したことも想像に難(かた)くはありません。

「言葉なき歌」には
もろにランボーとベルレーヌの影があるのです。

(この項終わり)

言葉なき歌
 
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
 

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

言葉なき歌
 
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い

決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい

それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない

そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員
会によるものです。

 

2021年7月22日 (木)

再掲載/2012年12月10日 (月) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」6

(前回からつづく)

「言葉なき歌」の「あれ」に似ている使い方をされている詩が
いくつかあることが分かっていますが
そのうちの一つ「現代と詩人」を読んでみましょう。
「新字・新かな」表記にしてあります。

現代と詩人
 
何を読んでみても、何を聞いてみても、
もはや世の中の見定めはつかぬ。
私は詩を読み、詩を書くだけのことだ。
だってそれだけが、私にとっては「充実」なのだから。

――そんなの古いよ、という人がある。
しかしそういう人が格別新しいことをしているわけでもなく、
それに、詩人は詩を書いていれば、
それは、それでいいのだと考うべきものはある。

とはいえそれだけでは、自分でも何か物足りない。
その気持は今や、ひどく身近かに感じられるのだが、
さればといってその正体が、シカと掴(つか)めたこともない。

私はそれを、好加減(いいかげん)に推量したりはしまい。
それがハッキリ分る時まで、現に可能な「充実」にとどまろう。
それまで私は、此処(ここ)を動くまい。それまで私は、此処を動かぬ。

   2

われわれのいる所は暗い、真ッ暗闇だ。
われわれはもはや希望を持ってはいない、持とうがものはないのだ。
さて希望を失った人間の考えが、どんなものだか君は知ってるか?
それははや考えとさえ謂(い)えない、ただゴミゴミとしたものなんだ。

私は古き代の、英国の春をかんがえる、春の訪れをかんがえる。
私は中世独逸(ドイツ)の、旅行の様子をかんがえる、旅行家の貌《かお》をかんがえる。
私は十八世紀フランスの、文人同志の、田園の寓居への訪問をかんがえる。
さんさんと降りそそぐ陽光の中で、戸口に近く据えられた食卓のことをかんがえる。

私は死んでいった人々のことをかんがえる、――(嘗(かつ)ては彼等も地上にいたんだ)。
私は私の小学時代のことをかんがえる、その校庭の、雨の日のことをかんがえる。
それらは、思い出した瞬間突嗟(とっさ)になつかしく、
しかし、あんまりすぐ消えてゆく。

今晩は、また雨だ。小笠原沖には、低気圧があるんだそうな。
小笠原沖も、鹿児島半島も、行ったことがあるような気がする。
世界の何処(どこ)だって、行ったことがあるような気がする。
地勢と産物くらいを聞けば、何処だってみんな分るような気がする。

さあさあ僕は、詩集を読もう。フランスの詩は、なかなかいいよ。
鋭敏で、確実で、親しみがあって、とても、当今日本の雑誌の牽強附会(けんきょうふかい)の、陳列みた
 いなものじゃない。それで心の全部が充されぬまでも、サッパリとした、カタルシ
 スなら遂行されて、ほのぼのと、心の明るむ喜びはある。

 ※《 》内のルビは原作者によるもの、( )内は全集編集員会によるものです。編者。

「言葉なき歌」が「文学界」に発表されたのが
昭和11年の12月号で
この詩「現代と詩人」も同じ12月号の「作品」に発表されています。

二つの詩はメディアは異なるけれど
同年同月号の文芸誌に発表されたということですが
決定的に異なるのは
昭和12年9月に行われた「在りし日の歌」の最終編集で
一つは選ばれ一つは選ばれなかったということです。

「言葉なき歌」が「永訣の秋」へ配置されたということは
「在りし日の歌」という詩集の編集意図をインスパイアーされて
変成されていく過程を経たという意味をもちます。
昭和12年9月の詩人の創意を
「言葉なき歌」は吹き込まれて「再生」されたはずの作品なのです。

この違いを踏まえたうえで
二つの詩を読んでみれば
どれほど近似しているかも分かることでしょう。

特に「1」の第1連第4行に現われる指示代名詞「それ」は
「言葉なき歌」の「あれ」の至近距離にあることを理解するでしょう。

しかし、ここで注目したいのは
最終連の

さあさあ僕は、詩集を読もう。フランスの詩は、なかなかいいよ。

――です。

(つづく)

言葉なき歌
 
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
 

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

言葉なき歌
 
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い

決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい

それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない

そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。

 

再掲載/2012年12月 9日 (日) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」5

(前回からつづく)

「ランボウ詩集」の「後記」の後半部は
中原中也のランボー論が展開されています。
そして少しはベルレーヌ論も混ざっています。

その中のはじめの部分の

パイヤン(異教徒)の思想だ
彼にとつて基督教とは、多分一牧歌
感性的陶酔
陶酔の全一性といふことが全ての全て
悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発した
人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボオの思想は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。

――などというランボー「総論」はひとまず置いておきます。

「言葉なき歌」にピタリとクロスするのは

 云換れば、ランボオの洞見したものは、結局「生の原型」といふべきもので、謂はば凡ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道の分らなくなつた宝島の如きものである。

――と述べられた部分でしょう。

さらにつづめれば、このくだりの中の

一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道の分らなくなつた宝島の如きもの

――という一節です。

「言葉なき歌」の「あれ」が
この一節にピンポイントで照応(クロス)しています。

「あれ」は、

かつて一度洞見したことのある(一度見抜いたことのある)
忘れようにも忘れられないし、またもう一度それを表現することもできない
存在することは確かなのだけれど「そこ」へ行く道がわからなくなった宝島のようなもの

――と同じものではありませんか!

さらにつづめて言えば
「あれ」とは「宝島」のことになります。

(つづく)

言葉なき歌
 
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
 

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

言葉なき歌
 
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い

決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい

それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない

そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員
会によるものです。

 

2021年7月21日 (水)

再掲載/2012年12月 8日 (土) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」4

(前回からつづく)

はじめに「芸術論覚え書」が書かれ
次に「言葉なき歌」(第1次形態)が書かれ
その次に「ランボウ詩集」の後記が書かれた――というのが制作順序だったようですが
「言葉なき歌」(第2次形態)は「在りし日の歌」の最終編集過程で若干の修正を経て選ばれたのですから
「ランボウ詩集」の後記が書かれたのより後に詩人の眼を通過したと見ることもでき
そうであれば「芸術論覚え書」から次に「ランボウ詩集」の後記へ、
最後に「言葉なき歌」へという順に制作されたと考えることもできます。

しかしこのように厳密に制作順序を特定するということは
たいした問題ではないのかもしれません。

「芸術論覚え書」
「ランボウ詩集」の後記
「言葉なき歌」
――に展開されている詩論や芸術観は
「山羊の歌」以前と「在りし日の歌」以後という期間分類ができるとすれば
明らかに「在りし日の歌」の期間のものでしたから。

これらの詩論や芸術観の出所は
同じところにあったと言えるものですから。

ここで「ランボウ詩集」の「後記」を読んでみます。

 ランボオ詩集
 後記

 私が茲(ここ)に訳出したのは、メルキュル版千九百二十四年刊行の「アルチュル・ランボオ作品集」中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。たゞ数篇を割愛したが、そのためにランボオの特質が失はれるといふやうなことはない。

 私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されてゐるが分りにくいといふ場合が少くないのは、語勢といふものに無頓着過ぎるからだと私は思ふ。私はだからその点でも出来るだけ注意した。

 出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となつてゐるやうに気を付けた。
 語呂といふことも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するやうなことはしなかつた。

     ★

 附録とした「失はれた毒薬」は、今はそのテキストが分らない。これは大正も末の頃、或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボオに関する研究書の中から、小林が書抜いて来たのであつた、ことは覚えてゐる。
――テキストを御存知の方があつたら、何卒御一報下さる様お願します。

     ★

 いつたいランボオの思想とは?――簡単に云はう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼はそれを確信してゐた。彼にとつて基督教とは、多分一牧歌としての価値を有つてゐた。

 さういふ彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかつた筈だ。その陶酔を発想するといふこともはや殆んど問題ではなかつたらう。その陶酔は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン云つてゐることも、要するにその陶酔の全一性といふことが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、而も人類とは如何にそのとるに足りぬことにかかづらつてゐることだらう、といふことに他ならぬ。

繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ、

 つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える程、忘れられてはゐるが貴重なものであると思はれた。彼の悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発した。

 所で、人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボオの思想は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。勿論夢といふものは、容れられないからといつて意義を減ずるものでもない。然しランボオの夢たるや、なんと容れられ難いものだらう!

 云換れば、ランボオの洞見したものは、結局「生の原型」といふべきもので、謂はば凡ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道の分らなくなつた宝島の如きものである。

 もし曲りなりにも行き道があるとすれば、やつとヹルレーヌ風の楽天主義があるくらゐのもので、つまりランボオの夢を、謂はばランボオよりもうんと無頓着に夢みる道なのだが、勿論、それにしてもその夢は容れられはしない。唯ヹルレーヌには、謂はば夢みる生活が始まるのだが、ランボオでは、夢は夢であつて遂に生活とは甚だ別個のことでしかなかつた。

 ランボオの一生が、恐ろしく急テムポな悲劇であつたのも、恐らくかういふ所からである。

     ★

 終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚く御礼を申述べておく。

                                              〔昭和十二年八月二十一日〕

※「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・本文篇」(角川書店)より。「行アキ」を加えてあります。編者。

(つづく)

言葉なき歌
 
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
 

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

言葉なき歌
 
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い

決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい

それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない

そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。

 

再掲載/2012年12月 7日 (金) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」3

(前回からつづく)

「芸術論覚え書」は
昭和9年(1934年)12月から翌10年3月に書かれたらしいことが分かっています。
「山羊の歌」刊行後で
この期間に詩人は生地・山口に帰省中でした。

内容は「名辞」「名辞以前」「現識」という概念を軸にした
詩論であり硬軟の混ざった芸術論であり
第一詩集をようやく発行し
さらに本格的な詩活動へ乗り出そうとする詩人の意気込みに満ちていて
折りあるごとに引用され照会されるこの詩人独特の表現論になっています。

「言葉なき歌」は
他のいくつかの詩作品とともに
この詩論・表現論そのものを韻文=詩で展開したものといえますが
「芸術論覚え書」が「山羊の歌」刊行直後に書かれたのに対し
詩人の死の直前(最晩年)に作られた点に注目したいところです。

詩論の詩である「言葉なき歌」に別格の趣(おもむき)があるが
それは何か――。

「言葉なき歌」ははじめ「文学界」の昭和11年12月号に発表され(第1次形態)、
昭和12年8月から9月の間に行われた「在りし日の歌」の最終編集過程で
わずかに手直しされて「永訣の秋」に収録されました(第2次形態)。

「ランボオ詩集」の翻訳・発行を昭和12年9月に果たし
ただちに「在りし日の歌」編集・清書に取り組み
小林秀雄にその清書原稿を託したのも9月という
慌ただしい日々を詩人は鎌倉の地で送って
それらを成し遂げた後で結核性脳膜炎を発病
10月22日に永眠します。

「ランボウ詩集」と「在りし日の歌」には「後記」が添えられ
「ランボウ詩集」は「昭和12年8月21日」、
「在りし日の歌」は「1937、9、23」と
どちらにも日付けが記されました。

死の直前といってよい時期に
散文による後記が二つ残されたのです。

「在りし日の歌」の後記は
「おおわが東京! さらば青春!」と結ばれたわかれのあいさつみたいなものですが
「ランボウ詩集」の後記は
ランボーおよびベルレーヌに言及した表現論を含み
その意味では「芸術論覚え書」と連続しています。

分析を試みればこのようなことになりますが
「言葉なき歌」を書いた詩人の頭の中には
「ランボウ詩集」の後記で書いたランボーとベルレーヌのことが駆け巡っていた
――というようなことが言えるのではないでしょうか。

すぐれた小説や
すぐれた絵や
すぐれた音楽や
あらゆるすぐれた芸術は
その作品の中に自ずと
小説とは何か
絵とは何か
音楽とは何か
芸術とは何かという問いを含み
それに答えようとしていることがよくありますが
「言葉なき歌」は
そうした問いと答えとを内包する詩です。
それを書く動機にランボーとベルレーヌがあったということになります。

(つづく)

言葉なき歌
 
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
 

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

言葉なき歌
 
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い

決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい

それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない

そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員
会によるものです。

 

2021年7月20日 (火)

再掲載/2012年12月 6日 (木) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」2

(前回からつづく)

「言葉なき歌」には
いくつかの指示代名詞や
場所・方角を表わす名詞(句)・形容詞が使われ
近くから遠くから
本体(場所)に代わってその内容が指し示されますが
本体の内容は具体的に示されるところまでいきません。

「あれ」
「ここ」(此処)
「あすこ」
「とおいい」(遠いい)
「遙か」
「彼方」
「その方」
――がそれですが
なんといっても重要なのは
「あれ」と「ここ」です。

「あれ」は遠いところにある
「あれ」は遠い彼方で夕陽にけぶっている
「あれ」は号笛(フィトル)の音のように繊弱
「あれ」は煙突の煙のように、茜の空にたなびいている

――が「あれ」の状態ですが、

「ここ」は空気もかすかで蒼く、葱の根のように仄かで淡い状態で、
根気強く待っていなければならず
待ってさえいれば
そのうち喘ぎも平静に復すような場所です。

「あれ」を「ここ」で「待つ」ことの大事さが歌われるのですが
「待つ」というのは
急いではならない
娘の眼のように遙かなものを見るように見やってはならない
その方へ駆け出してはならない
――という否定形でのみ説明される受動的な行為です。

そのようでありながら
堅固な意思を試される「主体的営為」のようでもあり
詩人はそのようにでもしなければ
詩の言葉などが生まれることはないとの確信を記述しているかのようです。

「あれ」は当面「あれ」としか言いようにないコトなのですが
詩はそれを言い表わすことがミッションであり
ミッションなどと概括した途端に
その内容は消えていってしまったり
言い表そうとしたときにすでに別物に変化してしまう場合が多いから
それ「以前」の「それ」を言い表わすためには
まず「感じ」なければならない――。

「言葉なき歌」は
中原中也が「芸術論覚え書」で綿密に述べている詩論の
実践例のような詩です。

(つづく)

言葉なき歌
 
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
 

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

言葉なき歌
 
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い

決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい

それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない

そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。

 

再掲載/2012年12月 5日 (水) 「永訣の秋」詩のわかれ歌のわかれ・「言葉なき歌」

存在感のうすいヒト・モノ・コトを扱っているという角度で
「幻影」
「月夜の浜辺」
「村の時計」
「或る男の肖像」
「米子」――を同じ流れにある詩群として見てきましたが
最終詩「蛙声」へと繋がっていくもう一つの流れに
「ゆきてかえらぬ」を起点として
「幻影」
「あばずれ女の亭主が歌った」
「言葉なき歌」を通じる一群があります。

これら詩のモチーフとなっているのは
言葉や詩や詩人といった「表現」に関わるコトです。

「ゆきてかえらぬ」の僕は
不思議な公園の中にいた夜に
銀色に輝く蜘蛛の巣を見ます。

「幻影」の私の頭の中には
薄命そうなピエロが棲んでいて
パントマイムで何かを必死に伝えようとしています。

「あばずれ女の亭主が歌った」の亭主は
病院の淡い匂いに引き込まれます。

「言葉なき歌」のおれが待っているものは
なんら具体的な形を指示されませんが
おれ(=詩人)がもっとも成し遂げたい重大なコトのようです。

この重大なコトは
「蛙声」でよりいっそう具体化されることになります。

「言葉なき歌」に
「言葉」を具体的に示すものはありませんが
タイトルになっていることから
詩の中で「あれ」と表現されているものが
「言葉」や「歌」に関する何かであるのは確実なことです。

このネーミングには少なくとも
詩人が影響を受けたフランスの詩人、ポール・ベルレーヌに
詩集「言葉なき恋歌」Romances sans parolesがあり
その影がこのタイトルにあることが見えます。

(つづく)

言葉なき歌
 
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡《あは》い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女《むすめ》の眼《め》のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛《フイトル》の音《ね》のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた
 

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

言葉なき歌
 
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱(ねぎ)の根のように仄(ほの)かに淡《あわ》い

決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女《むすめ》の眼(め)のように遥かを見遣(みや)ってはならない
たしかに此処で待っていればよい

それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛《フィトル》の音《ね》のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待っていなければならない

そうすればそのうち喘(あえ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいていた

※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは原作者本人、( )で示したルビは全集編集委員会によるものです。

2021年7月19日 (月)

再掲載/2012年12月 4日 (火) 「永訣の秋」もう一つの女のわかれ・「米子」2

(前回からつづく)

長谷川泰子の勝気なばかりではない側面を
「米子(よねこ)」で描いた――。

そう考えてもよいか
そう考えないほうがよいか。

米子は泰子のことを指しているという考えと
米子は泰子とは異なる女性をモデルにしているが
それが誰であるかは特定できないという考えとが対立しながら存在しますが
「泰子」はもはやこの時点で
実在の泰子以上(以外)の「恋人」になっているともいえますから
どちらでもおかしくはないことを頭に入れてこの詩を読んでみます。

ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿って、立っていた。

――と、米子(よねこ)は
人通りのない歩道に「ポプラ」の木のように立っているのですが
バス待ちなのか人待ちなのか
何かを待っているようで
所在なさそうで影がうすい感じなのが
逆に強烈な存在感を放っているのです。

どうしてそう感じられるかといえば
彼女は「肺病やみ」で「腓(ひ)」=ふくらはぎが細くて
すーっと背の高い姿形(すがたかたち)をしている、というところに
ギョッとさせられるからです。

彼女の名前まで知っており
かぼそい声を聞いたこともあるのですから
知り合いらしいのですが
気安く言葉を交わすほどでもなく
「お嫁にいったら元気になるさ」などと軽口を叩ける間柄でもない。

言い出しにくいわけでもなく
言って彼女の気持ち暗くさせてはまずいと思ったのでもなく
ただ言いそびれ言う機会を失った
――という必然(運命)にあっただけのことを言いたいらしい。

何年か、何十年か経った今、
それゆえに気になって仕方ないのです。
雨上がりの歩道に立つ彼女に
もう一度会ってみたいのです。
もう一度そのかぼそい声を聞きたいのです。

そして今度こそ
わかれの最後の言葉をかけて……。

いまや遠い日のことになったあの時の
あの何ということもない日常の一断面に現われた女性。

彼女が誰であるかという関心は消えていかないものですが
それを詮索(せんさく)しなくても
この詩を味わうことができます。

泰子である、
泰子ではない、
泰子以外の女性で詩人が一時心を動かしたことがある女性――などと
想像しながら読んでもまた楽しからずや、です。

「米子」は
昭和11年12月1日付け発行の「ペン」に初出、
昭和12年4月1日付け発行の「文芸懇話会」に再出、
「在りし日の歌」の「永訣の秋」に
「冬の長門峡」と「正午」に挟まって置かれました。

永遠のわかれのあいさつを
女性にもうひとこと言っておきたいという意図を
この配置から感じ取ることができます。

(この項終わり)

米 子
 
二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かつた。
ポプラのやうに、人も通らぬ
歩道に沿つて、立つてゐた。

処女《むすめ》の名前は、米子と云つた。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであつた。
――かぼそい声をしてをつた。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なお)るかに思はれた。と、そう思いながら
私はたびたび処女《むすめ》をみた……

しかし一度も、さうと口には出さなかつた。
別に、云い出しにくいからといふのでもない
云つて却《かえ》つて、落胆させてはと思つたからでもない、
なぜかしら、云はずじまいであつたのだ。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
歩道に沿つて立つてゐた、
雨あがりの午後、ポプラのやうに。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思ふのだ……

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

米 子
 
二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かった。
ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿って、立っていた。

処女《むすめ》の名前は、米子と云った。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであった。
――かぼそい声をしておった。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なお)るかに思われた。と、そう思いながら
私はたびたび処女《むすめ》をみた……

しかし一度も、そうと口には出さなかった。
別に、云い出しにくいからというのでもない
云って却《かえ》って、落胆させてはと思ったからでもない、
なぜかしら、云わずじまいであったのだ。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
歩道に沿って立っていた、
雨あがりの午後、ポプラのように。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思うのだ……

 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

 

再掲載/2012年12月 3日 (月) 「永訣の秋」もう一つの女のわかれ・「米子」

「米子」は「よねこ」ですから
なぜまたこんなところに女性の固有名を冠した詩が配置されたのかと
首をひねることになりそうですが
作品内容で見れば
「村の時計」の流れで連続していることが見えてきました。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かった。
ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿って、立っていた。

――という書き出しですから
ひっそりと健気(けなげ)そうに生きている女性で
「村の時計」に引けをとらない影のうすい存在感です。

この女性は誰のことを歌っているのか?
――と現実のモデルを探すのは無意味なことでしょう。
そうとは知りながら
あくまで一つの見方ですが
詩人の「永遠の恋人」長谷川泰子とは異なる女性のようだなどと
自然に憶測の羽根が広がります。

しかし、米子(よねこ)は泰子ではなさそうと思った途端に
いや泰子であってもおかしくはないというもう一つの考えが出てきます。

「或る夜の幻想」の「3 彼女」の最終連
  夢の中で、彼女の臍《おへそ》は、
  背中にあった。

――とシュールな表現で
元気のよさそうな女性が長谷川泰子をモデルにしているのなら
「米子(よねこ)」の影のうすいのとは対照的に見えますが
いやここで泰子のもう一つの顔が描かれたとしても変ではないと考え直したらどうなるか。

なかなか捨てがたいアイデアとして
浮かんでくるではありませんか。

そうとなると
「或る夜の幻想」の再構築の際
一度は排除した「彼女」を
別の形でよみがえらせたと考えることができます。

(つづく)

米 子
 
二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かつた。
ポプラのやうに、人も通らぬ
歩道に沿つて、立つてゐた。

処女《むすめ》の名前は、米子と云つた。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであつた。
――かぼそい声をしてをつた。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なお)るかに思はれた。と、そう思いながら
私はたびたび処女《むすめ》をみた……

しかし一度も、さうと口には出さなかつた。
別に、云い出しにくいからといふのでもない
云つて却《かえ》つて、落胆させてはと思つたからでもない、
なぜかしら、云はずじまいであつたのだ。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
歩道に沿つて立つてゐた、
雨あがりの午後、ポプラのやうに。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思ふのだ……

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

米 子
 
二十八歳のその処女《むすめ》は、
肺病やみで、腓《ひ》は細かった。
ポプラのように、人も通らぬ
歩道に沿って、立っていた。

処女《むすめ》の名前は、米子と云った。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであった。
――かぼそい声をしておった。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なお)るかに思われた。と、そう思いながら
私はたびたび処女《むすめ》をみた……

しかし一度も、そうと口には出さなかった。
別に、云い出しにくいからというのでもない
云って却《かえ》って、落胆させてはと思ったからでもない、
なぜかしら、云わずじまいであったのだ。

二十八歳のその処女《むすめ》は、
歩道に沿って立っていた、
雨あがりの午後、ポプラのように。
――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思うのだ……

 
※「新編中原中也全集」より。《 》で示したルビは、原作者本人によるものです。

 

2021年7月18日 (日)

再掲載/2012年12月 2日 (日) 「永訣の秋」存在のわかれ・「村の時計」2

(前回からつづく)

「村の時計」は

一日中休むことなく働いていて
字板のペンキにはつやがなく
近くで見れば細(こま)かなひび割れがあり
夕方の陽にあたっておとなしい色合いをしていて
時刻を鳴らすときにはゼーゼーと音を出し
その音はどこから出ているのか誰にもわからない

――とだけを述べた詩です。

だからどうしたというような感想は見当たりませんし
風景の一つも歌われていませんが
どこかの村の役場だとか教会だとかの広場みたいなところにある
ゼンマイ仕掛けの大きな時計を思い浮かべることができ
その時計は村人たちに目立って感謝されているわけでもないけれど
日々の暮らしに欠かせない役割をこなしている
確実で誠実で安定した頼りがいのある存在であることをイメージできるでしょう。

世界中の村のどこにでも
このような大きくて古ぼけていながら
現役として働いている老兵のような時計が存在する――と
誰しもが抱いている古い記憶を呼び起すことだけが
この詩には重要な役目であるかのようです。

「村の時計」は
連詩「或る夜の幻想」の構造を見れば分かるように
「彼」に関しての詩の一部でした。
「彼女」についての部分と「彼」についての部分で構成された詩の
「彼」の部分に属する詩でした。

それが分解されて
「彼」は独立しました。

この「彼」とは
私の頭の中に棲んでいた薄命そうなピエロ(幻影)
――のピエロのようであり(そのピエロを思う私のようであり)、
遠い彼方で夕陽にけぶっていたフィトル(号笛)の音のように繊弱なあれ(言葉なき歌)
――のようであり(それを待ち望んでいる詩人のようであり)、
月夜の晩の浜辺に落ちていたボタン(月夜の浜辺)
――のボタンのようであり(それを拾った僕=詩人のようであり)、
注意していないと見過ごしてしまいそうに存在感のうすいヒト・モノ・コトの仲間でした。

やがて「彼」は
「或る男の肖像」に姿形を変えますが
そこではすでに死んだ男として現われ
さらには「米子」の女性になり
最後には「蛙声」の蛙になります――。

(この項終わり)

村の時計
 
村の大きな時計は、
ひねもす働いてゐた

その字板(じいた)のペンキは
もう艶が消えてゐた

近寄つて見ると、
小さなひびが沢山にあるのだつた

それで夕陽が当つてさへか、
おとなしい色をしてゐた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴つた

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかつた

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

村の時計
 
村の大きな時計は、
ひねもす動いていた

その字板(じいた)のペンキは
もう艶が消えていた

近寄ってみると、
小さなひびが沢山にあるのだった

それで夕陽が当ってさえか、
おとなしい色をしていた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴った

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかった
 
※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。

 

再掲載/2012年12月 1日 (土) 「永訣の秋」存在のわかれ・「村の時計」1

「或る夜の幻想」のうち
「1 彼女の部屋」「3 彼女」は除外され
「2 村の時計」は同じタイトルで「村の時計」として
「4 或る男の肖像」「5 無題」「6 壁」は「或る男の肖像」として
独立した詩に仕立てられました。

「村の時計」は「永訣の秋」の中で
「月の光」と「冬の長門峡」の間に
「或る男の肖像」とともに配置されています。

原形詩「或る夜の幻想」の構造を知れば
詩人の意図が少し理解できた気がしますが、
もうすこし「村の時計」はなぜ「永訣の秋」に選ばれたのかを考えてみましょう。

なぜこの詩はここにあるのでしょうか?

「永訣の秋」のほかの作品とくらべて
どことなく影の薄い感じのするこの詩が
なぜここに選ばれたのでしょう。

「村の時計」を
何度も何度も読んでいると
ようやく浮かんでくることがあります。

どこか覚えのある存在――。
存在感のうすい存在――。

「永訣の秋」のページをめくれば
そのような存在がいくつかあるのに気づきます。

私の頭の中に棲んでいた薄命そうなピエロ(幻影)
遠い彼方で夕陽にけぶっていたフィトル(号笛)の音のように繊弱なあれ(言葉なき歌)
月夜の晩の浜辺に落ちていたボタン(月夜の浜辺)
……
「或る男の肖像」の男も影がうすく、すでに死んでいました――。
……
「米子」のかぼそい声の女もそうです――。

ひっそりと、おとなしく
どっこい生きている!
(「或る男の肖像」の男は死んでしまいましたが、詩に語られているのは生前です)

これら存在感のない
影がうすい存在――ヒト・モノ・コト。

「村の時計」もこれらの仲間です。

(つづく)

村の時計
 
村の大きな時計は、
ひねもす働いてゐた

その字板(じいた)のペンキは
もう艶が消えてゐた

近寄つて見ると、
小さなひびが沢山にあるのだつた

それで夕陽が当つてさへか、
おとなしい色をしてゐた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴つた

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかつた

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

村の時計
 
村の大きな時計は、
ひねもす動いていた

その字板(じいた)のペンキは
もう艶が消えていた

近寄ってみると、
小さなひびが沢山にあるのだった

それで夕陽が当ってさえか、
おとなしい色をしていた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴った

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかった
 
※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。

2021年7月17日 (土)

再掲載/2012年11月30日 (金) 「永訣の秋」女のわかれ補足篇・「或る男の肖像」の原形「或る夜の幻想」その3

(前回からつづく)

「杉林」が「男」のシンボリックな表現であるとすれば

野原の一隅には杉林があった。
なかの一本がわけても聳えていた。

或る日彼女はそれにのぼった。
下りて来るのは大変なことだった。

それでも彼女は、媚態を棄てなかった。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりであった。

  夢の中で、彼女の臍《おへそ》は、
  背中にあった。

――は、「彼女」の「男の経験」が描かれているらしいことが見えてきます。

そうとなればその経験とは
長谷川泰子が小林秀雄と暮らしはじめ
やがてその暮らしが破綻(はたん)して後も
女優への道を追い続けた生きざまがすぐに浮かんできます。

中原中也は長谷川泰子と小林秀雄との「奇怪な三角関係」の当事者なのですが
泰子の生きざまを「或る夜の幻想」で振り返ったのです。
それを「四季」に発表しましたが
丸ごとを「在りし日の歌」には収録しませんでした。

「或る夜の幻想」の
1 彼女の部屋
3 彼女
――の収録を憚(はばか)ったのはそれなりの理由があるはずで
それは「奇怪な三角関係」を
ここにきて露出するまでもないと考えたからでありますが
「永訣の秋」のほかの詩との統一性を考えたときに
詩そのものの完成度に不満があったためでしょう。

特に「3 彼女」の最終連
  夢の中で、彼女の臍《おへそ》は、
  背中にあった。
――は鮮烈なイメージばかりはありますが
もう一つ通じにくく
一人よがりであることを詩人自ら判定したからでしょう。

これをもフロイドを援用して読むことができないわけではありませんが
詩人はそういう詩を選びたくはなかったに違いありません。

こうして「或る夜の幻想」から
「或る男の肖像」が取り出されました。

結果は、贅肉のない
断片が生み出すリアリティーみたいなものが残って
想像力を駆り立てる名作になりました。

「或る男の肖像」と
同じような経緯で生まれたのが
「村の時計」です。

(この項終わり)

或る夜の幻想
 
   1 彼女の部屋

彼女には
美しい洋服箪笥があつた
その箪笥は
かわたれどきの色をしてゐた

彼女には
書物や
其の他色々のものもあつた
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかつたので
彼女の部屋には箪笥だけがあつた

  それで洋服箪笥の中は
  本でいつぱいだつた

   2 村の時計
 
村の大きな時計は、
ひねもす働いてゐた

その字板《じいた)のペンキは
もう艶が消えてゐた

近寄つて見ると、
小さなひびが沢山にあるのだつた

それで夕陽が当つてさへか、
おとなしい色をしてゐた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴つた

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかつた

   3 彼女

野原の一隅には杉林があつた。
なかの一本がわけても聳えてゐた。

或る日彼女はそれにのぼつた。
下りて来るのは大変なことだつた。

それでも彼女は、媚態を棄てなかつた。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりであつた。

  夢の中で、彼女の臍《おへそ》は、
  背中にあつた。
  
   4 或る男の肖像

洋行帰りのその洒落者は、
齢をとつても髪に緑のポマードをつけてゐた。

夜毎喫茶店にあらはれて、
其処の主人と話してゐる様はあはれげであつた。

死んだと聞いては、
いつそうあはれであつた。

   5 無題
    ――幻滅は鋼《はがね》のいろ。

髪毛《かみげ》の艶《つや》と、ランプの金《きん》との夕まぐれ
庭に向つて、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。

剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。

開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。

読書も、しむみりした恋も、
暖かいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。

   6 壁

彼女は
壁の中へ這入つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いてゐた。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

或る夜の幻想
 
   1 彼女の部屋

彼女には
美しい洋服箪笥があった
その箪笥は
かわたれどきの色をしていた
彼女には
書物や
其の他色々のものもあった
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかったので
彼女の部屋には箪笥だけがあった
  それで洋服箪笥の中は
  本でいっぱいだった

   2 村の時計
 
村の大きな時計は、
ひねもす動いていた

その字板《じいた》のペンキは
もう艶が消えていた

近寄ってみると、
小さなひびが沢山にあるのだった

それで夕陽が当ってさえか、
おとなしい色をしていた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴った

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかった

   3 彼女

野原の一隅には杉林があった。
なかの一本がわけても聳えていた。

或る日彼女はそれにのぼった。
下りて来るのは大変なことだった。

それでも彼女は、媚態を棄てなかった。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりであった。

  夢の中で、彼女の臍《おへそ》は、
  背中にあった。
  
   4 或る男の肖像

洋行帰りのその洒落者は、
齢《とし》をとっても髪に緑のポマードをつけてゐた。

夜毎喫茶店にあらわれて、
其処の主人と話している様はあわれげであった。

死んだと聞いてはいっそうあわれであった。

   5 無題
    ――幻滅は鋼《はがね》のいろ。

髪毛《かみげ》の艶《つや》と、ランプの金《きん》との夕まぐれ
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行った。

剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。

開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでいた。

読書も、しんみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかった。

   6 壁

彼女は
壁の中へ這入ってしまった。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いていた。

※「新編中原中也全集」より。《 》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は全集編集委員会がつけたものです。

再掲載/2012年11月29日 (木) 「永訣の秋」女のわかれ補足篇・「或る男の肖像」の原形「或る夜の幻想」その2

(前回からつづく)

6部仕立ての連詩「或る夜の幻想」の
4 或る男の肖像
5 無題――幻滅は鋼《はがね》のいろ。
6 壁
――を独立させた詩が「或る男の肖像」でした。

「或る夜の幻想」の中では
4、5、6のつながりが緊密で独立させるのが容易だったからでしょうか。

独立した詩として成立すると詩人が判断したからには
この詩は原形詩「或る夜の幻想」とは
別個の世界として読めなくてはなりません。

詩人はそれでも読めると見なし
発表したのですから
原形詩から離れて読んでみることに無理はないはずです。

もし原形詩がなんらかの役に立つならば
それはヒントになるくらいのことでしょう。
ヒントにとどめるのがベターでしょう。

その意味で「或る夜の幻想」を読んでみれば。
「彼女」を主格にした部分が
否応もなく目立つことに気づきます。

1 彼女の部屋
3 彼女
6 壁
――が「彼女」に関しての詩です。

よく見れば
そのほかの部分は「彼」に関する詩であることも見えてきます。

「彼女」を歌った部分で
「或る男の肖像」に入っていない「1 彼女の部屋」と「3 彼女」を読んでみましょう。

するとどちらもダダかシュールか象徴表現か
観念でとらえようとしてもとらえられない
謎の世界に迷い込みます。

「1 彼女の部屋」は
「洋服箪笥の中は本でいっぱいだった」というのですから
彼女は衣装よりも書物を好んだというような意味でよいとしても
「3 彼女」はお手上げになりそうなところですが――。

野原の一隅には杉林があった。
なかの一本がわけても聳えていた。
或る日彼女はそれにのぼった。
下りて来るのは大変なことだった。

――この中の「杉林」をフロイド流に読んでみれば
意外にあっさりと「男」を意味していそうなことが分かります。

(つづく)

 *

或る夜の幻想
 
   1 彼女の部屋

彼女には
美しい洋服箪笥があつた
その箪笥は
かわたれどきの色をしてゐた

彼女には
書物や
其の他色々のものもあつた
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかつたので
彼女の部屋には箪笥だけがあつた

  それで洋服箪笥の中は
  本でいつぱいだつた

   2 村の時計
 
村の大きな時計は、
ひねもす働いてゐた

その字板《じいた)のペンキは
もう艶が消えてゐた

近寄つて見ると、
小さなひびが沢山にあるのだつた

それで夕陽が当つてさへか、
おとなしい色をしてゐた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴つた

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかつた

   3 彼女

野原の一隅には杉林があつた。
なかの一本がわけても聳えてゐた。

或る日彼女はそれにのぼつた。
下りて来るのは大変なことだつた。

それでも彼女は、媚態を棄てなかつた。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりであつた。

  夢の中で、彼女の臍《おへそ》は、
  背中にあつた。
  
   4 或る男の肖像

洋行帰りのその洒落者は、
齢をとつても髪に緑のポマードをつけてゐた。

夜毎喫茶店にあらはれて、
其処の主人と話してゐる様はあはれげであつた。

死んだと聞いては、
いつそうあはれであつた。

   5 無題
    ――幻滅は鋼《はがね》のいろ。

髪毛《かみげ》の艶《つや》と、ランプの金《きん》との夕まぐれ
庭に向つて、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。

剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。

開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。

読書も、しむみりした恋も、
暖かいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。

   6 壁

彼女は
壁の中へ這入つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いてゐた。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

或る夜の幻想
 
   1 彼女の部屋

彼女には
美しい洋服箪笥があった
その箪笥は
かわたれどきの色をしていた

彼女には
書物や
其の他色々のものもあった
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかったので
彼女の部屋には箪笥だけがあった

  それで洋服箪笥の中は
  本でいっぱいだった

   2 村の時計
 
村の大きな時計は、
ひねもす動いていた

その字板《じいた》のペンキは
もう艶が消えていた

近寄ってみると、
小さなひびが沢山にあるのだった

それで夕陽が当ってさえか、
おとなしい色をしていた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴った

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかった

   3 彼女

野原の一隅には杉林があった。
なかの一本がわけても聳えていた。

或る日彼女はそれにのぼった。
下りて来るのは大変なことだった。

それでも彼女は、媚態を棄てなかった。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりであった。

  夢の中で、彼女の臍《おへそ》は、
  背中にあった。
  
   4 或る男の肖像

洋行帰りのその洒落者は、
齢《とし》をとっても髪に緑のポマードをつけてゐた。

夜毎喫茶店にあらわれて、
其処の主人と話している様はあわれげであった。

死んだと聞いてはいっそうあわれであった。

   5 無題
    ――幻滅は鋼《はがね》のいろ。

髪毛《かみげ》の艶《つや》と、ランプの金《きん》との夕まぐれ
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行った。

剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。

開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでいた。

読書も、しんみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかった。

   6 壁

彼女は
壁の中へ這入ってしまった。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いていた。

※「新編中原中也全集」より。《 》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は全集編集委員会がつけたものです。

再掲載/2012年11月28日 (水)「永訣の秋」女のわかれ補足篇・「或る男の肖像」の原形「或る夜の幻想」

(前回からつづく)

実は「或る男の肖像」には
元になった詩があります。
その詩は「或る夜の幻想」のタイトルで
「四季」の昭和12年(1937年)3月号に発表された短詩の連作詩でした。

「或る夜の幻想」ははじめ
1 彼女の部屋
2 村の時計
3 彼女
4 或る男の肖像
5 無題――幻滅は鋼《はがね》のいろ。
6 壁

――という6部仕立ての連詩だったのです。

「在りし日の歌」の編集過程で
このうちの「2」が「村の時計」として
「4」「5」「6」が「或る男の肖像」として
「永訣の秋」の中に収録されました。

元の詩の一部でありながら
独立した詩として仕立てたのが
「或る男の肖像」であり
「村の時計」です。

元の詩「或る夜の幻想」を読んでおきましょう。

或る夜の幻想
 
   1 彼女の部屋

彼女には
美しい洋服箪笥があつた
その箪笥は
かわたれどきの色をしてゐた

彼女には
書物や
其の他色々のものもあつた
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかつたので
彼女の部屋には箪笥だけがあつた

  それで洋服箪笥の中は
  本でいつぱいだつた

   2 村の時計
 
村の大きな時計は、
ひねもす働いてゐた

その字板《じいた)のペンキは
もう艶が消えてゐた

近寄つて見ると、
小さなひびが沢山にあるのだつた

それで夕陽が当つてさへか、
おとなしい色をしてゐた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴つた

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかつた

   3 彼女

野原の一隅には杉林があつた。
なかの一本がわけても聳えてゐた。

或る日彼女はそれにのぼつた。
下りて来るのは大変なことだつた。

それでも彼女は、媚態を棄てなかつた。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりであつた。

  夢の中で、彼女の臍《おへそ》は、
  背中にあつた。
  
   4 或る男の肖像

洋行帰りのその洒落者は、
齢をとつても髪に緑のポマードをつけてゐた。

夜毎喫茶店にあらはれて、
其処の主人と話してゐる様はあはれげであつた。

死んだと聞いては、
いつそうあはれであつた。

   5 無題
    ――幻滅は鋼《はがね》のいろ。

髪毛《かみげ》の艶《つや》と、ランプの金《きん》との夕まぐれ
庭に向つて、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。

剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。

開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。

読書も、しむみりした恋も、
暖かいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。

   6 壁

彼女は
壁の中へ這入つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いてゐた。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

或る夜の幻想
 
   1 彼女の部屋

彼女には
美しい洋服箪笥があった
その箪笥は
かわたれどきの色をしていた

彼女には
書物や
其の他色々のものもあった
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかったので
彼女の部屋には箪笥だけがあった

  それで洋服箪笥の中は
  本でいっぱいだった

   2 村の時計
 
村の大きな時計は、
ひねもす動いていた

その字板《じいた》のペンキは
もう艶が消えていた

近寄ってみると、
小さなひびが沢山にあるのだった

それで夕陽が当ってさえか、
おとなしい色をしていた

時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴った

字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか
僕にも誰にも分らなかった

   3 彼女

野原の一隅には杉林があった。
なかの一本がわけても聳えていた。

或る日彼女はそれにのぼった。
下りて来るのは大変なことだった。

それでも彼女は、媚態を棄てなかった。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりであった。

  夢の中で、彼女の臍《おへそ》は、
  背中にあった。
  
   4 或る男の肖像

洋行帰りのその洒落者は、
齢《とし》をとっても髪に緑のポマードをつけてゐた。

夜毎喫茶店にあらわれて、
其処の主人と話している様はあわれげであった。

死んだと聞いてはいっそうあわれであった。

   5 無題
    ――幻滅は鋼《はがね》のいろ。

髪毛《かみげ》の艶《つや》と、ランプの金《きん》との夕まぐれ
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行った。

剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。

開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでいた。

読書も、しんみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかった。

   6 壁

彼女は
壁の中へ這入ってしまった。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いていた。

※「新編中原中也全集」より。《 》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は全集編集委員会
がつけたものです。
(つづく)

2021年7月16日 (金)

再掲載/2012年11月27日 (火) 「永訣の秋」女のわかれ2・「或る男の肖像」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち

「或る男の肖像」の1には
三つの過去の時間が重なっています。

1、 男が洋行していた過去
2、 夜になると喫茶店にやって来て暇をつぶしていた過去
3、 死んだという過去

――を「話者」(=詩人)が見聞きしていて、案内しているのが1です。

その男が生きていたあるときに経験した事件の断面が
描かれるのが2、3です。

髪毛の艶《つや》と、とか
剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も、とかは
洒落者(しゃれもの)だった男のいでたちや性格を表わしているようですから
2、3に出てくる彼は
1に出てくる男と同じ人物であることが想像できます。

その男が
開け放たれた戸口――無防備で自由で殺風景な――から戸外へ出て行きます。
それだけのことですが
どこもかしこもそわそわしていて、寒い感じなのです。

髪の毛をピシリと整髪油で決め
剃ったばかりで青白い首すじや手首が
寒そうに見えるのは
どうしようもなく悔恨の感情がにじみ出ているからで
隠しようにも隠し切れないのです。
小奇麗に身を整えることが
隠そうとする気持ちを逆に表わしてしまうのです。

悔恨は、
風と一緒に
容赦なく
吹き込んでいた
――という表現が男の内面の凄まじさを物語ります。

読書も恋もお茶も
黄昏とともに風とともに
みんななくなってしまった。

男は生活するのに必要な物以外のすべてを失なってしまったのです。

これらのすべての原因は
彼女が壁の中に入ってしまったからです。

彼女に何が起こったのでしょうか?
壁の中に入ったとは何を意味しているのでしょうか?

その説明は一言もありませんが
彼は吹きさらしの部屋にいて、テーブルを拭いているのです。

こうとまで読める物語なら
「彼女」が長谷川泰子であり
「彼」が中原中也であることを理解でき
「彼女」が引っ越していった後の「彼」の様子が描かれていることが分かるでしょうか。
「11月の事件」を題材にしていることがわかるでしょうか。

それとも「11月の事件」を知らないでも
この詩を読むことができるでしょうか?

(つづく)

或る男の肖像
 
   1
洋行帰りのその洒落者(しゃれもの)は、
齢をとつても髪に緑の油をつけてた。

夜毎喫茶店にあらはれて、
其処(そこ)の主人と話してゐる様はあはれげであつた。

死んだと聞いてはいつそうあはれであつた。

   2
      ――幻滅は鋼《はがね》のいろ。

髪毛の艶《つや》と、ランプの金との夕まぐれ
庭に向つて、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。

剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。

開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。

読書も、しむみりした恋も、
暖かいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。

   3

彼女は
壁の中へ這入(はい)つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いてゐた。
 
※「新編中原中也全集」より。《 》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は全集編集委員会
がつけたものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

或る男の肖像
 
   1
洋行帰りのその洒落者(しゃれもの)は、
齢をとっても髪に緑の油をつけてた。

夜毎喫茶店にあらわれて、
其処(そこ)の主人と話している様はあわれげであった。

死んだと聞いてはいっそうあわれであった。

   2
      ――幻滅は鋼《はがね》のいろ。

髪毛の艶《つや》と、ランプの金との夕まぐれ
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行った。

剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。

開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでいた。

読書も、しんみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかった。

   3

彼女は
壁の中へ這入(はい)ってしまった。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いていた。
 
※「新編中原中也全集」より。《 》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は全集編集委員会
がつけたものです。

 

再掲載/2012年11月26日 (月) 「永訣の秋」女のわかれ2・「或る男の肖像」・生きているうちに読んでおきたい名作たち

「或る男の肖像」は

1、2、3の番号が振られた3部仕立ての短詩ですが
1と2、3との間のつながりが見えにくい断片のような作品です。

1に現われる「洋行帰りのその男」が
タイトルの「或る男」であり
2、3に現われる「彼と彼女」の「彼」でもあるらしいのですが
「その男」は1で死んでいます。

死んだ男について回想した詩ということになりますが
同時に「その男」と同一の人物であるらしい「彼」が
「彼女」と別れたとき(=秋)を歌った詩でもあります。

彼と彼女は別れたのですが
そんなことどこにも書かれておらず
それらしいのは

彼は戸外に出て行った(2)
彼女は壁の中へ這入ってしまった(3)

――とあるところだけです。

長谷川泰子が中原中也と暮らしていた住まいの荷物をたたんで
小林秀雄の住まいへ引っ越したのは
大正14年(1925年)11月のある日のことでした

折りあるごとに
詩人はこの「11月の事件」を
詩にしたり小説にしたり日記に書いたりもしていますが
「或る男の肖像」もその一つと言えそうです。

「永訣の秋」にも
「11月の事件」にかかわる詩を配置したということになります。

(つづく)

或る男の肖像
 
   1
洋行帰りのその洒落者(しゃれもの)は、
齢をとつても髪に緑の油をつけてた。

夜毎喫茶店にあらはれて、
其処(そこ)の主人と話してゐる様はあはれげであつた。

死んだと聞いてはいつそうあはれであつた。

   2
      ――幻滅は鋼《はがね》のいろ。

髪毛の艶《つや》と、ランプの金との夕まぐれ
庭に向つて、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。

剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。

開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。

読書も、しむみりした恋も、
暖かいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。

   3

彼女は
壁の中へ這入(はい)つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いてゐた。
 

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

或る男の肖像
 
   1
洋行帰りのその洒落者(しゃれもの)は、
齢をとっても髪に緑の油をつけてた。

夜毎喫茶店にあらわれて、
其処(そこ)の主人と話している様はあわれげであった。

死んだと聞いてはいっそうあわれであった。

   2
      ――幻滅は鋼《はがね》のいろ。

髪毛の艶《つや》と、ランプの金との夕まぐれ
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行った。

剃りたての、頚条《うなじ》も手頸《てくび》も
どこもかしこもそわそわと、
寒かった。

開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでいた。

読書も、しんみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏《たそがれ》の空とともに
風とともにもう其処にはなかった。

   3

彼女は
壁の中へ這入(はい)ってしまった。
それで彼は独り、
部屋で卓子《テーブル》を拭いていた。
 
※「新編中原中也全集」より。《 》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は全集編集委員会がつけたものです。

 

2021年7月14日 (水)

再掲載/2012年11月25日 (日) 「永訣の秋」女のわかれ・「あばずれ女の亭主が歌った」4・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

おまえはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。

おれもおまえを愛してる。前世から
さだまっていたことのよう。

そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合う
もう長年の習慣だ。

――というはじまりが示す「二人」の相思相愛の関係は

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。

――という「二人」の不安定な関係と
前後関係なのではなく同時的な関係です。

○○であって、だから○○であるという前後を示すのではなく
○○であり、○○でもあるという同時的関係を示しています。

完璧な愛の関係が
すでに愛の不可能な関係を孕(はら)んでいるということを
この詩は歌っているのです。
いちばん親しい二人が時にいちばん憎みあうのです

そしてこの詩を歌っているのは「亭主」(=詩人)の方です。
「亭主」は

佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。

――と愛憎が表裏になっている関係の理由を歌います。

相思相愛であることに満足できない浮気な心を
香水の香りに満足しないで
病院の匂いに引かれてしまうからと自ら分析して見せるのです。

この「病院のあわい匂い」が
読みどころです。
この詩の味わいどころです。

病院の廊下に漂う消毒薬のにおいを好む習性が
二人にはあるのだろうかなどと考えてしまいそうですが
きっとそういうことではないでしょう。
日向より日蔭を好む志向ということでもないし。

自然な愛の気持ちをうるさく思う浮気な心が
一時的刹那的にであれ
表と裏の関係のように必ず出現してしまう
「病院のあわい匂い」についつい引かれていく
いかんともしがたい愛。

愛し合っていてこそ
「病院のあわい匂い」を嗅(か)いでは
次から次に生まれてくる憎しみを弄(もてあそ)ぶ。
そんじょそこらにいる男と女の幸せと不幸とは
いまにも「神のいない世界の愛」を歌っているようにさえ思えてきます。

そうであるからその後はお決まりのように
得体の知れない後悔に襲われ
絶えず不安にさいなまれてもいる女と男――。

全行が現在形で書かれ
タイトルだけが過去形であるところに
おやっと思わせられますが
永訣の歌であることに変わりはありません。

(この項終わり)

あばずれ女の亭主が歌つた
 
おまへはおれを愛してる、一度とて

おれを憎んだためしはない。

おれもおまへを愛してる。前世から
さだまつてゐたことのやう。

そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合ふ
もう長年の習慣だ。

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があつて、

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思ふのだ。

佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕ひよる。

そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあふ。

そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。

あゝ、二人には浮気があつて、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。

佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕いよる。
 
※「新編中原中也全集」より。《》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は角川全集編集委員
によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

あばずれ女の亭主が歌った
 
おまえはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。

おれもおまえを愛してる。前世から
さだまっていたことのよう。

そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合う
もう長年の習慣だ。

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。

佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。

そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあう。

そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。

ああ、二人には浮気があって、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。

佳い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。

再掲載/2012年11月24日 (土) 「永訣の秋」女のわかれ・「あばずれ女の亭主が歌った」3・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

「あばずれ女」と聞いただけで
アメリカン・ニューシネマ「俺たちに明日はない」のボニーを思い浮かべたり
「愛の不可能」や「愛の不毛」ならば
イタリア映画「情事」「太陽はひとりぼっち」「夜」のミケランジェロ・アントニオーニ監督作品や
フランス・ヌーベルバーグの「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」を思い出したりしますが
突飛なことでしょうか――。

おまえはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。

おれもおまえを愛してる。前世から
さだまっていたことのよう。

そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合う
もう長年の習慣だ。

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。

――というはじまりの5連あたりまではおおよそ当てはまりそうではないですか?

佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。

そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあう。

――というあたりに、「愛の不可能性」や「愛の不毛」を感じられるなら
この詩の現代性(コンテンポラリーな側面)を読み取ることもできませんか?

突飛ついでにもう一つを言ってしまえば
「あばずれ女の亭主が歌った」は
ラップやヒップホップのリズムに合わせて歌うと
とても分かりやすい叙情が見えてきませんか?

おまえはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。

――を

♪おまえはおれを=7
♪愛してる=5
♪一度とて=5
♪おれを憎んだ=7
♪ためしはない=6

――と拍子を取ればいかにもラップ。

75調でありながら
破調を自然に駆使していますから
そこをラップの唱法でフォローして歌うとピタリとくるはずです。

以下も同様に、

♪おれもおまえを
♪愛してる。
♪前世から
♪さだまっていた
♪ことのよう。

♪そして二人の
♪魂は、
♪不識《しらず》に温和に
♪愛し合う
♪もう長年の
♪習慣だ。

♪それなのにまた
♪二人には、
♪ひどく浮気な
♪心があって、

♪いちばん自然な
♪愛の気持を、
♪時にうるさく
♪思うのだ。

(つづく)

あばずれ女の亭主が歌つた
 
おまへはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。

おれもおまへを愛してる。前世から
さだまつてゐたことのやう。

そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合ふ
もう長年の習慣だ。

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があつて、

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思ふのだ。

佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕ひよる。

そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあふ。

そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。

あゝ、二人には浮気があつて、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。

佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕いよる。
 
※「新編中原中也全集」より。《》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は角川全集編集委員
によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

あばずれ女の亭主が歌った
 
おまえはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。

おれもおまえを愛してる。前世から
さだまっていたことのよう。

そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合う
もう長年の習慣だ。

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。

佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。

そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあう。

そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。

ああ、二人には浮気があって、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。

佳い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。

2021年7月13日 (火)

再掲載/2012年11月23日 (金) 「永訣の秋」女のわかれ・「あばずれ女の亭主が歌った」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

「永訣の秋」の16篇の中で
長谷川泰子らしき女性が登場するのは
「あばずれ女の亭主が歌った」
「或る男の肖像」の2作品ですから
これが「泰子のわかれ」を歌った最終作品ということができるかもしれません。

中原中也は「生涯にわたる恋人・長谷川泰子」を
実にさまざまに表現していますが
「あばずれ女」と悪(あ)しざまに言うのは
二人が初めて京都で出会ったころに
「あれはおれの柿の葉13枚だ」と
知人に泰子のことを紹介していたのにやや似通っているようですが
詩作品の中で「あばずれ女」というには
その亭主である私=詩人が
その女と同等の位置にいなければならず
「亭主」になって歌った詩であるところを読まねばならないでしょう。

10数年も前に「柿の葉13枚」と
夜郎自大(やろうじだい)ぶって知人に語った女性と
「永訣の秋」に「亭主」の眼を通じて現われる「あばずれ女」とは
同じモデルの女性であったとしても
自ずと異なります。

どう異なるか――。

何にもまして、一筋縄(ひとすじなわ)ではいかない存在であることを
この10数年の間に詩人は知りました。
とうてい「柿の葉13枚」ではあり得ませんでした。

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。

――と浮気心も対等ですし、愛の気持ちをうるさく思うのも対等です。

通俗的な「女房と亭主」の関係ではあっても
その関係を「二人」と呼び
どっちかがどっちかの上位にある関係にしていません。

狸(たぬき)と狐(きつね)か、
化(ば)かし合いする世間一般の夫婦に見立てて
泰子との来し方を振り返り
わかれの歌を歌ったのです。

もはやそれを恋とは言わず
愛というほかにありません。

佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。

そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあう。

――と、これはまるで「愛の不可能」を歌っている
現代詩とかフランス映画かなにかの領域に入っているといえるものではありませんか。

(つづく)

あばずれ女の亭主が歌つた
 
おまへはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。

おれもおまへを愛してる。前世から
さだまつてゐたことのやう。

そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合ふ
もう長年の習慣だ。

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があつて、

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思ふのだ。

佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕ひよる。

そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあふ。

そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。

あゝ、二人には浮気があつて、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。

佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕いよる。
 
※「新編中原中也全集」より。《》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は角川全集編集委員
によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

あばずれ女の亭主が歌った
 
おまえはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。

おれもおまえを愛してる。前世から
さだまっていたことのよう。

そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合う
もう長年の習慣だ。

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。

佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。

そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあう。

そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。

ああ、二人には浮気があって、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。

佳い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。

再掲載/2012年11月21日 (水) 「永訣の秋」女のわかれ・「あばずれ女の亭主が歌った」・生きているうちに読んでおきたい名作たち

「ゆきてかえらぬ」の第7連には

 女たちは、げに慕わしいのではあったが、一度とて、会いに行こうと思わなかった。夢みるだけで沢山だった。

――と、「女たち」との付き合いが記され、

最終連には

 林の中には、世にも不思議な公園があって、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。

――と、「女や子供、男達」が公園を散歩する光景が記されますが
ここに登場する「女たち」や「女」に
長谷川泰子の面影(おもかげ)がないような感じがしませんか?

この詩「ゆきてかえらぬ」に
長谷川泰子の匂いがしないのは
街としての京都とか
京都に住んでいた期間(=京都時代)とのわかれを歌った(=客体化した)からで
「女のわかれ」を主題にしたものではなかったからです。

そのために
「女のわかれ」を歌った一群の詩が
「永訣の秋」の中に配置されます。

その一つが
「あばずれ女の亭主が歌った」で
ほかには「米子」があり
「或る男の肖像」や「村の時計」も
元を辿(たど)ると
「女のわかれ」のグループに入れておかしくない作品であることが見えだします。

「あばずれ女の亭主が歌った」は
もろに長谷川泰子と詩人を歌った詩ですが
ここにきて
詩人は自分を「おれ」と呼び
泰子を「おまえ」と呼び
「すれっからしの二人」と眺めやる距離感には
目から鱗(うろこ)が落ちたような的確さがあります。

泰子を
「あばずれ女」にしてしまい
自分をその「亭主」と見立てる眼(まなこ)は
「ゆきてかえらぬ」京都(時代)にはなかったもので
上京後にもなかったもので
晩年のここにきて自(おの)ずと獲得されたはずのものです。

詩人は
泰子との長い年月にわたる「恋愛」にわかれを告げ
「恋」というよりは「愛」の一つの形として
「あばずれ女とその亭主」という関係(呼び方)が
ベストであることを自然に感じ取ったのでした。

(つづく)

あばずれ女の亭主が歌つた
 
おまへはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。

おれもおまへを愛してる。前世から
さだまつてゐたことのやう。

そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合ふ
もう長年の習慣だ。

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があつて、

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思ふのだ。

佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕ひよる。

そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあふ。

そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。

あゝ、二人には浮気があつて、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。

佳い香水のかほりより、
病院の、あはい匂ひに慕いよる。
 
※「新編中原中也全集」より。《》内のルビは原作者本人によるもの、( )内は角川全集編集委員によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

あばずれ女の亭主が歌った
 
おまえはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。

おれもおまえを愛してる。前世から
さだまっていたことのよう。

そして二人の魂は、不識《しらず》に温和に愛し合う
もう長年の習慣だ。

それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、

いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。

佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。

そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあう。

そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔の気持に浸るのだ。

ああ、二人には浮気があって、
それが真実《ほんと》を見えなくしちまう。

佳い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。

2021年7月12日 (月)

再掲載/2012年11月19日 (月) 「永訣の秋」京都のわかれ・「ゆきてかえらぬ」4・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

 名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。

――という「ゆきてかえらぬ」の第8連と

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めていた……
嗚呼、生きていた、私は生きていた!

――という「少年時」の最終連は
同じことの異なる表現といってよいほどに対応しているのですが
銀色に輝く蜘蛛の巣は
ギロギロする目がようやく探り当てたかのような生そのものでありながら
ほかの言葉で言ってしまうのは憚(はばか)られるもの。

ズバリ言ってしまえば
詩の道。

魔性(ましょう)と言えば過剰だが
生命の原型と言えばおとなし過ぎる
文学の道に魅惑(みわく)されたということでしょうか。

それに向けて高まり逸る気持ちを
いまや距離をおいて眺めている
遠い日への回顧なのです。

「ゆきてかえらぬ」は
公刊された自選詩集である「山羊の歌」「在りし日の歌」を通じて
珍しい散文詩ですが
その「センテンス」は過去形「た」で終わっています。

果てにいた。
揺っていた。
停っていた。
仕事であった。
適していた。
吹かさなかった。
ものだった。
思わなかった。
沢山だった。
高鳴っていた。
表情していた。
光り輝いていた。

――と「たたたた」と動詞の過去形か過去を表わす助動詞で終始します。

銀色の蜘蛛の巣が光り輝いていたのも
過去のことなのです。

「少年時」の少年が10歳ほどの年齢であるとすれば20年、
「ゆきてかえらぬ」の京都の暮らしのはじめから15年。

みんな遠い日のことになり
もう帰ってくることはない。

そうした過去をノスタルジーに流さないで
一歩距離をおいて見ようとすれば
(対象化し客体化しようとすれば)
散文詩にするしかなかったということになります。

(この項終わり)

ゆきてかへらぬ
      ――京 都――

 僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺つてゐた。

 木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停つてゐた。

 棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。

 さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。

 煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。

 さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持つていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらゐは持つてもいたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。

 女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会いに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。

 名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。

        *           *
              *

 林の中には、世にも不思議な公園があつて、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。
 さてその夜には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いてゐた。

 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

ゆきてかえらぬ
      ――京 都――

 僕は此の世の果てにいた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺っていた。

 木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停っていた。

 棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であった。

 さりとて退屈してもいず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食)すに適していた。

 煙草くらいは喫ってもみたが、それとて匂いを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかった。

 さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持っていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらいは持ってもいたが、たった一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだった。

 女たちは、げに慕わしいのではあったが、一度とて、会いに行こうと思わなかった。夢みるだけで沢山だった。

 名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。

        *           *
              *

 林の中には、世にも不思議な公園があって、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。
 さてその空には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いていた。

 

再掲載/2012年11月18日 (日) 「永訣の秋」京都のわかれ・「ゆきてかえらぬ」3・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

「ゆきてかえらぬ」の第8連で

 名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。

――と京都での一人暮らしの実態を総括的に回顧した詩人は
そこで終ったはずの詩に加えるようにして
最終連を記しました。

 林の中には、世にも不思議な公園があって、不気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。
 さてその空には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いていた。

――それがこの3行です。

第1連から第8連までを
簡約にしたかのような詩句です。

「林」とは、京都の街そのものでありましょう。
「公園」とは、近辺の知人友人隣人たちとの交流圏のことでありましょう。

最終行「さて」以下のフレーズに
この詩の最大のポイントがあります。

空に、銀色に光り輝く、蜘蛛の巣。

蜘蛛の巣があり
蜘蛛のイメージは見えませんが
巣の奥に蜘蛛は潜んでいる。

ひっそりとしていて
確固としていて
不気味で
得体の知れない
恐ろしいような
俗から超然として
しぶとい生命力のある
魔物のような
人を魅惑する存在――。

不気味なほどにもにこやかな
女や子供、男達散歩していて
僕に分らぬ言語を話し
僕に分らぬ感情を、表情していた
世にも不思議な公園の中にいた
孤絶した詩人が発見したものが
銀色に輝く蜘蛛の巣でした。

外側から蜘蛛の巣を見ただけで
その中の世界がどんなものか
明確に見たわけではありませんが
目の覚めるような銀色の輝きに
詩人は「生」そのものを見たに違いありません。

(つづく)

ゆきてかへらぬ
      ――京 都――

 僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺つてゐた。

 木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停つてゐた。

 棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。

 さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。

 煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。

 さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持つていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらゐは持つてもいたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。

 女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会いに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。

 名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。

        *           *
              *

 林の中には、世にも不思議な公園があつて、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。
 さてその夜には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いてゐた。

 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

ゆきてかえらぬ
      ――京 都――

 僕は此の世の果てにいた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺っていた。

 木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停っていた。

 棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であった。

 さりとて退屈してもいず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食)すに適していた。

 煙草くらいは喫ってもみたが、それとて匂いを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかった。

 さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持っていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらいは持ってもいたが、たった一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだった。

 女たちは、げに慕わしいのではあったが、一度とて、会いに行こうと思わなかった。夢みるだけで沢山だった。

 名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。

        *           *
              *

 林の中には、世にも不思議な公園があって、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。
 さてその空には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いていた。

 

2021年7月11日 (日)

再掲載/2012年11月17日 (土) 「永訣の秋」京都のわかれ・「ゆきてかえらぬ」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

 僕は此の世の果てにいた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺っていた。

――という「ゆきてかえらぬ」の冒頭行は
そこが、地の果てでありながら温暖で花々が風に揺らいでいる
背反するするような場所であったことを歌います。

地の果てとは、
まだ16歳になる前にやって来た京都との距離感を示すものであっても
僻地(へきち)とか流刑地とかを指しているものではありません。

このあたりは
もろにランボーの詩の影響ですが
孤独な感情とか疎外された意識とかを物語っていることに
偽(いつわ)りがあるわけでもありません。

詩人は寄宿舎に入ったわけでもなく
遠く離れた生地を後に
中学生でよくも一人暮らしをはじめられたものと感心しますが
落第した現実は
きっと想像以上に深刻なものがあって
「地の果て」という意識が大げさではなかった時間を経験したのでしょう。

にもかかわらず
温暖な陽の光と風にそよぐ花々があったのですから
地の果ては結構過ごしやすい土地だった――。

実際の暮らしはどうだったか。

第2連は街の風景
木橋、埃り、ポスト、風車を付けた乳母車……とメタファーで描写します。

第3連は街の中の詩人
街に住む人に親類縁者がいるわけでもなく
風見の上の空ばかり見ている孤独なときを「仕事」と言っています。

第4連は
孤独でありながら退屈ばかりではなく
空気には「蜜」があったし
飲み食い暮らすよい場所だったと楽しかった思い出へ。

第5、6連はその中身。
煙草を吸うにも自分を律し
布団もなく、歯ブラシ1本、本1冊という質素さ。

第7連は女たちとの関係。
慕わしかったがみだりに会うことはなかった。

 名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。

――と第8連では
暮らしの実態を総括します。

ここいらは

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めていた……
嗚呼、生きていた、私は生きていた!

――という「少年時」とピタリと対応しています。

(つづく)

ゆきてかへらぬ
      ――京 都――

 僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺つてゐた。

 木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停つてゐた。

 棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。

 さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。

 煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。

 さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持つていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらゐは持つてもいたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。

 女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会いに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。

 名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。

        *           *
              *

 林の中には、世にも不思議な公園があつて、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。
 さてその夜には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いてゐた。

 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

ゆきてかえらぬ
      ――京 都――

 僕は此の世の果てにいた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺っていた。

 木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停っていた。

 棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であった。

 さりとて退屈してもいず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食)すに適していた。

 煙草くらいは喫ってもみたが、それとて匂いを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかった。

 さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持っていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらいは持ってもいたが、たった一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだった。

 女たちは、げに慕わしいのではあったが、一度とて、会いに行こうと思わなかった。夢みるだけで沢山だった。

 名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。

        *           *
              *

 林の中には、世にも不思議な公園があって、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。
 さてその空には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いていた。

 

再掲載/2012年11月16日 (金) 「永訣の秋」京都のわかれ・「ゆきてかえらぬ」・生きているうちに読んでおきたい名作たち

「正午」が「東京のわかれ」であれば
「ゆきてかえらぬ」は「京都のわかれ」と読むことができます。
「永訣の秋」に
二つの「街へのわかれ」は不可欠でした。
(※原詩は文語「ゆきてかへらぬ」ですが、ここでは口語表示にしました。編者。)

「大正十二年春、文学に耽りて落第す。京都立命館中学に転校する。生れて始めて両親を離れ、飛び立つ思ひなり」

――と後に「詩的履歴書」に京都の生活のはじまりは記されますが
この時からおよそ2年間が
中原中也の京都時代です。

「ゆきてかえらぬ」は
サブタイトルに「京都」とあるように
この京都時代を10余年後に回想する詩ですが
「永訣の秋」に収められて
自ずと回想を超えた意味を持つことは、

僕は此の世の果てにゐた。

――という、ただならぬ1行で
「永訣の秋」の冒頭詩がはじめられることで
すぐにもに理解できます。

このフレーズもどこかで聞いた覚えがあるので記憶をたどれば
「少年時」に思いいたるのは容易なことです。

地平の果に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆のようだった。
(第2連)

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めていた……
嗚呼、生きていた、私は生きていた!
(最終連)

――が、すぐさま浮かんできます。

(つづく)

ゆきてかへらぬ
      ――京 都――

 僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺つてゐた。

 木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停つてゐた。

 棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。

 さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。

 煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。

 さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持つていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらゐは持つてもいたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。

 女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会いに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。

 名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。

        *           *
              *

 林の中には、世にも不思議な公園があつて、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。
 さてその夜には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いてゐた。

 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

ゆきてかえらぬ
      ――京 都――

 僕は此の世の果てにいた。陽は温暖に降り洒《そそ》ぎ、風は花々揺っていた。

 木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々《あかあか》と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停っていた。

 棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者《みより》なく、風信機《かざみ》の上の空の色、時々見るのが仕事であった。

 さりとて退屈してもいず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食)すに適していた。

 煙草くらいは喫ってもみたが、それとて匂いを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかった。

 さてわが親しき所有品《もちもの》は、タオル一本。枕は持っていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子《はぶらし》くらいは持ってもいたが、たった一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだった。

 女たちは、げに慕わしいのではあったが、一度とて、会いに行こうと思わなかった。夢みるだけで沢山だった。

 名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。

        *           *
              *

 林の中には、世にも不思議な公園があって、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。
 さてその空には銀色に、蜘蛛《くも》の巣が光り輝いていた。

2021年7月10日 (土)

再掲載/2012年11月13日 (火) 「永訣の秋」の街へのわかれ・「正午」4・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

「正午」の第8行

なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな

――は、まるで詩人が見ている月給取りの呟(つぶや)きであるかのようです。

この行に来て
月給取りと詩人はオーバーラップし
心理的にもシンクロし
桜かな、桜かな、と唱和しているかのようです。

詩人のこの視線をどこかで見た覚えがあって
それはなにかと辿(たど)ってみれば

その脣(くちびる)は胠(ひら)ききって
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊(つちくれ)になって、
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。

――という「都会の夏の夜」の一節でした。

この詩にある「何か悲しい」に似て
「正午」の詩人は
ビルからゾロゾロゾロゾロ出てくる月給取りたちを
「愛しい=かなしい」眼で見ていると感じられてなりません。

正午のサイレンを聞くサラリーマンは
解放された小鳥さながら
ぷらーりぷらーりと脱力した腕を振って
空を見上げたり地面を見たり
この世の春を楽しんでいるかのようでさえあります。

その心を詩人は
この「とき」になって理解したのです!

この「とき」、月給取りたちが
なんのおのれが桜かなと歌うのが聞えてきました。

では、詩人にもサイレンは
解放を告げる音色として聞こえていたのでしょうか?

一面、そういう音色でもあったはずですが
一面、その反対でもあったはずです。

「わかれ」は
悲喜こもごも。

危急を告げる音色でもあり
胸を締めつける音色でもあり
肩の荷が下りる音色でもあった

しかし、いま
万感の思いはサイレンの音色とともに
丸の内ビルディングの空の彼方(かなた)へ
木霊(こだま)しつつ消えていきます。

(この項終わり)

正 午
       丸ビル風景
  
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな
 
※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

正 午
       丸ビル風景
  
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立っている
ひょんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 

再掲載/2012年11月12日 (月) 「永訣の秋」の街へのわかれ・「正午」3・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

かつて救急車や消防車の警笛は手動で
目的地へ向かってウーウーウーという音を出しながら走るのが
東京の町でも見られたものです。
防水頭巾を被った消防士が
腕を旋回させて警笛の音を出す姿が車上にありました。

小学校や中学校などの正午を告げるサイレンと
それらの音色は同じものだった記憶があります。

中原中也が
東京駅にやって来たときの行き帰りに
丸の内のビルを眺めたことは何度かあったことでしょうが
ビルの屋上あたりから発するサイレンを聞いたのは
そう多くあったことではないでしょう。

手紙を頻繁に書く習慣があった詩人のことですから
中央郵便局をしばしば利用したことが想像できますから
「正午」のサイレンは
東京駅を降りたところのどこかで聞いたものかなどと
想像の羽根は広がっていきます。

大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立っている
ひょんな眼付で見上げても、眼を落としても……

――の3行からは
やや遠目でビルを眺めている角度が感じられますから
東京駅に向かう道での振り向きざまの光景なのか。

見上げた空は広々としていて
桜は満開をとうに越えている時期。

もう見ることはないかもしれない風景……。

ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

――と、なぜ、ああ、なのか?
ああ、と感動詞を使うほどサイレンの音になぜ感動しなければならないか?

大正14年に上京して以来10有余年。
街そのものを嫌いになったわけではない詩人の眼に
丸の内のビルから吐き出されるかのように出てくるサラリーマンの姿は
嫌悪の対象として映ったのではなく
懐かしくも愛(いと)おしいものであったのではないか。

やっと職務を解放された勢いで
プラーリプラーリ手を振っちゃって
お天気の具合を見上げる眼つきといい
目を落して地面の具合を見やる物腰といい

ああ! と感動せずにいられようか!

酒がなくて
どうして桜花を愛(め)でられようか!

詩人は
二度と訪れることのないかもしれない丸ビルのサラリーマンたちに
ほとんどシンクロしちゃって、
サイレンの音色にもシンクロしちゃって、
風に乗って消えて行っちゃいそうになっています。

影ひとつない正午です。

 

 

 

 

 

(つづく)

正 午
       丸ビル風景
  
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな
 
※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

正 午
       丸ビル風景
  
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立っている
ひょんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 

2021年7月 8日 (木)

再掲載/2012年11月11日 (日) 「永訣の秋」の街へのわかれ・「正午」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

さらば東京、と記すのは
「在りし日の歌」の後記ですが
「正午 丸ビル風景」に表(おもて)立っていなくても
そこに東京へのわかれが刻まれていることは
「在りし日の歌」中の「永訣の秋」に収められていることで
知ることができます。
それ以外に知る手掛かりはありません。

読みようによっては
ほかの読み方もできるこの詩を
「街へのわかれ」という眼(まなざし)で読んでみたいのは
こういう理由です。

声に出してみればよくわかるのですが
この詩も
ルフランと57、55、77のリズムでグイグイと押し
使われる言葉もほぼ日常語です。

おや、と思える言葉遣いは
第8行の

なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな

――で、これは、
酒なくてなんのおのれが桜かな、という狂句か川柳みたいなのを流用しているところ。

小唄・端唄、川柳、ことわざなどの慣用表現に
新しい空気を吹き込む詩法は
中原中也の得意技です。

風化し手垢にまみれたような言葉を意識的に使い
言葉をよみがえらせてしまうマジックは
単に慣用表現ばかりでなく
日常語全般に向けられました。

この詩の他の行に使われている言葉も
ほとんどが日常語です。

よく読めば
最終行

空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

――の下句だけが古語(文語)です。

ルフランも

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口

――とあり、
これを数えれば、全12行のうち8行もあります。

この中でも

サイレンだ、サイレンだサイレンだ
出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
桜かな、桜かな桜かな
サイレンだ、サイレンだサイレンだ
出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

――と上句の末尾を受けて下句で繰り返されるルフランが6行あります。

上句にも

ぞろぞろぞろぞろ
あとからあとから
ぞろぞろぞろぞろ

――とオノマトペを含んだルフランが現われ、

ほかの行にも、

ぷらりぷらり、薄曇り、薄曇り、響き響きて

――と繰り返しが見られます。

これらのルフランは
調子を取り、語呂を合わせるだけに用いられているようでありながら
そう考えるのはとんでもない間違いで
これを無くしてしまったら
詩は生命を落すようなことになってしまう重要な役割をもっています。

「一つのメルヘン」の「さらさら」と同じように
血であり肉であり心臓でもあるようなパーツになっているのです。

(つづく)

正 午
       丸ビル風景
  
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな
 
※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

正 午
       丸ビル風景
  
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立っている
ひょんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 

再掲載/2012年11月10日 (土) 「永訣の秋」の街へのわかれ・「正午」・生きているうちに読んでおきたい名作たち

「月の光」は
お庭の隅にも芝生にも
月光が満遍(まんべん)なく降り注(そそ)いで
真昼のような「影のない世界」を歌います。

死んだ子が隠れている草叢でさへ
月の光が照っていては丸見えで
その子どもに「影がない」感じが
妙に生々しい非現実感――こんなことってあるのか!――を漂わせます。

太陽が南中し
モノの影が極小になる時刻=正午と
月光が影のない世界をつくりだす「月の光」の詩世界との連続を
中原中也が意識していたとは断言できませんが
「正午 丸ビル風景」は
「春日狂想」の前にあって
「永訣の秋」の最終詩「蛙声」へ続く位置に配置されている口語詩です。

「在りし日の歌」の末尾から3番目にあり
「月の光 その二」から4作おいて
この詩が現われます。

詩集「在りし日の歌」に
「在りし日の歌」と「永訣の秋」の章が立てられたからには
「永訣の秋」の章に格別の思いが込められたことを想像できますが
それはどのようなことだったでしょう――。

「永訣の秋」の「秋」は「秋=あき」ではなく「秋=とき」であろう

季節としての秋というより
「わかれのその時」の「とき」のニュアンスだろう

ならば
「正午 丸ビル風景」も
「わかれのとき」を刻印した詩であろう

――と、もう一度読み返してみたくなる名作の一つです。

「永訣の秋」の冒頭には
「ゆきてかへらぬ」という
「街へのわかれ」の詩がすでにあり
そこでは「京都へのわかれ」が歌われました。

「東京へのわかれ」が
この詩「正午 丸ビル風景」であるだろう

――という眼(まなざし)に沿って読んでみましょう。

(つづく)

正 午
       丸ビル風景
  
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな
 
※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

正 午
       丸ビル風景
  
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休(ひるやす)み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立っている
ひょんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 

2021年7月 6日 (火)

再掲載/2012年11月 9日 (金) 「永訣の秋」の月光詩群・真昼のような「月の光」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

死んだ子どもが隠れていたり(その一)
蛍のように蹲(しゃが)んでいたり(その二)する一方で
チルシスとアマントが
ギターをほっぽりだしたままコソコソ話している庭
――という舞台装置が不可思議な感じですが
いつしかその不可思議な詩世界に読者は入り込んでいます。

ここは庭です。
詩人の庭なのでしょう。

「月の光」に登場する
チルシスとアマントは
ポール・ベルレーヌの第2詩集とされる「艶(なまめ)かしき宴」に出てくる
一種のトリックスターですが
中原中也はなぜまたここにこれらの「いたずら者」を呼び出したのでしょうか?

チルシスもアマントも
なんとなく元気がなく
今夜ばかりは得意のギターを弾く気がしないらしく
ひそひそ話しをするだけです。

死んだ子へと接近するわけでもなく
チルシスとアマントは
舞台中央の芝生にとどまっています。

ああ、子どもにギターを弾いてやってくれないか
――という詩人の声が
月光下の沈黙の世界から聞えてくるかのようです。

「その一」と「その二」はほとんど同じ内容で
表現を考えているうちに
捨てるに捨てられない作品ができてしまって
二つの詩にしたことが推測できますが
これはあくまで推測です。

違いをあえて言えば
「その一」にはルフランがあり
「その二」にはルフランがない、ということほどのことでしょうか。

「永訣の秋」で「月の光」は
「月夜の浜辺」「また来ん春……」につづいて配置され
「冬の長門峡」や「春日狂想」が続いていますが
これらの作品が生まれた頃には
愛息文也の死という経験があったことを
もはや知らないで読むことはできません。

「月の光」の不可思議な世界が
妙にリアルで妙に幻のようなのは
このあたりのところから生じています。

(つづく)

月の光 その一
 
月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた

  お庭の隅の草叢《くさむら》に
  隠れているのは死んだ児だ

月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた

  おや、チルシスとアマントが
  芝生の上に出て来てる

ギタアを持つては来てゐるが
おつぽり出してあるばかり

  月の光が照つてゐた
  月の光が照つてゐた
 

月の光 その二
 
おゝチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる

ほんに今夜は春の宵
なまあつたかい靄(もや)もある

月の光に照らされて
庭のベンチの上にゐる

ギタアがそばにはあるけれど
いつかう弾き出しさうもない

芝生のむかふは森でして
とても黒々してゐます

おゝチルシスとアマントが
こそこそ話してゐる間

森の中では死んだ子が
蛍のやうに蹲(しやが)んでる

※「新編中原中也全集」より。《 》は原作者、( )は全集編集委員会によるルビです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

月の光 その一
 
月の光が照っていた
月の光が照っていた

  お庭の隅の草叢《くさむら》に
  隠れているのは死んだ児だ

月の光が照っていた
月の光が照っていた

  おや、チルシスとアマントが
  芝生の上に出て来てる

ギタアを持っては来ているが
おっぽり出してあるばかり

  月の光が照っていた
  月の光が照っていた
 

月の光 その二
 
おおチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる

ほんに今夜は春の宵
なまあったかい靄(もや)もある

月の光に照らされて
庭のベンチの上にいる

ギタアがそばにはあるけれど
いっこう弾き出しそうもない

芝生のむこうは森でして
とても黒々しています

おおチルシスとアマントが
こそこそ話している間

森の中では死んだ子が
蛍のように蹲(しゃが)んでる

 

再掲載/2012年11月 8日 (木) 「永訣の秋」の月光詩群・真昼のような「月の光」・生きているうちに読んでおきたい名作たち

「幻影」でピエロが浴びていた月光は
「私の頭の中」にあるために
スポット・ライトを浴びているのに似て、

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かし

――という距離感があり、

「月夜の浜辺」の月光は
波打際とボタンとを浮かびあがらせる舞台装置(=背景)のようですが
「月の光」の月光は
あたりを皓々と照らします。

月の光が照っていた
月の光が照っていた

――と、まるで真昼の陽光のように
満遍(まんべん)なく庭を照らし出しているのです。

春の夜のことだから
靄(もや)がかかっているとはいいながら
庭の隅も芝生も境なく
照らしているのです。

その庭の隅にある草叢には
死んだ児が隠れているのですが
隠れた格好をしているだけで
丸見えの感じです。

その同じ舞台の中央部の
月の光に照らし出された芝生に
突如現われるのがチルシスとアマント。

ギターを持ってきているが
芝生のうえに投げっぱなしにしてあるばかり――。

死んだ子どもと
チルシスとアマントが
一方は隅っこに
一方は真ん中に
ともに同じ舞台に登場している
不可思議な世界が
どこかリアルでどこか夢のようなのは
なぜなのでしょうか?

(つづく)

月の光 その一
 
月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた

  お庭の隅の草叢《くさむら》に
  隠れているのは死んだ児だ

月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた

  おや、チルシスとアマントが
  芝生の上に出て来てる

ギタアを持つては来てゐるが
おつぽり出してあるばかり

  月の光が照つてゐた
  月の光が照つてゐた
 

月の光 その二
 
おゝチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる

ほんに今夜は春の宵
なまあつたかい靄(もや)もある

月の光に照らされて
庭のベンチの上にゐる

ギタアがそばにはあるけれど
いつかう弾き出しさうもない

芝生のむかふは森でして
とても黒々してゐます

おゝチルシスとアマントが
こそこそ話してゐる間

森の中では死んだ子が
蛍のやうに蹲(しやが)んでる

※「新編中原中也全集」より。《 》は原作者、( )は全集編集委員会によるルビです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

月の光 その一
 
月の光が照っていた
月の光が照っていた

  お庭の隅の草叢《くさむら》に
  隠れているのは死んだ児だ

月の光が照っていた
月の光が照っていた

  おや、チルシスとアマントが
  芝生の上に出て来てる

ギタアを持っては来ているが
おっぽり出してあるばかり

  月の光が照っていた
  月の光が照っていた
 

月の光 その二
 
おおチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる

ほんに今夜は春の宵
なまあったかい靄(もや)もある

月の光に照らされて
庭のベンチの上にいる

ギタアがそばにはあるけれど
いっこう弾き出しそうもない

芝生のむこうは森でして
とても黒々しています

おおチルシスとアマントが
こそこそ話している間

森の中では死んだ子が
蛍のように蹲(しゃが)んでる

 

2021年7月 5日 (月)

再掲載/2012年11月 7日 (水) 「永訣の秋」の月光詩群・「月夜の浜辺」6・生きているうちに読んでおきい名作たち

(前回からつづく)

普通の日本人が日常会話で使うような
「しゃべり言葉」みたいな現代口語で
「月夜の浜辺」はつくられています。

むずかしいと頭をひねることもないやさしい言葉を
ルフランを駆使し7・7音のリズムに乗せて
朗唱しやすい詩が組み立てられました。

なんの疑問の余地もない詩のようですが
ふと立ち止まらざるをえない言葉に行き当たるのは

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

――という第5連です。

拾ったボタンが、なぜ、指先に沁み、心にも沁みたのでしょうか?

月夜の浜辺の波打際で拾ったボタンを
何かのほころびを繕(つくろ)うためとか
記念品として持ち帰るためにとか
実用に役立てるために拾ったものでないことは分かりますが
なぜこれが指先に沁み、心にも沁みたのでしょうか?

この詩がたった一つ残す謎です。

そこでこの詩を起承転結の流れにそって読んでみると、

第1連が起
第2、3、4連が承
第5連が転
第6連が結。

――という構成が見え
第5連が「転」に当たることが分かります。

この詩が、
月夜の浜辺でボタンを拾ったという
客観的事実を叙述したものでないことを
この第5連は明らかにしているのです。

夜の海に来て僕=詩人が拾ったボタンが
心に沁みるというのは
詩人の内面が明らかにされているということで
さりげないようですが
ここでこの詩は「転」=質的な変化をとげているのです。
それを叙景から叙情への転換といってもおかしくありません。

しかし心に沁みる理由は明らかにされません。

詩の行のどこを探しても
その理由を見つけることはできません。

それはもはや
詩の外、作品の外部に求めるしかないことです。

(この項終わり)

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛《はふ》れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛《ほう》れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

 

再掲載/2012年11月 6日 (火) 「永訣の秋」の月光詩群・「月夜の浜辺」5・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

幾種類かのルフランが
畳みかけるように繰り返され
多声部の輪唱みたいな効果をあげる――。

このルフランに
輪をかけるのが7・7音、7・5音のリズムです。

つきよのばんに―ボタンがひとつ
TuKiYoNoBaNNi―BoTaNGaHiToTu
●●●●●●●―●●●●●●●
7―7

なみうちぎわに―おちていた
NaMiUTiGiWaNi OTiTeITa
●●●●●●●―●●●●●
7―5

破調も極めて少なく
整然とした7・7音を基調にしているため
声に出して何度も読んでいると
声に谺(こだま )が生まれ
あたかも男声の輪唱が聞こえてくるかのようです。

使われている言葉も、

月夜

ボタン
波打際
落ちる
拾う
役立てる
思う
捨てる
忍ぶ
袂(たもと)
抛(ほう)る

向う
入れる
指先

沁(し)みる

――と、名詞、動詞で9割以上を占め
形容詞はいっさいなく
副詞(句)に、なぜだか、どうして、があるだけ!

漢字を見ても、

袂(たもと)
抛(ほう)る
忍ぶ
沁(し)みる
――くらいが、やや難しいけれど
「忍(しの)ぶ」を除いて詩人が振ったルビがあります。

難漢字を使わない、
形容詞が一つもないという
やさしい言葉使いであるとともに

月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちていた。
――という第1連を見るだけでも
「しゃべり言葉」と変わらない日常語です。

ほかの行もすべて日常語です!
きざっぽい文学表現はゼロです!

(つづく)

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛《はふ》れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛《ほう》れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

 

2021年7月 4日 (日)

再掲載/2012年11月 5日 (月) 「永訣の秋」の月光詩群・「月夜の浜辺」4・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

ボタンは月夜の浜辺で
拾われるべくして拾われた――。

どうもそのような必然性を感じさせる訳の一つは
この詩「月夜の浜辺」に
風景の描写というものがなく
ルフランが畳みかけるように繰り返される
詩のつくりにあるようです。

この詩をよく見ると
全17行のうち12行がルフランです。
12行がルフランを構成する行です。

第1連と第3連、
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

第2連第1、2行と第4連第1、2行、
それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが

第2連第4行と第4連第4行
僕はそれを、袂に入れた。

第5連第1行と第6連第1行、
月夜の晩に、拾つたボタンは

――とそれぞれ繰り返されるのです。

月に向つてそれは抛《はふ》れず
浪に向つてそれは抛れず
――の2行をルフランと考えることもできます。

となれば、繰り返されないのは、

なぜだかそれを捨てるに忍びず
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。
どうしてそれが、捨てられようか?

――の3行だけということになります。

この繰り返しによって
月夜とボタンが強調され
風景は遠のいていきます。

月夜とボタンは切っても切れない関係になり、
必然のような関係になります。

僕=月夜=ボタンの関係だけが
浮き彫りになります。

(つづく)

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛《はふ》れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛《ほう》れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

 

2021年7月 3日 (土)

再掲載/2012年11月 4日 (日) 「永訣の秋」の月光詩群・「月夜の浜辺」3・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

「月夜の浜辺」は
どのような風景の場所なのだろうか
――という疑問にこの詩は答えてくれません。
それが夜の景色であるから、というのでは答えていることになりません。
夜であっても風景がないなどということはあり得ませんから。

この詩に月夜の浜辺の風景を描写することは
邪魔だったのです。
詩の効果から不要だったのです。

人っ子ひとりもいない夜の海辺の砂の上に
月光に照らされて浮き出たボタン――。

この詩は
偶然、砂浜で見つけたボタンと
作者=詩人の心理的ドラマが描かれているものですから
余計な風景描写は邪魔だったのです。

仮にこの場所が
都会の自転車置き場か何かの夜の風景だったとすれば
そんな場所でボタンを拾う詩人の心のドラマは
別の展開を見せることになるでしょう。

町の雑踏の中でボタンを拾うなんて
まったくの偶然ですから
月夜の浜辺でボタンを拾う
必然のような偶然、偶然のような必然とは異なり
要求される言葉の量さえ違ってくるはずです。

ボタンと詩人の心理劇が成り立つためには
ボタンは月夜の浜辺で拾われねばならなかったとさえ言えるものです。

(つづく)

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛《はふ》れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛《ほう》れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

 

再掲載/2012年11月 3日 (土) 「永訣の秋」の月光詩群・「月夜の浜辺」2・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

「月夜の浜辺」は
「在りし日の歌」の後半の章「永訣の秋」で
「一つのメルヘン」
「幻影」と続いた物語詩から二つ飛んで置かれて
月をモチーフにした作品です。

と、こう記したところで
「幻影」の月光が

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

――と「月夜の浜辺」に続いていることに気づくではありませんか!

そしてこの月は
一つ飛んで
「月の光 その一」「その二」の
明るい月光の世界へと続いていることを発見するではありませんか!

この連続は何を意味しているだろうかなどと
しかつめらしい分析や研究をするつもりでないことを
繰り返しません。

詩集を読む一つの筋道が見えると
個々の詩は新たな相貌(かお)を見せはじめるので
新しい驚きと興奮をもって味わうことができて楽しいばかりです。
ビギナーの目でもう一度、青春時代に読んだあの詩を読み返してみよう
Begin once more(ビギン・ワンスモア)――。

「月夜の浜辺」は
風景を歌ってはじめられている詩ですが
その浜辺の風景がどのようなものか
具体的になにものも述べられていません。

晩年の作品だから
きっと鎌倉海岸のことであろう、などという推測が可能ですが
そんなことを考えなくてよい詩なのです。

(つづく)

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛《はふ》れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛《ほう》れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

 

2021年7月 2日 (金)

再掲載/2012年11月 2日 (金)「永訣の秋」の月光詩群・「月夜の浜辺」・生きているうちに読んでおきたい名作たち

「幻影」で
私(=詩人)の頭の中に棲んでいるピエロですが
そのピエロはいつも月光下にいます。
黙劇(パントマイム)を演じている舞台に
月光は射していなければならないものであるかのようにです。

月光(または月)は
中原中也の詩に
たびたびライト・モチーフとして現れることは
よく知られたことでしょう。

「山羊の歌」の「初期詩篇」に
「月」が「春の日の夕暮」の次に配置され
「在りし日の歌」のトップ5番目にも
同名タイトル「月」が配置されているほか
ざっと見ただけで

「山羊の歌」に
「春の夜」
「都会の夏の夜」
「失せし希望」
「更くる夜」

「在りし日の歌」に
「幼獣の歌」
「湖上」
「頑是ない歌」
「お道化うた」
「春宵感懐」
「幻影」
「月夜の浜辺」
「月の光 その一」
「月の光 その二」

――と、月(光)が現われます。

二つの自選詩集の冒頭部に置かれた「月」が
どちらも初期に属する作品であるのにくらべ
「在りし日の歌」の「永訣の秋」に収められた「月(光)の歌」は
「月の光 その一」「その二」で頂点となる一群を形づくる
晩年の作品です。

「幻影」
「月夜の浜辺」
「月の光 その一」
「月の光 その二」
――がそれです。

中原中也の名作詩が
ここに並んでいます。

(つづく)

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
   月に向つてそれは抛《はふ》れず
   浪に向つてそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
 
※「新編中原中也全集」より。《》で示したルビは、原作者本人によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

月夜の浜辺
 
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂《たもと》に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛《ほう》れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁《し》み、心に沁《し》みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

 

2021年7月 1日 (木)

再掲載/2012年10月31日 (水)「幻影」の過去形ナレーション2・生きているうちに読んでおきたい名作たち

(前回からつづく)

ナレーションの形をとることによって
詩人の歌おうとする詩世界は
詩人から一定の距離が置かれることになり
読者はナレーターの口を通じて
詩人のメッセージなり歌なりを聴くことになります。

詩人の赤裸々な内面や心の中は
ワンクッション置かれることになり
読者と作者との間にも一定の距離が置かれることになるため
読者はある意味で安心して詩を味わう姿勢を得ることができます。

これを物語の詩と呼ぶことができるなら
「一つのメルヘン」も「幻影」も
そのグループに入ることでしょう。

二つの詩は
過去形「でした」が
その物語を語る口調として使われ
絶妙な味を出している例です。

ですから
この二つの詩は切り離して読むことよりも
ペアの作品として読むと
新たに見えてくるものがあります。

それにしても

私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲んでいて、
それは、紗(しゃ)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びているのでした。

――と、「私の頭の中」に現われるピエロは
「一つのメルヘン」の蝶の化身のように思えませんか?

水無し川の小石に舞い降り
淡く、くっきりとした影を落としていた蝶は
しばらくして消えてしまい
蝶が消えた途端に
川床に水が流れ出す。

水が流れ出すための触媒の役を果たすのですが
水が流れはじめたことの驚きや斬新な気持ちが強くて
蝶の「その後」などに関心がいくはずもなく
メルヘンは完結したかのようでした。

しかし、水が流れ出しただけのことで
物語はまだなにもはじまっていません。
そこで詩人は
物語の続き(内容)を「幻影」という詩に託した――。

「幻影」を
このように読むのは
あまりにも荒唐無稽(こうとうむけい)というものでしょうか?

(この項終わり)

幻 影
 
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
それは、紗(しゃ)の服かなんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。

ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あはれげな 思いをさせるばつかりでした。

手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見ているやう――
音はちつともしないのですし、
何を云つてるのかは 分りませんでした。

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。

※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

幻 影
 
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲んでいて、
それは、紗(しゃ)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びているのでした。

ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、ついぞ通じたためしはなく、
あわれげな 思いをさせるばっかりでした。

手真似につれては、唇《くち》も動かしているのでしたが、
古い影絵でも見ているよう――
音はちっともしないのですし、
何を云ってるのかは 分りませんでした。

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしそうなのでした。

再掲載/2012年10月30日 (火)「幻影」の過去形ナレーション・生きているうちに読んでおきたい名作たち

「幻影」は
「在りし日の歌」の最終章「永訣の秋」の中で
「一つのメルヘン」に続いて配置されていることと
「でした」で終わる行末の語り口調(ナレーション)によって
連続しているような錯覚を抱くような詩です。

そのうえ、
「幻影」の月光下のピエロの映像と
「一つのメルヘン」の夜の陽光のシーンとは
ともにスポットライトを投じられた舞台を見ているかのよう。
二つの似かよった詩世界が連続し
一瞬、めまいに襲われるような不思議な気持ちになります。

あの蝶がピエロに変身したのではないか?
――という錯覚にとらわれるのです。

中原中也の全詩を通じても
「です・ます調」の過去形「でした」を使う例はめずらしく
その「でした」が2作品に続いているのです。

「在りし日の歌」をざっとめくっても
「ぽっかり月が出ましたら、舟を浮べて出掛けましょう」(湖上)
「みなさん今夜は静かです 薬鑵の音がしています」(冬の夜)
「赤ン坊ではないでしょうか」(春と赤ン坊)
「――色々のことがあったんです」(初夏の夜)
「あれは人魚ではないのです」(北の海)

「山羊の歌」を見ても
「春の日の夕暮は穏かです」(春の日の夕暮)
「幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました」(サーカス)
「なんだか父親の映像が気になりだすと一歩一歩歩みだすばかりです」(黄昏)
「水汲む音がきこえます」(更くる夜)
「私の上に降る雪は 真綿のようでありました」(生ひ立ちの歌)
「そこはことないけはいです」(時こそ今は…)
「九歳の子供がありました 女の子でありました」(羊の歌)
――といった具合に
みんな現在形の「です」「ます」と
過去形は「ました」ばかりで
過去形「でした」はありません。
「でした」は
「一つのメルヘン」と「幻影」だけに使われているのです。

(※新かな表記で示しています。編者。)

それが何を意味しているのかなどと
分析したり研究したりするつもりではありません。

「一つのメルヘン」や「幻影」が
いっぽうは「メルヘン」(童話)
いっぽうは「イリュージョン」(幻想)の形で
詩人が語るやさしい口ぶりに
「でした」がこの上もなくピタリと決まっていることを味わいたいだけのことです。

ただでさえ
「だ」「なのだ」を多く使う詩人が
ここ「在りし日の歌」の最終章(最晩年の詩作)へきて
静かなやさしい口調で歌う調べの安らかな響き――。
それを感じるだけで
これらの詩に近づいた気分になります。

(つづく)

幻 影
 
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
それは、紗(しゃ)の服かなんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。

ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あはれげな 思いをさせるばつかりでした。

手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見ているやう――
音はちつともしないのですし、
何を云つてるのかは 分りませんでした。

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。

※「新編中原中也全集」より。( )で示したルビは、全集編集委員会によるものです。

「新字・新かな」表記を以下に掲出しておきます。

幻 影
 
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲んでいて、
それは、紗(しゃ)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びているのでした。

ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、ついぞ通じたためしはなく、
あわれげな 思いをさせるばっかりでした。

手真似につれては、唇《くち》も動かしているのでしたが、
古い影絵でも見ているよう――
音はちっともしないのですし、
何を云ってるのかは 分りませんでした。

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしそうなのでした。

 

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